3-15. 刻印
長いキスだった。すればするほど先ほどの自分の幼さが恥ずかしく、とてつもなく大きな時間に吸い込まれていくような長いキスだった。
綿密な幾何学模様がまぶたの裏に浮かぶ。かと思うとそれは野枝実の急いた舌を遊ばせるような、とらえどころのないやわらかな動きに変わる。重なったその一点に野枝実は全身を委ね、少しでも長く重ねていたいと躍起になり、無我夢中になっている。先生が角度を変えてより深く噛み合わせてきたとき、煙草の苦味の奥にほんの少し残ったはっさくの甘酸っぱい味が濡れた舌先に触れた。
絡みつくように抱きすくめてくる先生の腕、時折じっと野枝実を見つめる瞳、髪を撫でる指、その一つ一つに極限まで強張った体が小さく震える。首筋を這う彼の肌から、石鹸の匂いがふわりと立ちのぼった。
パーカーのジッパーがゆっくりと下ろされる。Tシャツ一枚になって布団にくるまったとき、先生が野枝実の頭上で何かをささやいた。何を言ったのかよく聞こえなかったが、かすかに笑いを含んだ彼の声色につられて、野枝実もはにかむように笑う。何か言おうと思ったが言葉にできなかった。言葉を交わす余裕もなかった。
髪を撫で、肩から胸へ、胸から背中へ、背中から腰へ、腰から太腿へ、上から下へじっくり検分するように動く指と唇と舌。その動作の一つ一つには滾るような抑えきれなさがありながら、先生は自ら焦らすようにして興奮を抑えようとしていた。
野枝実は身に着けているものを少しずつ脱がされ、先生も服を脱いだ。みっしりと硬そうな肌色が、あたたかい毛布のようにやわらかく野枝実の素肌を包み込んだ。
丁寧に、少しずつ高められた感覚がある一線を越えたとき、野枝実はぎゅっと目を閉じながら全身を震わせた。その瞬間を誰かに見られるのは初めてのことだった。
終わりのない、恐怖に近い果てしなさを感じた。野枝実が歪んだ顔を隠そうとすると、その手を先生がベッドに押さえつける。大きく体を波打たせて悶える野枝実の様子を先生はじっと見届けていた。
はち切れそうに怒張したかたまりを口に含んだとき、初めて先生の声を聞いた。唇が開きかけ、吐息混じりのうめき声が漏れた。
唾液で満ちた口内を使って出し入れする動きに合わせて甘いため息が聞こえる。唾液と体液が混じったぬめり、それを手でぬりつけるように上下させながら、くすんだ肌色をした乳輪を舌先でなぞると下腹部の筋肉が小さく痙攣する。視界の端で顎先がわずかにのけぞる。力んだ首筋には薄く血管が浮いている。
汗ばんだ手が野枝実の胸へと伸びてくる。大きすぎず小さすぎない野枝実の胸が彼の手のひらにすっぽりと包まれ、そこには時折興奮を分散させるような手つきが現れる。
先生のほうを見ると少し苦しそうに顔を強張らせている。先生の顔にもともとうっすらと刻まれている眉間のしわ、こういうときにこういう表情を今までどれくらいしてきたのだろう。顔に刻まれた細かいしわの一つ一つまで愛おしく、彼の首の後ろに腕を回し、抱きすくめるようにしながら首筋から耳の裏へ舌を這わせると、耐えきれないように小さく声を漏らした。
その声を聞くと火がついたように欲情し、彼の何もかもが爆発的に愛おしいような気持ちになり、野枝実はたまらなくなってその口の中に指先を差し入れた。
熱い唾液とやわらかい舌と整列した歯の感触を確かめたとき、その指先に鈍い痛みを感じた。
先生と目が合うと、野枝実の指を噛んだまま先生は歯を見せて微笑んだ。小ぶりな前歯と、いたずらをした子どものような微笑と、禍々しい欲求のただ中にいる男の目が相まって野枝実は気が狂いそうだった。
指を絡めて先生がゆっくりと入ってきたとき、野枝実は生まれて初めて安心した。
全神経を委ねられる安心感は、すなわち魂ごととろけてゆくような脱力であった。と同時に、どちらかが少しでも動いたら爆発して気絶してしまいそうな緊張と、それでもめちゃくちゃに動いてほしくて動きたくてたまらない、気が狂いそうなもどかしさが同時に全身に満ちた。
先生は動かないまま野枝実を見ていた。先生も同じことを思っていたのだろうか。彼のまなざしに炎のような熱いゆらめきを感じ、野枝実も同じように先生を見た。遠くで子どもたちの笑い声と、追いかけっこをするような弾んだ足音が聞こえた。
先生はしばらく慎重に野枝実の反応をうかがってから覆いかぶさってきた。その唇が首筋に吸いつき、押し殺すような低い声と吐息が耳元にかかると、野枝実の火照った全身が激烈に熱を帯びた。
一つ一つに長い時間をかけた。経験したことのない気持ちよさにすっかり乱れきった野枝実を目の前にしても、先生は辛うじて抑制されていた。あらゆるわだかまりをぎりぎり手前のところで食い止めているような、むこうみずな情動に任せてすべてを貪る寸前のような、息をすることもためらっているような抑圧的な仕草だった。
先、生。喘ぎながら野枝実は言葉を探した。呼びかけられた先生は野枝実の上で規則正しく動きながら、野枝実を少しだけ深くじっと見る。ん、の顔であった。先生の熱さを、重さを全身で受け止めながら野枝実は言葉を探し続けたが、何も言えないままとろとろとした波の中に体を委ねるばかりであった。
意思を持った舌が野枝実の舌をとらえる。鼻と鼻が触れ合う。お互いの吐く息を吸いながら見つめ合っていると、先生の潤んだ目の奥に星のような小さな光が見えた。やがて星は揺らぎ、その瞳が耐えるようにぐっと閉ざされる。
熱い吐息には次第に小さな喘ぎが混ざり、野枝実は再び抱きすくめられる。抑圧を引きちぎるような激しさがにわかに現れ、分厚い背中に汗がにじむ。その余裕のなさが愛おしく、それを実感すると野枝実もまた限界が来そうになり全身で彼にしがみついた。
先生の背中越しに、レースカーテンからやわらかな陽光が差し込むのが見えている。陽は汗ばんだ二つの肢体を照らしながらゆっくりと西に傾き、やがて暮れていった。
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