狐の嫁入り 後編①

 スーパーで買ったものがいっぱい入ってるマイバックを玄関に置く。


「ただいま」


 そんなわけないのに、おかえりって優しく言ってくれる誰かがいるって思っちゃう。まぁト―ゼン、アタシしか住んでない家からそんなの聞こえてくるわけないんだけど。


 聞こえてきたら逆に怖いし。


 でも、なんでかな。おかえりって言われるのが当たり前っていうか、ただいまって言って何も返ってこないのが変な感じする。ずっと、一人だったはずなのに。


 いつも家のドアを開けるのにちょっとだけ勇気がいった。前までそんなことなかったのに、今はドアの向こうに何かいるんじゃないかってわけのわかんないことを考える。


「バカバカし」


 ドアのカギを閉めて、カバンをテキトーに放り投げてソファに寝転んだ。


 ずっと一人で住んでた家。ずっと一人で使ってた家具。ずっと一人で過ごしてた時間。


 そう。ずっとアタシは一人ぼっちで暮らしてた。そのはずなのに、何か足りない気がしてしょうがない。絶対に誰かいたはずなのに、誰がいたのかわからない。


 ていうか、いないって言ってんのにいたんだって考えてるの、自分でも頭おかしいと思う。


「あずちんのバカ」


 クッションをなぐる。昼休みのことを思い出して、足をばたつかせた。こんな時によけい嫌なこと思い出すとか、ほんと最低。ほんと。


「あずちんの、バカ」


 誰かに聞いてほしい。いつもなら、■■に話して、いっしょに聞いてた■■■■■がなぐさめてくれたりしたのに。そんで■■が……。


「あれ、アタシ、何考えてたんだっけ」


 頭がぼんやりする。何考えてたのかわかんなくなってきた。

 えっと。あずちんがバカだって考えてて、誰かに話を聞いてほしくて。


「話、誰に聞いてほしいんだっけ。家に入ってから何考えてたんだっけ。あっれー?」


 甘い匂いがする。あ、昨日おじさんにもらったやつだ。なんか落ち着く。

 ご飯の準備しよ。


 甘い匂いがどんどん強くなって、ざわざわしてた胸が落ち着いていく。アタシ、なんであんなに家の中で一人ぼっちなのがさびしいとか考えてたんだろ。いつものことじゃんね。


 あ、でもタケっちはマジ許さねぇ。あずちんにベタベタしすぎだし、変な目で見てるし。てか、あずちんもなんであんなのに真っ先に話すわけ? アタシがいるじゃん! ほんと、あずちんのバカ。


「ねぇ、■■。あずちんってばほんとひどいんだよ!? フツー親友ほっといてぽっと出の後輩に相談する? 話くらい、してくれたっていいじゃんね。あ、■■■■■今笑ったでしょ! もー! 笑い事じゃないし!」


 野菜切って煮て、小分けにして味変できるようにしよっかなぁ。


 口と手を動かしながら、とりあえず大量にある玉ねぎの皮むきから始める。量作っておいとくと楽だし、玉ねぎ入れるとおいしいからいいんだけどさ。


 やっぱ、こんだけあると目がしみまくるのもわかるからちょっとめんどいな。


「ゴーグル? えー。あれさぁ、やってみたけどあんま効果なかったよ。■■はいつもどうしてんの?」


 冷蔵庫で冷やしてからだとしみないらしいけど、もうむき始めちゃったから今度やってみよっと。

 甘い匂いがする。アタシはなんだか楽しくなってきて、たくさんある玉ねぎをなんとなくめちゃくちゃていねいに切ってみた。


 一人ぼっちの家の中にアタシの話し声だけが響いてた。







 体が重い。今日一日、ずっとだるくてしかたがない。


「ただいま」


 ドアを開けても、もう鈴の音はしない。付喪神さん、どこに行っちゃったんだろう。お母さんが捨てちゃったのかな。壊されずに誰かのところに行けてればいいけど。


 リビングのドアを開ける。


「ただいま」


 玄関で一回、リビングに入って一回ただいまを言うのが私の家のルールだった。いつもならここでお母さんが部屋から出てきて、おかえりって言ってくれるんだけど。


「お母さん? いないの?」


 家の中は静かだった。お母さんの部屋にあるテレビの音もしないし、キッチンで何かしてる音もしない。寝てるのかな。最近は健康にいいって聞いて、よくお昼寝をしてるみたいだし。


 そうだとしたら起こすと怒るかなって思って、お母さんの部屋をのぞきにはいかなかった。部屋に入っても怒られるし、なにをしてるにせよ私はここで宿題を片づけるだけだ。


 そう思ってリュックから今日の授業で出た宿題を取り出して机に乗せる。と、机の上に白い紙が置かれてるのに気づいた。


「……書置き、かな」


 めずらしい。いつもならおしゃれだったり、きれいだったりするメッセージカードに書いてるのに。紙を持ち上げる。思った通り、お母さんの字がそこに書かれていた。


『もういや。でていく。さよなら。かってにしてちょうだい』


 ……コンコン。


 二階で物音がした。慌てて階段を駆け上がる。もしかしなくても、絶対に荷造りをしてるんだ。まだ、お母さんは出ていってない。


 まだ、荷造りしてるんだ。だから、止めなくちゃ。行かないでって言わなくちゃ。そうしなきゃ、そうしなきゃ……置いてかれちゃう。


「お母さん!」


 お母さんの部屋には誰もいなかった。タンスとかいろいろひっくり返してそのまま放置されている。


 ……コンコン。


 さっきと同じ音がした。私の部屋からだ。


「お母さん、いる……え?」


 部屋のドアを開けると、お母さんの部屋と同じようにぐちゃぐちゃになった部屋の中が見えた。


 机の引き出しとか、ベッドの下とか、押し入れとか、ぜんぶ何かを探したみたいにぐちゃぐちゃになってる。


 引っ張り出されて散乱してる服の山の隙間に、割れた鏡が落ちていた。


「おばあちゃんの、鏡」


 いつかお父さんがくれた、おばあちゃんからのプレゼント。ちょっと古い感じのふち飾りがついた、丸い手鏡。確かこれも付喪神さんで、お母さんに見つからないように隠してたものだ。


 服の山の下には、掃除機が投げ捨てられてた。


「そっか。見つかっちゃったんだ」


 お母さんが部屋の掃除をしてたことは知ってた。だから見つからないように隠してたんだけど、見つかっちゃったんだ。


「……どうしよう」


 ……コンコン。


 音がした。窓の方を見て見ると、白い人型の紙が複数枚、張り付いている。京都に行ったときに見た形代人形に似ていた。


 手首を握る。お守りはチリチリしてるけど、あれには反応してない。


「どうしたの」


 窓を開けると、人形たちは大きな荷物を持って部屋に入ってきた。みんなで調子を合わせながら私に渡してきた袋の中には、お札と独特な匂いのする箱が入っていた。


 その匂いをかいでいると、体が軽くなってきてお守りのチリチリも小さくなった。


 袋の中身を取り出して、ついていた手紙に目を通す。


『御厨先輩へ。桃園です。狐除けの符と御香です。多分今日言ってた狐の夢は見ると思うっすけど、他の狐とかは近づいてこなくなるんで、よければ使ってください』


 すこし乱れた、急いで書いたことがわかるそれを読んでから人形たちを見た。これは、桃園くんがつくったのかな。


「ねぇ、お母さんがどこに行ったか知らない?」


 聞いてみても、人形たちは首をかしげる動作をしただけだった。私は軽く首を振って、なんでもないよと言う。


 すると、人形たちはおじぎをして開けっ放しだった窓から一枚ずつ出ていった。


 最後にもう一度、全員でそろっておじぎをしてから人形たちは風に乗ってどこかへ飛び立っていった。きっと桃園くんのところに帰ったんだ。


 狐除けの符と御香の入った箱を抱きしめる。


「どうしよう」


 独りぼっちの部屋に私の声だけが響いた。








 雨音が響く暗い一室に乾いた音が響く。大哉だいやは畳に直に寝転がったタケの枕もとで大きく息を吸いこんだ。


「流れ流れて雲流れ。浮かべ浮かんで魂飛ばし。渡り渡りて夢渡る。……ほんとに、いいんだな」


 返事は、ない。ため息をついて大哉はもう一度手を打ち合わせる。


「……雨が降る。雨が呼ぶ。問う。なんじ、雨の呼び声を聞くか」

「あぁ」


 降り続く雨の音が激しさを増して大哉の声にかぶさった。


いざないの声、かどわかしの声。汝、この呼び声に応えるか」

「…あぁ」


 雨が激しくなるほどに紛れる呼び声も主張を強めていく。


「たぐるはおぼろの糸。恐れを知る偽りの守護。汝、その手にかの者の守護を握るか」

「……あぁ」


 投げ出されたタケの手にか細い光る糸が巻き付いて揺れる。


「落ちよ、堕ちよ、墜ちよ。おぞましき深み。惑いの嵐。閉じた夢殿むでんの戸を叩け」


 タケは、久しく感じていなかったまぶたが重くなる感覚に従って目を閉じる。下へ下へと体が沈み込んでいくと同時に、上へ上へと浮き上がっていく。


 自身が二つに分かれる感覚は痛みも何もなく、ただあまり感じたことのない冷えた水を流し込まれるような震えだけがあった。


「雨が降る。雨が呼ぶ。水は下りて雲となり、汝をかの者の夢へ押し流す」


 タケの魂が肉体から離れて、か細いつながりを頼りにどこか浮かびあがる。大哉は爆発しそうな心臓をなだめるように努めて深く呼吸を繰り返し、最後にもう一度手を打ち合わせた。


「流れ流れて雲流れ。浮かべ浮かんで魂飛ばし。渡り渡りて夢渡る」


 どこへ通じるのかわからない糸に引っ張られるようにして、タケの魂が流されていく。大哉は足を崩して後ろに手をつく。肺の中の空気をすべて吐き出して天井を見上げた。


「ひとまずこれでいい、はず。はぁー。夢渡しなんて初めてやるってのに。タケのやつ、こっちの気も知らないで勝手ばっか言いやがって。……ちゃんと、帰ってこいよ」


 タケの魂を連れて行った糸はもう見えない。頭をかきながらあぐらをかく。


「触媒の一つでも用意できてればもうちょい自信持てたんだけどなぁ。まぁあの伸びてた糸、先輩のお守りのやつだと思うし大丈夫だろうけどさ」


 持ち主の危機を察知して知らせる虫のしらせ。それは時に持ち主を守るために、力あるものを呼び寄せるという。


 それに、タケはあずさの夢に確実にたどり着ける確信があったようだった。大哉にはなにがそこまで自信を持たせるのかはわからなかったが、そんなこともあって実はそこまで心配もしていない。


「一応確認しとくか。もしやべぇとこに入ってるみたいなら呼び戻さなきゃいけねぇし」


 障子を開けてそのまま雨に濡れた縁側に出る。庭には大小の水たまりができていて、一番近くにあるそれを覗き込んだ。


「鏡よ鏡。夢の通い路映す水鏡と成れ」


 つぶやくようにまじないをほどこせば、不自然に波が立って水たまりにどこかの景色が浮かび上がる。


 真っ白な場所に立ち尽くしているのは、制服姿のあずさだった。そこに同じく制服姿のタケが駆け寄っていく。


「お、ちゃんとうまく行ったみたいだな。よかったよかった」


 もう一度不自然な揺れを起こした水たまりは、すぐに大哉の顔を映すだけの状態に戻ってしまった。


 やはりそれ用に準備した水でつくらないと水鏡は長く続かない。タケを呼び戻すためにも正式な水鏡の用意を始めようと立ち上がったところに、玄関から祖父の声が聞こえてくる。


「桃太郎! 儂は狐狩りに行ってくる! 大嶽おおたけから目を離すなよ!」

「だからおれは桃太郎じゃねぇ!」


 空しい怒鳴り声が雨を小さく揺らした。

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