枇杷の鬼 前編②
お線香の独特な匂いがする。
私は、どこかの大きな部屋に正座して、お坊さんの朗々としたお経を聞いていた。
手に握った
外で蝉が鳴いている。
部屋の中は重い暑さでいっぱいだった。
蝉が鳴いている。
お経をかき消そうとして、仏壇の鈴の音にかき消されてしまう蝉の声。
私は、蝉がまるで代わりにそうしてくれているような気がして、唇を噛んだ。
隣に座っていたお母さんがちょっだけ背中をさすってくれた。
おぼんが回ってくる。
写真の君は、笑ったまま動かない。
長い雨が終わって、きれいに晴れた日だった。
夏休み前の、とってもめんどくさい学校が終わって、私は君と二人で帰ってた。
私はおとなりのおばあちゃんに言われたことを、びくびくしながら君に話す。
「ねぇ、君はどう思う? 枇杷の種を捨てたら本当に死んじゃうのかな。
どうしよう、私、この間もらった枇杷の種、お庭に捨てちゃった。どうしよう、まだ死にたくないよ」
「そんなわけないだろ。植物の種を捨てただけで死ぬんなら、とっくの昔に村のジジィもババァも死んでなきゃおかしいじゃないか」
「で、でも。みんな、そういうんだよ。お隣のおばあちゃんも、お向かいのおじいちゃんも。それに、お母さんとお父さん、学校の先生も聞いたらそうだよって言ってた。
ゆうかちゃんが、知らないなんてあり得ないって怒ってたんだ。みんな、みんなして、同じこと言うんだよ」
「きっと、からかわれてるのさ。
お前がそんなにどうしようって慌ててるのが面白くて、ついついそのままにしちまっただけなんだろう。
じゃなきゃ、みんなしておかしくなっただけさ」
空には大きな入道雲。
太陽の光は強くて、電柱の影がくっきりと道に浮かんでる。
それがなんだか私には怖いもののように見えて、電柱の影がない場所を歩いた。
すっかり小さくなった水たまりを飛び越えて、君は私を振り返った。
「そんなに言うなら、今度いっしょに枇杷を食べよう。大丈夫さ。何も悪いことなんて起きやしない」
黄色い通学帽子をかぶった君は楽しそうに笑っていた。
私は、なんだかほっとして君の後を追いかけた。
お葬式の後、おとなりのおばあちゃんは枇杷の種を捨てたらいけないよってまた言ってきた。
あの子は言うことを守らなかったんだねぇ、て。
おばあちゃんの近くにいた君のお母さんは、泣き出した。
君が今の君のお母さんを見て、どう思ったんだろう。
おばあちゃんのお話に、嫌そうな顔をしたのかな。
みんな、君が死んでしまったと思ってる。
みんな、君がもういないのだと信じてる。
だから君を遠いどこかへ追い払うようなことばっかりするんだ。
私はお坊さんのお話が退屈で、トイレに行くって言って家を出た。
誰もついてこなかった。
私は歩いてお墓がいっぱいあるところに来た。
君も、ここに入るんだってお母さんたちが言ってたから。
お墓には苗字が書いてあって、君の苗字が書いてあるところに君も入るんだって。
だから、そこにした。
ポケットから小さい芽が出た枇杷の種を出す。
「ごめんね、狭かったでしょ。でももう大丈夫だよ。ここに植えるからいっぱい大きくなってね。毎日会いに来るよ。そうしたら、みんなが君のこと無視しても寂しくないでしょ?」
枇杷の種をお墓の横の地面に埋めながら、私は君に話しかける。
こうして君とお話しするのは久しぶりな気がした。
「ねぇ、君はみんなのことどう思う? 私はね、みんなして君を無視するなんてひどいと思う。それに、おばあちゃんも嘘ばっかりついて、ひどいよ。
枇杷の種をね、捨てちゃったらね、枇杷の木になっちゃうんだよ。
だって、君が捨てた枇杷の種。あの後こっそり拾ったんだよ。君が死んじゃったらどうしようって。そしたらね、君がね、死んじゃった時にね、芽が出たの。ぴょこって。
私、思ったんだ。君はこっちにうつっちゃったんだって」
そうかもしれないね。そうだったら、どうする?
君の声が聞こえた。面白そうに、楽しそうに。
枇杷を一緒に食べようと言ってくれた時みたいに。
だから、僕の答えは決まってる。
「ずっとずぅっと、一緒だよ!」
種を埋め終わって、地面から出ている芽が嬉しそうにゆれていた。
突然、パッと意識が戻ってきた。
授業中に眠気が出てきて、自分の頭の揺れで目が覚めるような感覚。
耳の裏側で激しい血液が送り出される音がする。
手首のお守りを握り締めて、ぎゅっと目を閉じた。
目を閉じるのが怖くて、でも目を開けたままなのも怖くて。
首の後ろに誰かの視線が張り付いてるような気がして落ち着かない。
「ゆめ」
あれは、夢だ。夢。
そう、夢。現実じゃない。
あの夢で枇杷の種に話しかけていた私は私じゃない。
あのお葬式に出ていた私は私じゃない。
布団の中に潜り込んで、膝を折り曲げて体を丸める。
怖い。
寒い。
「おばあちゃん」
手首のお守りを握り締める。
まだはっきりと記憶に残っている夢の光景が、ばらばらになって浮かんでは消えていく。
お葬式の写真に写る君の顔がおばあちゃんの顔になって。
枇杷の種から出た芽の間に誰かの顔が浮かんで。
濃い電柱の影が、石を投げつけた水たまりみたいに揺れた。
駄目だ。
これは、絶対に駄目なやつだ。
引きずり込まれる。
後ろから、黒く細い影が伸びてきて私を捕まえるイメージが浮かんでくる。
嫌だ。これは嫌だ。
嫌だ!
おばあちゃん。おばあちゃん。おばあちゃん!
「……おばあちゃん」
握り締めたお守りが、少しだけ温かい気がした。
アタシには、親友が一人いる。
その子はちょっと変わってて、一緒にいると楽しくてしょーがない。
表情全然変わんないけど、ちゃんとアタシの目を見て話を聞いてくれるいいやつ。
そんなアタシの大好きなあずちんは、たまにすっげぇ疲れた顔をして学校に来る。
学校嫌なんだろなぁとか思ってたけど、聞いてみたら違うってはっきり言われてそういうやつってホントにいるんだぁと思った。
親がケンカばっかとか、あずちんママがチョー機嫌悪いとか、変なのに絡まれたとか、いろいろなんかあるっぽくて、けっこうしょっちゅうそんな感じ。
おばあちゃんが死んじゃったって言ってた時は、ほんとにひどくて保健室に連れてったくらい。
今日は、見た感じけっこう前の桜の夢とか見てた時と似た感じっぽかった。
「あずちんさぁ、なんかあった?」
「なにも、ないよ」
はーい、ウソ。
そんな顔してなにもないとか笑えないんですけど。
でもあずちんがこう言う時は、どんだけ聞いてもなんも教えてくんないから、ひとまず様子見しとく。
ま、桜の夢見た時とかヤバかったら自分から話してくれんのが、あずちんのいいとこなんだよね。
「ふーん。あ、そうそう。みらんさぁ、亮平と別れたんだって。付き合い始めたの昨日なのに早すぎじゃね? てか、今どき中学生でももうちょっと続けようとすんでしょ。
みらんはなんか違ったんだよねぇ、とか言っちゃってさ。いいよねー、そんなこと言えるなんてさ。こういうの、いいゴミブンってやつでしょ」
「コウちゃん、そういうのあんまり言っちゃだめだよ。亮平君が誰か知らないけど、コウちゃんが狙ってたわけじゃないんでしょ?」
あずちんってやっぱずれてるよねぇ。そこが面白いからいいんだけど。
狙ってたんなら言ってもいいってことでしょ? ちょーうける。
「あずちんはどうなわけ? 彼氏とか欲しいと思わないの?」
「……いてもいなくても変わらないよ、きっと。結局は他人だから」
「ドライだねぇ。アタシは……アタシもいいかなぁ。なんか、いまはあずちんと遊んでたいかも」
アタシは欲しいけどねl、とは何となく言えなかった。
どんだけ好きになっても他人だから変わらない。
そういったあずちんはなんか、さびしそうで悲しそうだった。
あー。
これはあずちんママとパパが大ゲンカした上に仲直りできなかったパターンだな。
さては。
「てわけで、さっそく今日の放課後どっか行こうよ。駅前でもいいし、通学路一緒に歩くだけでもいいからさ。なんかいっぱい話しよ!」
あずちんは嬉しそうな顔をした。笑ってないけど、笑ってるからいいっしょ。
「うん! あ、予鈴。そろそろ席に戻るね」
「おっけー」
あーあ、あずちんとカラオケとかショッピングとかいっぱいしたいなぁ。
でもあずちんママ、まっすぐ帰らないと怒るもんなぁ。
寄り道とか絶対に許しません! みたいな。
休みの日も外に出かけるの、あんまいい顔しないって言ってたし。
アタシがそうやって考えてる間も時間は過ぎてって、授業を聞いてなかったことをうるさく言われたりしたけどどうでもよかった。
先生もさ、数学とか古文とかどうせ忘れるだけの難しいだけの話より、友達をどう元気づけたらいいかとかを教えてよ。
アタシが知りたいのは昔の人がどうしたとか、外国のわけわかんない言葉じゃなくて、ヤバそうな後輩に目をつけられてそうな友達の守り方とか、なんか家のあれそれが大変そうな友達の助け方とか。
そういう今使える大事なことだけを教えてほしい。
「
これ以上は逆にめんどくなるから立ってシャーペンを持った。
外を見ると、なんか雨降りそうでため息が出た。
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