プロローグ 現世
2021年9月――。
東京都豊島区西池袋1丁目7−5にある警視庁池袋警察署刑事課強行犯係長
警視庁の中では有名な人物がいる。その理由は主に二つあり、大抵の人間が彼のことを異例の若さで昇進し、最年少で警部補になった変人と認識している。もう一つの有名な理由は「彼が1999年11月に発生した副都心通り魔事件の被害者である。」ということだ。
6歳の時、彼は目を覚ますと板橋区にある豊島病院の天井を見つめていた。口には酸素マスクがはめられており、ICUの機械音に包まれた最悪な目覚めだ。気分は悪く、表現のしようがない感情が彼の中を巡った。
温かい記憶だけで脳裏をよぎる。
「じゃあね。お父さんとお母さんはいつまでも貴方を見守っているから。」
その声を聴いたのは間違いないはず。――なのにどうして両親はいないのだろうか? 彼はそう言って医師と看護師を困らせた。
許せない。死刑が確定したとはいえ、自分の不条理を清算するのに通り魔事件を起こしたあの犯人を許せない。小学生男児の心に闇が宿った。
両親は駆け落ちした身で、彼が生まれたことは両祖父母は知らなかったこと、同じ理由で親戚にも彼の受け入れは拒まれた。が、施設では何不自由ない生活ができた。
足立区にある児童福祉施設で、彼は高校を卒業するまで面倒を見てもらえることになり、友人にも恵まれた。
高校を卒業すると同時に警察官になり、府中市にある警視庁警察学校へ入校する。小学校のころから剣道を学び、高校3年生の時には剣道2段の腕前になっていた。柔道は初段である。
彼の原動力は自分と同じく大切な人を失う悲しい気持ちを一つでも多く減らすという想いだ。彼が目を覚ましてからすぐ、一緒に寄り添ってくれたのは、精神科の先生でも学校の先生でもなく、池袋警察署刑事課強行犯係の刑事であったのだ。
彼がいたから、前向きに生きようと思えるようにもなった。施設にも足を運んでくれて、彼の心にある闇が少しずつ消えていったのも、強行犯係で件の通り魔事件を担当した
「まさか、あの時の少年に追い越されるとは思わなかったんぁ。」
なにかあることに桐島に対して出戸巡査部長はこれを言う。池袋警察署刑事課強行犯係に骨を埋めている彼からすれば、感慨深いのかもしれない。
夜勤は退屈なときがある。何か大きな事件がない限り強行犯係が夜に飛び出すことはそうそうないからである。殺人・強盗・誘拐・放火などの凶悪事件の捜査資料を読み、事務処理をしながら桐島は相棒の
「お前も大変だな。女なのにこんな男くさいところにぶち込まれて。」
「桐島先輩と一緒に仕事できればそれで楽しいですよ。」
すべての昇進試験で一発合格をたたき出し、犯人逮捕にも大きく貢献するほどの頭脳派である彼は、女性警察官からの憧れを集めていることは確かである。実際、彼の背中を追っている警察官は池袋署だけでなく、近隣の警察署にもいる。
「田無、お前も大卒、25歳で巡査部長じゃないか。」
田無もまた、一発合格組だ。
このエリートバディは、直感で捜査をすることで警視庁内では有名である。根拠や証拠を集めるのに直感で動き、犯人の手がかりを見つけ出してしまうのだ。
彼らの優秀さに嫉妬する者はいない。こういう場合、殆どの人間は彼らのような人種を羨むものだが、雲の上の存在と割り切っている人が多い。その分自由に仕事ができているのだろう。
時刻は4時30分を回ったところ。
珈琲と戯れる二人の元に無線が入る。
電波がすれる音の奥から、本部の担当者が発する声が聞こえる。
『至急……至急……。警視庁から池袋。ただいま、JR池袋駅停車中山手線電車内において、40代から50代くらいの男性が刺殺体で発見された模様、駅職員より入電、至急向かってください。』
「袋101、了解。」
今日はとても不穏だ。
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