狐の嫁入り 前編③
放課後、重々しいため息をつく大哉は昼休みの出来事を思い出してまたため息をついた。
「桃園、そんなにため息ついてたら幸せが逃げてくぞー」
「うるせぇ。そんなの分かってら」
教室を出ていきざまに余計なお世話をしていったクラスメイトに舌を出して、席についたままのタケを見る。
昼休みからずっと何かを考えているようだったが、正直大哉にはその頭の中身がどうなっているのかまったく想像できなかった。
声をかけてから帰りたいが、一体何と声をかけようか。妙に頭の中に残っている香の様子がちらついて、なぜか声をかけることをためらわせる。
何も悪いことはしていないはずなのに、妙な後ろめたさがあった。
「桃園、いいか」
「おっ、おう! なんだ」
裏返ってしまった声に全身が熱くなる。
「狐の嫁入りは狐が人間を食うために起こすものだと言われている。が、それ以外に何か聞いたことはないか」
「それ以外って、おれの爺さんはそれしか教えてくれなかったけど。
「……いや、同じだ。同じだが」
珍しく歯切れが悪いタケに首をかしげる。違ってはいないということは、寄絃でも大哉の祖父と同じ考えが教えられているということだ。
では、一体何がそんなに引っかかっているというのか。
いくら考えてもわからず、大哉はあごに手を当てているタケを見た。こういう時はたいてい、大哉が知らないことを考えている。ならば答えが出るまで待つか、一緒になって考えるかだ。
大哉はタケに出会うまで、こうした疑問からの議論はしたことがなかった。すこし楽しさすら感じるこの時間は、時に大哉が持っている間違った知識も訂正してくれる。
ふと、狐とはまったく関係のない疑問が浮かんで大哉はそれをそのままタケにぶつけた。
「そういやさ、なんでいつも間違ってることとか教えてくれるんだ? おれに教えてもタケにいいことなんてあんまなさそうだけど。
あ! 御厨先輩に間違った話をしないように、とかか? 確かにあの先輩、夢見の力はけっこうあるっぽいのに知識とかぜんぜんだもんな!」
「違う。お前の身を守るためだ」
「え」
面食らって目が点になる。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした大哉を見上げて、タケは呆れたように鼻を鳴らす。
「正しい知識は正しく身を守るのに必要だろう。お前は人間だ。すぐに死ぬ。すぐに死なれてはオレが困る。だからお前にオレが知っていることを教えているだけだ」
「へぇー……へぇー。タケ、おれに死んでほしくないんだぁ。へぇー。めんどくさがりのくせにおかしいとか思ってたけど、そんな理由だったわけかぁ。へぇー」
にやける顔をそのままに、机に両手をつく。顔をしかめ、うざったそうに身を引いたタケはため息を一つつくと腕を組んだ。
「次の監視役がお前のような人間とは限らない。初対面の人間と新たな関係を築くのは面倒だ」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
「……桃園」
タケの声が一際低くなる。大哉は慌てて首をすくめて顔の前で両手を合わせた。しかし、にやけた顔はそのままだ。見えていないはずだが、タケはにやけているぞ、とだけ言った。
「それで、狐の嫁入りの話のどこが間違ってるんだよ」
「間違ってはいない。オレもそう教わった」
「でも、引っかかってるんだろ? そう言う時は誰かに話して一緒に考えるんだよ。ほら、さっさと話せよ!」
イスをとってきて話し込む態勢になった大哉は、鼻息荒く先を促す。少し黙ったあと、タケはゆっくりと自分の考えを言葉に乗せていった。
「本当に、狐は先輩を食いたいのか。それがわからない。食うだけならば、先輩は昨日の夢で食われているはずだ。
祖母に化けていたという狐も、おそらく狐の行列も、先輩の存在は感知していた。だが、先輩は食われなかった」
「なるほどなぁ、人間がいるのわかってて食わない理由はなんだって話か。でもそんなの、時期じゃなかったとかいろいろ理由あるんじゃね?」
真剣な顔で頷いたタケは、しかし納得がいかない様子であごに手を当てた。大哉は机に肘をついて喉に引っかかった骨をとれずにいる様子を見守る。
「まぁおれは、一回目は狐と話しても大丈夫だったのに、二回目はお守りが反応して声をかけることすらできなかったのが気になるな。
先輩が行列に声をかけようとした時にお守りが反応したんだろ? でも、婆さんに化けてる狐とは普通に話してたっぽいし、お守りも反応してなかった。何が違うんだろな」
「……祖母の方の狐は封じられているようだった、とも言っていた。おそらく狐の嫁入りを起こした狐と、その狐は直接的な関係はない」
「あ、なるほどな。封じられてる狐だから、先輩がそいつの誘いに乗らない限りは話してても大丈夫ってわけだ。
へぇ、じゃあ行列に声をかけるなって警告が出たのはやっぱ、封じも何もされてないから、とかなのね」
「あるいは、先輩から声をかけることで何かが起こるか。声を、かけなかったから舌打ちをした。……もしかしたら、あの狐は先輩の夢に招かれるつもりだったのか」
夢をつなげることと、夢に招かれることは違う。人間を食うだけならば、夢をつなげるだけでいい。だが、それ以外の目的があり、それにあずさの夢へ招かれることが必要だったのならば。
では、夢に招かれなければ達成できないような目的とは何か。
夢とは、個々が見る己の世界。つなげて他者の夢をのぞくことや、そこにいる他者に接触することはできる。
しかし、他者とまったく同じ夢を見ることはできず、特定の夢からでしか至ることのできない場所もあるという。
タケの頭の中でらしい答えがくみ上げられていく。大哉は、漏れ聞こえる言葉を拾い集めて何とかその考えの一端だけにでも触れようとしていた。
しばらくの沈黙の後、タケはゆっくりと自分が出した結論を声に乗せる。
「夢見の夢でしか、至れない場所を目指している」
「え、それって狐の目的は御厨先輩の肉じゃなくて、夢の方だってことか?」
「確証はない。お前の言う通り、時期をはかっていただけかもな」
「けど、タケはそう思ったんだろ? ならその対策とか考えようぜ。狐狩りとか、そういうのは爺さんたちにやらせとけばいい。さ! 先輩の夢を守る方法考えよう!」
狐狩りに行けなくてずいぶんと嬉しそうだな、と喉まで出かかった皮肉を飲み込んでタケはため息をつく。
面倒なことを自分からしてどうするのか。
「とりあえず、狐除けの符とか香とか渡しておいてそれを使ってもらえば安全かな。なぁ、夢が狙われてるなら夢除けとかも使ってみるか?」
「いや、夢見に夢除けは使えない。へたに使えば先輩が起きられなくなる」
「そっか。じゃあおれ、とりあえず狐除けの符と香を用意してくれって連絡しとく」
狐狩りで使うだろうし爺さんに言えばいっか。
というつぶやきを背後にタケは改めて夢の中でもあずさを守る方法について考えをめぐらせた。
前々から考えていたことではある。一番手っ取り早いのは夢をつなげる方法だが、タケは夢を見ない。そして、そもそもの問題として眠れないのだ。
なので夢をつなげてあずさを守る方法は使えない。他にもいくつかの術はあるが、どれもタケが使うには問題があった。
「いっそのこと、夢の中に行くのはあきらめて先輩の命綱になるとかはどうだ? 夢が目的ってことは、先輩の夢を使っていきたい場所があるってことだろ?
てことは、先輩は食われない可能性が高いし、それならどこに行っても戻ってこれるように捕まえといたほうがいいんじゃないか」
「鬼が人間を食わない保証がどこにある。却下だ」
「えー。……あ」
大哉は採用されないと思っていた提案を予想通り容赦なく蹴り飛ばされて、少しだけすねたふりをして見せる。そうして頬杖をついていると、不意に頭の中で光がはじけた。
いぶかし気に顔を向けてくるタケに、自信のない様子で頭に手をのせた。
「いや、まぁ。できるかはわかんないけど、一個だけ方法あるぞ」
「なんだ」
「おれな、一応言霊使いなんだ。だからタケの枕もとで夢飛ばしの歌を歌ったら、先輩の夢にあんたの魂を送り込める、かも。……いや、これ、考えてみたら戻すタイミングとかわからねぇな。やっぱな」
「それで行こう」
即決だった。自分から言い出したこととはいえ、まさかの即決に開いた口が塞がらない。言葉を失った大哉はイスを蹴って立ち上がり、タケに食ってかかる。
「嘘だろ?! 本気で言ってんの?! なぁ!」
「本気だ。最悪の事態になってもオレだけが代償を払うあたりが最高にいい。自分から言い出したんだ。やれる自信はあるんだろう」
「ねぇよ! 思い付きで言っただけなんだって! そんな責任重大なことをおれに任せようとするなよ、頼むから!」
「失敗しても成功しても代償は大きいが、どうでもいい」
さては考えるのが面倒になったな。
いきなりの大絶賛に、大哉はそんな真実を見出してしまって半眼になる。ここでめんどくさがりの気性を出してくるな。おれはまったくどうでもよくない。
そう叫んでしまいたいのに、なんだか力が抜けて本当にどうでもよくなってきていた。
実際のところは、タケはこれで行けると本気で踏んで賛同していた。
それだけ大哉の力を買っているのかと言えばそうでもなく、夢に入れたならば後はどうにでもできると高をくくっているだけだ。
実際、今まで相手にしてきた狐にはこれといって苦戦した記憶もなかった。
何よりも、タケにとって鬼退治とは鬼を見つけ出して食えばそれで終わるのだ。
人間の退治屋はそんなことはできないため、毎度面倒な準備を入念に行い、鬼の力を執拗に削いでようやく封印を行うかどうかという話になる。
大哉はまだ、タケに関する理解が足りていない。前提が違っていることも、人らしい外見とはかけ離れた本性を持っていることも、本当の意味で理解できていないのだ。
「なぁ、護衛役がそんなんで大丈夫かよ」
「化け狐相手ならこれで十分だ。夢に入れさえすれば、さっさと見つけ出して食える。そう時間は必要ない」
墓穴を自ら掘ってしまい、そこにはいることが確定してしまった大哉は大きなうめき声をあげて机に突っ伏した。
その嘆きを聞き届けるものは、ここにはいない。
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