第13話 世界史を学ぶ意義
「中間考査を返します」
五月下旬。
中間考査後、最初の授業である。
教壇ですくっと立った河村先生が、まるで古代の帝王のように、座っているクラス全員を
河村先生は長身でスリムな体型なので、こういう場面では見栄えする。
「平均点は五五点……最高点は」
と、河村先生はここで息を継いで、
「なんと一〇〇点」
と言った。
「みんな、ごめんな、俺やわ~」
と、例によって北川が叫んだが、
「んなわけ、ないだろ!」
と周りから即座に否定されている。
河村先生はそんなやりとりは全く無視して、
「青田君……伊藤さん……上田君……」
と、眼鏡のフレームやショートカットにしている髪の毛を時折、神経質そうに触りながら、出席番号順に少しアンニョイな口調で生徒の名前を呼んでいく。生徒は呼ばれた順に、まるでベルトコンベアに載って運ばれていく工場の部品のように前に出て、自分の答案を受け取っていく。
それでも、河村先生はソラの番になると、
「星野、星野宇宙君、すごい、一〇〇点ね!」
と、みんなの前でほめた。
何人かの生徒が息を呑み、声にならない声が上がる。
ソラはいたって冷静な態度で自分の答案用紙を受け取って席に戻る。
「すごいね、ソラ君」
ユキが声をかけると、ソラは初めて、はにかむような笑みを浮かべた。
その日の放課後。
「ちょ、ちょ、先生。待ってくださいよぉ!」
河村先生がユキの右腕を掴んで、担任室へ引っ張ってきた。
「もう~、今度という今度は許さないわ! 言うに事欠いて……」
世界史の授業中にまたしても居眠りを注意されたユキは、その時に半分寝ぼけ眼で、
「あなたは私が居眠りをしている幻を見ているのだぁ!」
と叫んだのだ。
以前、人間の視覚なんて当てにならないなどと、ソラから言われたことが頭の中にあったのかもしれない。
教室内は大爆笑。ユキは恥ずかしさで真っ赤。河村先生は大激怒である。
ユキは思う。
寝ていたことは事実なので、それについて叱られるのは仕方がない。でも、故意に河村先生を馬鹿にして言ったわけではない。
でも、そんなこと言っても信じてもらえないだろうなぁ。
だいたい河村先生は、根がクソが付くくらい真面目そうだから、このお説教は長くなりそうだ。もしかしたら学年主任の堀川先生に言いつけられて、余計に叱られるかも知れない。あの先生もむやみに話が長いからなぁ……。
担任室へ入ると、そこには誰もいなかった。
ユキは河村先生の机の横に立たされ、先生が、
「だいたいね、あなたは今学期の授業の一時間目から……」
と、言いかけたところでドアがノックされ、人が入ってきた。
ソラだ。
「失礼します。河村先生、この前お願いした質問の件ですが……」
と、ソラが言いかけると、先生は、
「えっ? あれっ? 質問? 約束してたっけ?」
と、急にドギマギしながら言った。
「はい、今日の放課後すぐに来るようにと言われていましたが……」
「あ、あっ、そう。そうね。先約か……じゃあ、山口さん、次回からは気をつけるように……」
と、河村先生が言いかけたところでソラは、
「よろしければ、山口さんも一緒ではダメですか?」
と言った。
ソラは河村先生の返事を聞く前に尋ねた。
「先生はどうして世界史の先生になろうと思われたのですか?」
「さあ……どうしてかしらね」
と、椅子に座った河村先生は小首を傾げるような仕草で小声で言った。
「もったいぶらずに教えてください。僕、河村先生の授業を聴いていていつも思うのですが、先生はものすごい量の知識というか学識をお持ちです。でも、それを生徒の前ではなるべく出さずにおこうとされているように見えて仕方がないのですが」
と丁寧な調子で話すソラ。
「どうして、そんなことを聞きたいの?」
「僕たちの進路を考える際の参考にしようと思って」
僕たちって?
ユキは、この言葉に自分も含まれていることに気づいた。
そういえば、ユキもとりあえず大学に進学する気でいるので、来年は受験生だ。そうなると、いやでも志望校を決めなければならない。
でも、この時のユキは、まだ自分が将来大学で何を勉強をして、どんな仕事に就いたら良いのか、見当がつかなかった。
クラスメイトの中には、「学校の先生になりたい」「看護師になりたい」などと、はっきりと自分の将来の職業希望を言える子もいるが、そのことをユキは信じられない。仕事に対する具体的なイメージが湧かないのだ。
先生になりたければ教育学部に、看護師になりたければ看護学部に進学すればよい。だが、ユキはどの大学、どの学部に進学すべきか決めかねていた。
確かに中学校の時もインターンシップといって近所の事業所や商店などで実習をさせてもらう機会もあったが、ユキはそれにも違和感を感じていた。
「進路を考える、って二人とも大学で歴史学をやりたいというわけじゃないよね?」
中間考査で一〇〇点を取ったソラはともかく、ユキに関しては疑問に思われても仕方がない。ユキは中間考査は五七点、クラス平均点より二点高いだけだ。そんなの「できる」うちに入らない。
「はい、進路をどうやって考えたらいいのかわからなくて、とりあえず参考までに先生のお話をうかがおうと思って……」
河村先生はソラの言葉に、
「ふうん、そうなの」
と、少し気のない雰囲気で返事をした。
「私の話なんて、あなたたちの参考にはならないわよ」
そこでユキは勇気を振り絞って尋ねてみた。
「あの、先生、実を言うと私、どうして世界史を勉強しなくちゃいけないのかわからないんです。そこから、教えてもらえませんか? 先生個人のお考えで結構ですから」
「そこから? 要するに勉強意欲が湧かないから動機付けが欲しいと言うのね」
と、河村先生はまるで二人に独り言をつぶやくように話し始めた。
「世界史なんて何のために勉強するの、っていう質問は世界史を暗記科目とだけ思っている高校生がよくするんだけど」
ユキはドキッとした。まさしくその通りだったからだ。
「でもね、世界の過去を知らなかったら、世界の現在はわからないのよ。現在、世界の各地で起こっている戦争の原因は、突き詰めると過去の歴史に行き着きます。現在の政治制度や習慣も、すべて歴史にルーツがあります」
なるほど、言われて見ればその通りだ。
「あと、外国人と友人になると、価値観の違いにぶつかります。そうすると、『どうしてこの人は、こんな考え方をするのか?』とか『どうしてこんな性格なのか?』と、考えるようになるでしょう。それも歴史に答があるのよ。つまり、世界史を学ぶと、世界の動きが理解でき、外国人との付き合い方も何も知らないよりはうまくいくと思う。直接、外国人と関わらない人でも、たとえば、『選挙で誰に投票するか』と決める時に、『より適切な政策を主張している候補者は誰なのか』と判断できるようになると思うよ」
「そういうものなんでしょうか?」
と、ユキは俯き加減で、河村先生を上目遣いで見る。
「そういうものなのよ……ただ、そういう自覚の無い人には、そういうことはわからない。なぜって、自分がそうしてないし、そういう人の周りにいる人たちも、多くはそういう生き方をしていないから、考えないことが普通になってしまっている」
ここで河村先生は言葉を句切った。
「たとえば、最近の日本と隣の国々との問題などは、近現代史の知識が無いと、テレビのコメンテーターの薄っぺらい発言の受け売りか、ネットのフェイクに騙される可能性が増すと思うよ」
と、後から考えてみると河村先生は授業中には言わないような、なかなか辛辣な発言をした。
「で、それすら見てもいない人は、そういう話題には入れないし、結果的にはそういうことを知らなくて仕事に大きな支障が出ることもあると思うの。世界史は、『歴史は繰り返す』ということわざの通りだから、自分の人生に必ず役に立つと思うわ。というか、好きな人はもう役立てているけれど、そうじゃない人は、そういうことをわからずして一生を終えると言ってもいいんじゃないかしら」
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