第2話

 聞き覚えのあるようなないような地名のアナウンスにどきりとしたが、なんだかもう慌てる気分にはならなかった。バスを降り、携帯を見れば画面は黒のまま沈黙する始末。もしかしたら、今日の星座占いは最下位だったのかもしれない。というか、これ以上嫌なことが存在しては困るから、最下位であってほしかった。

「……」乱暴に鞄の中に携帯をしまうと、余計心がささくれだった。

 バス停の時刻表を見るが、両方向兼用ではない。少し離れたところに反対方面へのバスがあるのだろう、どうせ暇なのだ、散歩がてらに行けるところまで行ってみようか。

 もしも優しそうなひとがいたら、バス停の場所を教えてもらおう。よしのの口角が下がったまま戻らない顔で、果たして愛想よく道が聞けるのだろうかは疑問だが。

 どこか地につかない足取りで、彼女は道を進む。平日の昼間だというのにいやに静かで、春ならさぞ華やかであろう庭先まで土気色に染まっていて勿体ない。

 この町は祖父母が住んでいるので全く知らない土地というわけではなかったが、かといってその周辺全部を把握しているわけでもなかった。祖父母の家に年に二度挨拶をしに訪れる時くらいしか来ないうえ、なんだかドッと疲れて、いつも父親とそのまますぐに帰ってしまうのだ。


 並木道を歩いていると、先にぽつりと人影が見えた。何かを眺めているようで、そこから動かない。

 柳のような、しゃなりとした立ち姿。

 よしのは異質だなと思った。浮かび上がるように鮮やかに見えたのだ。艶やかなみどりの黒髪が強い色彩で、淡い春色の着物が品よくあわさっている。今時見ない、旧家のお嬢さまのようで、なんとなく祖母を思い出した。

 気位が高かったらどうしよう。猫のように振舞われても、美しい容姿で悪い気分にすらならないのかもしれない。そういうものかと納得してしまいそうな雰囲気がある。

「すみません」

 目の前には、幼さを漂わせたかわゆい笑顔があった。

「どうしたの?」

 想像よりいくらか、落ち着くような声だった。よしのの心にすっと入り込んできて、憂鬱な気分が離散したような気持ちになる。

「えと、隣町までゆけるバス停の場所をお聞きしたくて、」

「あら、そう。それなら、ちょっと歩いたところにね、喫茶店があるの。そこにあるわよ」

「あ、ありがとうございます!」

 喫茶店という響きになんだか惹かれて、よしのは散策の最終目的地をそこに決めた。

「お時間あったら、喫茶店に来る? 道案内もかねて」

「っ……え、いいんですか」

「すぐちかくなの」

 花の蜜に誘われる蜂の気分だった。残念ながら、蝶と言うほど可憐ではない。


 女はアキと名乗った。二十代半ばのようで、格好のせいもあるが、芯の通ったしっかりしたひとという印象を受ける。

 よしのはちょっとした坂の上にある場所へと連れてこられた。

 敷地内のそこら一体の地面が白く輝いているものだから、雪でも降ったのかと見紛った。さらさらと風にさらわれる。花びらだ。視線を上にやる。

「見事でしょう、狂い咲きなのだけど」

 その木はあまりにも見事な桜だった。

 死体の汁を啜っていると描かれた理由もわかる気がするほどで、この桜は魂を養分にしていてもおかしくはないと思った。美しい妖怪が衣を広げて誘っているようだ。

「はじめて見ました、狂い咲きなんて」

「さいきんちょっと暖かかったからでしょうね」

 池にひしめきあう花びらが風に合わせてゆらりと光を反射する。ちらちらと隙間からうろこがのぞいたので、鯉でもいるのだろう。よしのがしばらく見とれていると、待っていてくれたらしいアキが少し進んだところから手招きした。

 その向こう側に、木造の茶屋が見える。

 桜吹雪に追い立てられるように戸口に向かうと、よしのはアキに続いておそるおそる店内を見渡した。ノスタルジー漂う室内に、色硝子の灯が華やかに存在感を示している。タイムスリップしたような場所だった。埃っぽさは感じない。

 正面には、暗い室内に浮かび上がるような白い肌のアキがいる。鴇色の着物も相まって桜が人の形をとったようだった。よしのは、あらためて、うつくしいひとだと思った。

 促されるままに正面のカウンター席に座る。

 カウンターの向こう側にまわったアキは満足そうに笑顔を浮かべ、噛みしめるように一息つく。

「メロンソーダでよろしいかしら?」

「うぅんと……紅茶でもいいですか」

「もちろんよ、体を冷やすのはよくないものね」

 かわいらしく微笑んで、アキはよく磨かれたケトルを火にかけた。つまみをひねるとチチッと鳴るレトロなコンロがどこか懐かしかった。

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