第4話
もしかしたら彼女は、前から彼を慕っていたわけではないのかもしれない。割と何でも報告したがる彼女のことだ、やはりあの親友が好きな人を私にあえて隠す必要はなかっただろうと、よしのはそこまで考えてまたつらくなった。
でも、きっと親友は幸せなのだろう。
だって相手の男の子は、噂になるくらい良い人だもの、悪い評判を聞いたことがない。格好良くて明るくて優しくて。
なにより、ちゃんと恋愛対象の性別だ。
ほら、私なんかとはスタートラインが違う。
でも、私だって、気の迷いとか、親友をとられたくない嫉妬心とか、そんなものではなかったのに。
もっと早く伝えればよかったのだろうか。
男にうまれればよかったのだろうか。
よしのは、もしもを探したくてたまらなかった。実際自分が彼女の恋愛対象だったとして、好かれるとは限らないことは、当然彼女も分かっていた。
よしのは泣いた。この最悪な一日で初めて泣いた。
「あらあら、よしのちゃん泣かないで、あなたの泣き顔に弱いのよ」
「アキさん? う、ごめんなさい、みっともないとこ」
「いいのいいの、あなたまだ中学生じゃない。泣きたいときに泣いたって誰も叱らないわよ」
「あのね、きっと今は死ぬほどつらくて、とけちゃうくらい泣いちゃうかもしれないけどね、その思いを無駄だったことにしたくないなら、いつかは立ち直って思い出にしてしまわないと」
「それは、アキさんのこと?」
「……好きだったわ、大切な、キラキラした思い出よ。でも、もっと大切なものができたから、しっかりしなくちゃってね。急がなくていいわ、ここでありったけ泣いてきなさい」
アキさんにやさしく抱きしめられて、よしのは数年ぶりに大泣きした。いままで忙しい父親の手前、なにかと遠慮してきたところもあったのだろう。
「……そしてそのまま泣いてたことなんて忘れて、お父さんのところへ帰るの」
嗚呼、母親がいたらこんな感じかな、とふと思いいたって。
「……次に会えるのはウンと先よ、楽しい時間をありがとう、よしのちゃん」
そのまま、眠ってしまった。
ある日の放課後、よしのは教室で親友と試験勉強をしていた。ぺらりと桜貝の爪先が頁をめくる。それを間近で眺める瞳と睫毛に陽光が透けて、どうしようもなくよしのの胸をきゅっと締め付けた。
「数学の問題難しくない? 問二からもうわかんない」
なんだか恥ずかしくなって適当に文句を垂れると、数学が得意な親友は自分の出番だと言わんばかりに身を乗り出す。横に座っているから、のぞきこんでくるときに頬がひっつきそうで、よしのは気が気じゃなかった。制汗剤の香りが漂う。よしのも親友と揃いのものを使っていた。
「あれぇ、そんなに難しくないやつだよ、これ」
「当てつけですか」「ちがうちがう」
本当はわかっていたけど、照れを誤魔化したかっただけである。
よしのが勝手に気まずくなっただけのこと。だから、まさか教えてくれるとは思わなかったのだ。正直よしのはそれどころではなかったから、しようがないなあ、とわざわざ説明してくれる親友の声を、いかにも真剣ですといったふうを装って聞いた。馬鹿だと思われたかもしれない。
「わかった?」「ウン、ありがとう」
親友が離れると彼女はか細く呼吸をし、心臓がこれ以上居場所を主張しないように抑え込んだ。隣の友人に心の奥の願望を聞き取られてしまいそうで怖かったのだ。こちらはあついのに向こうは涼しげで、嗚呼、意識しているのは私だけなんだな、となんだかやりきれないような気持ちになる。
あけられた窓から陽射しをはらんだ風が吹き込んできて、よしのは飽きるくらい見慣れた彼女の髪が金色にはじけるのを眺めていた。陽が傾いてきた、秋が近づいてきた外では校庭が紫に沈み始めている。そろそろ下校時刻だ。この時間が長く続くようにと、鞄に触れさえしなかったのに、そろそろチャイムが鳴ってしまう。よしのの心境なんて知らずに、親友が「課題全部終わった!」だなんて無邪気に言うものだから、わしゃわしゃと頭を撫でてみた。丁寧にやるのはちょっと違う、照れてしまう。
ほのかな優越感が背中を這い上がるのと同時に、よしのは、そんな自分を浅ましいと思った。もしこの行為の裏側に恋情があるとばれたら、きっと二度と話しかけたりだなんてできないだろう。
……そして、チャイムが鳴った。
ぼんやりとする意識がはじけて、よしのは転ぶ時のような感覚に思わず飛び起きた。揺れる車内で無防備にも寝ていたせいで、起き抜けに前の座席に足を打ち付けてしまう。よしのはなんだかなつかしい夢を見た気がする、と痛みに顔をしわくちゃにしながら鞄を抱えなおした。
そこで彼女はようやくハッとした。
そうだ、さっき失恋したんだ。
失恋後にこんなにすっきりと寝てしまうだなんて、のんきな奴である。ある意味しあわせかもしれない。
一瞬で気分が沈んだが、教室で目撃したときよりはだいぶマシになっていたから良しとする。よしのは明日からも親友の親友でなければいけないのだ。
彼女が表示を見上げると、バスはそろそろ目的地にとまるようだった。
はらり。
よしの前髪から、淡い花弁が一枚落ちた。
冬が終わるころ、祖父母の家に無事高校に合格したことを伝えようと、よしのはひとりで隣町までやってきていた。
祖父母の屋敷ではよしのはいつも決まった部屋にしか行かないこともあり、探検なんぞはしたことがなかった。うっかりあけると、怖いお面の飾られた部屋があったりするのだ。
庭から松の木と池をよけるようにして続く道からは、いつも陽あたりの良い縁側が見える。だいたい野良猫がその下か上で寝ているのだが、今日はいなかった。かわりに、外に面したところの障子が猫一匹分ほどあいていた。
よしのに好奇心が駆け巡る。近づいて、靴を脱いで縁側にあがった。
いつも障子がしめきられていたその部屋が、母の部屋だとは知っていた。何となく入りづらくって、一度もその中を見たことはなかったけれど。なんだか大人になった気分で、もう開けても平気だろうと思ったのだ。
さながら泥棒になった気分だったが、よしのはその隙間から覗く風景に惹かれて、恐る恐るその障子を開ききった。
漆塗りの化粧台に、ぬいぐるみ、写真、閑散としていたが、何も知らない母親の少女時代がそこに眠っていた。
ここが、母親の部屋。
よしのはなんだかどきどきして、息を吸い込んだ。
ほこりのにおいと、桜のような匂いがした。満開の季節だから、桜のあまい風が吹き込んだのかもしれなかった。
艶やかな化粧台にはお見合い写真がぽつんと置いてあった。
そっと部屋に足を踏み入れ、恐る恐る、手に取ってみる。
よしのは母親の写真を持っていなかった。若いころの写真は祖父母が持っていてよしのも見たことがあったが、よしのを産んでから亡くなるまでの写真は無かった。父親にも聞けなかった。
父親に母親の話をするととてもつらそうにするのがみていられなくて、いつのまにか母親に関することをよしのが言わなくなったからだった。
美人薄命とでもいうのだろうか、少女から一歩踏み出したほどの年齢のまま止まってしまった母の写真を見る。
黒髪に穏やかそうなたれ目、やっぱり、私にはまったく似ていない。
よしのはそうぼやいて、それでもなんだか懐かしくって嬉しくて、母親の写真に微笑みかけた。
鴇色の着物を着た母も、少女のようにかわゆく笑っていた。
〈了〉
夢見草 渉詩鶴 @sizuruF
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