アップルパイはもう焼かない
五月庵
アップルパイはもう焼かない
とある国の緑豊かな森の奥深く、ぽつんと建てられたお屋敷に、少年とメイドが二人きりで住んでおりました。
少年は両親を相次いで病で亡くし、天涯孤独の身の上でした。遺されたのは、幸福な思い出が沢山詰まったお屋敷と、僅かばかりの遺産のみ。元はかなり裕福だったのですが、薬代でそのほとんどが消えてしまったのでした。
五人いたお手伝いさんは皆お暇をいただき、少年に礼儀作法を教えていた爺やは腰を悪くしたために帰郷してしまいました。少年は別れを惜しみましたが、以前のように彼らを雇うだけのお金もないのでどうしようもありません。
そんななか、ただ一人メイドだけが屋敷に残っていました。メイドといっても、普通のメイドではありません。彼女は体が機械で出来ていました。
今から十年ほど前、まだ少年の両親が病に侵されておらず、屋敷の中がいつも暖かな笑いで満ち溢れていたころのことです。少年の父親が隣国の友人に会いに一か月ほど外出し、帰ってきたその日のこと。彼は沢山のお土産とともに、薄汚れたメイド服を着た女性を連れてきたのです。よく見ると、彼女はとても精巧に作られた機械人形でした。驚いた妻がこれをどうしたのかと尋ねても、夫はただ一言、「拾った」とだけ答えて詳しい事情を話しませんでした。主の突然の奇行に屋敷の人々は戸惑いましたが、試しに機械人形に掃除をさせてみればどこもかしこもピカピカに磨き上げ、料理をさせてみれば頬が落ちそうになるほど絶品なフルコースを作り上げたので、危ないものではないのならまあいいか、とその機械人形を受け入れたのでした。
「メイドさんはどうしてここにいてくれるの?」
両親を失った悲しみと、一気に人がいなくなってしまった寂しさとで毎日毎日泣いて過ごし、もう泣くのにも疲れてきた頃、少年はメイドに尋ねました。その質問に答えるため、メイドは少年に近付きました。メイドが歩くと、カシャン、カシャンと金属が擦れあう音が微かに聞こえます。少年はその音が好きでした。
「私はこのお屋敷と坊ちゃんを守るよう御主人様に拾われた身。ここより他に、私の居場所はありません。ただ以前と変わらず使命を全うするのみです」
メイドは無表情に答えます。
「そっか。ありがとう、メイドさん。これからもよろしくね」
これからもずっと一緒にいられるのが嬉しくて、久方振りの笑顔を浮かべながら、少年はメイドの手を握ります。両手でぎゅっと、力強く。しかしメイドはその手を握り返しませんでした。
うららかな春の日差しの中で、花にとまった蝶をじっと観察している少年に、メイドが声をかけました。
「坊ちゃん、今日のおやつは何に致しましょう」
「アップルパイ!」
少年はメイドの作るアップルパイが大好きでした。しゃくしゃくとしたリンゴの歯触りと滑らかなカスタード、サックリと焼き上げられたパイ生地。それらが口の中で混然一体となり、互いの良いところを引き立てあいます。おやつの時間、少年は極上のアップルパイを夢中になって食べました。そして、自分の顔よりも大きいそれをあっという間にたいらげてしまいました。
「メイドさんのアップルパイは世界一おいしいよ。お店を開いたら繁盛するんじゃないかなぁ。ねぇ、何か作り方に秘訣があるの?」
メイドが淹れてくれた紅茶を飲みながら、少年は尋ねます。
「勿体ないお言葉ありがとうございます。いいえ、秘訣などございません。私はただレシピ通りに作っているだけのこと。練習すれば坊っちゃんも作れますよ」
「そうかなぁ」
「作れます」
「そっかぁ」
その次の日、屋敷いっぱいに焦げ臭いにおいが充満しました。
「ごめんなさい……材料、無駄にしちゃった」
「お気になさらないでください。失敗は誰にでもあるものです。ただ、次は私と一緒に作りましょう。怪我をしてしまっては大変ですから」
「うん……」
真っ黒に焦げた不格好なアップルパイを片付けながら言ったメイドの言葉に、少年はしょんぼりと頷きます。この事件がよほどショックだったのか、それきり少年がアップルパイ作りに挑戦することはありませんでした。
季節は巡り、いつしか少年は青年になっていました。身長もぐんぐん伸びて、今ではメイドよりも頭一つ大きくなっていました。しかし、メイドは依然として青年のことを坊ちゃんと呼んでいました。もうそんな年でもないんだけどなぁ、と青年がこぼすと、「何を仰います。坊ちゃんは幾つになっても坊ちゃんですよ」と無表情に答えるものですから、青年もしいて別の呼び名で呼ばせようとはしませんでした。もっとも、メイドの言葉に、それって僕が頼りないってことなのか?と複雑な気持ちにはなっていましたが。
「坊ちゃん、お出かけですか」
「うん。また町に行ってくる。あ、そうだ、何か買ったほうがいいものはあるかな?ついでに見てくるよ」
「それならバターと小麦粉を。もうすぐ、リンゴが旬になりますから」
「アップルパイだね!わかった、とびっきり上質なのを買ってくるよ。じゃあ行ってきます!」
「よろしくお願いします。では、お気をつけて」
メイドに見送られながら、大荷物とともに青年は屋敷を出発します。青年は、数年ほど前から森で採取した珍しい植物の種や美しい花の加工品を町に売りに行っていました。遺産はまだありましたが、このまま何もしないでいては無一文になるのも時間の問題だとしてこの仕事を始めたのでした。丁寧な仕事ぶりと青年の実直で誠実な態度が相まって、人々は彼を信頼し、お得意さんの数はどんどん増えていきました。植物だけでなく、頼まれれば、美しい羽を持つ鳥などの小動物を剥製にすることもありました。青年が作った剥製はまるで生きているようだと好評で、なかなかな値段で取引されるようになっていました。
冬のある日のこと。青年は、激しい頭痛と息苦しさでベッドの上から起き上がれなくなりました。両親を襲ったのと同じ病が、青年の体をじわじわと蝕み始めていたのです。青年は、自分がそう長くは生きられないことを悟りました。こんなに早く自分の人生が終わりを迎えることに悲しみを覚えながらも、その胸中は意外にも安らかな気持ちで満たされていました。
死ぬのは悲しいけれど、最期までメイドさんといられてよかったな。ひとりぼっちで死ぬよりよっぽどいい。
メイドに看病されながら、青年は自分が死んだ後のことを考えます。
僕が死んだ後、メイドさんはどうするのだろう。この屋敷に居続けるのだろうか。僕の死体はどうするのだろうか。……メイドさんは、僕の死を悲しむだろうか。
その問いの答えを探すように、青年はメイドの顔をじっと見ます。
「坊ちゃん、どうかなさいましたか?」
「ううん、何でもないよ。……メイドさん、今日のおやつにアップルパイを作ってくれないかな」
「承知いたしました。それでは早速作って参りますね」
「ありがとう」
「何かありましたら、このベルを鳴らしてください。すぐに駆け付けますので」
部屋を出る前に、銀色のベルを青年に渡してメイドが言いました。
「わかった」
「それでは、失礼いたします」
「うん。アップルパイ、楽しみにしてるね」
その後、メイドはアップルパイ作りに取り掛かるために青年の部屋を後にしました。その後姿を、青年はじっと見つめていました。まるで、メイドの姿をその目に焼き付けようとしているかのように。
それから十数分後のことです。青年は今までになく激しい頭痛に襲われました。頭が割れそうなほどの痛みに、もがき苦しみます。
そうだ、さっき渡されたベルを鳴らせばメイドさんが来てくれる、そうすれば――。
と、ベルに手を伸ばしたところで青年の動きが止まります。青年は察していました。この苦しみは、自分の命を奪うものだと。青年はベルに伸ばしかけていた手を引っ込めて、思うように動かない体を引き摺って部屋の扉に近付きます。そして、ガチャン、という鈍い音を立てて、扉の鍵を閉めました。
……僕は何をしているんだろう。
青年には、自分が何をしたいのかわかりませんでした。けれど、ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐きながら再度ベッドに潜り込み、朦朧とした意識の中、青年は、自分の死体を見せてメイドさんを悲しませたくなかったからかもしれない、そんなことを思いました。それからゆっくりと呼吸数が減っていき、青年の意識は深い深い闇の底へと落ちていったのでした。
「坊ちゃん、アップルパイが焼き上がりました。温かいお茶もあります。おやつにしましょう。坊ちゃん」
メイドが扉をノックしながら呼びかけます。しかし、返事はありません。ドアノブを回しても、ドアは固く閉ざされたまま。
坊ちゃん。
メイドはもう一度だけ呼びかけて、それから黙って坊ちゃんが出てくるのを待ちました。日が暮れて、夜になり、朝日が昇るまで、ずっと。しかし坊ちゃんが部屋から出てくることはありませんでした。
カシャン、カシャンと音を立て、台所に戻ったメイドは、すっかり冷えたアップルパイを暖炉の火の中に投げ入れました。ぱちぱちと爆ぜる火の粉と甘く焦げ臭い煙が立ち上がります。しばらくすると、つやつやと美しかったアップルパイはすっかり見る影もなく、灰に成り果てました。メイドはそれを、黙って見続けていました。
それからというもの、メイドは毎日毎日アップルパイを焼き続けました。そしてドア越しに呼びかけるのです、「坊ちゃん、おやつにしましょう」と。しかし、坊っちゃんがドアを開け、アップルパイを口にする日はとうとうやってきませんでした。
◇ ◇ ◇
絵描きの男がいた。彼は町を渡り歩いて似顔絵を描くことで生計を立てていたが、絵の腕前はいまいちで、その日食うものにも困る始末だった。
その日、男は森の中で半ば遭難状態に陥っていた。町へはどういけばいいのか、森の入り口で通行人に尋ねたのだが、どうやらでたらめな方向を教えられていたようだ。
チッ、ついてねえ。このまま野垂れ死ぬのはごめんだぞ。
イライラしながら森を歩いていた、そのときだった。
どこかから、何かが焼ける、甘く香ばしい香りが漂ってくる。
……近くに家があるのか?
希望を胸に鼻をふんふん鳴らしながらその匂いの元を辿っていくと、開けたところにぽつんと建てられた、一軒の屋敷が目に飛び込んできた。喜び勇んで駆け寄るも、辺りはしんと静まり返っていて人の気配が感じられない。廃墟だろうかと訝しむも、先ほど嗅いだ匂いは確かにここから漂っている。それに外観こそ古びてはいるが、花壇などの手入れがなされているのだから誰かがいるに違いない。
ま、中にいるのが亡霊の類だろうが構やしない。今日一晩泊めてもらえないか聞いてみよう。
身なりを軽く整えてから、屋敷の立派なドアをノックする。と、少ししてからはい、と誰かが言う声がして、ドアがゆっくりと開かれていった。
「はい、何の御用でしょうか」
「突然申し訳ありません。実は、町に向かっていたのですが道に迷ってしまいまし、て……」
下げた頭を上げながら、出てきた人物を見て驚いた。何故なら彼女――いや、それは、メイドの恰好をした機械人形だったからだ。
「そうでしたか。それは大変でしたね。今から町に向かわれたら日が沈んでしまいます。もしよろしければ、一晩ここに泊まっていかれてはいかがでしょうか」
「へ?!あ、ああ、それはありがたい。じゃあよろしく頼むよ」
機械相手となれば畏まる必要もなかろうと、砕けた口調でメイドに話す。どうぞお入りください、と招き入れられるままに俺は屋敷の中に入っていった。やはり、人の気配が感じられない。もしかしたら屋敷にいるのはこのメイドだけなのかもしれない。ご主人様は大方どこかに出掛けているのだろう。しかし、それにしても機械人形をこんなところで見るとは思ってもいなかった。しかもこいつは旧式だ。隣国で大量生産されたやつじゃなかったか?
メイドの背中をじろじろ眺めながらついて行く。玄関から続く廊下を歩き、台所を通りかかった時だった。外に漂っていた甘い香りが、台所からふわりと匂う。思わず足を止め、ふんふんと鼻を鳴らすと、メイドがそれに気が付いて振り返った。
「ちょうどさっきアップルパイを焼いたところです。召し上がられますか?」
「いいのか?ならお言葉に甘えて」
広間の椅子に腰掛けて、メイドが作ったというアップルパイを一切れもらう。まだあたたかいそれを頬張ると、卵や牛乳の素朴な甘みとリンゴの爽やかな酸味、バターの香りが口いっぱいに広がった。
「美味い。甘いものはそれほど好きじゃないんだが、こいつはいくらでも入りそうだ。店を開いたら繁盛すること間違いなしだろうな。なぁ、何か作り方に秘訣でもあるのかい?」
「……いいえ。レシピ通りに作っているだけです。秘訣はありません」
「ふうん、そうかい」
メイドが答える前に生まれた微妙な間が気になったが、その違和感はすぐに忘れてしまった。
アップルパイを食べ終え、メイドが淹れてくれた熱い紅茶を飲んでいた時のことだった。
「坊ちゃんに、会ってくださいませんか」
出し抜けにそう頼まれて、ぎょっとする。
「坊ちゃん?あんた以外誰もいないのかと思ってたが、人が住んでるのか。世話になったんだし会うのは構わないけど……大丈夫なのか?俺みたいな得体のしれない奴を勝手に招き入れたことがバレたら拙いんじゃないか」
「御心配には及びません。それでは、こちらにどうぞ」
言われるまま、メイドの後についていく。廊下の奥まったところに、その部屋はあった。ふうん、立派な作りの部屋だな、とぼんやり思っていると、メイドが一本の鍵を手に、扉の鍵を開けようとし始めた。
……鍵がかかってる?何故内側から開けないんだ?警戒心が強い人間がここに住んでいるのだろうか。
釈然としない思いを抱きながらも、黙ってメイドの行動を見守る。鍵を挿し込もうとするも、途中でつっかえてしまって、鍵穴に上手く入らない。中が錆付いてしまっているようだ。メイドはポケットから油さしを取り出し、鍵穴の中に油を少し注ぎ入れ、再度鍵を挿し込む。今度はちゃんと奥まで入った。それから鍵を回せば、ガチャン、と鈍い音を立てて扉の鍵が開く。
一体全体何だって鍵を開けるくらいのことでこんなに手間取ってるんだ?まるで何年も扉を開けてないかのようだったが、いやまさか、この中に人がいるってんだからそんな訳……。
メイドがゆっくりとドアを開けた途端、むわっと嫌な臭いが鼻をつく。目に染みるほど、強烈な臭気。およそ、生きている人間が発するものではない。そうだ、この臭いは、死んだ人間の――。
そうこう考えている間にメイドは扉を全開に開き、中に一歩立ち入る。
「失礼いたします。坊ちゃん、お客様が御出でになられましたよ。坊ちゃん」
メイドがそう呼びかけるも、返事はない。だってそうだ、ベッドの上に横たわる〝それ〟は、もうこの世のものではないのだから。
……狂ってる。
鼻を押さえながら、何度も坊ちゃんと声を掛け続けるメイドを見る。機械に人間の死は理解できないものなのかもしれない。だが、それにしたってこの光景は異常だ。とっとと退散しよう、そう思って部屋に背を向けた、その時だった。
「お待ちください」
いつの間にか、メイドはすぐ後ろに近付いてきていた。うわっ!と飛び上がらんばかりに驚くと、「驚かせてしまい申し訳ありません」と頭を深々と下げてくる。危害を加えようとしているわけではなさそうなことにホッとしながらも、先ほどの光景を無視することは出来ず、いつでも逃げ出せるだけの距離をとる。
「いや、気にするな。あー、そのー、坊ちゃんはどうやら具合が悪いみたいだし、今日のところは失礼するよ」
「……貴方様は、坊ちゃんがまだ生きているように思われますか?」
え、と言葉に詰まった男を、メイドは無表情に見つめる。
「私はそうは思えません。坊ちゃんは、疑いようもなく死んでいます」
「……あんた、そのことに気付いててどうして何もしてやらなかったんだ?いや、機械にこんなこと言ってもどうしようもないかもしれないけどさ」
「私も、このままではいけないと思ってはいました。しかし、私は坊ちゃんに触れることが出来ません。機械の体では、ほんの少し力加減を誤っただけで人体などいとも容易くバラバラにしてしまう。主を傷付けてから己の不具合に気付いても、後の祭り。だから、私の創造者は私が主に触れられぬよう設定した。そのために私は坊ちゃんを弔うことが出来なかった。坊ちゃんが亡くなられてから、もう三年の月日が経っています。その間私に出来たことは、坊ちゃんがまだ生きている可能性にしがみつき、坊ちゃんが好きなアップルパイを焼き続けること。ただそれだけでした」
言葉を失う男に、メイドはこう続けた。
「お願いします。どうか私の代わりに、坊ちゃんを埋葬してくださいませんか」
メイドの無機質ながらも必死な声に、男は黙って頷いた。
遺体をシーツで何重にも包んで、メイドの案内に従って裏庭に運び出す。そこには、丁度人間一人が入るサイズの長方形の穴があった。
「いつか来る日に備えて掘っておいたものです。この中に坊ちゃんを入れてください」
言われた通り、布でぐるぐる巻きのそれを穴の中に慎重に寝かせる。それから後は二人掛かりで穴を埋めていった。
サクッ、ドサッ、ザクッ、ドサッ。
スコップで土を掬っては穴に入れていく単調な作業の繰り返し。白い塊はあっという間に見えなくなった。埋めた後、墓石として大きな石をその上に乗せる。粗末な出来だが、墓には違いない。男は弔いの意を込めて祈りを捧げる。その間、メイドは終始無言だった。
「ありがとうございました。少ないですが、どうか受け取ってください」
私には必要ないものですから、とメイドから手渡された袋は、金貨や銀貨で満たされてずっしり重い。こんな大金を手にしたのは初めてだった。
「礼はいらない……と答えられたらかっこいいんだろうけどなぁ。有難く受け取るよ。万年金欠なんで助かる。ありがとう」
「労働に対価をお支払いするのは当たり前のことです。……それに、きっと、坊ちゃんもこうしたはずですから」
「どうだかね。ま、あんたが言うんだから間違いないんだろうな。いい主だったんだな、坊ちゃんは」
「はい。とても、いい方でした」
そう言ってメイドが微笑んだ……ような気がしたが、たぶん気のせいだろう。機械人形に表情を変える機能はないのだから。
それからメイドに勧められるがままに一泊した後、男は屋敷を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
とある国の緑豊かな森の奥深く、ぽつんと建てられたお屋敷に、体が機械で出来たメイドが一人きりで住んでおりました。
毎日、メイドは裏庭にある小さな墓石に花を供え、そこに眠る主に語り掛けました。
「坊ちゃん。今日は朝から良い天気です。ほら、小鳥の囀りが聞こえる。今鳴いているのがなんという鳥なのか、坊ちゃんはご存知なのでしょうね。坊ちゃんは幼いころから動物や虫がお好きでしたから」
メイドが何を話しても、もちろん返事が返ってくることはありません。それでもメイドは無表情ながらも満足そうに、小さな墓石を見つめるのでした。
かつてのように、アップルパイを焼く良いにおいが屋敷から漂ってくることはもうありません。カシャン、カシャンと微かな音を立てながら、今日もメイドは坊ちゃんとの思い出が詰まった屋敷を守るのでした。
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