ノスタルジー

水瓶と龍

金木犀

 小さな足が、枯葉を踏みつける度に、乾いたメロディが奏でられる。

 金木犀が強く香っている中、ボクの前にキミが急に表れて、

「はいっ、これあげる」

 と、ボクには似合わない、白い小さな花を紡ぎ合わせて作った冠を、キミはボクに笑顔で渡してくれた。



 俺は自室で、古い額縁に入った、その古くなった写真を見て、ふと思い出す。

 幼稚園に通っていた頃の写真だ。

 どこかの公園のベンチで座りながらおにぎりを食べている俺と、隣に座るキミが写っている。

 俺は食べかけのおにぎりを両手に持ちながら、眩しそうに目を細め、キミはおにぎりを片手に持ち、もう片方の手でピースをして満面の笑みで写っている。

 マイコちゃん。俺はその子の名前を呟いてみる。

 マイコちゃんは俺の事をロウちゃんと呼んだ。俺の名前の健太郎けんたろうのロウの字を取ってそう呼んでいた。俺は、いつもケンちゃんと呼ばれていたので、何だかそう呼ばれるのが恥ずかしかったけど、そう呼んでくれるのはマイコちゃんただ一人だったんで、なんだか嬉しくも思っていた。


 ボクはいつも同じ公園で遊んでいた。一人で遊ぶことが多かったが、ボクはブランコをしたり、砂場でお城を作ったりしていたので気にしたことが無かった。

 そんなボクと同じ様にマイコちゃんも、同じ公園で、一人で遊んでることが多かった。

 きっとマイコちゃんは、自分と同じ境遇をボクに重ねて、その花の冠を作ってくれたんだと思う。たったそれだけの気まぐれだったんだと思う。

 でも、その事がきっかけで、ボクたちは公園で見かけると一緒に遊ぶようになった。

 でも、ボクとマイコちゃんはどうしても男の子と女の子で、遊ぶものも違ったけれど、どうにかボクたちは折り合いをつけて一緒に遊んでいたんだ。

 ボクが秘密基地を作りたいと言えば、マイコちゃんは、じゃあそこでおままごとをしよう、と。

 二人の遊びを合体させていた。

 

「ねぇ、ロウちゃん、次はお人形遊びしよう!」


「えー、イヤだよー。ジャングルジムで遊ぼうよー」


「うーん、じゃあ、ジャングルジムの上でお人形遊びしよう!ね、それでいいでしょ?」


「えー、ジャングルジムで追いかけっこしたいのに…」


「じゃあ、ロウちゃんの持ってるヒーローがぐるぐる飛び回る事にしよう!私のお姫様がロウちゃんのヒーローから逃げるから!追いかけてねっ!」


「うーん、わかったー」


「あ!わかった。ロウちゃん…。ロウちゃんの持ってるヒーローだと、私のお姫様に敵わないから嫌なんでしょ!」


「そんな事ないよ!ボクの持ってるヒーローはどんなヤツより早いし、強いんだよ!」


「じゃあ、それをジャングルジムの上で見せてよ!」


「よーし、待ってろよ!ボク、家からヒーロー取ってくる!」


「分かった!じゃあ私もお姫様持ってくる!」


いつもこんな感じで、二人は折り合いをつけて毎日、遊んでいた。


 きっとマイコちゃんがボクに上手く合わせてくれていたんだろうな、と今になって思う。

 

 ボクたちは、殆どケンカをする事も無く一緒に遊んでいた。

 

 でも、一回だけ、ボクがマイコちゃんに対して怒って、しばらく遊ばなかった時期があった。


 それはいつも通り遊んで、夕方になり、町内中のスピーカーからそれを告げる音楽が流れて、それぞれの家へと帰る時に起きた。


「じゃあねロウちゃん、ばいばい」


 そう、言って家に帰っていくマイコちゃんを見て、ボクは凄くイヤな気持ちになった。


 「またね」が、先にも後にも付かないバイバイは、ボクにとってはもう、二度と会えないよって言う言葉だったからだ。


 幼稚園では最後のあいさつで「さようなら」と言っても、次の日にはまた会えるし、テレビのお兄さんやお姉さんも「またね」って言って、次の日にはまたテレビで会えた。

 けど、ばいばい、だけの時はもう二度と会えないよって事なんだ。


 ボクのお気に入りの靴が小さくなっちゃって捨てる時

 いっつも遊んでいたおもちゃがもう使えなくなってしまった時

 ボクのおじいちゃんが死んじゃった時


 そんな時、お母さんがいつも

「お別れの、バイバイ、言いなさい」


 って言うから、ボクにとって、またねの付かない「バイバイ」は、もう二度と会えないよ、って言う事だったんだ。


 そんな事をマイコちゃんに言われたから、しばらくボクは公園に行かなくなって、家で何回も擦り切れるほど読んだ絵本や、見飽きた面白くないテレビをただ眺めていた。


 そんな時にマイコちゃんがボクの家にやって来た。


 その日はお母さんが魚を焼いていて、家の中がその匂いで充満していた。


「ケンちゃん、ちょっと来なさい」

 ってお母さんが優しく言うから行ってみたら、玄関に半べそをかいたマイコちゃんが立っていた。そしてボクを見るなり泣き出して、 

「どうして遊んでくれなくなっちゃったの。マイコの事嫌いなの。怒ってるならごめんなさい。だからもう、一回遊ぼうよ」


 そう言ってからマイコちゃんは大きな声で泣き出したんだ。

 ボクは、お母さんの後ろに隠れて魚の絵が描かれているエプロンを握りながら、どうしてマイコちゃんが泣くんだろう、って不思議に思ったんだ。バイバイ、って言われたのはボクなのに。

 お母さんが「ほら、ケンちゃん、どうしてなの?マイコちゃんに教えてあげなさい」って優しくボクに言うから、ボクもずっとガマンしていた涙がポロポロと溢れて来て、

「だって、マイコちゃんが「バイバイ」って言った。ボクはまだお別れしたくなかったのに「バイバイ」って言ったから、ボクだって本当はもっと遊びたかったのに」

 そこまで言うと、ボクも声を上げて泣き出してしまった。

 そんなボクに対してマイコちゃんは「ごめんね、ごめんね」と何回も泣きながら言うから、ボクはもっと悲しくなって、泣く事以外出来なくなってしまった。

 その時ずっと魚の焼けてる匂いがしていたから、ボクはしばらくの間、魚が大嫌いになった。

 二人で大泣きした後のことは覚えてないけど、後からお母さんが教えてくれたのは、ボクにとってのバイバイの意味を、マイコちゃんにも教えてあげて、仲直りしたんだって。

 それからは、そんな事はまるで無かったかの様に、ボクたちは一緒に遊んだ。

 冬も、春も、夏も、ボクとマイコちゃんは一緒の時間を過ごしていた。


 それから、また金木犀の香りがする季節になって、ボクはその匂いがする度にマイコちゃんの事を考えるようになっていた。

 あの日にくれた、花の冠は枯れて茶色くなっちゃってたけど、ボクの大事モノをいれる引き出しの中にしまってあった。

 ボクはマイコちゃんと早く遊びたくて、いつもの公園で、何気ない顔をしながら、いつもマイコちゃんが来るのを待っていた。

 そんなマイコちゃんを待ち焦がれる時間もわずかで、ボクとマイコちゃんは夕方になるまで一緒に遊んで、「またね」って言ってそれぞれの家に帰ったんだ。


 でもそうやって、いつもみたいに「またね」って言って帰ろうとしたら、マイコちゃんが

「ロウちゃん、ごめんね」

 って言いながら涙で一杯にした目をしながら、震える唇を一生懸命上げながら

「バイバイ」

 って言って、マイコちゃんは走って帰って行ってしまった。

 ボクは色んなことを話したかったけど、何て言っていいのか分からないし、追いかける事も出来なくて、ボクも家まで走って帰って、押し入れの布団に顔を突っ込んで、それを濡らしたんだ。



 俺はそんな幼い記憶を、古い写真を見ながら思い出す。

 それから、いつだって金木犀の匂いがしてくると、マイコちゃんとの、この淡い記憶が蘇ってくる。

 俺は、そんな甘くて切ない思い出に浸りながら、その写真を引き出しの中にしまう。


健太郎けんたろうさん、ご飯できたよー」


 妻が俺を呼ぶ声がする。


「うん、今行くよ」


 そう言ってから、俺は自室を出て、リビングの扉を開ける。

 

 リビングの中には夕飯の良い匂いと、金木犀の香りが満ちていた。

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ノスタルジー 水瓶と龍 @fumiya27

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