言えず、届かず、交わらず③

 日差しも強くなって、蝉が早くも鳴き始めている夏の始め。


 容赦なく太陽に照らされる昼間の屋上で昼食をとる猛者は少なく、ほぼ貸し切り状態な日々が続いている。贅沢だなぁ、と数少ない日陰に入りながらあずさは思う。


 確かに暑い。日陰もドア周りにしかない。だが、吹き抜ける風は心地よく、遮るもののない空がより近くにあるようで好ましい。


 コンビニで適当に買ってきた昼ご飯を食べながら空を見上げていたあずさは、香の元気がいい声に隣を見る。


 暑さにすでに溶けそうになっている大哉をはさんで座っていたタケが、弁当を持っていないことに声を上げたらしかった。


「必要ない。食わなくてもある程度までは活動できる。平木香、お前に心配されるようなことは何もない」


「タケー、そうやって突き放すのよくねぇって前も言ったよな。体育祭、それで委員長ともめたのもう忘れたのかよ。歩み寄ろうぜ、仲良くしろとは言わないからさ。

 それと、コウちゃん先輩。こいついつもこんな感じだから、ほっといても大丈夫っすよ」


 そういう大哉も弁当に手を付けていない様子だった。きっちりと布で包まれた結び目は一切ほどかれた形跡がない。


「そんなわけないでしょ! タケっち! ご飯はちゃんと食べなきゃダメ!」


 香は立ち上がるとカバンの中を探って、食事をおざなりにしようとしている男子二人にラップで包んだパンを突き付けた。


 胡乱気な目でそれを見たタケは、問うのも面倒だといった態度で香を見上げた。


「これは?」

「それはね、グラタンサンド! 冷凍のグラタンをチンしてパンにはさんだやつ。いいから、早く食べる食べる!」


 タケはずいずいと差し出されるパンを一度押しのけようとして、しかし長い逡巡の後それを受け取った。大哉が起き上がってその横顔をまじまじと見ている。

 あずさも、事の成り行きをじっと見守っていた。


 ラップをやや乱雑な手つきで外し、香ばしい小麦粉のにおいと嗅ぎなれない甘めのにおいを一通り嗅いでからかぶりつく。まったく表情を変えず凍りつかせたまま数度咀嚼して飲み込んだ。


 続けてかぶりついて飲み込んで。それを繰り返すタケを満足げに見下ろして香は腰に手を当てた。


「どう、おいしいでしょ!」

「…………あぁ。初めて食べるが、こういう感じなのか」


「でしょでしょ! あ、あずちんも一個食べる? めちゃくちゃ作ってきたからみんなの分もあるよ! ほら、大ちゃんも、食べる?」


 気をよくした香はまたカバンからパンを取り出して大哉たちにも差し出す。未だにパンを食べているタケに目を奪われていた大哉は、不意打ちを食らって慌てた。


「え、えっと、うっす。いただきます。……あ、うっま」


 大きく目を見開いて、すぐに無心でがっつき始めた。


 あずさは大哉と一緒に昼休みを過ごすようになってまだ日が浅いが、こんなにも顔を輝かせて食事をしている姿を初めて見た。


 香のうれしそうな顔を見上げて、あずさは受け取ったパンをちょっと持ち上げる。


「コウちゃん、いいの? 私、今日は何も交換できないよ?」


「いいのいいの。アタシはおいしいものをみんなと食べれればそれが一番なんだから! ほら、はやくはやく!」


 軽く焼かれたパンの香ばしさと、ホワイトソースの甘みが混ざり合って自然と口角が上がる。ソースを吸ってしっとりとした真ん中あたりと、カリカリなままの耳の部分、そして柔らかなマカロニの食感が楽しい。


「出来立てはもっとおいしいんだよ」


 おいしそうな顔をして食べてくれる友人と後輩にそう言ってから、香もグラタンサンドイッチにかぶりついた。


 さっさとサンドイッチを食べ終わったタケは、おいしそうにサンドイッチを食べる三人の声を聞きながら壁にもたれかかっている。寝ているのか、ピクリとも動かない。


「あぁ。たまには、悪くはない」


 小さなつぶやきが風に乗って香の耳に届いた。





 屋上から続く階段を降りて、すぐにある男子トイレ。その奥の個室で、タケは喉にせりあがってくるものを吐き出していた。


「うっ、ゲホ、ゲッホ! ……う、おぇ」


 ぼたぼたと嫌な音を立てて水の中に落ちていくのは、ついさっき食べたグラタンサンドイッチと思しきもの。


 力加減なしに捕まれて悲鳴を上げる便器に、タケは咳き込みながら胃の中のものを吐き出している。


 大哉の目を盗んでこっそりここまで来れたはよかったが、予想以上に体の拒絶反応がひどい。口の中におぞましい味がよみがえって胃がひっくり返る。


「っ、はっ、はっ。兄貴が、オレに食わせないわけだ。これほど、きついとはな」


 慎二、決して人間の食事を口にしてはいけないよ。


 随分と昔に言われた言葉が脳裏によぎる。その意味は分からずとも、人間の食事をとるつもりがはなから無かったタケは意識せずともその教えを守っていた。


『歩み寄ろうぜ、仲良くしろとは言わないからさ』

「あぁ。その結果がこれならば、それでいい。もとより鬼が人にそう簡単に歩み寄れるとは思っていない」


 自分と香がいつまでも仲違いをしていては、あずさが気にするだろう。


 その理由もわからず、自覚もないが、タケの存在が確実に香の何かを傷つけ攻撃的にさせている。それくらいは、わかっているつもりだった。


 そしてそれがあずさの心を傷つけるかもしれない、というのもやはり理屈はわからないがそういうものなのだろうと、誰に言われるでもなく考えていた。


 だから、歩み寄らなければならない。少しはマシになればいい、程度の話だが。何をすればいいのかわからない中見つけた指標だ。使わない手はない。


「護衛というのは、体だけ守っても意味がないだろうからな」


 空になった胃がこれ以上何も吐き出せないことを確認して、タケは体を起こす。妙なところで人間なままのこの体は、疎ましく面倒だが歩み寄りには使えるだろう。


「桃園に見つかる前に行くか」


 吐き出したものをすべて流し、口元を無造作に拭う。まだ口の中を支配している不気味な感触と味を飲み込んで、凍りつかせたままの顔でトイレを後にした。


 他人の変化に目ざとい大哉に気づかれないかだけが気になるが、それを考えるのも面倒で、何か言われても無視すればいいかと思う。


「面倒だな」


 吐き出した息から臭うものに、鼻をつぶしたくなった。

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