第3話

 陶器製の茶器が音を立てるのを聞きながら、相手のこともよく知らないのにヘンに話を振るのも怖かったので、よしのは窓から見える桜に視線をそらした。窓枠が額縁のようで、向こう側では春を切り取ったような風景が見えた。ほろほろと散る桜を見ていると、神隠しでもされたような気分になる。

「どうぞ」金の縁取りが美しいティーカップだった。イギリス製の、相当年季が入っている。アンティークっぽくて、よしのは一目見て気に入ってしまった。祖父母が集めている会社のものと同じような気がした。

 彼女はカップの熱い湯気越しに、奥ゆかしさの漂う、ゆったりとしたアキの動作をチラッと見た。

 そういえば、昔はメロンソーダの方が好きだったな。

 なんて思い出に浸りつつ、よしのは紅茶を一口いただいた。

 彼女を見守るようにしていたアキは、それを見て桜桃の唇をゆっくりと開く。 

「その制服、隣町のよね? 変わらないのね、ここのオーナーが通っていたのよ」

「オーナー、さんが……ここ、今ほかに誰かいるんですか」

 よしのはてっきりこのひとの店だと思っていたのだ。店というよりも親戚の家に招かれたときのような対応だったから、なおさらそんな気がしたのだ。

 アキはにこにこと笑っている。

「来るのはたまによ、お掃除に来るの」

 よしのは片眉をあげた。

 オーナーが、掃除のためだけに。ヘンなの。

「どんなひとなんですか」

「下級生の女の子からよく呼び出されているような人だったわ」

 ちょっとだけ、棘を感じる言い方。

「それは、すごい……人気な方だったんですね」

 アキはその言葉に眉を下げながら頷く。少女のようで、不思議なひとだ。

 よしのは、アキさんはそのひとの親しい友人か、好きなんだな、となんとなくわかってしまった。近しい感情に覚えがあったからだ。

「よしのちゃんは、するどいのね」私とは大違い、と言ってアキは笑って見せた。よしのはぎょっとして、アキを見つめる。

「あ、いや、私……」

 もしかして、口から洩れ出ていたのだろうか。そんなぶしつけな、失礼なことをしてしまったと視線が泳ぐ。よしのは嘘と言い訳は得意ではない。親友が、よしののころころ変わる表情を見て笑ってくることがあるから、特に直そうとも思わなかったが。

「ふふふ、よしのちゃんは、素直なのね」

 なんだかさっきからとても恥ずかしい気持ちにさせられている。赤ちゃんか、子犬に向けてしゃべっているような話し方で、よしのは耐えられなくなってうつむいて爪をいじった。

「振られちゃったのよ、私」

 アキさんほどのきれいな方でも靡かないだなんて。

 よしのはそうぼやいて、はたと思い出す。よしのの通っている中学は少し前まで女子校だったのだ。

「女の子同士……?」

 彼女の言葉にアキは唇をキュッとして、はかなく笑った。

 寂しそうな、辛そうな顔をしていた。余計なことを言ったと気づいて、よしのは慌てて弁解する。

「あ、偏見とかじゃなくて……」

「いいのよ、女子校だと知ってると思って話したんだもの、よしのちゃん、優しそうだから」

 その言葉に、よしのは目を伏せる。別に優しいとか、そういうのではない。

「結局私は男の人と結婚したの、両親にそうすれば治るっていわれてしまってね」

「なっ、え、治る……?」

「最近はどうなのかしら、よしのちゃんの周りにはそういうことを言っている大人はいる?」

「いや……一応、近くには、いないですけど……」

「あら、よかったわ、子供は可愛いし夫も良い人ではあったけれど、幸せな結婚生活ではなかったから、子供もかわいそうかしらって、普通の夫婦関係じゃないから、きっとウンと迷惑をかけてしまったわ、私がお母さんじゃなければよかったとか思われていたらどうしましょうね」

 付け足すように笑っていたけれど、あまりにもせつなそうに言うものだから、よしのまでなんだか辛くなって、元気づけようと必死になった。

「いや、こんなに思われてるんだから、しあわせになりますよ、お子さん。絶対」

「ふふ……ありがとう」

「あの、私だって片親で、皆にかわいそうとか言われるけど、お父さんは大事にしてくれるし、いま、こんなにしあわせに生きてますから!」よしのは親って大変だ、と自分を育ててくれた父親の苦労を想像して、ちょっと泣きそうになった。

「そう、しあわせなの……」

 よしのは、アキが優しく微笑んだことには気が付かなかった。

 よしのが畳みかけていると、黙り込んでしまったアキに気が付いて、びっくりさせてしまったかと口をつぐんだ。

「よしのちゃんはしあわせなのね」

「ウ……はい」

「お父さん、やさしい?」

「とっても……」

 こんなことを言っただなんて、お父さんには絶対ばれたくなかった。よしのは中学三年生、仕事で忙しい父親とはちょっとだけ距離をつかめていない。好きだけれど。

 母親は、幼い時に体を悪くして亡くなってしまった。

 よしのが母親のことで覚えているのは、つないでくれたひんやりしたほそい手と、頬にかかるやわい髪だけだった。

 読んでもらった絵本は覚えていても、声は覚えていなかった。あとは、抱きしめられて、ゆりかごのような腕の中で、ゆらゆらと眠ったことだけ。


 紅茶を飲み干してソーサーに戻すと、ささやくような音を立てる。よしのが残念そうな顔をすると、アキがポットからまた注いでくれたので、再度立ち上る湯気がよしのの鼻先をかすめた。

「そうだ! よしのちゃんは? 好きな方いらっしゃるの?」

 お話好きな女の人なら、当然そう来るだろうとよしのはなんとなく気づいていたけど、改めて言われると言葉に詰まる。

「あ、ウ、その。きょお、失恋したんです……その子、これ以上ないってくらい嬉しそうに笑ってて、わたし……」


 よしのが好きだった親友は、彼女は、よしのの思いを知る前にほかのひとと結ばれてしまった。

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