雨に呼ばれる②

 雨が降っている。体育祭も終わって、季節は梅雨に入っていた。


 湿気をふくんだ空気が重く肌にまとわりついて、汗ばむようになってきた。なのに、建物や地面をたたく雨粒は涼やかだった。


 買ってきた菓子パンの山を次々に片付けながら、コウちゃんは大きくため息をついた。


「あーあ、体育祭出たかったなぁ。あずちんも体調崩して出れなかったんでしょ? 大丈夫だったん?」


「私は大丈夫だよ。ちょっと体調が悪かっただけなのに、お母さんが心配しただけだから。それに、コウちゃんこそ交通事故にあったんでしょ? 大丈夫だったの?」


「それがねー、なにも覚えてないんだなぁ。家に帰ろうとしてたとこまでは思い出せるんだけどね、そっから先がなーんにもなくてさぁ。

 目を開けたら病院のベッドで寝かされてて、半月くらい寝てましたよなんて言われちった」


 枇杷の鬼がいたあの廃村から戻ってきた私は、高熱を出して倒れてしまったんだとお父さんが教えてくれた。お母さんは私が倒れたと知って、とっても慌ててたとも。


 必死に泣いて謝ってくるお母さんに、なんていえばいいのかわからなくて私もずっと謝ってたと思う。


 お母さんの目を盗んで病室に訪ねて来た退治屋の人が言うには、訓練も受けずにいきなり夢見の術を使った反動だって言ってた。


 私には話の半分もわからなかったけど、無茶をしてしまったから体が疲れたんだと思うことにした。

 多分、あってると思う。


「体育祭は来年もあるんだし、その時に今年の分も楽しめばいいと思うよ」


「もー、あずちんわかってないなぁ。こういうのは学年ごとに違った楽しみ方があるもんなの! あー! くやしー! アタシの青春がー!」


 コウちゃんのことは交通事故にあって、奇跡的にケガはなかったけど意識不明ということにしていたらしい。鬼の被害にあった人は、多くは助からずにそのまま。


 生存者がいてくれてよかった、と退治屋さんは言っていた。


「雨、やまないね」

「まぁ梅雨だしねー。あずちん、雨きらい?」


「嫌い、じゃないよ。ただ、雨音を聞いてると眠くなる時があって。授業中とか困るんだ。特に早川はやかわ先生の授業とか」


「あー、早川はね。そっかぁ。あずちん、雨の音で眠くなるんだ」


 うんざりした顔のコウちゃんは、窓の外へ顔を向けた。私もコウちゃんが見ている方に目を向けてみる。そう言えばコウちゃん、昨日早川先生に怒られてたな。


 窓の外は薄暗くて、雨粒が白い細い線を引いている。分厚い雲は切れ目も何もなくて、まだ雨が降り続けると言っているようだった。


 立ち上がったコウちゃんが窓の鍵を開けるのを見ながら、私はコウちゃんのお弁当のおかずを持って行こうとする雑鬼ざっきを追い払う。


「なんにしても速く梅雨明けしてほしいよね。雨の中学校来るのめんどいし」

「そうだね。はやく、梅雨が明けるといいね」


 コウちゃんは立ち上がって、窓枠に避難して雨に打たれまいと身を寄せ合っている雑鬼たちを教室に招き入れる。


 我先にと教室に入って、あちこちに飛んでいく雑鬼たちを見送ってコウちゃんは戻ってきた。


「ありがとうくらい言ってくれてもいいじゃんか」


 ちょっとだけすねた様子で口を尖らせたコウちゃんに、私は苦笑を浮かべた。


 あの枇杷の鬼の一件から、コウちゃんは鬼が見えるようになっていた。


 タケさんの友達の桃園ももぞのくんから聞いた話だと、退治屋の人たちが鬼のことも含めて日常生活を不自由なく遅れるようにサポートしてくれているらしい。


 そのサポートの一つなのかわからないけど、コウちゃんはお母さんのこともおじいちゃんのことも忘れてしまっていた。それが、いいことなのか私にはわからなかったけど。


「あ、そうだあずちん。梅雨が明けたらさ、大ちゃんとタケっちと一緒に屋上でご飯食べよ。アタシあぁいうの最近見えるようになってさ、知らないこと多いし。あずちんも一緒に聞きに行こうよ」


 楽しそうじゃん。とコウちゃんは本当に楽しそうに笑ってる。何があったのか知ってる私は、コウちゃんがそうやって笑ってくれているだけでうれしかった。


「うん。私も、昔から見えてただけで詳しいわけじゃないから、一緒に聞きに行こうか」

「ほんと、あずちんが見える人でよかったぁ。アタシ一人じゃ、絶対に怖くて無理だったもん」


 ほら、タケっちとか声かけにくいじゃん。


 そう言うコウちゃんに私は、話してみれば優しい人なんだよ、と返した。知ってるよ、と返ってきてちょっとだけ笑ってしまった。


 梅雨明けが少しだけ、待ち遠しくなった。





 雨が降っている。

 雨が、呼んでいる。





 あずさが目を開けると、そこはうすい灰色の煙がいくつも浮かんでいる場所だった。硬い感触がして足元を見下ろすと、不揃いな大きさの角が取れた石が敷き詰められている。


 どこかの河原のような光景だった。


「ここは、夢?」


 周りを見回してみるが、うすい灰色の煙と丸みを帯びた石以外には何もない。


 漂う煙を手ではらいながら、なにか無いかと歩いてみる。すると、遠くの方からかすかな音が聞こえて来た。


 それは、雨の音に似ているように思えた。雨が降っているときの音のように聞こえた。

 そして、それに混じって何か小さな音がいくつも響いているような。


 音のする方へ、視界の悪い中をゆっくり進んでいく。


【……ち。こ……だよ】


【……、…ふふ】


【…いで、……】


【あそ……、……ぼう】


 とぎれとぎれに聞こえてくる音は、子どもの声のようにも聞こえた。


 あずさの歩みが早くなる。雨音にかき消されそうなほど小さく細かった音は、次第にはっきりと聞こえてどこかへと誘い始めた。


【こっち、こっちだよ】


【うふふ、うふふ】


【おいで、おいで】


【あそぼう、あそぼう】


 水の中を歩いているように足が重い。丸い石が転がる地面が、だんだんと歩きやすくなっていくような気がした。


 こっちだよ、と何かが呼んでいる。

 雨の音が聞こえる。


 うふふ、と何かが笑っている。

 雨の音が聞こえる。


 おいで、と誰かが呼んでいる。

 雨の音が聞こえる。


 あそぼう、と誰かが笑って


「お嬢ちゃん、ここに何か用かい」


 突然男の声が響いて雨音を消してしまう。途端に幼い音の群れはあずさの頭に、かすかに靄のような名残を残して消え去った。


 跳ねる心臓に急かされるように後ろを振り向くと、いつの間にか小さな家があった。


 わびさびの心を反映したような外見の家の縁側。そこに誰かが座って煙管きせるをふかしている。そこから流れ出る煙の色は、ここら一帯を漂っている煙と同じ色をしていた。


 淡い色合いの着流しをまとったそれは、頭に角を生やしていた。黒い髪に縁どられた柔らかな相貌が、面白がるように歪んでいる。紅い線の引かれた目元はどこか神秘的な印象を持っていた。


「……鬼」


 あずさの手首のお守りがビリビリと震える。お守りを握り締めて一歩後ろに下がると、煙管を口から離して鬼はニヤリと笑った。


「ほぉ、虫のしらせか。ずいぶんと大事にされてんだな、お嬢ちゃん。それを作れるやつはそういない。材料の鬼も探し出すのは大変だと聞く。大事にしな。お前さんの身を守ってくれる、大事なお守りだ」


「虫の、しらせ」


「なんだ、知らなかったのか。まぁいい。お嬢ちゃん、ここに何か用かい? 何もないならさっさと帰んな。ここはお嬢ちゃんみたいな人間が長居する場所じゃない」


「あの、ここはどこですか」


 鬼は煙管を口元に持っていこうとして動きを止め、じっとあずさを見る。


 ビリビリと震えて警告を発するお守りを握り締めながら、あずさは何の根拠もなくこの鬼は自分を傷つけないと直感していた。

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