その48
5 その後
滑川 鎌倉駅南約700メートル
星川合衆国海軍 NAS由比ガ浜(由比ガ浜海軍航空基地)近傍の下士官用住宅
星川合衆国鎌倉コロニー
ホルモン・スモークでの戦闘が終わっても、緊急脱出した搭乗員の捜索・救助を行うヘリコプター支援のため、ハラミ・ステーションは忙しかった。
星川軍と酒匂軍による懸命な捜索にもかかわらず、酒匂海軍の搭乗員2名が発見でなかった。だが、いつまでも捜索することはできない。戦闘から3日後にヘリコプターでの捜索は打ち切りとなり、ハラミ・ステーションは閉鎖されることになった。
<カール・ビンソン>に戻った金城1等兵曹ら5名には、戦闘で被弾した艦載機の修理が待っていた。
「金城さん、チーフがお呼びだそうです」VFA-52(第52戦闘攻撃飛行隊)の整備事務室で修理書類の確認をしていた金城1等兵曹は、CVW-15最先任上級曹長“チーフ”村居上級曹長のもとに向かった。
「チーフ、入ります」金城1等兵曹は、開け放たれたCVW-15司令部庶務室に入った。
「ここで修理不能な航空機の陸揚げの件ですか?」金城1等兵曹は、デスクに座っているチーフに聞いた。
「いや、お前に休暇をやろうと思ってな。お前のスキッパーもボスも承認済みだ」
「でも、入港したら、メーカーの技術者も来るんでしょ。まだ修理は終わっていませんよ」
「うるさい。お前は、明日、入港したら、そのあと、3日間、休暇だ! いいか、明日の入港は1500だ。入港したら、直ちに、ボードを降りて、まっすぐ、家に、帰れ! いいな、寄り道せずに、まっすぐ、家に、帰れ! これはボスの命令だ」チーフは、人差し指を下に突き出した拳を金城1等兵曹の目の前で上下に振りながら命令した。
戦闘から10日後、原子力航空母艦<カール・ビンソン>を旗艦とするCSG3(第3空母打撃群)は、鎌倉コロニーの由比ガ浜海軍基地に帰投した。
金城1等兵曹は、命令どおりに、連絡バスに乗って由比ガ浜海軍航空基地に向かうと、自分の車に乗り換えて下士官用住宅に向かった。
車を止めて玄関に向かうと、窓に灯りが付いていた。電気を点けっぱなしで出ていたのか。
金城1等兵曹は、急いで玄関ドアの鍵を回してドアノブを引いた。
ガチッ! 開けたはずなのに鍵が掛かっている。ヤバい。鍵もかけ忘れた。
カチッ。
その時ドアの鍵が開き、ドアが開いた。
ドアを開けた人を見て、金城1等兵曹の動きは止まった。
「お帰り。戻ってきちゃった」ドアの向こうには、出ていった妻が立っていた。
やっと動けるようになった金城1等兵曹は、笑顔で「ただいま」と言った。
「あなたの口から、ただいまなんてはじめて聞いたわ」妻は笑った。
「そうだな。思わず出ちまった……いままでお前の気持ちに気付かなくてすまん」
「あなたのことはチーフの奥さんからいろいろ聞いたわ。私のお灸が効いたようね。もうすぐご飯ができるわ。一緒に食べましょう。足の怪我は治ったの?」
これでチーフが寄り道せずに帰れといった言った理由がわかった。金城1等兵曹は、チーフに感謝した。だが、チーフはきっかけを作ってくれたに過ぎない。自分が変わらなければ、また同じことの繰り返しになる。
「あしたから3日間休暇だけど、どっか行こうか?」
「私がいない間に汚した家を掃除するに3日はかかるわ。冷蔵庫の中だってゴミ箱みたいなのよ。だからあなたの休暇は3日なの」
3日間の休暇もチーフが仕組んだことか。ボートを降りるとき、チーフが自分に見せた奇妙な笑顔の理由がわかった。まあいいさ。また、いつ長期航海があるのかわからない。できるだけ妻が居やすい環境を整えよう。金城1等兵曹はそう考えた。
二人は家の中に入っていった。
狩野川 沼津駅東約1.8キロメートル
香貫公国軍 S15基地
香貫公国香貫山首都コロニー 富士見山公園
凛は、堀内少将の写真が入ったフォトフレームをベンチに置くと、自分もその隣に座った。
「パパ……今日は富士山がきれいだね」
香貫公国香貫山首都コロニーの北側にある富士見山公園の丘からは、大きな強化ガラスをとおして雄大な富士山を見ることができた。
凛は、雲一つない冬の青空をバックにした富士山を見た。
堀内少将が戦死してから3か月。凛は、父を失った悲しみは小さくならないものの、少しずつ父の死を受け入れられるようになっていた。これは、妻の紬も同じだった。
「凛」後ろから、紬の声がした。
「やっぱり来ると思った」凛は後ろを向いて答えた。
「ママだって凛が来ると思っていたわ。ここに来るなら学校には電話しておいてよね。学校から電話があったわ。遅れますとだけ言っておいたわよ……今日も富士山はきれいね」
「ごめん、ママ」
「いいわ。パパに富士山を見せたかっただけでしょ」
「そういうママだってパパを連れてきたんでしょ。パパをここに置いて座ってよ」凛はベンチを指差した。
「そうね」紬は、自分が持ってきた堀内少将の写真が入ったフォトフレームをベンチにおいて凛の隣に座った。
「パパが二人になっちゃった」二人はほほ笑んだ。
堀内少将を偲ぶ静かな時間が流れた。
「奥さーん! 凛さーん!」丘に通じる階段を二人の名を呼びながら息を切らせて登る高井大佐の声が聞こえた。
「あ、高井のおじさんだ。何だろ……高井のおじさんって、いい人なんだけど、ちょっとウザイのよね」
「こら、そんなこと言うもんじゃないわ」
高井大佐とR38基地の生き残りは、戦闘の終結から4日後に香貫山首都コロニーに戻った。
高井大佐は生き残りの最先任将校として、永野公に拝謁して戦闘の一部始終を直接永野公に報告することになった。これは、香貫軍の首脳が今回の責任を現場になすりつけるために画策したものだった。
高井大佐は、軍首脳部が自分をスケープゴートにしようとしているのがわかっていた。このため高井大佐は、少しでも堀内少将や自分に有利になるように報告しようと考えた。
だが、そのような考えは捨てた。堀内少将ならそんな報告しても喜ばないだろう。事実を正確に報告すれば堀内少将の行いは称賛されこそ非難されることはないはずだ。それに、今回の責任の発端は私自身にある。責任を取って処刑される覚悟はできている。高井大佐はそう決意して永野公への報告を行った。
報告の場に居合わせた軍の首脳は、高井大佐は銃殺、戦死したとはいえ敗軍の将である堀内少将にも戦闘計画の不備を叱責されるものと予想していた。
だが、軍首脳部の予想は裏切られた。
「R38基地の建設は、先を急ぎすぎた余の誤りである。優勢な星川軍を相手に、よくぞそこまで戦った。亡くなられた堀内少将には、余も哀悼の意を表すとともに香貫公国英雄の称号を与える……高井大佐、そちは正直に話した。余は、そちが我が身をかけて報告したとみた。香貫の軍人として立派な心掛けである。そちの不始末は問わない。ご苦労であった」
永野公の言葉で紬と凛が不自由なく生活できる保障ができた。高井大佐は、自分が助かったことには何の感情も湧かなかったが、紬と凛を護れたことはうれしかった。
軍の首脳は、予想が裏切られたものの、彼ら自身の身に影響がなかったので安堵した。
このため、紬と凛の生活を安定させる手続きは順調に行われた。香貫公国英雄の遺族には、家と生涯にわたる年金、そして比較的優先的な配給カードが支給される。これで堀内少将が生きていたときと同じレベルの生活は維持できる。それでも非効率で怠慢な香貫の行政機関のせいで、新居に引っ越せたのは先月だった。そして昨日、ようやく香貫公国英雄の勲章を高井大佐が受け取った。
この間、高井大佐は身を粉にして紬と凛のために動いた。そのおかげで二人の生活基盤が確立し、香貫公国英雄の勲章を受け取ることで司令官の名誉を保つことができた。やっと一段落着いた。高井大佐はそう思った。
「奥さん、凛さん、やっと勲章ができましたよ」高井大佐は肩で息をしながら、勲章を凛に渡そうとした。
「こんな物いらない。こんな物もらってもパパは帰ってこないし」凛は受け取りを拒んだ。
「凛さんのおっしゃるとおりです。こんな勲章であなたのお父様は戻りません。でも、この勲章は、あなたのお父様が奥さんと凛さんを護り、仲間を思い、仲間を救うために戦った証であると思うのです。その気持ちが永野公にも届いたから下賜されたのだと思います。それにあなたのお父様は、最後まで奥さんや凛さんのことを心配していました。この勲章があれば、少なくともお二人の生活は保障されます。あなたのお父様は、受け取りなさいと言うはずです」
つかの間、凛は下を向いていたが、顔を上げた。
「わかった。ありがとう」凛は勲章を受け取ると、勲章を抱きしめた。
「あなたは、お父様と同じだ。まっすぐで」高井大佐はほほ笑んだ。そして続けた。「本当は、もっと身近でお二人のお世話をしたいのですが、お二人にお会いできるのは今日が最後です」
「えっ、高井のおじさん、どっか行くの?」
「ご転勤ですか?」
「いえ、私は当分香貫山にいます。ただ、これからは、私は、あなた方に会ってはいけないのです」
「何かあるのですか?」紬は聞いた。
「いずれわかるでしょう。ところで凛さんは針路を決められましたか」高井大佐は話をそらした。
「わたし、さっき決めたの。士官学校に行く」凛は、紬を見た。
「どうして?」紬は、驚かなかったが理由を聞いた。
「さっき高井のおじさんも言っていたけど、仲間のために戦うってどういうことなの? いろんな人が、パパのことを国のために戦った英雄とか、ママと私を護るために戦ったとか言っているけど、パパは、私たちとずっと一緒にいたかったんでしょ? なんで死ぬのがわかっているのに戦ったの? その時、パパは何を考えていたの? それが知りたい。そのためにはパパと同じ道を歩むしかない」
「あなたのお父様は、最後まで勝つ確信を持っておられました。勝つための方策をとり続けておられました。死のうと思って戦ったわけではありません。最後まで勝つ要因は残されていました。様々な要因が重なって結果としては負けたのですが……あなたのお父様は勝ってお二人に会う。最後までそれを考えておられました」
「それは、私もなんとなくわかる。でも、なんとなくじゃなくて本当にわかりたいの」
「士官学校は厳しいんでしょ。だいじょうぶ?」紬の問いに凛は頷いた。
「お母様が言われるように士官学校は厳しいです。それに、女性の戦闘機乗りもいるとはいえ、軍は男社会です。大変ですよ。でも、凛さんには、最後まで諦めないお父様の血が流れている。」
「そうね。凛が決めたこと。がんばりなさい」紬は、凛が自分に内緒で士官学校の志願表を取り寄せていることを知っていた。
「ママ、ありがとう」
「士官学校に行くには試験勉強をしないといけませんな。今からだと試験までに時間がない。いい先生が必要ですね。私に心当たりがあるので、明日にでも連絡させます。私も応援しますよ」
「ありがとう。で、おじさんは何をするの?」
高井大佐は、少し迷ったが話すことにした。
「お二人には正直に話しましょう。私は香貫を変えたいと思っているのです。そんな事できるわけないと思われるかもしれませんが、私は本気です。もちろん私は香貫という国が好きですし、永野公を敬愛しています。でも、この国は変わらなければなりません。自分たちの利益のために他国と戦争したり、国民の豊かさよりも軍を優先させ、自分が思ったことを口に出せないような国ではダメなんです。
私は戦闘で地獄を見ました。多くの兵士が血を流し苦しむ姿を見てきました。地獄は戦場だけではありませんでした。帰国してからも戦死された遺族の悲しみを見ると胸が張り裂けそうでした。私はこれらを変えたいのです。
星川なら私と同じ考えの者が集まって政党を作ったりできるでしょうが、香貫では無理です。私は反政府活動家の烙印を押されるかもしれません。当面、私は密かに志を同じくする信頼できる同士を集める活動を行います。ですので、今後、私にかかわっていては、お二人に危害が及ぶ可能性があります」
紬と凛は、黙って頷くのを確認した高井大佐は続けて言った。
「理由はわかってもらえましたか。ですので今日が最後です。でも、私が必要になったら必ず連絡してください」
「高井のおじさんが考えていることって、なんかパパの考えににてる。私も手伝っちゃだめ?」
「ありがとう。凛さん。でも、今の凛さんに必要なのは勉強です。試験勉強だけじゃなく、香貫の社会システムや他国のシステム、経済、人の幸福とは何か、とか、たくさん勉強することがあります。それらの勉強を土台に自分の考えを確立してください。その時、私の考えに賛同してくださるのなら、たぶん私のほうからお声をかけさせていただくと思います。いいですね」
「わかった」凛は頷いた。
「いままで本当にお世話になりました。高井さんがいなければどうなっていたか。本当にありがとうございました」紬は、深々と頭を下げた。
「いえ、私は司令官との約束を守っただけです。それに約束は今日で果たされたわけではありません。何かございましたら必ずお助けいたします」
「ありがとう。おじさんも気をつけてね」
「ありがとうございます。それでは奥さん、凛さん、失礼いたします」
高井大佐は、二人と別れると丘の階段を下りていった。途中、振り返ると紬と凛は高井大佐を見送っていた。
高井大佐は、ほほ笑んで大きく手を振った。
紬と凛も手を振った。二人の後ろには雪を被って美しく輝く富士山の姿があった。
伊勢原駅北西約650メートル
井崎コロニー
戦闘から1年半後。
井崎空港に完成した管制塔に、二人の管制官がいた。
「トランス・エアー759、ウインド2-1-0 アット 5ノット ランウェイ・イズ・クリアー」管制官の一人が着陸機に指示を出した。その管制官は美代だった。美代のお腹は大きく張り出していた。間もなく臨月を迎える。
「ランウェイとタクシーウェイはクリア。リクエストどおり4番スポットに誘導しよう」もう一人の管制官、木下大尉、いや、木下修は双眼鏡を置くと、美代のお腹を見た。間もなく二人の間に授かった子が生まれてくる。木下修は、母子共に無事に生まれてくれと毎日願っていた。
木下修は帰国後、すぐに軍を辞めてダイダラへの移住を申請した。香貫に限らずスクナビの国々においてダイダラへの移住は合法で、申請もすんなり許可された。それでも香貫を出国できたのは申請から3か月後のことだった。非効率な行政機関のせいで3ヶ月も経ってしまったが、木下修はダイダラのJR沼津駅に着くと美代に連絡をとった。他のスクナビ国への連絡が厳しく制限されている香貫では、美代に連絡ができなかったのである。
木下修から連絡を受けて美代は喜んだ。そして、たった数時間しか会っていないのに、3か月経った今でも木下修に対する気持ちが変わっていないことに自分自身驚いた。
木下修と美代は結婚した。
木下修は、井崎コロニーに来るとFAA(星川連邦航空局)の管制官資格を取って、管制官として美代と一緒に井崎空港の航空管制を行いはじめた。
そして、木下修と美代にはもう一つ計画があった。
星川、酒匂、東京方面の中央に位置する井崎コロニーは物流の中継地点として絶好の場所だった。この絶好な位置を生かすには、航空機の円滑な運航を支援する手段が必要である。増大する航空機を安全で効率的にさばくためにレーダー管制区を井崎コロニーにつくろう。
二人の計画は、太一郎も賛成してくれた。
美代はお腹をさすりながら、今までの美代にはない表情を見せた。それは母親の表情だった。
美代の表情を見た木下修は、「俺も父親になるんだ。しっかりしないとな」と思った。
その思いが伝わったのか、美代は木下修を見てにっこりと笑った。
(オペレーション・ブルー・ドラゴン 終わり)
さんごーまる オペレーション・ブルードラゴン @kazu1100
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます