狐の嫁入り 前編②

 手首を指でなぞっているあずさがどうにも落ち着かない様子なのを見て、大哉だいやこうの顔を見る。


 今にもため息をつきそうな顔で首を振られ、何も聞き出せていないことを知らされた。


「あずちん、そろそろご飯食べよ」

「うん。そうだね」


「……あずちん、ごはんおいしかったね」

「うん、そうだね」


 今度こそ、香は隠しもせずにため息をついた。それでも、すぐとなりにいるはずのあずさはそれに気づかず、じっと手首を睨みつけながらいじっている。


 その指の下には、うっすらと見える半透明の組紐お守りが複雑に巻き付けられていた。


 香は最近この手首に巻かれた組紐に気づいて、今まで気づかなかったことに大きな衝撃を受けた。


 が、大哉にもうっすらとしか見えず、鬼を見る力の強いものほどはっきり見ることができると聞いて納得するしかなかった。


 どうやら時々見かけた手首を握り締める癖は、これがあるからなんだなと冷静に考えていたりもした。


「ねぇ、大ちゃん。あずちんの手首についてるのって、危険な鬼が近くにいたら教えてくれる不思議道具なんだよね。タケっちの目隠しみたいな」


「あー。まぁ、そういう感じで覚えてくれてたらいいっすよ。なんか反応してるんだと思うんすけど、何か話とか聞いてないっすか?」


「それがねー、朝からずっとあんな感じで。あずちん、ちゃんと授業受けるまじめちゃんなんだけどね、今日はずっと先生の話もあんまり聞いてなかったし返事もテキトーだし、保健室行くかってめちゃくちゃ心配されてたの。

 で、アタシがなんかあった? って聞いてもぜんぜん話してくんないし、てか聞いてないし。こういうの、前にもあったけど話してくれたの一週間くらい後だったし。多分今回もなんも話してくんないんでしょ。どうせ」


 面倒なところをつついてしまったらしい、と大哉が気づいた時には香のちょっとした愚痴祭りが始まっていた。


 中学で初めて会った時からの付き合いだと前に聞いたことがあったが、こういうことは時々あったらしい。そのたびに事後報告だったり、もうどうしようもなくなってから話したり。


 今までずっと、そんな調子だったのだという。


 尖った声で今までの不満を吐き出し始めた香に、大哉は相槌を打つことしかできない。


 どうせアタシはそういうの見えなかったし、役に立てないもんね。そう言って拗ねてしまった香に何と言葉をかければいいのかわからず、かといって無視することもできず。


「えっと、その……」

「……ごめん、大ちゃんに言ってもしょうがないのにね」


 ばつが悪そうな顔をした年上の女子に、大哉はやはりなんと言えばいいのかわからない。


 これがただのケンカだったり愚痴だったりしたなら、それっぽいことを適当に並べていたかもしれない。


 しかし、香の不満の根元、あずさがあまり頼らないことについてはそう無責任に言葉を投げかけるわけにもいかなかった。


 鬼が見えない人間に鬼のことを相談することは難しい。信じてもらえないことが多い上に、見えないからこそ危機が迫っていても逃げられない。


 巻き込んでしまえば、間違いなく傷つけてしまうことをあずさは知っていたのだろう、と大哉は目を閉じる。


 そして、見えるようになっても香には身を守る術がない。大哉が護衛についているが、それをあずさは知らないため安心の材料にはできない。


 そもそも、大哉は枇杷の鬼にまつわる事実のすべてをあずさは知っている、とタケから聞いていた。


「コウちゃん先輩を、怖い目に会わせたくなかったんじゃないっすかね。鬼に関わるってことは、やっぱめちゃくちゃきついこともあるし。

 辛いことに巻き込みたくないって御厨先輩の気持ち、おれはちょっとわかるっす。おれは、御厨先輩とは事情違うけど。それでもやっぱ、今までどんな鬼にあったとか、その時何があったとかはタケにも言わないと思うし」


 息苦しい沈黙が横たわった。口をとがらせてしかめ面をしている香を見ながら、大哉はふと懐かしさのようなものを感じた。


 こういうことを、自分も昔感じたことがあるような、そんな気がした。

 一体、いつ、誰にそんなことを感じていたのだったか。


 思考があらぬ方へ沈みこみそうになった時、階段を上がってくる足音が聞こえて顔をあげる。葉がついたままの枝が入った袋を持ったタケが、踊り場から大哉たちを見上げていた。


「誰か死んだのか」

「そんなわけないだろ。ちょっと重たい話してただけだって」

「そうか」


 手首をずっといじっていたあずさが身じろぎして、顔をあげた。目線がしばらくさまよって、タケを見つけた瞬間にはっきりと意識がどこかからか戻ってくる。


 となりにいた香は、それを見てさらに顔を曇らせてうつむいた。


「タケさん」

「こんにちは、先輩。何かあったのか? 顔色がひどいぞ」

「……少し、夢見が悪かったので」


 香ははじかれたようにあずさの横顔を見る。朝、同じ質問をした時にはあいまいに言葉を濁して何も答えなかった。それが、タケにはこうもあっさり話して見せる。


「聞かせてくれ。悪夢は抱え込まない方がいい。先輩は夢見だからな、なおさらだ」


 あずさはあっさりと頷いて、正面に座ったタケへ自分が見た悪夢について話し始める。それは、夢らしい夢の話だった。


 しかし、お守りが危険を知らせ、最後にはあずさにもその脅威の影が感じられたというのなら、それはタケたちにとって無視できないものであった。


「それからずっと、体が重くて。お守りもずっとヒリヒリしたままですし」

「そうか」


 あずさの両手を握りながら、タケは静かに相槌を打っていた。前髪と封印の奥に隠された目が、何かを探すようにあずさの体を見ていた。自然と、香の口から大量のとげをふくんだ声が飛び出てくる。


「ちょっと、女子の体をそんなジロジロ見るなんてサイテーなんじゃないの」

「コウちゃん、いいの。大丈夫だから」

「あずちんが大丈夫でも、アタシは大丈夫じゃない」

「……コウちゃん」


 たしなめるような声に唇を噛み、香は膝を抱えた。心の中にドロドロと黒いものがわき上がって止まらない。口を開けばまた、誰かを傷つけるような声が出てきそうで香は黙り込むしかなかった。


 いつの間にか三人と少し離れた位置にいた大哉は、こっそりとため息をつく。まさかこういう展開になるとは思ってもみなかった、と嘆いて逃げ出してしまいたい心境に駆られる。


 それでも針のむしろに座らされているような心地を味わいながら、三人の様子をそれぞれ見守ることが自分の役目なのだと言い聞かせるしかなかった。


 香の言葉にも大して揺らがずにあずさの体を見終えたタケは、はっきりと見える光を帯びた紐へと視線を移す。


「先輩、夢で狐にあったといったな」

「はい。おばあちゃんに化けた狐と、あの行列も、たぶん」


「おそらくだが、狐に目をつけられたな。そのお守りが反応しているのならば、先輩の夢と狐が今もつながっている可能性が高い」


「でも、おばあちゃんに化けていた狐は消えましたよ」


「あぁ、先輩の祖母に化けた狐とはもうつながっていない。が、行列を見たと言っただろう。それの中心である狐とつながっている可能性はある」


 桃園、と呼ばれて大哉は口の中に苦いものが広がるような錯覚に襲われた。香の鋭い視線が突き刺さって痛みを伝えてくる。


 出来れば逃げだしたい。今すぐに。そして数日たったくらいにあずさに接触して、仲直りできましたー? とかのんきに聞いて終わりにしたい。


 そんなことは当然許されず、タケの隠されている目にも突き刺されて渋々口を開いた。

 なんでこんな役回りばかり、自分に巡ってくるのだろう。そう嘆かずにはいられない。


「なんだよ」

「狐の嫁入りを知っているか」


「そりゃ、まぁ。あれだろ。鬼に成った狐が人間を食うために夢の中に入り込んでくるやつだろ」


 大哉は祖父に教わった通りに話す。夢の中で人間を食って、それで腹が膨れるのかは知らないが。


「そうだ。退治屋にはお前から連絡をしておいてくれ」


「……あーい。狐狩りかぁ。おれ、あれあんまり好きじゃねぇんだよな。うるさくてたまんないし、化かされた思い出ばっかなんだよ。今度は、ちゃんと最後まで起きてれればいいけど」


 空しい笑い声が屋上前の踊り場に響いて、大哉はもう本当に泣きそうだった。


 タケはずっとあずさの手を握ったままだったし、あずさもそれを振り払わずにむしろ安心しているようだった。


 そして、香がそれを見て剣呑な光を目に宿し、張り詰めた糸のような冷ややかさを発している。


 このあずさを巡った三角関係のような構図をどうすればいいのか。そもそも、手を出していいのかもわからずに大哉はもう一度、こっそりとため息をこぼすしかなかった。

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