初めての鬼退治③

 正門のそばに立つ桜の木。そこからは、朝と変わらずに白い腕が大量に揺れていた。


 頭の血の気が下がって、全身に鳥肌が立つ。


 これの横を通り抜ける? 今朝の私はどうかしていたに決まってる。


 こんなの、走り抜けてやり過ごせるわけがない。


 手招きされていなくても、怖いものは怖いし気持ちわるいものは気持ち悪い。


「朝の私がどれだけパニックになってたのか、よくわかりました」


「ぱにっく……あぁ。確かに混乱してたな。あれに突っ込んでいく気満々だったからこっちも焦った」


「それで、あの桜の木をどうするんですか」


「術者がいれば封印術をかける、もしくは調伏するんだがオレの場合は食って解決だな」


 私は何も聞かなかったことにした。


 適当に返事を返して、それでその話を終わらせることにする。


 私は何も聞かなかった。


 そして、できることなら何が起こるのか見たくもない。


「えっと、封印の手綱ってなんですか」


「この目隠しだよ。これを外すと、オレの封印は解ける。封印をかけなおすときはこの目隠しをつけ直せばいい。それで終わり」


「目隠しなんてどこにも……あ、あった」


 色素の薄い頭髪に紛れ込むように、布の結び目が後頭部にある。


 これが一切気にならなかったことに驚いて、つまりタケさんが今まで何も見えていなかったことに今さら気づいた。


 え、目が見えない人ってあんなに普通に歩けるんだ。


「よく物や人にぶつかりませんでしたね」


「慣れてるから。それに、目隠しをとっても前髪は長いままだからどっちにしろ物は見えにくい。

 じゃあ、それを外して。その後は、そうだな。好きにしてていいよ」


「わかりました」


 外したら目を閉じて、耳をふさいでしゃがみこんでおこう。


 封印だという目隠しの結び目は、あっさりと外すことができた。


 これで本当に封印になってるのかな。


 外した目隠し布を広げると、コウちゃんが昔みせてくれた気がする星のマークが書かれていた。


「タケさん、これでいいん、です……」


 タケさんの頭に角が生えていた。


 手首につけたお守りが、手がしびれそうなほどビリビリしてる。


『このお守りが、危険なものを教えてくれるからね。ちゃんとつけておくんだよ』


 おばあちゃんが言ってたことを思いだした。


 お守りが教えてくれている。


 桜の木に生えてる白い腕の群れよりも、隣に立っているタケさん一人の方がとても危険だって。


 なのに、私の足は一つも動かないでその場に立ち止まってる。


 タケさんの持っている気配が、ぼんやりした小さなものから、押しつぶされそうなほど大きくて痛いものへと変わっていく。


「君、危ないからここから動かないで」


 人間の女の子。

 その発言からして、人間じゃないことくらいわかっていた。


 だけど、こんな明らかにレベルが違うものだなんて聞いていない。


「おばあちゃん」


 呆然とつぶやいた私をよそにタケさんは軽い動作で飛び上がって、桜の木に突撃して鬼退治を開始した。





 果たしてそれを、鬼退治と呼んでいいのか。あずさはほとほと判断に困った。


 なにせ角を生やしたタケは、桜の花と一緒に揺れている白い腕を引っこ抜いたかと思うと、突然それを口の中に放り込んだから。


 もはや食事といってよかった。


 するすると引っこ抜いた腕を口の中に押し込んでかみ砕くさまは、昼日中の学校前で行われている蛮行とは思えない。


「やっぱり成りたては味が薄いな」


 口のはしについた青みのあるどす黒い液体を舐めとりながら、タケは白い腕をむしり取っていく。


 腕を掴めば、そこから自身の手も飲み込まれていくのに気にした様子もない。


 ぎょろん、と開いた目が無造作に指を突き立てられてつぶれていく。


「ひっ!」


 あずさは小さく悲鳴を上げてその場に座り込んだ。


 腕に開いた目玉が自分を見て嗤った事にも、それが呆気なく潰されて気味の悪い液体を飛び散らせることにも、頭の理解が追い付いて行かない。


「ちっ、腹が減ってるのはお互い様か」


 白い腕にのまれて肉をちぎられたタケは、盛大に舌打ちを鳴らす。


 ごっそりと肉がえぐられて白いものが見えている手に、あずさは目の前が暗くなるのを感じた。


 肉を食えたおかげで勢いを増したのか、残った白い腕が一斉にタケへ殺到する。


 大きく桜の木が揺れて、花が儚く散っていく。


 白い腕の手のひらには、大きな牙の並んだ口がぽっかりと開いていた。


「アホが」


 ぶちん


 何かが引きちぎられる音がして、大量のどす黒く青い液体が桜の木の枝を濡らす。


 腕の先を引きちぎられた白い肉塊たちが、桜の木へと戻っていく。


 それはやがて枝や幹と同化して完全に見えなくなった。


 自分に殺到してきた腕の群れを両手に抱えてそれを確認した後、タケはゆっくりと食事を再開したのだった。



「あの、これで本当に終わりなんですか」


 口周り、手、服。


 そこかしこをどす黒い液体で汚したタケに、目隠し布をつけ直しながらあずさは桜の木を見上げる。


 あの気味の悪い液体で汚れていたはずのそれは、何事もなかったかのようにきれいな桜の木に戻っていた。


 桜の花ではなく、白い腕が満開になっていた面影はどこにもない。


「ひとまずは。また増えてきたら間引けばいい」


「……え?」


「鬼は殺せないんだよ。だから封印するなり、力をそぎ落としたりするんだ。

 おとぎ話とかで鬼を殺した、というのは力をそいで悪いことができないようにした、くらいの意味でしかない。

 だからこの木も、そのうちまた元通りになるだろうな」


 あずさは言葉も出なかった。


 それはつまり、延命治療であって根本的な解決は何もされていないということ。


 言いようからして、それなりの時間はかかるようだが、それでもあの白い腕の群れがまた復活するのだ。


「そのおかげでオレは食事に困らないわけだ。とはいっても、このまま放置したりはしない。

 近いうち、人が寄り付かなさそうな場所へ移し替えたりするから、安心してくれ」


「は、はぁ」


「そういうわけだ。今回の鬼退治はこれでおしまい。めでたしめでたしで終わってよかったな、君」


 どこまで本気かわからないタケに曖昧な返事を返しながら、あずさは家に帰った後の遅刻の言い訳を考えていた。







「人間の社会は面倒だな」


 痛い。口の中が切れている。


 縄で縛り上げられていた手首も、動かすたびに痛みを訴えていた。札の気配もある。


 ご丁寧に手首につけてくれているようで、傷が治らない。


 あの人間に封印を解かせたことが、よほど気に入らないらしい。


「本当に、面倒だ」


 座敷牢から一歩踏み出ると、きつい香の臭いが鼻に染みる。


 嫌がらせの方法としては正解だが、嫌がらせに使っていいほど安価な品でもないだろうに。


 兄貴に知られると後が怖いぞ。


 廊下を歩いて縁側に出ると、冷たくいい匂いがただよってくる。


 死者の匂い。ごちそうの香りだ。


 こんな匂いの強いものが庭にあったか。それにこの匂いは、どこかで。


 ……あぁ、この前の桜の木か。


 あれはうまかった。今まではうまく姿を隠していただろうに、欲をかいて身を滅ぼした桜の鬼。


 朝の静かな空気を吸い込みながら、縁側でぼんやりと庭の方へ鼻を向ける。


 今は腹も満たされているが、やはり食欲はそそられる。


 すると、向かいから兄貴のにおいが漂ってきた。


「兄貴、あの桜の木はどうするつもりだ。また殺す方法をあれこれ考えてみるか?」


「そのつもりだ。鬼を殺す術を、我らは必ず見つけ出さねばならん」


 無駄なことを。鬼に成ったものは殺すことも、消し去ることもできない。


 それははるか太古の彼方から、ずっと決まり切っている定め事。


「お前はまだ誰も食われていないと言ったが、一人だけ、あの桜を鬼にした犠牲者がいる。

 我らが封をほどこして掘り起こした際、根元に人間一人分の死体があった」


 美しい桜の木の下には、人間の死体が埋まっている。


 どこかの小説にそんな話があった気もする。


「オレと鬼が切り離せないように、人間と鬼もまた切り離せないな。兄貴」


「それでも、我らは鬼を殺す術を見つけ出すのだ。もう二度と、不幸な犠牲者を出さぬために」


 オレの隣に立った兄貴を見下ろす。


 今は見えないが、歌舞伎の役者のように歯を食いしばった顔をしているのだろう。


 他人のことでそこまで心を使う意味が、オレには理解できない。


「お前に新たな命令だ。お前の封じを解き、そして直したという娘。御厨様のお孫様だそうだ。

 しかし、御厨様の術も何も継いでおらんらしい。よってその者と近しい場所から日々を共に過ごし、鬼から守れ」


「いいのか。また封じを勝手に解いて暴れるぞ」


「暴れるな。……私から爺様方に願い出たのだ。お前は我ら以外の人間とも交流を持つべきだとな。

 おかげで俺は今から雑用よ。まぁ、すぐに泣きついてくるのは目に見えているがな」


 やはり、オレにはこの人間の考えがわからない。考えても理解はできない。


 だから考えない。面倒だ。


「あの子にもう一度会って、今度は一緒に過ごすのか。……面倒だな」


 兄貴に渡された真新しい衣服のにおいは、怯えた目でオレを見上げていた子どもの顔を思い出させた。







 あれ以来、桜の木の夢は見ない。


 鈴の付喪神さんも、無事でよかったと喜んでくれて、それ以上の不吉な忠告とかはしてこなかった。


 そして、お母さんにはやっぱり遅刻の連絡がいっていて、ひどく怒られた。


 そして入学式も終わったのに、まだ怒ったまま。


 おかげでお腹はペコペコだ。


 お父さん、本当に今は帰ってこない方がいいよ。


 お母さんの機嫌、何を言ってもなおりそうにないから。


 桜の木は、鬼退治の次の日にはどこかへ運ばれていて、コウちゃんはリア充のたまり場が減った! と悲しんでいた。


 教室ににぎやかな人たちがいるとうるさくて嫌だから、みんなが外に出る口実だったあの桜の木はそれなりに気に入っていたらしい。


「そういえばさぁ、新入生にすごいのがいたんだって。

 部活勧誘してたバスケ部のみらんちゃんが言ってたんだけど、髪の毛染めてて、ピアスジャラジャラで、めっちゃ背が高かったらしいよ」


 コウちゃんの話に一瞬、タケさんが浮かびかけてすぐに消した。


 いやいや。さすがにそれはない。


 タケさんも、制服を着てたのは鬼退治のために学校に入りやすくするためで、それ以外の理由はないって言ってたし。


「ちょっとトイレ行ってくる」


「行ってらっしゃーい」


 お昼休みが終わる前に、とトイレに行ったその帰り。


「先輩!」


 突然肩を掴まれて動きを止められる。


 なぜかそれに、前も同じようなことがあった気がして恐る恐る振り向くと、頭に焼き付いて離れない前髪の長い男性がいた。


「えっと、なぜここに」


「いろいろあって、この学校に入学することになった。今後ともよろしく頼む、御厨みくりやあずさ先輩」


 静かな手首のお守りを握り締めて、私はなんでこんなことになってしまったのかをぐるぐる考えていた。

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