雨に呼ばれる①
風が吹いている。晴れた空の青さが濃くなるこの時期の陽気は、
「タケさん、タケさん! どうしよう、私、私! どうしよう、コウちゃんが、私の友達が! どうすればいいのかわからない。わからないの……!」
あの日。学校の正門前で深夜の空を見上げていたオレの下に、どうやってか先輩はたどり着いた。
混乱してどうしようとしか言わない先輩の手を半ば使うようにして目隠しを外し、耳につけられた
封印はすぐに戻し、そうして膝の間に抱え込んで落ち着くまでそうしていた。オレの襟元を掴んですがるように涙を流す姿は、怯えた目を向けられた時よりもずっとこたえた。
まっすぐにオレを見ていた目に受けた印象と近いものがあったかもしれない。
そうして混乱と涙で乱れた思考の中で吐き出される言葉を黙って聞き終えるころには、明け方近くになっていた。
「……ごめん、ごめん。コウちゃん、ごめん」
ずっと平木香に謝り続ける先輩は、正直滑稽だった。
その言葉を聞かせるべきはオレではなく、その謝罪はおよそ何の意味も持っていない。
平木香は運が悪かった。
身内に鬼に魅せられた人間がいたことが悪いわけではない。その危機を知らなかった先輩が悪いわけではない。
ただただ運が悪かっただけなのだ。
「……面倒だな」
運が悪かった。そう考えるしかオレにはできない。
「慎二、ここにいたのか」
兄貴が来た。枇杷の濃い匂いがする。
また、あの鬼を殺す方法を探しているのだろう。無駄なあがきだと、いつになれば気づくのか。
「お前は本当にここが好きだな。ほら、今日の飯だ。実は外してあるからちゃんと食べなさい」
「いつかみたく、
「そうしたら、お前とはもうこうして話すこともできなくなるな」
冗談めかした軽い口調で兄貴は断言した。
渡された枇杷の鬼の枝葉を口に入れる。長くあちらとこちらの狭間にあったそれは、舌に絡みつくようなねっとりとした触感だった。
うまい。あの桜の木の鬼は成りたてで味が薄かったが、これは相当に濃い。枇杷の匂いと、鬼の匂いが混ざって鼻を通り抜ける。雑鬼ばかり食っているせいか、余計に腑に染みる。
葉を食み、枝をかみ砕き。そうして飲み込んで、腹の中に落としていく。じんわりと熱をともす腑が冷えた血を温めていく。あぁ、うまい。
「よかった、どうやら味はいいようだな」
「あぁ。うまい」
「そうか。まだあるからな、どんどん食べるといい。この類は実をとっても弱らず、枝葉を落とすことでようやく力をそぐことができる。
しかし、その枝葉を放置すればそこから災いが起こるかもしれないからな。私たちは鬼の力をそげる、お前は腹が膨れる。本当に、よい関係だ」
どうでもいい。オレはただ、鬼を食う鬼だから鬼を食らう。そうあるからそのようにあるだけのモノに、いい関係も何もない。
「それで、今度は殺せるのか」
「殺して見せるとも。そのために、こうして持ち帰って多くの時間をくれてやっているのだから。お前もそのつもりで、すべての鬼を抜いてくれたんだろう? 慎二は本当によく気が利いて優しい子だ」
「やめろ。オレをその名で呼ぶな」
兄貴は慣れたように笑った。何を言っても聞く気がないこいつに、これ以上何を言っても無駄だということを知っている。考えるのも面倒になって、オレは枇杷の鬼の枝葉をまた口に入れた。
この枝葉が食べられるのは、いつまでだろうか。
退治屋どもの執念と諦念。今度はどこまでせめぎ合いが続くのか。オレは考えかけて、面倒だとやめた。
「もうじき体育祭があると聞いたぞ。何か出るのか?」
「あぁ。リレーに出るように言われた。オレが一番体力も速度も持っているらしい」
「そうか。楽しんでおいで。慎二」
人間に混じって、鬼のオレが走ったところで何が楽しいのか。やはり、兄貴の考えることはよくわからない。
「それにしてもお前がよく参加する気になったな。理由をつけて逃げているのかと思っていた」
「そうだな。オレも初めはそうしようと思っていた」
兄貴が面白そうに笑っている。オレとしても、体育祭という人間の催しに参加するつもりはなかった。なかったのだが。
「兄貴が言ったんだ。学校生活を楽しめと。ならば参加するしかないだろうが。こういうのを、学校生活を楽しんでいるというんだろう」
「はははっ! そうかそうか! それは何より!」
「……兄貴が楽しそうで何よりだ」
感情のこもっていない言葉にも嬉しそうに笑う。オレが学校生活を楽しむ気があることがよほどうれしかったらしいが、オレには何がそんなにうれしいのかわかりはしない。
鬼に人間の真似事など、させて何になるというのか。
「慎二、楽しんでくるといい。その経験は人生に一度しかない、お前の宝になるだろう」
「オレを、その名で呼ぶな」
最後の枝を飲み込む。兄貴はふらりと消えてしまっていた。
「面倒だ。何もかも」
リレー頑張ろうな! そういった桃園の空回った声を思い出しながら、ため息をつく。
人間と関わると、面倒ごとが増えていく。余計な思考が回り続ける。
必要がない、面倒なだけのそれは増えるばかりでオレを浸食していく。
と、消えたと思っていた兄貴が戻ってくる。
「いかんいかん。すっかり忘れていた。慎二。
体育祭には参加できんだろう。そしてな、お前、御厨様に夢見の話をしただろう」
「あぁ。それがどうかしたか」
「いや、それ自体はお前にあの話をした時点で伝わると思っていた。問題はない。しかし、己の在り方を自覚したばかりの夢見は我らよりもよほどあちらに引きずられやすく、力の扱いもおぼつかない。
その結果、今回の御厨様のようにお倒れになることもあるのだ。気を付けておそばについておけ。特に梅雨は、雨に呼ばれて戻らぬものが出てくるからな」
「お前、オレにあの人間を守らせる気はあるのか」
いつもいつでも、この人間は大事な話を後出しで出してくる。たとえ手遅れになるような事態は招かないように気を張っている知っていても、うんざりしたくなるものだ。
兄貴は悪い、と大して悪びれもせずに笑うだけだった。
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