狐の嫁入り 後編③

「ここは、雨が降っている」


 あずさの言葉に応じるように真っ白な空間が雨空に変わる。狐たちは大人しく座って様子を見守っているようだった。


「先輩、考えでもあるのか」

「はい。雨に呼ばれてみようかと」


 遠くで大哉の悲鳴が聞こえた気がした。タケは一瞬明後日の方を見上げて、すぐに諦めたようにうなずいた。確かに境界に行くにはそれが一番手っ取り早いだろう。


「狐さんたち、どうぞこちらに」


 思い出したように狐たちに声をかける。これで完全に狐たちはあずさの夢に招かれた。深々とため息をつくタケをよそに、雨音の中に小さな呼び声が混ざり始める。


 夢の中で雨に呼ばれるとどうなるのか。それは誰も試したことがないためわからない。

 雨が激しくなる。視界が煙りすぐ隣にいる相手の顔すら見えなくなった。


 あずさがその場から動かないため仕方なくしばらく雨に打たれ続けていると、前触れもなく雨が上がった。


 真っ白だったはずの空間は、気づけば灰色の煙がただよう丸石が敷き詰められた空間へと変わっていた。


「ここが、狭間の河原か。……現実で雨に呼ばれると夢を介してあの河原に行く。ならば、最初から夢の中にいるオレたちはそのまま河原にいることになるのか。先輩、知っていたのか?」


「夢の中にいると、何となく夢のことはわかるんです。でも、自信はなかったのでうまくいったみたいでよかったです。ほら、狐さん。あの川の向こうがあちらだよ」


 赤く、青く、黒く、そして何色でもない水が流れる川。灰色の煙がただようためはっきりとは見えないが、確かにその川の向こうには同じく岸があるようだった。


 狐火を伴った狐たちが列をなし、花嫁の化け狐がそれに囲まれるようにして歩き出した。


「こうしてみると、本当に嫁入り行列みたいですね」

「あぁ」

「実際、嫁入り行列だからな。あちらのものに嫁入りする狐なんだよ、ありゃ」


 後ろから響いた声に勢いよく振り向いたタケが見たのは、煙管をふかす人型の鬼だった。黒い髪に縁どられた柔らかな相貌と魔除けの紅に彩られた目。


 そこに誰かの面影を見た気がして、タケは目を細める。会ったことはないはずだが、この鬼には初めて会った気がしなかった。


「あ、あの時の」


 気の抜けたあずさの声に、鬼はまなじりをつり上げて煙管を突き付ける。


「お嬢ちゃん、もうここには来るなって言ったよな。今度は大嶽おおたけの鬼まで連れてきてるし。しかもまた雨に呼ばれたのかと思えば、狐の嫁入り行列をここまで送ってきたときた。阿呆なのか。あ?」


 この鬼が前に話に聞いたあずさを帰してくれた鬼か、とタケは一人で納得する。警戒を解いて体の力を抜いた。


「す、すみません?」


 反省どころか何が悪いのかを分かっていない様子のあずさにこれ以上言っても無駄だと判断したのか、今度はタケを睨みつける。


 やはりどこかで見たような顔つきに、タケは内心首を傾げた。つい最近もこういう目をして自分を睨みつけて来た誰かがいた気がする。


「お前さんも止めろよ。御厨みくりやの巫女についてる大嶽の鬼ってことは、お前さん護衛かなんかだろ。危険なことはちゃんと教えて止めてやれよ。

 このお嬢ちゃん、かなりあちらよりだからな。ほっとくとあっという間に転げるぞ」


「聞かなかったから仕方がない。それよりも、あの狐は本当に花嫁だったのか」


「なぁ、護衛役がそれでいいのか。……そうだ。たまにいるんだよ。鬼に成った狐の中でもあちらの性質が強くなりすぎて、こちらじゃ生きていけなくなるようなやつが。

 そういうのはあちらにいるものから呼ばれてな、嫁いであちらのものと一緒になって生きていくんだ。と、前にここに来た狐を叩きのめして聞いた」


 叩きのめした。

 その言葉にタケは胡乱な目を向ける。信憑性が一気に五分もあるかわからない話になった。


「そっか。お母さんに会いに行くんじゃないんだ」

「だから鬼の言葉を真に受けるなといっただろ、先輩」


 煙管に口をつけた鬼は深く煙を吐いて腕を組む。


「お前さんらが阿呆の考えなしの馬鹿者だってことはよくわかった。しかし、よく無事に済んだな。夢に招き入れた時点で夢の持ち主が食われることも珍しくない。

 あれらは夢についての理解はないからな。夢見の夢を自分の物にすればここに来られると信じている。ま、実際夢見の夢に陣取って待ち続ければいつかはつながるかもしれないわけだしな」


 まぁそこはお前さんがいたから手を出せなかったんだろうが。

 タケはそう言われてどうだろうか、と考えかけてやめた。その隣であずさは確かに、と頷いていた。


「多分、最初の夢で招き入れていたら食べられていたと思います。私がここに連れて行くと言ってから大人しくなったので」


 何か言葉になり切らなかったものが喉の奥に詰まった。タケはそれを無理やり飲み込んでもう何も考えない、と思考を放棄した。ふざけろ。


「こりゃ苦労するな、大嶽の鬼。護衛泣かせにもほどがあらぁな。……お、そろそろ潮時か。そら、帰してやるからさっさと帰んな」


 灰色の煙が、鬼除けの煙が勢い良く吹き付けられる。鼻の奥がしびれて全身が拒否反応を示すそれに、息を止めた。タケの腕をあずさの手が握り締める。


「もう二度とくんなよ」


 穏やかに笑っている鬼の顔は、やはりどこかで見たような顔だった。







 目を開けると、真っ暗だった。カーテンを開けっぱなしにした窓から月の光が入っている。部屋の中はぐちゃぐちゃなままだ。


 夢から覚めたみたい。うっすらと煙のにおいがした気がして目を閉じる。外ではまだ雨が降っているみたいだった。


 タケさんはちゃんと戻れたかな。桃園くんもいるって言っていたし、大丈夫だとは思うけど。

 体を起こす。何かを握ってる感触がして手を見る。


「あ」


 夢の中で助けてくれた鈴の付喪神さんがそこにいた。お母さんに見つからないように隠しておかないと。


 あ、そういえばさっきから携帯が鳴ってる。電話、誰からかな。お父さん? お母さん? コウちゃんかな。


 あの狐さんはちゃんと会いたい人に会えたのかな。あちらで幸せな結婚ができていればいいな。


 会いたい、と泣いていたあの声だけは本当だと思ったから。私はそっと狐さんのその後に思いをはせながら、携帯を手探りで探す。


 あ、そういえばタケさんの目隠し外したままだったけど大丈夫かな。

 見つけた携帯の画面をいじりながらちょっと心配なことを思いだした。


 その後、電話に出たとたん桃園くんから怒られて一時間以上お説教を受けることになるとは、この時の私は思いもしていなかった。

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