言えず、届かず、交わらず②

 梅雨の明けた六月の終わり。長い雨が終わると同時に激しさを増していく日差しに焦がされながら、大哉は自分を呼び出した香をじっと見る。あずさもタケもこの場にはいない。


 二人には内緒でお願いがあるの、と呼び出された時から大哉の周りだけ過ぎた梅雨の気配が漂っていた。


 どんよりと曇り空な顔色の後輩に気づくこともなく、一世一代の告白を控えたような顔をした香は三回、深呼吸を繰り返す。


「お願いします! アタシに、鬼退治のやり方を教えてください!」


 体を直角に曲げた香の整えられた頭とつむじを、大哉は言葉もなく見下ろす。


 予想できていたことだ。それでも、タケの弱点を教えて欲しいとか、鬼について教えて欲しいとか言うかわいいお願いならよかったのにと思わずにはいられない。


 母親に許しを請いながら泣き叫んでいたあの雨の日。


 枇杷の鬼の惨劇を広げながらも、穏やかに笑って死んだ平木友之助の顔。


 そして、今も一部の思惑で中途半端な記憶消去による弊害を抱えている。


 そんな状態の香を鬼退治に関わらせる。ましてや鬼を加害する術を教えるなど。

 太陽に熱せられて熱くなった黒髪の下、頭の中が急速に凍り付いていく。


 自分のようなものにまで縋りつくしかない香を突き放すことは胸が痛んだが、一度頷けばその程度ではすまないほどお互いに傷つくこともわかり切っている。


 その上ですべてを背負って立っていられるほど強くないのだ、と大哉は知っていた。


 大哉はきしみをあげそうな首を力づくで動かした。


「すんません。無理です。おれには、あなたを鬼退治に関わらせることはできません」


「なんで! アタシ、鬼が見えるよ! 頭は悪いけど、頑張って覚えるから! だから、教えてください! 今回のことでわかった。アタシがあずちんに鬼のことで頼ってもらえないのは、アタシが何も知らなくて何もできないからなんだって。

 タケっちが頼られるのは、鬼のことに関してはめちゃくちゃ頼りになるから。鬼のこといっぱい知ってて、退治できる力があるから!

 だから、アタシもそうならなくちゃいけないの! そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ、アタシ、■■も■■■■■もいなくなって、あずちんまでいなくなったら、アタシ、どうすればいいのかわかんない。わかんないよぉ」


 おそらく自分でも整理がつけられていないのだろう。話せば話すほど、見えない大きな穴の開いた感情の波が荒れ狂って理性を決壊させる。


 とうとう両手で顔を覆って崩れ落ちてしまった香に、大哉がしてやれることなど何もない。爪が食い込むほどきつく拳を握って、目をそらさずにいるだけで精いっぱいだった。


 泣き出してしまった先輩のそばに駆け寄って、慰めの言葉をかける度胸など持ち合わせていない。そもそも、その嘆きに同調し心を砕くようなことは許されない。


 渇いて張り付きそうな喉を無理やり動かして、何とか絞り出した声はカラカラにかすれていた。


「淡きまほろば、春の夢。まどろみの眠りは欺きの眠りと知りながら。冬越え夏至る狭間のうちに、眠れ」


 大哉と香を甘い匂いが包み込む。嗅ぎなれた匂いに香の瞳がとろりと光を失くし、体から力が抜けていく。


 まどろみの中、夢心地な状態になった今まともな思考力など残っていない。徐々に自分が何を考えていたのかを忘れ、何に不安を覚えていたのかを忘れる。


 そして失ったものがわからず、残されたものも失う恐怖から目をそらして春にまどろむのだ。


「知ってますか、先輩。昔の人が一番死ぬ季節って冬じゃなくて春だった、って話があるんすよ。春ってあったかくなって花が咲いたりするじゃないっすか。

 けど、実はあんま食べれるものがないんすよ。あってもみんなの空腹を満たせるほどの量がないんす。だから冬のためのたくわえもなくなって、これから作物を育てていく春に死ぬ人が多かったそうっす」


 ま、だから何だって話っすけどね。


 夏の日差しの中、春の風が吹く。


 大哉は穏やかに笑って眠る香に平木友之助の顔が重なった気がして、自分の影に目を移す。普段は気にも留めないのに、こんな時ばかり気になってしまうのはなぜなのか。


 憎らしいほどきれいに晴れ渡った空を見上げて、大哉は口元を歪めた。


「やっぱおれ、平木先輩の笑った顔、苦手っすわ」


 痛いほどの悲しみに濡れた声はまどろみの夢には届かない。

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