一つの出会い③
「それ、うまいか?」
何気ない問いかけにタケは手を止めて
ゆっくりと首を傾げてから口を曲げると、また独特な臭気を放つ真っ黒な液体に濡れる肉に噛みつく。
大哉はうげぇ、と顔をしかめた。
タケと一緒に昼休みを過ごすようになって一週間。
すでに見慣れた光景になりつつあることに悲しみがわいてくる。
彼自身は今さらこの程度で悲鳴をあげたり吐き戻したりしないが、その光景を見て気持ちよく食事を続けられるほど感性は歪み切っていない。
「味は薄いな。まずくはないがうまくもない。そこらの雑鬼らしい味だ。
前に食った桜の鬼の方が食いではあった。気になるなら食ってみるか」
「いやいい。おれは自分の弁当あるし、そこまでして鬼の味を知りたくない」
思わず手をあげて首を振る。
鬼の味やうまいまずいの基準など、考えたこともなかった。
大哉はあごに手を当てながら、口の中に放り込んだ白米を咀嚼する。冷えた白米は少し硬かった。
「そういやさ、タケは人間の飯は食えるのか? それとも鬼だけしか食わないの?」
結局この一週間の間、聞こうと思って聞きそびれていた疑問を投げてみる。
タケは胡乱気な顔で大哉を見た後、顔をそらしてわざとらしくため息をつく。
前髪で顔の上半分が隠れているというのに、なぜこうもどんな顔をしているのかわかるのか。
タケの反応に釈然としないものを感じながらも、大哉はまじまじと成長しきった大人の顔を見上げる。
そんな当たり前のことを聞くなんて、やっぱり人間はよくわからない。
大哉の耳には、なぜかそんな幻聴まで聞こえてきていた。
口をとがらせて唐揚げに箸を突き刺す。
タケはおれの箸の突き刺さった唐揚げを見てから、やはり気だるそうに息を吐いた。
「オレは鬼しか食ったことがない。人間の飯をわざわざ食う理由もない。
お前らが鬼を食わないのと、理屈は同じだ。食う必要がないから食わない。これでいいか」
「あ、もしかしてタケにはおれの弁当がめちゃくちゃ気持ち悪い悪趣味の塊みたいに見えてたりすんのか!」
「……あぁ、お前の弁当は何かの呪いみたいだな」
毛玉だったナニカの最後の欠片を飲み込んで、タケは指についた黒い液体を舐めとる。
大哉は呪いのようだと言い切られてしまった弁当に目を落とした。
ピンク色に着色されたふりかけでえがかれた大きな桃。
おかずには犬と猿と雉らしい飾り付けがついている。
ちなみに、箸が突き刺さったままのから揚げは猿の顔に飾り付けられている。
デザート枠にはご丁寧にお団子が置かれていた。
先ほどから視覚的にどうにも食の進まない弁当に蓋をして、大哉は大きなため息をつく。
空を見上げると、分厚い灰色の雲が広がっていた。
「なぁ、英語の宿題おわった? ほら、テキストの問題とくやつ」
「やる必要性がわからない」
「よっしゃ。じゃおれも、もうやらずにほっとこ」
会話が途切れる。
予想通りとはいえ、本当に会話が続かなかったことに大哉は何とも言えない顔になる。
もっと取り留めのない、どうでもいいバカ話でもして楽しい気分になりたい。
タケにそれを求めても仕方がないとわかっていても、欲しいものは欲しい。
何よりも、今は一刻でも呪いの弁当の話題を忘れてしまいたかった。
そうなると、別のインパクトのある話をするか、バカ話でもして笑って笑いまくるくらいしかないのだ。
妙に耳に残ったままの呪いの弁当の話題を忘れようと新しい話題を探して、ふとタケの頬にはられた大きなガーゼに目が留まった。
触れていいものか迷っていたが、桃太郎の主張が激しい弁当に触れられたこともあって遠慮はなくなっていた。
「そういやさ、その傷どうしたん」
「殴られた」
「いや、そりゃ見ればわかるけど。なんで殴られたんだって聞いてるんだよ」
あまりにもあっさりとした返答。
その原因ではなく理由を問えば、タケはその時の記憶を掘り起こそうとしているかのように頭をかいた。
しばらく無言で記憶をたどっていたかと思えば、うっとうしそうにため息をつく。
「オレが外に出て人間に混じって学生をしているのが気に入らない」
「あー。まぁ、あんた鬼だもんな。そりゃそういうやつも出てくるよな。だからって殴るのはどうかと思うけど」
なんてひどいやつだ! そんなやつぶちのめしてしまえ!
そう言ってやりたくとも、殴りつけた相手の気持ちもわかるゆえに大哉は正面からタケを擁護できない。
見ているだけでげんなりするほど過剰に封印をほどこされていても、タケは鬼なのだから。
たとえ呼吸一つとっても針を千本飲むような苦痛に襲われていたとしても、タケが鬼である以上そういった人間が出てくるのは仕方がない。
「お前が気にすることでもないだろう。それに、先輩はオレの封印を解ける人間だからな。それもあって機嫌悪いんだろうな」
「……タケ、あんまそうやってポロポロ話さない方がいいぞ。
おれがそれ聞いて、じゃああの先輩も危険だから排除しよう、とか考えるやつだったらどうするんだよ。
てか、それが本当ならよくあんたを殴った人があの先輩をそのまま放置してるな。
そういう人って、危険な可能性がある時点では野放しにするの嫌がるだろ」
「
兄貴も面倒なことを押し付けてくれる。おかげで爺どもからの嫌がらせは倍増だ。
第一、見守れと言われても差し迫った危機があるわけでもないのに何をしろと言うんだ。
そもそも、オレは鬼だぞ。それが人間を守るなんておかしな話だ。これだから人間はわけが分からない」
淡々としているのに吐き捨てるような口調だった。
大哉は、初めてタケの感情の発露を見たような気がして黙ってそれを聞いている。
一度吐き出して止まらなくなったのか、タケはなおも言葉を吐き出し続ける。
「
術を教え込むのも、祭りあげるのも、胎を使い捨てるのも、いつも通り勝手にすればいい。
オレを巻き込もうとするから面倒なことになる。
兄貴も人間の集団の中に放り込まれた鬼が、人間に手を出さないと信じきっている辺りが理解できない。
封印を過信しているにしても、今の状態でも人間一人くらい簡単に殺せることを危惧しないのは抜けているとしか言えないな」
「タケ、それ本当におれに言っちゃっていいやつ?
なんか聞いちゃいけないこといっぱい聞いちゃった気分なんだけど。マジで大丈夫?
おれ、明日の朝になったら川に死体で浮いてたりしない?」
大哉は涙目だった。
不満があるなら吐き出せばいい、くらいの軽いノリでいた少し前の自分の口に桃太郎弁当を突っ込みたい。
こんな怖いドロドロした話を聞かされるなんて思いもしなかったのだから、仕方ないのだが。
制服の腕を引っ張る大哉の手を無造作に払いのけて、タケは頬杖をついて明後日の方に顔を向けてしまう。
先ほどまでの饒舌さはどこへやら、いつもの調子にすっかり戻ってしまったタケにがっくりと肩を落とした。
「そっかぁ、タケはどっかのお家の鬼なんだろうなって思ってたけど寄絃かぁ。そっかぁ。寄絃かぁ」
心ここにあらず、といった風につぶやく大哉にタケは無慈悲に追撃をくわえる。
「桃園が殺されることはないぞ。オレと話をして積極的に接触を図る物好きはあいつらも欲っしている。
桃園が退治屋の家だからオレも好きに話していたわけだしな。後は、近いうちにうまいこと丸め込まれて取り込まれるだけだ」
「そういうこと言わないでくれ。頼むから」
ていうか、タケが鬼だって隠しもしなかったのそういう理由だったのか。
大哉は密かに気になっていた疑問が一気に解消されたのに、さっぱりした気分にはなれない。
「お前がオレに話しかけてきた時点で確定事項だ」
いつの間にか決まっていた自分の将来に目の前が真っ暗になる。
彼の祖父がこれを聞いたら間違いなく怒り狂うだろう。
その時が来ることを想像して、大哉の胃が搾り上げられるような痛みに襲われる。
青ざめて腹をおさえている大哉を見下ろして、タケは小さく息をついて立ち上がる。
寄絃は様々な理由で敬遠される家だ。これが関わっていると知りながら、それでも首を突っ込んでくるバカはそういない。
そこに巻き込まれることを知って、喜ぶアホもそういない。
「先に行くぞ」
「おー」
これで離れてくれればそれでよし。
それでもつきまとうようであればもう知らん。
申し訳程度に修理されたドアノブを握り、ねじったと同時にもげたそれを投げ捨てながらタケは重い空気が蔓延している屋上を後にした。
「桃太郎弁当がこんな厄ネタに化けるなんて、聞いてねぇ!」
誰もいなくなった屋上に、悲痛な叫び声が響いていた。
桜の鬼の匂いを吸っていると、兄貴が隣に腰を下ろしてきた。
勝手に手を取って、何かし始めたようだが無視を決め込む。放っておけばいいものを。
「人生初の学校生活はどうだ。楽しいか?」
「人間が多すぎる。うっかり潰しそうだ」
「そうか。ならば楽しむといい。友達はできたか? ちゃんと先生の言うことは聞くんだぞ」
この人間はオレの話を聞いているのか、時々不思議になる。
オレを諫めるどころか、笑っていなす。
「お前は人間を食わないよ。それは私が保証しよう。お前は優しくて真面目で、誠実ないい子だ。慎二」
「やめろ。オレをその名で呼ぶな」
面倒だ。人間の社会も、習性も、心理も。
何もかも面倒だが、その中でもこの男は格別だ。
あぁ、考えるのも面倒だ。何もかもどうでもいい。
兄貴の手が、オレの手から腕を通って頬へと移る。
この行為にある意味も、大したものではないのだろう。
痛みが消えていく。札の気配も破り捨てられていく。
傷が、勝手に消えていく。
「あの桜の木は封印されることになった。近々儀式が行われるだろう。私も、参加することになったよ」
兄貴の声は、やはり歌舞伎役者の歯を食いしばった面を思わせた。
鬼を殺す。
それができるはずもないと認めないこいつが笑う時が来たなら、それはきっとオレが死ぬ時だ。
「人間は面倒だな」
兄貴は何も言わなかった。
しばらく黙っていたかと思えば、わざとらしく今思い出したとでもいうように問いかけてくる。
「そういえば、御厨様のお孫様はどうされている?」
「どうも何もないだろう。普通の学生生活とやらを送っているんじゃないのか」
まっすぐにオレを見上げてくる視線を思い出す。
怯えた目と、まっすぐな視線が混ざり合ってよくわからない。
そう言えばあの後、ちゃんと無事に帰ったのだろうか。
「お前は……まぁいい。御厨様の家系は、特殊な血筋。神の食事を用意する場。
その名を冠する以上、寄ってくるものは後を絶たない。お前も、気を引き締めてかかりなさい」
意味の分からないことを並べ立てて満足したのか、兄貴のにおいが屋敷の奥へと戻った。
何がしたかったのかわからないが、考える必要はない。
「人間は、本当によくわからん」
確かにオレを鬼だと認識しながらも、まっすぐに見上げて対峙してきた先輩。
兄貴とは違う理由で、あれはそうあるのだ。そこにも大した意味はないのか、何かあるのか。
面倒だからやめろ、と勝手に回る頭を止めて見ても思考は同じところを何度も繰り返し走り抜ける。
「面倒なことになった」
桜の鬼の匂いは、随分と遠くなっていた
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