第14話 ヒッタイトと河村先生

 そこで河村先生は小さく息を継いだ。


「もちろん、世界史の教師といっても、一人で全ての時代や国の歴史を押さえているわけじゃないのよ。それはわかるよね」


「はい」


と二人は答える。


「実は私はね、大学では歴史学じゃなくて考古学を専攻したのよ」


「えっ、初耳です。すごいじゃないですか」


と、ユキ。


「初耳でしょうね。生徒の前どころか、先生同士でもあまり言ったことないもの」


と河村先生は言い、さらに、


「別にすごくはないわよ。ただ、もっと現地で発掘調査をしたかった、とは今も思ってるの」


と、言葉を継いだ。


「先生は実際に遺跡を掘られてたんですね」


と、ソラが訊いた。


「ええ、海外のね」


 この時だけ、河村先生はどこか誇らしげな口調だった。さらに、ソラが尋ねる。


「どこを掘ってみえたのですか?」


「遺跡って、吉野ヶ里とか三内丸山とかですか?」


と、ユキが頓珍漢とんちんかんなことを言い出すと、


「違うよ。海外って、いま言われたじゃないか」


と、ソラが即座に突っ込む。


 河村先生は笑いながら言った。


「カマン・カレホユック遺跡」


「カマン……ヒッタイトですか?」


 ──ヒッタイト王国。

 前二〇〇〇年頃から小アジアで活動した、インド‐ヨーロッパ語を用いた民族が、前一八世紀に小アジアのクズル・ウルマック河(赤い河)流域に建国した王国。


 馬と鉄器を使用し、前一四世紀には小アジアを中心に大帝国を建設し、前一二八六年のカデシュの戦いでは、国王ムワタリ二世がラムセス二世率いるエジプト軍を撃退する。この時、世界最古の講和条約が結ばれた。


 しかし、前一二世紀に入って急速に衰退し、前一一九〇年頃、「海の民」によって滅ぼされた(前一二〇〇年のカタストロフ)。その楔形文字はすでに解読されている。


「さすが、星野君はよく知ってるわね。その通りよ、トルコのカマン・カレホユック遺跡よ」


 今日の河村先生はソラをよく褒める。


 一方、ユキはソラの耳元で、


「ソラ君、そこって、そんなに有名なところなの?」


「そうだよ。製鉄関連の世界最古級の遺跡だよ」


「へえ、そうなんだ」


「ヒッタイトはね、『鉄を生み出した帝国』だって、授業でも出てきたじゃないか」


 二人のやりとりを河村先生はいつの間にか微笑ほほえみながら聞いている。


「あれ、あれ、仲のよろしいこと」


 しかし、ユキは即座に、


「そんなんじゃ、ありません」


と言い返す。


 ソラは困ったような顔をして黙っている。


 河村先生が言った。


「私が子どもの頃に『そらは赤い河のほとり』っていうタイトルの少女マンガがあってね。それで初めてヒッタイトを知ったのよ。なんかオタクな話だけど」


「あ~、それ、知ってます!」


 ソラが何か言う前に、ユキが声と右手を上げた。


「母の持ってたマンガを読みました!」


「そういうのはよく知ってるのね」


と、河村先生に言われると、


「『そういうの』って」


「サブカルチャー、ってことだよ」


と、ソラがフォローする。


 ──『そらは赤い河のほとり』

 篠原千絵作、『少女コミック』連載(一九九五年~二〇〇二年)。ヒロインの高校生が古代ヒッタイトにタイムスリップして活躍する物語。おそらく少女マンガ唯一のヒッタイトもの。


 その後、河村先生は独り言をつぶやくように、自分語りを始めた。

 

「高校生の時は自称歴女でね……でも、歴女っていっても、人気のある戦国時代とか明治維新にはあんまり興味が無くて、もっぱら古代オリエント史、特にヒッタイトね」


「すごい、小学生の頃から憧れて、そのまま大学まで行ったんですか」


 ソラも驚きの声を上げ、さらに質問した。


「先生がそこまで考古学に関心を持たれた理由を教えてください」


「そうねえ……」


と言って、一呼吸置いてから河村先生は話し始めた。


「私は子どもの頃から歴史が好きだったから、レポーターが世界各地の遺跡などを訪れて歴史や文化、伝説などにまつわるミステリーを解き明かす、ドキュメンタリー番組をよく見てたわ。それから、古い時代のものが好きだったから、博物館や美術館の特別展なんかにもよく行ったわね。さっきも言った通り、高校生の時には、一番好きな授業といえば、なんといっても世界史だったの」


「へ~、やっぱりなぁ」


とユキはチャチャを入れるように声を上げるが、ソラは、


「しっ」


と、人差し指を唇に当ててたしなめる。


 河村先生は続ける。


「そして古代文明に興味を持ったの。メソポタミア文明とかエジプト文明とか」


「なぜですか?」


「なぜって……『謎』が多いことかしら。例えば、エジプトのギザの大ピラミッドにしても、大きな石を当時の簡単な道具でどのように積み上げたのか。そもそも誰が何のために造ったのかなど、基本的なところで謎は尽きないのよ。そうした歴史の真相に迫る考古学って、なんて面白い学問だろうと憧れるようになったの」


「じゃあ、先生もピラミッドは宇宙人が造ったとか考えてるんですか?」


と、ユキは思わず口にした。


 河村先生は一瞬、


「えっ?」


と、不思議そうな顔をしたが、すぐに元の顔に戻って言った。


「それって、『古代宇宙飛行士説』のこと? 山口さんはそんな本も読むの?」


「はい、ちょっとだけですが……」


「デニケンとかシッチンとか?」


「わっ、先生も知ってるんだ!」


 ユキはびっくりして、つい大声を上げてしまった。


 ──『古代宇宙飛行士説』とは、人類史上の古代または超古代に宇宙人が地球に飛来して人間を創造し、超古代文明を授けたという「疑似科学」(科学的で事実に基づいていると主張しているが、実際には科学的方法と相容れない主張のこと)の一説である。学会では認められていないが、一般人の中には困ったことにまってしまう人もいる。


「フィクションとしてなら面白いところもあるけど、私は好きじゃないな」


「えっ、どうしてですか?」


と、ユキは尋ねた。


「だって、先人の努力を評価してないということでしょ。高度な文明は宇宙人が人類に授けただなんて、古代の人の能力を馬鹿にしていると思わない?」


 そう言われてみれば、その通りかもしれない。


「まあ、そうですけど……あっ、私だって面白がって読んではいますが、別に信じているわけじゃないので……」


と、面と向かって否定的なことを言われたユキは少々焦って答える。


 このままでは話題が考古学ではなくて宇宙考古学(古代宇宙飛行士説)に逸れていってしまうと危惧したのか、ソラがさっと二人のやりとりに割り込んで話題を換えた。


「じゃあ、先生が歴史学じゃなくて、考古学を選んだ決定的な理由は何ですか?」


「歴史学は文字資料の読解が主な研究方法なの。それに対して考古学は、遺物を資料にするという点が特徴だから、文字の無い時代や書物が残っていない一般の人々の生活なども明らかに出来るでしょ」


「なるほど」


「特に最近は、『放射性炭素年代測定法』によって、骨や炭に含まれる炭素から、その生物が生存した時代を明らかにしたり、遺伝子学と連携したDNA解析などから集団の出自や祖先を突き止める研究も盛んなの。そういうふうに理系の学問とも協同した視野の広い研究を進めることが出来るのが魅力ね」


「じゃあ、考古学科ではどのような勉強が出来るのですか?」


「まず、特定の地域の歴史を学ぶ講義。日本史、メソポタミア史、エジプト史など。それと、外国語。英語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語などを学んで、外国語で書かれた考古学の専門書を読む授業などもあるわ。大学によって得意とする分野が異なるので、興味のある地域が決まっている場合には、そうした分野を専門とする教授がいる大学を選ぶのがいいわね」


「ちなみに先生、大学はどちらなんですか?」


と、ユキが訊く。


「ユキちゃん、それってストレート過ぎない?」


とソラは横からささやいたが、河村先生は、


「別に構わないわよ……早稲田の文学部」


と、さらっと答えてくれた。


「うわぁ~、すごい」


 ユキは素直に歓声を上げる。ユキだって、早稲田大学が慶應義塾大学と並ぶわが国の最難関私大であることは知っている。


「そんなことないわよ……あのね、三重県みたいな田舎にある進学校では、国公立大学に進学しない人間はまるで異端児扱いだし」


「えっ、そうなんですか?」


と、たいして進学校ではない亀島高校の生徒であるユキは目を丸くする。


「そういうものなのよ。でもね、オリエント考古学を国内の大学でやろうとしたら、まず慶応か早稲田の文学部ね。今もオリエント考古学という名称で講義があったはずよ」


 河村先生の話を聴きながら、ソラはわりと落ち着いているが、ユキは今一つ話についていけず、目を白黒させている。

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