影におびえる 前編③
弁当をそれぞれが食べ終えて、タケのそばから動かないあずさを横目に香はため息をついた。
今は、今だけは自分が折れてやるしかないのだ。あそこまで何かに気をとられて、目の下に隈を作っているときは相当ひどくなっている時だけだ。
最後にタケをひと睨みしてから、くるりと頭を反対に向ける。これ以上は、どう考えても事案な男と女子高生の交流現場を見ているのも精神的にきつかった。
横で寝転がって目を閉じている大哉の鼻をつまんだ。目を白黒させて見上げてくる後輩にいたずら成功、と笑う。勘弁してくださいよー、と苦言をこぼす顔をじっと見てから思いついたままに口を開く。
「ねぇ大ちゃん、放課後ひまー?」
「えっと。一応なんもないっすよ」
「じゃあさー、デートしない?」
あっけらかんと、なんと言うことはないように意識して香はその単語を声に出してみる。意外と言葉に出して言うのは恥ずかしかった。
「はい?!」
寝転がっていた大哉が勢い良く体を起こす。人生初デートの誘いがまさかこんなところで、香相手に起こるとは思っていなかった。
顔が熱いが、それ以上にどう対応すればいいのかわからない。これは受けてしまっていいのだろうか。祖父の顔が浮かんで、いいわけないよなー、と思う。
慌てふためき、顔を赤くしたり青くしたりする大哉が面白かったのか香が声をあげて笑う。
「ジョーダン。ほんとに腹立つけど、今のあずちんはタケっちに任せるしかないみたいだし。だったら、その間にアタシはアタシにできることをやるの。てことで、付き合ってよ。大ちゃん!」
「先に言っとくっすけど、鬼退治のやり方とかは教えられないっすからね」
「ちぇー。まぁいいや。アタシが今やりたいのはそれじゃないしね!」
「ちなみに、何するつもりなんすか」
この際、鬼に関わらなければ何でもいい。その祈りが通じたのか、香の提案は鬼がまったく関わらない類の物だった。開いた口がふさがらないようなものでもあったが。
「タイムセールのヘルプ!」
「……それ、デートって言うんすか」
「お買い物デートってことになるんじゃない?」
卵が安売りしててさぁ、一人一個って決まってるから人数欲しいんだ。
高2の女子がいうにはあまりにも所帯じみたそれに苦笑を浮かばせて、しかし大哉は穏やかな心持ちで頷いた。
勝手な話だが、香がこうやって人間らしいごく当たり前な生活をしていることが何よりもうれしいのだ。
「大ちゃん? どうかした?」
「いや、先輩が母さんみたいで面白いなって。あ、ちょ! すんません! すんませんでした!」
肩をベシベシと叩かれて、大哉は慌てて謝る。顔を赤くした香は母親みたいだと言われたことがよほどショックだったのか、目をつり上げて叫んだ。
「もういい! ちょっとは気を使おっかなーとか思ってたけどやめた! タイムセール終わったらアタシの家でいろいろ鬼のこと教えてもらうからね!」
「教えるだけなら、いいっすよ。知ってれば身を守るのも役に立つと、あた! ちょ、それけっこう、あひゃひゃひゃ! わき、わきくすぐるのは卑怯っすよ!」
罰のつもりだったのにあっさりと了承されては面白くない。
一通りわきをくすぐって溜飲が下がったのか、香の手が止まる。浮かんだ涙をぬぐって起き上がった大哉は、嫌に静かになった横顔を覗き込む。
「ねぇ、大ちゃん。タケっちはさ、鬼、なんだよね?」
「まぁ、はい。そうっすね」
唐突な話題の転換に、しかし結局関心はそこに行くんだなぁと思わずにはいられない。
少しだけどんよりとした空気に気づいた様子を見せずに、香は恐る恐るずっと抱えていた不安を打ち明けた。
「あずちん、タケっちに食べられたりしないよね?」
「そりゃ、いくら何でもないと思いますけど。そのための封印だし、そもそもタケは鬼を食う鬼だし。
そういう心配はわからなくもないっすけど、大丈夫っすよ。タケは。御厨先輩も、タケには傷つけられませんって」
「……そうなら、いいんだけどさ。アタシさ、タケっちのこと、ちょっと怖いんだ。なんてか、うまく言えないんだけど、怖いの。
近くにいるとぞわっとするっていうかさ、あぁやってあずちんとなんかしてるのを見るだけでも冷や冷やする」
あぁ、と声が漏れる。
それは何とも正しい。何とも正しく、そして明確な線引きだ。鬼が見えながらもただの人間として生きていくには、必要不可欠な本能の働きだ。
「コウちゃん先輩のそれは、めちゃくちゃ正しいっすよ。普通、人間がタケみたいな鬼の近くにいると本能が逃げろって叫ぶもんなんす。
クラスのやつらがあいつを遠巻きにしてんのも、そういうのもあるからなんすよね。で、どっちかって言うと、御厨先輩の方がおかしいんす。
普通はコウちゃん先輩くらいの反応をするはずなんすけど。夢見はやっぱり、そこらへんも他の人とずれてるもんなんすかねぇ」
「あずちんは変な子じゃないよ」
ムッとした声に慌てて訂正を入れる。大哉自身もそんな意味で言ったわけではない。
「わかってますよ。けど、虫のしらせをつけてるってことは、やっぱそこらへんの判断には問題があるんだと思うっすよ。
あれ、めちゃくちゃ貴重でそれこそ夢見の保護とかに使うやつなんすけど、あそこまで長いの巻き付けてるのは初めて見たんで」
あずさの手首に巻き付けられた組紐。それは、持ち主の身に危機が迫ると警告を発する、虫のしらせという貴重な代物だ。
確かに複雑に、かなりの量を巻き付けられていることを確認して香は首を傾げた。
「長いと問題がある感じなの? あれ」
「問題っていうか、長いと力が強くなってより持ち主の身の危険を見つけやすくなるって話っすよ。
貴重なものだから大目に巻くとかしないって言ってたんで、先輩にはあれだけの量が必要だったってことなんすよ。だから、きっとそこらへんの判断が鈍いんだろうなって」
「へぇー」
もしかして、ついに虫のしらせにまで嫉妬しはじめたんじゃ。
そんなおぞましい心配をしつつ、大哉はそっと香を見る。首を傾げた先輩の顔が、納得の色で満ちていることを確認できてほっと息を吐いた。
「大ちゃん、話しやすいように話していいよ。やっぱ無理してるでしょ、そのしゃべりかた」
「そ、そんなことないっすよ。ほら、ちゃんと言えてるじゃないっすか」
「えー? ほんとにー? さっきめちゃくちゃ言いにくそうな顔してたけど―?」
その後はずっと、楽し気な後輩をからかう声が屋上に響いていた。
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