千百十一

最近のマイブームは金曜の夜は映画と酒。酒はいつでも傍にあったけれど、映画は今まで殆ど見なかった。ふと目に入れた金ローが思いの外面白く、映画に興味を持った。と、言っても高尚な芸術は理解できないし、ニッチなものを探すわけでもない。今流行の俳優のアクションシーンや「アカデミー賞」の文字が選択基準だ。大きな音で見るのがポイントで、最高の臨場感を味わえる。今日は珍しく、恋愛映画。見ていると死にたくなるから普段は見ない。なぜかって、聞くなよ。それに今回は生きていられそうだ。予想に反して、それほど甘くない。というか、ドロドロで猟奇的ですらある。僕よりヒロインのほうがよっぽど可哀想だ。彼女のように悲壮に溺れたこともない。楽しくなってきた。だって僕は恋人がいたことがないからひどいことされたことはないし、恋愛の楽しさも知らない。あれ、やっぱり僕のほうが可哀想かも。(テレビには、ヒロインと彼氏の馴れ初めが映し出されていた。)



夜更け、インターホンがなった。あまりに怖すぎる。僕はビビリなんだ。チビるかと思ったじゃないか。もしホラー映画を見ていたらドアの先のやつを絶対に許さない。だけど今日の僕は機嫌がいいし、お酒もいい具合に回っていた。

恐怖なんて一瞬でしぼみ、軽い気持ちでドアを開けた。

「はーい」

戸を開けた瞬間僕は覚悟した。あぁ死ぬなって思ったんだ。これは僕がビビリだからじゃないよ、誰だってそうさ。だって目の前に血だらけの知り合いが立ってるんだ。それも血に染まった包丁を持って今にも泣きそうな顔でね。僕は声を出すどころか指一本動かせなかった

。銅像みたいにただ固まってた。彼女は少し震えているだけで、それ以外僕と一緒だった。震える銅像だね。恐怖のあまりそんなわけのわからないことが頭をよぎった。沈黙が続く。続けたいわけじゃないよ、声が出せないんだ。訪ねてきたんだから、そっちから喋ってくれよと内心思った。



願いが届いたのか、なにか決心がついたのかわからないが彼女が先に言葉を発した。

「あの、こんな遅くにごめんね、、、」

そんなことよりもっと言うことあるだろうと思った。聞きたいことだらけだ。

彼女はゆっくりと続ける。

「私、覚えてる?あの高校の時、同じクラスだった、、、」

僕は、頷くことが精一杯だった。忘れるわけもない。その吸い込まれるような目と髪の黒。

「その、あのねなんて言ったら良いかわかんないんだけど」

僕は彼女を見つめるしかできなかった。

「今、彼氏のことで警察にいこうと思ったんだけどさ」

彼女はここでまた言葉を切った。その風貌から目の前の人が殺人犯であることは予想できた。しかし、わけがわからない。なぜ自首しようとする人間が僕の家に。怖かった。彼女からなにか恨みを買っていただろうか。一人も二人もさして変わらない。殺されるかとおもったんだ。(彼氏がヒロインを怒鳴りつけていた。)

「でね、そういえば本返さなきゃと思って。」

確かに彼女の左手には一冊の本があった。本?

「ほら君に借りてた、小説。面白いから読んでみろって。」

思い出した。思い出した。読書感想文のためにリサイクルショップで百円で買った小説。不気味なほどきれいで、つい手を伸ばしたあの本だ。すっかり忘れてた。甲子園出場を目指す少年の話は、粗雑ながら非常に元気づけられる内容だった。超面白かったよ。3年の昼休み、この感動を共有したいと思ったんだ。だから貸した。結局勉強が忙しくて感想を聞けないまま卒業してしまっていたやつだ。まだ持っていたのか。感想を聞きそびれたと気づいたとき惜しかったけど、もう覚えてなかったよ。僕の思い出の象徴のひとつ。それが今ここに、人殺しの元想い人と共にある。なんて話だ。(その瞬間、テレビは笑い声を発した。ヒロインの明るい過去の回想シーン。幼少期、高校、新社会人。音だけでもわかる充実した日々。)

黙るしかない僕に勘違いした彼女は

「え、おぼえてない?君に借りた本じゃなかったっけ」

と、にわかに焦りだした。待ってくれよ、落ち着く暇もない。彼女の動揺に後押しされ、僕はなんとか言葉をひねりだした。

「お、覚えてます。」

謎の敬語に自分に嫌気が差した。でも仕方ないよ、こんなに怖いんだから。彼女は安心したようにニッコリと笑った。敬語の僕をおかしく思っただけかもしれないけど。笑顔はそっくりそのままあの頃の彼女だった。人を殺したとは到底思えない無邪気な笑みだったのさ。

その後の僕らは思い出話に花を咲かせることができた。、さっきまでの恐怖が嘘みたいにね。手と背中には冷たい汗が流れていたけれど、あの頃のままの距離感で、価値観で笑いあった。それは、確実に触れなければならない彼女の「今」と「未来」から遠ざかるための虚構に過ぎなかったのかもしれないね。僕は本を受け取った。彼女は本を握っていた震える手を隠し、僕は見ないふりをした。心底楽しかったのは確かで、この時間が続いたらと思った。ページをめくりながら、感想を思う存分話し合う。夢が一つ叶ったようなきもちだったよ。何ら変わりない彼女を見て、人殺しと僕たちは同一線上にいるのだと思った。僕も簡単に彼女の方へ行けるってことさ。怖くも思ったが、安堵のほうが大きかった。なんでかはよくわからない。ページをめくる。また1ページめくる。そのたびに思い出が蘇るようで、いや、現在があまりにも悲しすぎて、涙は今にも溢れそうだった。僕は泣き虫だからね。


 彼女は、受験を終えた春休み、この本を読み始めたとのことで、あまりに感動し、形見放 さずバイブルとしていたらしい。僕だけが受からなかった大学。そこでの生活の支えに  なったようで、何度も読まれた形跡が見て取れた。大学が分かれ、当事者である僕でも驚 くほど疎遠になった僕らにとって唯一の繋がりだった。僕の心の奥底にしまっておいた思 い出。忘れたことにした記憶。


不思議な満足感を感じながら、また1ページめくると破れたページが出現した。買ったときも貸した時も確実にあったはずのページ。

その瞬間、彼女は今日一番暗い顔をしていたね。すごく悲しそうだった。

(テレビは、叫び声をあげた。誰のものかはわからなかった。)

僕は直感的に感じ取った。来る。



そう思ったけどすぐには来なかった。三十分前を彷彿とさせる、沈黙が訪れた。さっきと違うのは、彼女が泣きそうなことと、沈黙は長くは続かなかったことだ。ほんの三分の一くらいだと思うよ。

「あのね、大事にしてるから乱暴にしないでっていったんだけどね、ここが気に食わない!とか言ってさっき破られっちゃった、、、ごめんね。」

貸すんじゃなかったと小声でつぶやく彼女を前に、僕の理性は一気に決壊寸前になった。今にも溢れそうだったね。「だから殺したの?本を破られたから?」なんて言葉は吐けず、吐瀉物のように言葉を飲んだよ。そんなわけがないことはわかりきっていたが、どうしてもよぎってしまう最悪の思考だった。こんな仕打ちがあるだろうか。僕は人生を悲観したし、神すらも憎んだ。最悪だよ神様。

「大丈夫だよ」

それは何も解決しない劣悪な一言だった。もっと言えることがあったんじゃないか、今でもそう思ってる。彼女の表情はより暗くなり、僕の心も深いところへと沈んだ。誰も救っていない。誰も幸せじゃない。きっとこの本はそんな理由で破られていないし、彼女が彼を殺した理由もある程度は分かりきっていた。分かっていることにしたかったのかもしれないけどね。でも、妙な確信があったんだよ。口に出す気力もないほど打ちのめされていた僕らは、最初のように長い沈黙に浸かっていた。僕は彼女の顔色を伺うように、顔を覗き込むのが精一杯で、ただ自分を情けなく思った。


沈黙を破ったのは、またもや彼女だった。

「もうこんな時間だ、ありがとう。じゃあね。」

取ってつけたような言葉と、グシャグシャの顔に無理くり浮かべた彼女の笑みは僕の心を引き裂いた。

「またね」

なんの思考も伴わない空っぽの言葉が口ついて出た。遠ざかっていく背中を見つめ、僕は立ち尽くしていた。後悔していた。何に後悔していたのかは今でもわからないよ。でもソレしかできなかった。涙も出ない。声にもならない。悲しむことは正しいのか。何故悲しいのか。どうしてこんな事になっているのか。どうしたらいいのか。

ただ何もわからぬままに僕は立ち尽くした。彼女の顔だけが脳裏に焼き付いて離れなかった。友達を失った最悪な夜。


ヒロインは自殺した。

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千百十一 @senhyakuzyuiti

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