ブランク・ボーイ

ヘイ

第1話 彼はバイト少年

 

 

「それ、何の本?」

 

 パタリと本を閉じて、声をかけてきた藍色のロングヘアーの少女の姿を目に入れる。放課後、教室には一人きりだと思っていた少年は辺りを見回しても、彼女と自分以外が居ないことだけが明らかになる。

 声をかけてるのは自分に対してか。

 少しだけ、恥ずかしさを感じていたものの、あれ、そういえば、誰だっただろうかという疑問が少年の頭の中を占領する。

 

「…………」

 

 思い出せない。

 組章も小さくて、よく分からないが。こうしてこの教室にいると言うことから、同じクラスなのではないか、とは思う。

 自分の小さな脳味噌に辟易としながら、少年は覚えている風を装って、少女の質問に答えることにした。

 

「……そこら辺の哲学的なエッセイ。誰かなんて分からない」

「面白い?」

「いや、そんなに。エッセイで金取る人ってどうなんだろうって思うくらいだし、ちょっとした興味本位でってやつ……」

 

 論文でもない、ただの思想論。

 これが金を取るのだから信じられない。ただ、共有したいだけ。有名人がこう考えるのだから、私も。

 そんな下らない物、正直一銭の価値にもなりはしないと思ってしまうのは、少年が批判的に物を見過ぎているからなのか。

 漫画や小説、ライトノベル、ゲームへの課金に価値がないと言う様に、そんな事を語るエッセイにも同様に価値はないはずだ。

 誰かの価値観を知った気になって、自分のものではない価値観に歪められる方が愚かだと思う。

 これは少年の持論だ。

 共有したいとは到底思えない。

 

「エッセイって、読んだことないなぁ」

「読んでみる?」

「良いの? 図書館の本って又借り禁止でしょ?」

「古本屋で買ったんだよ。別に部屋にあっても要らないから」

 

 今、思い返しても、後悔しかない。

 どうして、こんな本などを手に取ってしまったのか。とても人生の為にはならない。

 読んでみた感想を述べろと言われたら、退屈で、自分とは考えが合わない物で、誰かの思想などはどうでもいいとしか言う事はない。

 閉じた本を目の前の彼女に差し出した。

 

「わ、この中古シール剥がさないの?」

「……面倒臭い」

 

 バーコードを潰す様に貼られたシールを見て、彼女が言う。

 

「えー、気になるでしょ?」

「読めれば、それでいい」

 

 流石に古本屋といってもジュースで文字も完全にボヤけてしまっていては毒の一つも吐きたくはなるが、バーコードの一つで文句を言うつもりはない。

 

「ま、明日には返すから」

「要らない。貰ってくれ」

 

 読み返す気にもならない。

 ディベートが出来るのなら、このエッセイを書いた人間と意見を交わして、端から全て叩き折ってしまいたい程には気分の良い物ではなかった。

 

「それは悪いよ〜」

「どうせ、二百円で買った本だし。と言うか、エッセイなんて要らなかったんだよ」

 

 他人の考えに共感しようと思えなかった。それが有名人だとか、書籍の向こうの人間だとか。そう言う、直接的に関わりの無い人間なのだから余計に。

 嫌いな物を読み漁ってまで、自分自身を突き詰める必要はない。というか、自己理解などこの年まで生きていれば必要な範囲では出来ていると、彼は考える。

 

「それより、えーと……」

石波いしなみかおるね、私」

 

 流石に悟られた様だ。

 

「で、石波さん。部活とか無いの?」

「あはは、私、帰宅部なの。まあ、一身上の都合ってヤツ?」

「へー……。その都合ってヤツが無ければ部活に入ってた?」

「んー、まあバドミントンとか興味あったかな?」

 

 顎先に当てた右の人差し指は中々様になる格好だ。

 

「ねえ、長谷部はせべくん」

「……何?」

「長谷部くんって帰宅部でしょ? 別に身体が悪い訳でも無いんでしょ?」

「まあ、そうだけど。僕はスポーツが苦手なんだよ」

 

 夕陽の照らす教室、銀髪の少年が適当な口で語る。身体についたしなやかな筋肉は、運動が苦手と言うにはおかしい。

 

「何か、運動でもしてたことあるの?」

「……まあ、小学校の頃、友達に誘われて野球やってたんだよ」

 

 語る口はどこまでもつまらなそうに。

 

「と言うか、石波さんだって別に身体悪い訳じゃなそうだから……」

「あ、あはは。長谷部くんって知らないんだね」

「?」

「私、これでも女優なんだよ?」

 

 特に驚きを見せることもない。

 少年は目を見開くでもなく、ただぼうっと彼女を見つめていた。

 

「そう言うのって、ウチの学校にもあったんだ。初知りだ」

「私、結構有名だと思ったんだけどな……」

「有名じゃないのか?」

 

 単純に彼が知らなかっただけ。

 他者にどこまでも興味を持てないのだから、仕方のない。

 

「……世間に認知されてると思うけど」

「じゃ、有名だ。僕が知らなかったなんてのは良くある話だから。で、部活ができないってのは怪我すると良くないからとか、撮影に支障が出るとか」

 

 そんな辺りか。

 大変だろうな。

 

「若いのに、お金を稼げるって凄いな」

 

 まだ、自分と同い年なのに。

 たった一人で何億もの金が動く可能性すらあると言うのだから。

 

「そうかな?」

 

 余り自覚はない様だが、実際に彼の言う通りなのだ。彼には、先程までの自分の言葉を否定するつもりもない。

 

「そんな有名人さんが僕に話しかけてきたのは、何のため?」

「話してみたかったんだよ、同じ帰宅部だし」

「……帰宅部って部活だったっけ?」

 

 部員に話しかける様な空気感でもないだろうに。帰宅部など、部員仲間と言う訳でもない。本当の他人なのだから。

 

「と言うか、長谷部くんは帰らないの?」

「帰ってほしいの?」

「ただ、気になっただけ」

 

 黒板の上に飾られた時計を見上げ。

 

「……じゃあ、帰るよ」

 

 ちょうど良い時間だ。

 バイトにも行かなければならない。

 

「え、え? いきなり?」

「そろそろ、バイトなんだよ」

「バイトって、何の?」

「色々」

 

 鞄を肩にかけて教室の外に出る。

 

「ば、バイトって、生活困ってるの?」

「……まあ、それなりに?」

 

 バイトをする理由など、遊びたいからなどと言う物もあるだろうが、このクラス、この学校に友達と言うモノが大凡存在しないであろう彼には関係のない事だ。

 

「石波さん。またね」

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、アレか」

 

 街の中、巨大な液晶パネルに映し出された少女の姿、彼には見覚えがあった。

 

「凄いな」

 

 年齢なんて変わらない。

 生きてきた時間は平等だと言うのに、こうまで生き方に差が出るというのは、不思議な気分になる。

 

「こんばんは〜」

「……いつも通りだね、あきら君」

 

 出迎えたのは白髪、白髭を綺麗に整えた老人男性。カウンターの向こうで、シックな雰囲気のこの店は彼の好みなのだろう。

 

「ええ、まあ」

「いつも通り、良い響きだ。忙しない現代社会の中で、このいつも通りが守れるとするなら、それはきっと精神の安定剤となるだろう」

「はあ」

 

 哲学的な男、言い方を変えて仕舞えば屁理屈を捏ねる男。

 

「なら唐澤からさわさん」

「ん?」

「そこでダラけてる店員もいつも通りですか?」

「ふむ……」

 

 金髪の青年、ルークは涎を垂らしながらグースカと呑気に寝息を立てている。

 着の身着のままに放浪し、遂に倒れてしまったところを唐澤に保護された、らしい。

 店員兼用心棒とは彼の弁だ。

 

「起きなさい、ルーク」

「どうせ客なんて居ないでしょ〜……」

 

 寝言なのか、何なのか。

 

「ほら、いつも通りだ」

 

 平坦な声色で告げる。

 気にしている様子でもない。

 

「唐澤さん、時には変化も必要ですよ?」

「良いんだよ、輝君。変化とは絶えず世界を取り巻いている。この場所くらいは変化のない罪深き場所として止まっているのも悪くない」

 

 度々、面倒な言い回しをする唐澤は哲学者気取りのキザにも見えて、輝としてはモヤモヤとする部分も多い。

 

「そうだぞ〜、アキラっち。忙しない考えは自分の身を滅ぼすんだじょ〜」

「……マイペースな生き方で世界に置いてけぼり食らったルークさんが言うと説得力無いですね」

「うぇ〜ん! 店長ー、アキラっちが辛辣だよ〜」

 

 カランコロン。

 来店の合図だ。

 扉に意識を向けた唐澤は態となのか、そうでないのかは分からないがルークの言葉を結果的に無視することになる。

 

「いらっしゃいませ」


 一番近くの輝が対応する。 

 普段と変わらない日常が、いつも通りに廻っていくだけ。誰でも良い人を、他の誰でも無い一人がやってきて。

 

「おひとり様でしょうか? カウンター席へどうぞ」

 

 誰にも変わらない対応を。

 

「見つけた」

 

 こうして現れた銀髪の少女は一人の男を視界に入れるや否や、かっ飛び膝蹴りを喰らわせ馬乗りになって上半身を揺さぶる。

 

「あ、あひっ……は、鼻! 鼻、折れてないよね!?」

 

 顔面への強烈な打撃。

 骨が折れたのでは無いかと不安になるのもわかる。

 

「大丈夫ですよ。それより、ルークさん、彼女ほったらかしにするなんて見損ないましたよ」

「ねえ、ちょっと!? 知らないって! 本当に何も知らないから!」

 

 軽蔑するような輝の目にルークは涙目になり、鼻血を垂らしながら必死に弁明する。しかし、輝の温度は変わらない。

 

「あの、お客様。見つけたとは一体、何のことでしょうか?」

 

 馬乗りになったままの銀髪の少女に輝は確認の声をかける。

 

「誰?」

「それは輝君の言葉と言うものだ。一般のお客様と言うのなら丁重に扱うが、どうやら、君はそうではない様だ」

 

 落ち着いた様子の唐澤に信頼を覚えながら、ルークと輝は続く言葉を待つ。

 

「……ルークに用があるのなら貸し出そう。なに、暇そうにしていたのだから仕事の一つは頼まれてくれるだろう」

 

 そして、容赦なくルークを突き放した。

 

「待って待って、待ってください! 店長! 俺、何のことか全くわからないんですけど!?」

「それを確かめるにも、ルーク、君は彼女と話さなければならない。私はこの店の普段の状態を保ちたい。win-winの話だと思うが……」

「それ、俺のwinが一個もないでしょ!?」

 

 マイペース。

 スローペースとは違うと言うことがよくわかる。問題の原因を差し出すことで、本来の状態に。

 

「ちょ、アキラっち! 俺、先輩よね!?」

「僕ぅ、ただのバイトなんでぇ」

 

 知らぬ存ぜぬを突き通す。

 

「後で、何かしらお礼はするからさぁ!」

 

 流石にかわいそうに思えてきたのか、見っともないルークから唐澤に視線を移すと。

 

「ついて行ってあげなさい」

 

 との言葉を貰った。

 

「あの、取り敢えず、座りませんか?」

 

 席に案内をして、ひとまず落ち着かせるところから始めよう。

 

 

 

 

 

「で、いつの間に女の子引っ掛けてたんですか?」

「ねえ、も少し先輩のこと信じようよ」

 

 テーブルの向こう側には少女が一人、輝の左隣にルーク。テーブルの上にコーヒーが三つ。

 席に案内する前に、輝は店長からアイスコーヒーを三つ「ルークの給料から天引きしておくから」と言われ渡されたのだ。

 

「あぅ、苦ぁ……」

「砂糖ありますよ? あと、フレッシュミルクも」

 

 テーブル席の奥にあるケースにはスティックシュガーとフレッシュミルクが置かれている。少女は無造作に数個とって、躊躇うことなく取った全てを入れる。

 

「それで、お二人はどんな関係で?」

 

 出会い頭に膝蹴りをかます、かまされる関係。とはならないだろう。

 

「家族を、そこの男に殺された……」

 

 恨み、と言うやつだ。

 復讐に駆り立てられた、と言うべきか。

 

「出頭した方が良いんじゃないですか?」

「知らない知らない! え、俺が人殺すと思ってるの!?」

「主にストレスで……って言う話でもなさげですよね。心当たりとか、そう言うのって無いんですか?」

 

 例えば。

 

「双子の兄弟とか」

「……いや、流石にないでしょ」

 

 どうにも反応は考え込むようにも思えてならない。

 

「あるんですね?」

「いや、双子の〜って所だけだよ」

 

 後は本当に分からない。

 との事だ。

 その双子の兄弟の罪を勘違いされた可能性もあるとの事。

 

「俺ってさ。シングルマザーの家庭だったのよ。親父と母さんが離婚して、弟は親父に付いてった。確か……ホンジュラスって国だったっけ? 今は分からんけど」

 

 流石に離婚後、何年も経てば弟の所在が分からなくなるのも仕方がない。

 

「一応、弟、ルイって言うんだけど。ルイとは仲悪くなかったから、その国について調べたんだよ。会いに行こうとも思ってたけど、流石に無理だったって話。まあ、それに何年も経ってるしそこに居るかって話だよな、やっぱ」

 

 その後も紆余曲折があったようだが、何があってここに辿り着いたのかと言うと、単純に路頭に迷っただけとの事だ。

 

「まあ、俺ってば三年前から此処で働いてっから、よく分からんが君の親が殺されたってのはいつ?」

「二年前……」

「どこで?」

「アメリカ」

「な?」

 

 これで分かっただろ、と言いたげに振り向いたルークを目にして輝もため息をついてしまう。

 

「でも、どうするんですか? この娘、お金とかについても……」

 

 何より家族が居ないのだ。

 復讐の為に記憶を頼りに日本まで渡ってきたのだから、頼りもない。

 このまま放置すると言うのは人間としてどうなのか。

 

「アキラっちって優しいよね。うんうん、分かるぜ? でもさ、俺としてもどうにかしてあげたいけど、ほら、俺だって住み込みよ? というか、家ないのよ」

 

 行き倒れただけのことはある。

 無責任に面倒を見るなどと言ってもどうにもならない。

 

「って言っても、僕だって面倒見れないですよ。家族との折り合いが悪いですし」

 

 頼りたくない。

 と言うか、別居状態で学費などに関する金も出してくれていないのだ。頼れるわけもない。

 

「バイトしなきゃ生活できないですし、学費も払えないんですよ? 流石にもう一人なんて面倒見切れないです」

 

 日本での就労年齢は十五歳。更には十五歳になって初めての三月三十一日を迎えるまで仕事を始める事は出来ない。

 どう見ても十五歳には満たないであろう彼女には金を稼ぐと言う術がない。

 

「野宿でも……」

 

 彼女は大丈夫だと言おうと思ったのだろうが、店長が止める。

 

「いや、私が何とかしよう。ここで面倒を見る」

「いやー、店長! 流石! 頼れる大人ってヤツですね!」

 

 ルークが褒め称えるが、唐澤の表情に変化はない。

 

「慣れないこともあるだろうが、宜しく頼むよ」

 

 手を差し伸べようとした瞬間に、カフェテリアの入り口の扉が吹き飛んだ。

 

「え!?」

 

 少女は驚きを隠せないようだが、三人は違う。

 

「ルーク」

「……まーた、アイツらかなぁ」

 

 責任の所在は全て、この男だ。

 とある組織の一員を叩き潰した所、因縁をつけてこのカフェテリアに攻撃するようになってしまったのだ。

 

「おらぁ! ルーク! アージに喧嘩売って、タダで済むと思ってんのか!?」

 

 アージ。

 ただの木端組織と言うわけでもない。若者達が集まって出来た半グレ集団の様な物。危険性に関しては暴走族よりも高い可能性がある。

 

「呼ばれてますよ、ルークさん」

心器アルム────」

 

 何かを唱えようとした瞬間に、唐澤の一言でルークの口が止まる。

 

「ルーク。これ以上壊したら、給料から天引き」

「……ふっ、全力で手加減してやんよ! 行くぞ、クソガキ共!」

 

 外に待機している十人程の集団の中にルークは一人で突っ込んでいった。

 

「別に心器アルム使っても良かったがね」

「は、はは……」

 

 無手でアージと戦うルークの背中を眺めながら唐澤がそう呟いた。確かに壊すなと言外に伝えたが、使うなとは言っていないのだ。

 思わず、輝の口から苦笑いが溢れでた。

 

「あ、るむ?」

「心を武器にする、心を具現化させる能力、技術。それが心器アルムだ。私にも、そこの輝君にも使える技術だ」

 

 身につけるには才能が必要な物。

 

「その内、ここで過ごせば嫌でも目にすることになる」

 

 それでいて、輝の生き方を決めかねなかった物。

 輝としては余り好きな物ではない。

 こんな物があったから、こんなに苦労する人生を過ごしているのだと思ってしまうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブランク・ボーイ ヘイ @Hei767

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ