影におびえる 後編③

 光が、怖い。


 夏のあの濃くはっきりとした光が、怖い。


「あずちん、それじゃアタシ帰るけど、また明日も来るからね! だから大丈夫だよ!」


「…………」


 コウちゃんに、何か言わなきゃ。そう思うのに、光のことばかり考えてしまう。


 あのカーテンの向こう、段々と白から黄色へ変わってる光があるんだ。


 遮られているはずなのに、目が焼かれるような気がして怖い。


 怖い。


 あの光が、怖い。


「……あずちん。それじゃね」


 光が、怖い。





 病室の入り口前の壁にもたれかかっていたタケは、引き戸があけられる音に顔をあげた。


「どうだった」


「だめ。なんにも言ってくれないし、アタシのことも見ない。ナースさんが言ってたみたいにさ、ずっと外気にしてる感じ」


 疲れ切った声にそうか、と淡白な返事がかぶさる。香はタケの隣に立つと、大きくため息をついた。


「なんかさ、あずちん大丈夫なのかなって心配になるのになんもできなくて。アタシ、なんでここにいるんだろ」


「平木香。お前はただ、そこにあるだけでいい。それだけで、先輩には何物にも代えがたい至宝だ」


「そーいうのいいって。じゃ、アタシ帰るから。言っとくけど、二人っきりだからって変なことしたら許さないからね!」


 まだ変態疑惑を持ったままなのか、という呆れは口に出さず。


 タケはただ黙ってうなずくにとどめた。面倒ごとになるのは、見なくともわかる。


 タケとあずさが救出されてから数日が経っていた。


 もうすぐ夏休みが始まる時期だ。蝉の声も、照り付ける日差しもより一層強烈になっている。


 そんな遊び盛りの時期に、あずさは外に出ることもできず病室でじっと何かと戦う日々を繰り返していた。


「先輩、入るぞ」


「…………」


 カーテンを閉じてなお、夏の白い光は部屋の中に存在感を主張している。


 それから目を離せば死んでしまう、というように鬼気迫る様子であずさは窓の向こうを睨みつけていた。


 ベッドわきに置かれたイスに腰を下ろして、タケは投げ出されたままの手を取った。


 また少し、肉の厚みが減っている。


「……オレたちが飲まれたのは、闇沼と呼ばれるものだ。


 影が鬼に成ったものだと言うが、何がどう成るのかはわからない。


 あれに飲まれたものはゆっくりとあちらとの境界を溶かされ、最終的にはあちらへと飲んだものを渡してしまうという。


 オレたちも、あと少し遅ければあちらに渡っていただろう」


「……光が、怖いんです」


 初めて、あずさが口を開いた。久しぶりに聞くその声は、かすれて生気も薄れたひどいものだった。


「怖い、です」


「そうだな。光は、怖い」


 息をのんだ気配を感じて、タケは肉の減った手を小さく握った。


「だが、あの光の下で先輩は生きていくんだ。


 あの光の下で生きていける幸せを手放すな。それが幸せなことだと、知っていてくれ」


「……あんなに、怖いものなのに?」


「あぁ。今は急に強い光を浴びて驚いているだけだ。そのうち慣れる。」


 迷うような、戸惑いの気配。握り締めた手が、かすかに握り返してくる。


「うん、ありがとうございます。タケさん」


 返ってきた信頼に、タケは自分がどんな顔をしたのかよくわからなかった。


 一方的に土足で踏み込んだ、あの赤い痛みの場所の記憶がよぎる。


 面倒なくらいに余計なものを持たされてしまった気がして、しかし面倒だからと捨ててしまうこともできない。


「タケさん」


「なんだ? 先輩」


「夏が、来ましたね」


 閉め切られた窓の向こうから響く蝉の声を、初めて聞いた気がします。


 あずさは少し恥ずかしそうに、そんなことを言った。


 まだ傾きかけたばかりの太陽の光が、カーテンの向こうで濃くはっきりとした影を作り出していた。

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