言えず、届かず、交わらず①

 雨足が緩やかになってきた放課後。雲が薄くなってきているのか、外は雨が降っているというのにかなり明るかった。もうしばらく待てば雨もやむだろう。


「え?! あずちんママ、家出したの?!」


 教室中に響くような大声に、あずさは慌てて口元に指をあてて立ち上がりかけた香の腕をつかむ。


 まだ残っていた生徒たちからの視線に気づいて、香は慌てて「あ、あずちんママのことじゃなくて、ドラマの話ね?!」と苦しい言い訳を叫ぶ。


 キラキラした目で自分たちを見ていたみらんが、興味を失ったように教室から出ていく様子を見て二人は体から力を抜いた。バスケ部の彼女はゴシップ好きで、こういう話にはよく食いつく。


「ごめん、あずちん」

「大丈夫だよ、コウちゃん。ちゃんとごまかしてくれたし」


 落ち着いた様子だが、どこか疲れが見え隠れしている。


 香はイスに座りなおして身を乗り出した。必要以上に声をひそめている親友にあずさは小さく目元をほころばせた。こういう所が好きなのだと、疲れ切った思考が横に伸びる。


「で、本当なの? あずちんママの家出の話。旅行行きたくなったから行く、とかじゃなくて?」


「うん。旅行じゃ、ないと思うよ。もう嫌だって書置きがあったし、本当に出ていっちゃったんだ。それでどこに行くとか何も書いてなかったから、どこに行ったのかわからなくて。探したいんだけど、どうすればいいのかわからなくて。

 お父さんも帰ってこないし、連絡つかないし。お隣さんとかに聞いたらお母さん怒るだろうし、こういう事なら警察かなって思ったんだけど、それもお母さん怒りそうだなって」


 うつむいて手首をきつく握り締めた親友の言い分に、香は今までも感じていた違和を改めて突き付けられたような気分になる。


 母親に怒られるから、で行動が左右されるのはどうなのだろうか。あずさの手前、声に出してそれを問うたりはしない。それでも、その関係はとてもいびつなものに見えた。


 ひとまず、ここは自分の考えを伝えて解決策を練りだすべきだ。これはただ聞いてほしくて、相槌が欲しいだけの話ではないのだから。


「いや、それはもう怒られても警察に連絡するしかなくない? てか自分を心配する娘が警察に連絡したくらいじゃあずちんママも怒んないでしょ。

 自分が行き先言わずに出てったのにさ、それで怒ったらなんかなぁって感じ」


「そう、だけどね。お母さん、どんな理由でも警察に関わったってことになるのすごい嫌だと思うし、もしかしたら待ってたら帰ってきてくれるかもしれないし」


 煮え切らない態度。母親の安否や行方よりも、自分の行動の結果生じる母親の感情の変化の方があずさには重要なようだった。


 それはやはり、一般的な母子の関係性と比べればあまりにもいびつで顔色を窺いすぎているような印象を受ける。


 待ってても、帰ってこないって知ってるくせに。


 香はあずさの母親についてあまり多くのことは知らない。あずさも詳しく語って聞かせるようなことはしてこなかった。それでも、普段の言動やちょっとした会話の端から感じ取るものはある。


 あずちんママは、誰かが来てくれるのを待つタイプの人でしょ。自分からは戻ってこないよ。そう、心の中でつぶやく。そんなことは、あずさが一番知っているのだろうから。


「あずちんがそれでいいなら、そうすればいいけどさ。アタシは警察に探してくださいって言った方がいいと思うけど? なんかあったりしたらいやじゃん。

 どっかでケガしてるかもしんないし、事件に巻き込まれてたらそれこそ大事じゃん。てか、あずちんママ、探さなかったらそれはそれでめっちゃ怒りそう」


「私もそう思う。だから、どうしようかなって。夢で探せるかもって思ったんだけど、お母さんそういう話大嫌いだからそれで探したってばれたら怒られそう。隠せる自信、あんまりないし」


 だから、あずさが探しに行くのだ。どんな時も、どんなことでも。


 香はそんな母親、ほっときなよ。と今すぐにでも言ってやりたかった。勝手に出ていったんだから、探しに行ってやる必要なくない? と。


 だが、あずさはそう言えば困った顔で、探しに行かなきゃ怒るし、というだろう。

 香にできるのは自分の思うままに、あずさを傷つけない範囲で言葉を重ねることだけだ。


「注文多すぎ。てか、怒られるかもってそんな気にする必要ないじゃん。怒ったってほっときゃいいのに。あずちんはあずちんママに気を使いすぎなんだって」


「お母さんは、そういう人だから」


 困ったように言うあずさに、これじゃどっちが母親かわかったもんじゃないわ、と香は毒づいた。

 結局、あずさはその後警察に届け出を出したらしい。



 梅雨明けを知らせるニュースが報道された、その翌日のことだった。思ったより早く見つかったなぁ、などと思いながら、その割には曇ったままの顔を覗き込む。


 見つかったけど、今までになく怒っていて帰らないって言ってたって。会いに行かない方がいいって警察の人にも言われた。


 と、力なく報告を受けた香は「よかったじゃん」と言いそうになって慌てて口を閉ざした。


「コウちゃん、ありがとう。あのまま警察に言わなかったら、きっと今もお母さんを見つけられてなかった。相談してよかった」


「う、ん。これからも、相談してくれていいよ! なんなら、他にもいっぱい話してくれてもいいんだからね! あずちんが頼ってくれるの、アタシめっちゃうれしいからさ!」


「うん。お母さんのこととか話せるの、コウちゃんだけだから。本当に、いつもありがとう」


 鬼のことも、話してよ。


 やっぱり勝手に飛び出そうになった言葉をすんでのところで飲み込んで、香はあいまいに笑った。あずさも、それに合わせるようにぎこちなく笑った。

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