1-12. こんなことするんじゃなかった

 昇降口を出ると目の前の桜の木が満開になっていた。きっとこの容赦ない陽気でつぼみから一気に膨らんだのだろう、それくらいに今日は季節外れのあたたかさだった。埃、土、花、空、風、あたりの何もかもが強烈な生命力をふりまいて、くらくらするような晴れの日であった。


 もっと日が短くて、曇り空で、息も白かったらいいのにと思う。先ほどのできごとを思い出そうとすると春の匂いがむんむんと縮こまった胸の中で混ざり合い、ぐっと息が苦しくなった。縮こまったまま千々にちぎれていくようだった。


 ありがとう、嬉しいよ、が交互に蘇る。先生の周りに張られた柔らかい膜が野枝実の告白をふんわりとはね返したときの、その反動が蘇る。

 野枝実は魂が抜けたようにすかすかな気分を持て余していた。すかすかになった心に、どっと後悔が押し寄せてきた。


 こんなことするんじゃなかった。告白したことで先生の人生に恥の刻印をしてしまったような気持ちだった。実を結ぶことはない告白だとはもちろんわかっていたけれど、これで終わってしまったと思うとやはり虚しい。寂しい。今までどおり、ただ見ているだけだったらこんなことにはならなかった。取り返しのつかないことをしてしまった。


 とぼとぼと帰り道を歩きながら野枝実は、ていうか、と思った。ていうか、最初から理科準備室に行けば簡単に二人きりになれたじゃん。人の気配も気にせずに、とにかく二人きりになれたじゃん。

 歩きながらへなへなと力が抜けていく。だからといって結果は変わらないけれど、なんというか、何から何まで締まらない。どうしようもない。


 野枝実は先生に触られた背中を後ろ手に触れた。先生の手のほうがずっと大きく、自分の手より優しいと思った。この感触はこれから少しずつ薄れて、じきになくなる。あの日、駐車場で制服についたわずかな先生の匂いもずっと前にもうなくなった。今はもう思い出すこともできない。

 深く息を吸おうとするとむせ返るような感じがした。真冬みたいに思いきり深呼吸がしたいと思ったが、うまくできなかった。


 これから春が来るたびに、このむんむんした匂いを感じるたびに、今日のできごとを思い出すようになるのだろうか。ふやけきった今の野枝実は、未来のことには何らの思いも及ばない。

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