夢見草

渉詩鶴

第1話

 春風の 花を散らすと 見る夢は

 さめても胸の さわぐなりけり

 西行


 有明よしの、十五歳。初恋はかなわないというジンクスに見舞われ、ただいま傷心中であった。不憫なことに、告白する前に振られてしまったのである。


 よしのは今日の夕飯は何にしようと思考を巡らせて、冷蔵庫に何が入っているか確認するのを忘れたことに気が付いた。それもこれも、朝から浮かれていたせいだ、最悪だ。もう何もかもうまくいかない気がした。お父さんには悪いけど、今日の晩御飯は不味いかもしれない。砂糖と塩を間違えそうだ。


 見上げた視界の先の、彼女の心情とは裏腹に澄んだ冬の空が余計に心を重くさせた。

 よしのは逃げだしてきた教室の窓の冷たい青と、それを背景に行われていたやりとりを思い出して、唇をかんだ。足取りはしっかりしていたが、視線をふらつかせながらバスに乗り込む。薄暗い車内に白い日差しがやわく射し込んでいて、本能のように、気に入りの窓際の座席へ腰かけた。


 よしのを含め、志望した私立を推薦でもぎ取った学生たちは来たるバレンタインに胸を躍らせていた。

 彼女の意中の相手も高校がすでに決まっていたので、思いを告げるならこの日しかないと狙いを定めていたのだ。

 が、しかし、当日よしのに待ち受けていたのは今から帰るといった様子で初々しく絡められた二つの手だった。彼女はなんだかすべて察してしまって、気づかれないように角までひっこむので精いっぱいだった。

 よしのが懸想した相手は親友だった。

 その関係でじゅうぶんだろうに、もし相手に恋人が出来たらと考えるとどうしようもなくつらくなって、彼女はそれ以上を求めた。欲張りな女である。

 結果として、恐れていた事態が起こってしまったわけだが。

 帰りがけのバスに乗っても、よしのの頭にはぼうっと教室で見た光景が何度も浮かぶ。そのほかには恨み節しか出てこない。

 好いた人がいるのだなんて教えてはくれなかったのに、なんで。それとも、もしかして私の気持ちにとうに気がついていて、その話題に決して触れないようにしていたのだろうか。嫌な想像ばかりが浮かぶよしのをよそに、車窓の景色が流れていく。


 手くらい、つなごうと思えば、つなげたのかもしれない。それぐらいの戯れならこちらがヘンに照れでもしない限りは問題なくできただろうと、よしのは妙な確信を持っていた。

 どうせ挙動不審になるのは目に見えていたが。

 まあその機会があったとして、その行為は友情の域を出ないし、こちらから踏み出せば二度とそばにいられないのだろう。

 恥ずかしいような、情けないような気持ちで、よしのは鞄を抱え込んで顔を押し付けた。もしかしたら、何ていう幻想に胸を躍らせていたさまを思い出して、思わずうなる。前日までの自分が憐れで哀れで仕方なかった。

 隣にいた人はよしのとは似ても似つかないひとだったから、どちらにせよ彼女の恋が叶うことはなかったのだろう。

 なにより、よしのは淡い独占欲や恋への憧れかとある意味楽しめてもいたほの暗い情が、間違いなく確かなものだと確信してしまって、いよいよ絶望した。本当に、とんでもないことだ。もう二度と恋なんてしてやらない。父さん、天国の母さん、ごめんなさい。私はこの家を途絶えさせてしまうかもしれません。将来は保護猫を五匹ひきとって暮らすんだ。嗚呼でも、孤独死はしたくない。相続する土地を全部売って有料老人ホームにでも入ろう、それがいい。ア、猫はどうしよう。

 よしのは誰もいない帰りのバスでつらつらと世迷い事をつぶやいていたが、車窓の向こうに季節外れの蝶が飛んでいるのを見て、そちらに意識をやった。

 今は冬なのだが、最近の蝶は寒さに強いのだろうか。風にさらわれる紙片のようで、よしのは私も飛んでいけたらなァと柄にもなく感傷に浸る。並走してくるのでしばらく眺めていたが、白い翅に反射した陽の光が閃光のようにまぶしくて、視線を車内に戻した。よしのの目の前で残像がちかちかと舞っている。

 蝶の残像を追うようにして、ふと見上げた先にある地名に首を傾げた。

 あきらかに目的地とは違う方向だったのだ。

 傷心でバスを乗り間違え、現実逃避にいそしんでいた結果そのまま隣町まで来てしまった、ということだろう。隣町と言ってもかなり近いのだが、面倒なことになった。よしのはなにより、狼狽えすぎている自分にちょっと引いた。


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