枇杷の鬼 中編③

「そこの人、良ければこの枇杷を食べんかね。とってもおいしいよ」


 そう声をかけてきたのは年寄りのじいさんだった。枇杷が大量に入ったパックと、その横に種を捨てるパック。それだけを地面に並べて、通りがかる人に声をかけているようだった。


 むっと枇杷の濃いにおいがして、こんなに臭うものだったかと首を傾げた。


 ニコニコと笑みを浮かべているじいさんは悪い人じゃなさそうだけど、正直そんな形ですすめられても食べるやつは少ないだろう。


 なんだかそれが可哀想に思えて、一つだけもらうかと立ち止まる。


「じいさん、その枇杷いっこくれ」

「はいよ。種はここに捨ててくれて構わんからね」


 そう言って空のパックを指す。やっぱり種入れだったか。まぁどっかに捨てるような奴もいるだろうし、案外ちゃんと考えてやってんのかもな。


 枇杷を一つとって皮をむく。スーパーに並んでるケチな実じゃなくて、結構立派なもんだった。


 別にあんまり好きなわけじゃねぇけど、じいさんのためだと思って。そうして俺は枇杷を食べた。味はやっぱり、記憶にあるやつよりもにおいが強くて味も濃い気がした。


 田舎の親戚から送られてきた上等の枇杷だって言われても驚かないくらいには、うまかった。


「うまかったよ、ごちそうさん。久しぶりに食べたけど、枇杷も案外いいもんだな」


 半分世辞で、半分本気の言葉にじいさんは嬉しそうに何度もうなずいた。褒められてうれしくてたまらないって感じだな。


「この枇杷はね、儂の大切な友達がくれたものなんだ。おいしいと言ってもらえて、本当にうれしいよ」


 やっぱそういう感じだったか。まぁこんなにたくさん、じいさん一人じゃ食いきれねぇわな。


 おすそ分けの仕方としちゃ大胆っていうか、まぁなんか斬新だけど食ってよかったと思った。可哀想だと思って手を出したのは間違いじゃなかったらしい。


 気づけば俺の他にも何人か枇杷を食ってるやつがいた。においにつられたのか、俺が食ってるのを見て来たのか。


 まぁ気持ちはわかるぜ。俺だって、たまたまじいさんが可哀想だから手を出しただけで、普段こういうのは誰かが最初に食べてなきゃ無視して通り過ぎる。


 まったく、今日ここにいた連中の何人かは俺に感謝してもいいくらいだ。気まぐれで俺が手を出さなきゃ、別の勇者が来るまで待つか無視してこの枇杷の味を知らずに終わったんだからな。


 爺さんの厚意に甘えて枇杷の種を空のパックに入れさせてもらうと、俺は最後にもう一回じいさんに礼を言って家に帰った。今度、スーパーに行ったら枇杷を買ってみるか。


 久しぶりに、食べてみたくなった。


「こちらこそ、枇杷の種をくれてありがとう」


 後ろで心底嬉しそうにじいさんが言ってたことを、俺は最期まで知ることはなかった。






『続いて、最新ニュースです。先ほど、病院に搬送された綾又託司さんの死亡が確認されました。周囲の目撃情報によると、突然道端に倒れ、痙攣と呼吸困難を起こしたそうです。現在、市内では似たような症状で病院に運ばれる人が相次いでいます』


 淡々と無感情に徹して読み上げられるニュースの内容に、あずさは顔をあげる。


 鬼の探し方を説明していたタケも、何かを感じたのか黙ってキャスターの活舌のいい声を聞いているようだった。一通り最新情報を伝え終わったのか、テレビの画面には野球の試合結果が流れ始めている。


「さっきのニュース、お母さんたちが行ったレストランの近くだったな」

「大丈夫だろう。母親だけならともかく、父親もいるなら何かあってもすぐ対処できる」


「そう、ですね。知らない人たちばっかりじゃなくて、そばに知ってる人がいる方がいろいろ早いですもんね」


 テレビから響く笑い声が二人の間に落ちた沈黙を重くした。さすがに黙ったままはまずいと思ったのか、タケは何とかそれらしい言葉をひねり出す。


「ひとまず、明日またどんな夢を見たのか教えてくれ。それと、平木香に面会できないか聞いておく。早ければ明日、会いに行けるかもな」


 あずさの目に小さな光が灯る。無言で何度も首を振る様子に、ようやく子どもらしい反応が出たな、などと思いながら小さく息をついた。


 面倒なことを自分から増やすようなことをしたことに、嘲笑が漏れそうだった。


「ひとまず、明日の朝は屋上にいるつもりだ。無理のない程度で来てくれ」


 余談だが、タケと大哉が堂々と何度も屋上に入るものだから、教師陣は会議に会議を重ねついに屋上への立ち入りを解禁した。


 安全策をいくつも練り上げ、フェンスも新しいものに取り換え、ボールの使用禁止などのルールを作り、この短期間に涙ぐましい努力を重ねたという。


「そう言えば屋上、誰でも入れるようになりましたね。おかげでお母さんに怒られることもないので、安心していけます」


 前は結構ドキドキしてたんですよ。

 そう言ったあずさに、そう言えば前も母親に怒られると言っていたな、とタケは春先の出来事を思い出す。


「じゃあ、オレはこれで」

「はい。また明日、学校の屋上で」


 玄関までわざわざ見送りに来てくれるあずさに何とも言えない顔をしながら、タケはドアをくぐった。わずかに残っている鈴神様の気配に目を細め、控えめに手を振っているあずさを振り返る。


 自然と何かを言おうとしている自分を、頭の隅で責め立てる声が聞こえた。


「先輩、気を付けて。夢でも、現実でも」

「ありがとうございます。タケさんも、帰り道に気を付けてくださいね」


 打てば返ってくる言葉に、やはり顔が妙にひきつるのを感じながらタケは今度こそ御厨家を後にした。


 その日、あずさたちの暮す市内で痙攣をおこして突然死した人間の数は十を超えた。一人の人間による異質な執着は、徐々に無差別な惨状の輪を広げ始めていた。

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