十一話
「え……?」
思考がフリーズした。
今健の目の前にはラナがいた。
急に面倒を見ることになった為、替えの着替えなどもなく、仕方なく近い身長の健の白いTシャツと黒い短パンを着ている。
シンプルな単色なそれは本来なら色気も何もあったものではないはずなのに、彼女が着るとどうしてこうも煽情的なのだろうか?
寝汗で僅かに湿って肌に貼り付いた為隠れているはずの肌が見える。
横向きに寝ており、健が上から見る形になっているから肝心の所は辛うじて見えないが、それでも少し動けば見えてしまうギリギリのラインだ。
「……ん」
「――っ!」
唐突に動いた為、慌てて首ごと視線を逸らす。
――いや待て、何でラナが同じベッドに寝ている?
あまりの事態におかしな思考に陥っていたが冷静になれ、考えるのだ。
確か昨日夕飯を取り、多少の問答を交わした後、彼女は葵と同じ部屋で寝たはず。
事実、健が就寝する時は一人だった。
なら夜トイレに行った帰りに部屋を間違ったのかと思うかもしれないが、葵の部屋は一階でトイレも同じだ。そして健の部屋は二階。
どう考えても間違える要素がない。
では自分がわざわざ連れてきた? そんな訳がない。
小さい子供とかならともかく、近い身長の人間を背負って階段を登るなど重労働でしかない。
そんな事をする意味はない。何かしら下心があってするなら分かるが、生憎健にその気はない。
いや、興味がないではないが、わざわざ親のいる部屋に忍び込むリスクやら相手の気持ちやらを考慮するならそんな過ちは犯さないだろう。
故にその線もありえない。
と、なれば残された解答は彼女自身が自ら赴いたことになる。
昨日出会ったばかりの男の部屋に、しかも寝ている間に入り込むなど本来ならあり得ないだろう。だがそれ以外にもう考えられる選択がないのだ。実は健が夢遊病で……とかの小さな可能性まで考えだすと流石に切りがない。
しかし、そうなると何故そんな行動を起こしたかという疑問が浮かぶのだが……。
「お、お〜い、もしも〜し」
「………………」
その答えを聞きたくとも当人は未だ夢の中、呼びかけても返事がない。
どうしよう。そう考えていると、廊下の方からドタドタと足音が聴こえてくる。
――あ、不味い。
そう思ったの束の間、壊れんばかりに勢いよく扉が開かれた。
そこには有無を言わせぬ威圧感を放っている葵の姿。
恐らく起きた際に近くで寝ていたラナがいなくなったので探していたはず。あらかた探し終えて、残された場所は健の部屋だけとなり乗り込んできた所だろう。
そして彼女の予想通り。部屋に入るなり視界に飛び込んできたのはベッドに腰掛けている息子と、同じベッドで熟睡しているラナの姿。
どう見ても言い逃れが出来ない光景だ。きっと健も似たような状況に出くわしたら同じ風に思うはずだ。
「ち、違うよ母さん! 俺本当に何もしてないからね!」
キッと睨まれ咄嗟に言い訳が口から出た。えらくありきたりで現状を見るに説得力なぞ欠片もない言葉だ。
それを表すかのようにズンズンと部屋に入り、近づいてくる。
――ああ、これは殴られるな。
そう悟り来るべく痛みに耐えようと強く目を瞑る。
「わかってるわよ」
だが、予想していた衝撃は来ず、まるで『わかっている』かのように葵は呟く。
「え?」と驚きの声が漏れると同時に、つい目を開くと健を横切り葵はラナを起こそうとしている。
「ほら、起きなさい!」
「ん〜……」
「んーじゃない! まったくこんな所にきて!」
「いや……わたしの……」
「起きろっつの!!」
夢から覚めたくないのか、惰眠を貪りたいのか、布団を握り締め抵抗するラナに怒り心頭の葵。口が悪くなろうとも構わず、駄々っ子から布団を奪い取る。
「あ……」
勢いがありすぎたのか、ラナはゴロゴロとベッドから転げ落ちる。
その際に、汗で貼り付いたシャツが捲り上がり胸にある大きな果実が露わに――
「何見てんだエロガキ!」
「なんで!?」
なったのを視認すると同時に理不尽な拳の制裁が健の左頬を襲った。
「大丈夫?」
朝のゴタゴタから暫く経ち、朝食を摂っている最中、隣に座っているラナから声をかけられた。
葵の右ストレートを受けた左頬は見事に腫れあがって……はいなかった。
殴った後すぐに正気に戻った葵が「ゴメンねぇ」と何度も謝りながら治療してくれた為なんだかんだ無事だ。
葵も《エイジ》であり、その『力』は回復。骨が折れても治せる程の代物だ。そのお陰で痣とかの痕跡すら見当たらない。
故に完治はしているのだが、「俺悪くなかったじゃん……」と精神的な意味で落ち込んでいた。
その様子を眺めていたラナが心配して声を掛けたという所だ。
「……まあ、その、俺も不可抗力とはいえ……見ちゃって、ゴメン」
なるべく思い出さないように心掛けてつつ、しかし顔を見ると脳裏に焼き付けられた『アレ』を蘇る為、視線を合わせないように、だがちゃんと謝った。
普通に考えれば見る側より見られた側の方がショックが大きいはずだから。
「? なんで?」
しかし、その健の行動にラナは首を傾げた。
「なんでって……」
わかってはいたが、やはり彼女は情緒というのが欠けている。感情も起伏があまりない。
過去にマンガで見た生まれたばかりの人造人間の様だ。……いや、『様だ』では『そのもの』だ。
実際彼女はクローン、人工の《エイジ》だ。生後どれくらいは知らないし、生み出された明確な目的も分からない。
しかし、そういった施設で発見されたという事は生まれて間もないのだろう。それ故に、羞恥心等がないのかもしれない。
(とはいえ昨日の一件を見る限り、恐怖はあるんだよな)
博己と会った時彼女は確かに怯えていた。だから心がないとかそういう訳ではなく、単純に『知らない』だけなのだろう。
「女の子なんだからちょっとは恥じらいは持つべきだよ」
故にこれから覚えていけばいい。
「男の人はいいの?」
「いや、男も同じだよ。なかったら世間からは変態扱いだよ」
「変態じゃダメなの?」
「ダメだよ!!」
……尤もそれは中々に前途多難かもしれないが。
「バカやってないで、早く食べなさい。今日は行かないといけない所があるんですから」
向かい側で一連の流れを見ていた葵が呆れながらぼやく。
彼女自身はそそくさと食べ終え、食後のお茶を啜っている。
ちなみに朝食はラナに配慮してパンや目玉焼きにサラダと洋食だ。昨晩素麺を食べる際に箸が使い辛く、フォークを使うという中々にシュールな光景を目にしていた。
「……なに?」
「あ、いや、なんでもないです」
思ったより長い間見てしまった。特に意味はない、ただいつもに比べ、母の顔色は優れないように感じる。
気の所為だろうかと思いつつも、タイミングを逃してしまったようで聞くに聞けず、自然と視線が逸れて下の方にいく。
その視線に気付いた葵はあからさまに不機嫌になった。
「……えぇえぇ、どうせ私は小さいわよ、真っ平らよ、でもアンタはこの洗濯板で育ったんだからね! それだけは忘れるんじゃないわよ!」
「なにいきなり!」
向いた視線の先が自分の胸元だと気付いた葵は、唐突に怒った。
今朝の一件で、自分よりも大きい物を持っている者――ラナの体型を再認識した為か、いつもよりコンプレックスに敏感なようだ。
勿論意識して見た訳ではないし、視線がそこに行ったのはただの偶然だが、今は過敏になっているのか些細な事で怒り易くなっているようだ。
「はぁ……早くあの人に会いたい」
当人もそれを自覚しているのか、精神安定剤を求めるが如くコウとの再会を願っていた。
(本当に早く帰ってきて、父さん……)
遠い目をしている母と、未だにもぐもぐとゆっくり食べ続けているラナの二人を視界に収めながら、健は心の内で父に助けを求めるのだった。
救い(その手)は誰が為に 無気力カンガー @kanger
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