枇杷の鬼 前編①

 びわのゼリーがスーパーに並ぶようになったある日。


 私は買ってきたゼリーを食べながら、テレビのバラエティ番組を眺めていた。


 玄関から、お母さんの目につく何もかもが悪いものだと責めるような声が聞こえてくる。


 久しぶりに帰ってくるなりそんな出迎えを受けたお父さんは、疲れ切った声でその相手をしているみたいだった。


 最初の頃はなだめすかしてご機嫌を取ろうとしていたと思うけど、今はもうただお母さんの気がすむまでそれらしく相槌を打ってやり過ごそうとしてる。


 それがわかっちゃうお母さんは、相手にされていないとさらに怒ってお父さんを責める。


 お父さんはそんなお母さんの相手を真面目にするつもりがもうないから、さっさと切りあげようとする。


 そうしてまたお母さんが怒っての繰り返し。


 今日のテレビどれもいまいちパッとしないなぁ。


 ためてる録画でも見よっかなぁ。


 なんて思ってると、スプーンからびわが転げ落ちた。


「あっ!」


 思わず手を伸ばしても、落ちていくびわには届かない。


 カーペットの上に転がったびわは、きれいなオレンジ色の表面をほこりで汚していた。


 いろいろ毛とか汚れのついたびわを拾う。


 これ、洗ったら食べられるかな。


 落ちて三秒以内に拾ったし、汚れを落とせばいけるよね。


「もう知らない! もうたくさんよ! あなただけ勝手にお義母さんの言うことを真に受けて恥をさらしていればいいんだわ!

  私とあずさは出ていかせてもらいます! あずさ、準備して! こんな家、こっちから願い下げよ!」


「お母さん、あんまり大声出しすぎるとご近所さんに聞こえちゃうよ。

 この前、また怒鳴り声が聞こえたけど大丈夫? て聞かれちゃった」


 お父さんが全部悪い、と怒りながらリビングに戻ってきたお母さんは動きを止めると私を無視して自分の部屋に戻っていった。

 

 タンスを開ける音とか、ハンガーのぶつかる音とかが聞こえてくる。


 本当に出ていく準備を始めてるのかな。


 引き留めないと、また怒っちゃうから早くいかないと。


 さっきまでお父さんが帰ってくるってニコニコしてたのに、なんでこうなっちゃうんだろう。


 二人とも、お互いが好きだから結婚したはずなのにケンカしてばっかりだ。


「ただいま、あずさ。元気にしていたか? ごめんなぁ、帰ってくるなりこんなことになって。

 大丈夫だったか? 少し、やせたんじゃないか? ご飯はちゃんと食べているのか?

  学校で嫌なことがあったりしていないか?」


 久しぶりに会うお父さんは、この前会った時と変わらずに不健康そうな見た目だった。


 なんだか会うたびにやせてるように見えるのはなんでなんだろう。


 体重計、今度の誕生日に渡そうかな。


 大きく息をつきながら私の隣に座ったお父さん。


 すごく疲れた顔をしているけど、私とおしゃべりをしてくれるみたい。


 家の中でお父さんの声を聞いて頭をなでてもらうと、ちょっとだけ安心するから好き。


「大丈夫だよ。お父さんもケガとかしてなくてよかった。おばあちゃん家の片付け、終わったの?」


「あぁ。とりあえずの目途は立ったからね。こうして帰ってきたんだけど、お母さんをまた怒らせちゃったみたいだ。……ところで、そのびわは?」


「落としちゃったから、洗って食べようと思って」


「まったく。ほどほどにするんだよ。……そうか、もうびわが出てくる季節か。

 つい最近まで桜がどうのと騒いでいたのに、時間の流れは速いなぁ」


 お年寄りみたいなことを言いだした。


 私はキッチンに行って水でびわを洗って口に放り込む。


 うん、おいしい。


「そういえば、あずさ。びわを食べるのはいいけど、種をそこらに捨ててはいけないよ。

 植えるなんてもってのほかだ。ちゃんと種はゴミ袋に入れておくこと」


「お父さん、去年もそれ言ってたよ。ポイ捨てなんてしないって。というか、びわを外で食べることなんてないし」


 小さいころから聞かされてきた話に、初めて口答えをしてみる。


 食べた後の種をそこらに捨ててはいけない、なんて。


 高校生になってまで言われるとは思わなかったから、ちょっと言い返してみたくなった。


 そしたら、お父さんは少し悲しそうな顔をしてじっと私を見てくる。


「お父さん?」


「ポイ捨てを注意するだけなら、いいんだけどね」


 ちらっとお母さんの部屋を見てから、お父さんは私を手招きした。


 これは聞かれたくない話なんだなって何となく思う。


 お父さんの隣に座ると、小さくささやくようにお父さんは初めて聞く話を教えてくれた。


「いいかい、あずさ。びわの種を外に捨てたり植えたりしてしまうとね、怖いことが起こるかもしれないんだ。


 もちろん、みんながみんな怖い目に合うわけじゃない。それじゃあびわ農家さんは廃業してしまっている。


 でもね、あずさのような子は注意しなくちゃいけないんだ。

 いろんなものが見えて、触れる子はそういう怖い目に会いやすい。だから、お父さんとの約束だ。


 びわの種を、外に捨てたり植えたりしてはいけないよ」


 なぜか、あの桜の木を思い出した。


 満開の桜が見えなくなるくらいに、びっしりと白い腕が生えていたあの木を。


 そう言えば、あの桜の木は無事に封印されたのかな。タケさんに聞こうかな。


「あずさ?」


「あ、ごめんなさい。うん。わかった。びわの種はちゃんと家のゴミ袋に入れて捨てる。

 ちょっと懐かしくて。おばあちゃんも、よくこういう話を聞かせてくれたから」


「そうか、おばあちゃんが。おばあちゃんに教えてもらった事、できるだけ覚えておくんだよ。

 みんな、あずさと同じ人たちが経験して伝えてくれた、身を守る知識になんだ。お父さんが守ってやれればいいんだが、また行かなくちゃいけなくてな。ごめんな」


 お父さんは頭をまたなでてくれた。大丈夫だよ、とはなぜか言えなかった。

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