〈七〉



「切り取られた身体からだの部分は、やはり食われたのだと思うか?」

 さあ、と素律はさばいた兎を焼きながら返事した。敵のせいで獣が谷にいないのによく狩れたものだと感心しながら、さらに尋ねた。

女媧ジョカ練石ねりいしというのを知っているか?」

「どういう話の流れだ?」


 天波は張貞のことを説明した。焼きあがった肉を渡しながら、素律は使った小刀をむしってきたこけで拭う。

「女媧というのは、神話に出てくる女皇めがみの名だ。太古の昔に天を支える柱が傾き、地が割れ洪水になった。それを修復するのに五色の石を練ったとわれる」

「なるほど、そのことか。しかし他国では聞いたことのない話だ。もっと別の話だったぞ」

「当たり前だ。これは一族に伝わる創世神話だからな。というかお前、一度くらい聞いたことがあるだろう」

「いや。私はあまり読み物に親しんで育たなかった。それに純粋な教育書は家に腐るほどあったが、小説おとぎばなしの類は一切無かったんだ」

 母親は子らの傅育ふいくを乳母や下僕たちに丸投げしていたし、天波は外で遊んで夜はすぐに眠るような子だったから、おおよそ寝物語というものをしてもらったことがない。

「ともかく、そういう徳のある石なのか。張家大人たいじんの息子の形見だ。出来ることなら見つけて差し上げたいが」

 素律は黙って見返すと、しばらくして、どうだかな、と冷めた口調で言った。

「目的はただ単に高価なその護石だろう。まさか息子が帰ってこないとは思わず持たせたのだろうが、こんなことになって惜しくなったのだ」

 天波は少しむっとした。「そんな言い方はないだろう。誰だって子どもの首のない遺体だけ届けられて納得はしない」

「同情はするが探索隊に余計な重荷を背負わせることをなんとも思っていない。頭部の失われた死体は張家のだけではない。皆悔しい思いをしている。張家大人は息子の死より宝玉の無事が気になっているだけ。金にがめつい商人の考えそうなことだ。気にするべきではない」

 さらに天波は眉根を寄せた。

「なぜそんな冷たい物言いをする。わざわざ頭を下げて頼んできた相手を無下にはできない」

「いずれにせよ死んだ者たちはもう生き返らない。形見を発見してわざわざ持ち帰り傷を蒸し返すこともないだろうが。そもそも食われているなら見つかるはずはない」

 言い返せず黙る。素律の言っていることは正しいのかもしれないが、天波は自分の考えも間違いではないと思う。しかしこの気持ちを上手く説明できず、唸ったままむしゃくしゃして肉をむさぼった。そうして、向かいの彼が己の分を一口も食べていないのに気がついた。

「食べないのか?」

 遠くを見ていた素律は天波に視線を移し、少しばかりぞんざいな口調になった。

「足らんのか」

「違う。食べないと体がたないだろう。それに、お前がってきてくれたものだ。私だけ食べては居心地が悪い」

「後で食べる。気にするな」

 すげなくそれだけ言うと、腕を組んで岩に凭れた。そのまま目をつむってしまう。掴めない様子に嘆息し、食べ終わった天波も横になった。今はとにかく一刻も早く脚を治さなければならない。




 脚の感覚が戻るまでさらに二日、歩けるようになるまで三日を要した。だいぶん腫れの引いた右脚を揉む。ただれた痕はまるで蛇が這ったように螺旋を描き膝上まで続いていて痛みはまだあるものの、とりあえず骨も筋も無事だ。これなら大丈夫そうだ。


 この洞穴に駐留してから七日ほどになるが、いまだ敵の襲撃はない。外を猋が二十も守っていれば攻められないということなのか。いずれにせよかなり心強いことだった。素律もこちらが話しかけないかぎり口を開かない寡黙な青年ではあったけれども、天波の傷の様子は気にかけてくれていたし、食糧や水の調達など外に出なければならないことも全て引き受けてくれていた。



 外傷は乾いた。回復に向かい心は強さを取り戻したがまだ骨の芯が疼く。その痛みは真夜中から明け方にかけて天波をさいなめた。痛み出せば大抵悪夢にうなされ、今夜も汗だくになって飛び起きた。護耳みみあてがないから寝ている合間にも微かな音を拾って頭が休まらない。膝を抱え悪寒に耐えていると、ふと素律の姿がないと気がついた。


 小さく焚かれた熾火おきびの周囲は無人で闇が包んでいる。天波は急に心細くなって身を縮こまらせた。今までこんなことはなかった。素律はいつも岩に凭れて休んでいて、こちらがうなされて起きると一言は声を掛けてくれたのに。

 どこに行ったのか、と固く目をつぶったとき、奥で微かに水のねる音を聞いた。いてもたってもいられず、まだ少し違和感のある右脚を庇いながら壁伝いに奥へと進んでいく。


 暗い洞の淵はほんのわずかに入り込む光で湧き水とおかの境界がなんとか目視できる。天波はそのほとりから離れた湯の中に見知った気配をみとめてほっと息をついた。紛れもなく素律だ。向こうもこちらに気がついたのか振り返ったようだった。

「……起きたのか。まだ朝は遠いぞ。少しでも体を休めておけ」

 広い空間では小声もある程度反響して大きく聞こえる。天波は近くの岩棚の上に座り込んだ。

「どこに行ったかと思って慌てた」

「心配性か。歩けるようになったからと言っての無いうちは外へは出ないほうがいい。あまり洞の奥へも行くな。見たところ複雑に入り組んでいて入れば迷う」

 ああ、と生返事して、それでも天波はなんとなく離れがたくその場に蹲ったままだった。

「素律、お前は怖くないのか」

 呟いたのが聞こえたのか、彼は小波を立てて淵に戻り腰を下ろした。髪を絞る音がする。

「怖いというより、厄介だ。ともかくも早く終わらせたいが、如何せん姿の掴めぬ敵。そう易々とはいかないだろうな」

 まるで雑事かのような声音に、天波はぽかんと口を開いた。

「今まで数十人も殺されているんだぞ。よくそんな何でもないことのように言えるな。余程倒すのに自信があるのか?」

 いや、と素律は考えるように沈黙した。

「…………少し誤解がある。敵は確かに強大だ。しかし私自身はそれほど身がすくまない。これは私がおかしいだけで、お前の感覚が正常なのだろう」

「どういうことだ?」

「正しい恐れが欠けているのだ」

 私は、と感情のない声が続く。「痛みや恐怖というものに鈍い。だから他人のそういう感情にもうとい……のだと思う」

 伴當でさえ悲鳴をあげて助けを求めるくらいのあの妖魔の圧とも言うべき気に、何も感じないということなのか。天波は唾を飲み込んだ。

「とんでもないやつだ、お前は」

「逆に言えば敵の力量を正しく推し量れないということだ。これは致命的に戦いには向いていない。倒すべき相手が人でないなら、尚更まずいことだ」

 素律は息をつき、天波のいるほうに顔を向けた。

「私のことはこれくらいでいいだろう。もう戻って寝ろ」


 つっけんどんにそう言われ、おとなしく来た道を戻って枯葉のねぐらに仰向けになる。しかし目が冴えてしまってもう眠れそうになかった。何度か寝返りをうち、閉じた瞼の裏を見ていると、いくらもしないうちにひたと足音が登ってきて素律が帰ってきた。また怒られるのはごめんなので寝たふりをする。

 枕元に腰を下ろした彼はなにやら手を動かす。ほんのりとまた甘い香りが漂ってきた。悪夢にうなされる天波に毎晩焚いてくれている麝香だ。しかしこの香りは自分にとってはどちらかといえば嫌な記憶をよみがえらせる。と、思いつつも気遣いはありがたいのでこつりと毬香炉を置かれてもじっとしていると、気配は離れていった。


 糸の細さくらいに瞳を開ければ、薄ぼんやりとした火明かりを挟んで素律が背を向け胡座あぐらをかいている。裹頭ずきんの布は解き頭から被っていた。湿った上体は衣を脱いだまま、淡く浮かび上がる広い後姿に、天波は思わず目をみはった。


 上はうなじから下は腰までびっしりとおびただしい裂け痕が付いていた。ひきつれて塞がった傷は相当深かっただろうというものが幾条もある。背だけではない。衣で見えなかった腕も目を逸らしたくなるほどだ。

「それ……」

 思わず声を出してしまい、しまった、と天波は慌てた。気がついた素律は一拍動きを止める。

「……してやられた。まだ起きていたのか」

「すまない。つい」

 潔く起き上がった。素律は振り返らないまま、おもむろに衣に袖を通す。

「それ、どうしたんだ?」

「昔の古傷だ。気にすることではない」

 襟を正して素っ気なく返してきた。昔といえ、素律は十九だといった。まして戦場を駆ける万騎でもないのに、どうしてそんな大量の傷痕があるのか、天波には解せなかった。見つめた布越しの横顔は見えない。

「……なあ、いい加減顔を見せてくれないか。もう随分一緒にいるのに、私はお前の声と名しか知らない」

「任務を遂行するのには十分だ」

「しかし、なんというか、自分の中でもやもやとする」

「……障りがある。人に見せるようなものではない」

 布に手を当てた。

「顔にも傷が?私は気にしないが」

 素律はそれでも向かなかったが、立ち上がって近づくのに声を荒らげるわけでもない。天波は神妙にすぐ後ろに両膝をついた。

「私たちは仮にも命を預け合っている相手だぞ。少しは信用してくれてもいいと思うが」

「信用も何も別にお前の力量を疑ってなどいない。城の中枢にまでお前の名は聞こえている」

 なんとはなしに背に触れた。布一枚隔てても歪に盛り上がった肌の感触が分かる。

「さっきの話、お前は痛みや恐怖を感じにくいと。だがお前は自分でそれが分かっている。分かっているから、他人に強要せず、おもんぱかることが出来るのだろう?私はそれで十分だと思うぞ」

心緒おもいを測れても真に同情はできない。共感できないから仲間の危機を察知しにくく、少なからずどこかで敵を軽んじてその分多くの犠牲を出す。ゆえに私はお前の信頼に足れるような者にはなれない」

 天波は溜息をついた。

「お前が人に感情移入できないことと、信頼されないことは別じゃないか?お前は私の恐怖を共に分かち合うことは出来なくても、私を全力で守ってくれているじゃないか」

「それは――そうだ。お前が死ねば一族の力が弱まる」

「まどろっこしい奴。仲間を守るのに理由なんかいらないだろう」

 素律は出会ってから初めて困惑した雰囲気を醸し出した。

「それほど見せたくないなら別にそれでいい。無理強いすることではないしな。だが、お前という人がどんな奴なのかは、やはり顔を合わせたほうが私の中でしっくりすると思っただけだ」

 天波は肩を竦めて手を離した。もちろん嫌がる相手の傷をあえて見たいなんて思わなかった。これはただ純粋な興味と関心でしかない。

 素律は俯けていた頭を少しだけ後ろに傾がせる。

「……私は自分の顔についての美醜が分からず全く興味を持てない。しかしこの傷を見た者は一様に忌避する。誰の目から見ても好ましいものではないというのは理解しているし、他人を不快にさせるのは本望ではない。だから、見せないと決めている」

「……そうか。でもそれで、お前自身は傷ついていないのか?」

「傷つく?」

 問われてしばし呆気にとられた。背後で自分を見つめる彼女は眉根を寄せて首を傾げている。

「お前はそうしなければいけないこと自体に傷ついている……気がする。顔のせいで誰からも受けれてもらえないのではと怖がっているようにも見える」

「怖がっている…私が?」

 思わず鸚鵡返しに復唱した。天波は頷いた。

「当たり前の気持ちだよ、それは。誰だって好きで傷を負ったわけじゃない。たとえ本人が気にしていなくても周りは気を遣うし、怪我に慣れた武人でもなければ尚更いろいろと噂することだろう。皆の反応が気になるのは当然だ。恥として隠す奴もいれば威厳として隠さない奴だっている。どちらが臆病だとか悪いとか、そんな話ではないだろう。お前は気を遣って人目をはばかっているけど、誰も彼もから拒絶されるわけじゃないぞ。窮屈に感じているのなら、こいつになら顔を見せられると思った奴に見せたらいいんだ」

「…………」

 素律は束の間、口を閉ざす。迷うように呟いた。

「……もし、この者にならばと思い、そうしてこばまれたらどうすればいい」

 天波は腕を組んだ。

「素律が許す奴なら、きっと相手も受け容れてくれるんじゃないか?そもそも顔だけで判断するような奴に見せたいと思ったりしないだろ、お前は。もっと自分とそいつを信じてやったらどうだ?」

「……なるほど」

 自嘲気味に笑った。怖いものなどないと思っていたのに、いつも危惧していたこの思いがまさにそれだったなんて、まるで気がついていなかった。ひどく莫迦莫迦しくなり可笑おかしさが止めようもなく溢れて抑えられない。

 くつくつと肩を揺らして笑うのに、天波は怪訝な顔をした。「大丈夫か?」


 そんな彼女を振り向き、抵抗する隙を与えず細腕を掴んだ。びくりとたじろいだ体をそのまま引き寄せて顎をとらえる。


「では見せてやる」


 被った布の幕内に引き入れられ、息のかかる距離で近づいた彼の顔を天波は瞬きもせずに見た。冴えた両眼は瞳孔の境が見えないくらい黒く、まるで全てを飲み込むように深かった。

 じっと見つめる、長いようで短いとき、やがて天波は静かにその頬に触れる。今度は素律が動揺した。

「……頑張ったんだな、たくさん。私にとって傷とは武勲だ。お前は恥じることなんてなにひとつしていない。たとえ皆が醜いと避けても、私はお前をちゃんと見てやる。実に男前だ」

 驚いた表情のまま、掴んだ手がゆるゆると天波の顎から離れた。そのまま顔を伏せ、額に手を当てた。

「……すまない。どうかしていた」

「なぜだ?見せてくれて嬉しい。そんな顔をしていたんだな。本当に格好いいぞ、お前」

 黙れ、と追いやるように振られた。照れているのだろうか。しかし天波は嬉しくてたまらずにやつく。初めて素律の声と名と、それから顔が己の中で一致した。

「そうだ、もうひとつ言い忘れていた。恐怖を感じないから、お前はきっと誰よりも強い。だから当主はお前に猋を託しここへ送られたのだと思う。それはまぎれなく誇っていいことだ」


 ふふ、と微笑みそのまま、おやすみ、と寝床に潜り込んでしまう。その華奢な背をしばらく見つめ、微かに速度を増した鼓動を静かに、深く息を吸ってなだめた。傷を受けてから他人にこれほど間近で見られたのは初めてだった。自分から開陳したことももちろん今までにないことだった。やはり緊張の解けない異常な状況でおかしくなっているのだろうか。

 なんにしろ、変なやつ。そう思い、頬が無意識にほころんでいるとも自覚せず、高揚を誤魔化して小枝を折った。








 天波の脚は動くのに全く支障ないほどまでに治った。谷に降りて半月あまり経っていたが、襲われたあの日以来、森は静寂そのものだった。ひょっとしてもう敵はすでに猋に追い払われてこの谷にはいないのだろうか。期待を高めて尋ねたが、素律はそれに応えることなく首を振った。

「去ったならここを棲処すみかとする獣が戻っていいはずだ。いまだ狐の一匹も見ない。敵はまだこの谷にいる」

 ここ数日、素律は洞の四隅に匂いの強い香を焚き続けていた。外から吹いてくる風で甘い香りが緩やかに奥へと漂っていく。

丹桂たんけいか?焚きすぎじゃないか?」

 さすがにと思って天波は苦言を呈したが、素律はこれでいいと言うばかりだ。

「これを持っていろ」

 放られたものを受け取れば、陽に反射して眩しい。

「鏡?」

 円盤は顔がはっきり映るほど研磨されている。素律はもうひとつ取り出した。

護心鏡あてがねだ。首に提げていろ」

 左右に紐が通されていたが、提げるには重い。

「何に使うんだ?」

 護心鏡とは本来なら矢槍を防ぐために身に帯びるものだ。

「気休め程度だが、ないよりましだ」

 言うと素律は立ち上がって宙を睨む。布の隙間から覗く双眸が細められた。

「昼の間に休んでおこう」

 硬い声に、まさか、と見上げる。素律は頷く。

「嫌な気がある。今晩は眠らないほうが良さそうだ」



 素律の予想どおり、夕暮れから天波もなにか心がざわつくたとえようのない気味悪さを感じた。あのときと同じだ。緊張でほぼ休まらなかったものの、もとの動きを取り戻した今、感覚は鋭敏に研ぎ澄まされている。


 素律は洞の外でさらに火を盛大に焚く。あたりが真昼のように明るくなったなかを天波はぐるりと歩く。明かりのせいで森の闇がいっそう濃く見え、どこから敵が来るかはわからないが、確実に近くにいる気がした。


 とはいえ、何刻も緊張感が続くわけではない。宵から火を絶やさずにすでに夜更け、天波は洞穴の入口に座り込んだ。横を見ると素律が悠々と武器を手入れしている。さすが、落ち着いたものだと声を掛けた。

「どう戦うつもりだ?奴にそう簡単に刃が通じるとは思えないが」

「主力は猋を使う。どんなに剣技が優れていてもあれは人が渡り合えるような代物ではない」

「やはり猋なら対抗しうるか」

 素律は得物の長い柄を立てる。直剣とはまた異なり、いま彼の手入れしているものは切っ先が大きく湾曲し刀身に地紋のあるおのだった。肝の冷えるほど鋭利なそれを革鞘に収め、天波に問う。「お前は猋の正体を知っているか」

「正体?もちろんだ。猋というのは私たちがそう呼んでいるだけで、本来の種族名は狻猊さんげいという。彼らの始祖は槃瓠ばんこという妖で、私たちの祖先もそこから出たという伝説だろう」

「さすがにそれは知っていたか」

「馬鹿にするなよ。猋は一族になくてはならない戦力で、無双の妖。万騎も出兵に借り受けるからな」

 素律は長剣の手入れも終えて鞘に差し直す。

「お前の認識は間違いではない。しかし、狻猊のおこりにはもうひとつ別の話がある。龍から生まれたというものだ」

「龍?」

「神代、水神は水の溢れた混沌の大地を治めるために自らの九人の子を封じて安寧をさしめた。子は泉となり、国となった。それが我々一族に接した周囲の国々、すなわち泉国せんごくだ。それと同時に九つの妖も分かたれた。その一が狻猊だという」

「水神から狻猊が分けられた?」

「神とは人と数えるが人にあらず。泉国ではその姿は三停九似さんていくじ……様々な獣が混じった強大な龍として描かれている」

「それで狻猊は神から派生したということか?強いわけだな」

「そうなる。いまはあのように小さくなったが、元来はさらにおおきな妖だったらしい」

 そうか、と笑んだ。「なら、麅鴞ホウキョウなんかも相手ではないくらい強いんだな。頼もしいかぎりだ」

 しかし素律は無表情に口をつぐんだ。喜ぶ天波に冷水のような一言を浴びせる。

「その麅鴞も、神妖の一という話だ」

「……どういうことだ?」


 素律は立ち上がった。腰に剣を帯び、鉞を肩に担ぐ。護心鏡を胸に固定した。いつのまにか風は止み、周囲には強く甘い香りが行き場をくして沈んでいる。


「我々に麅鴞と伝えられるその妖魔、泉国では狻猊と同じく龍からかたれた、貪婪どんらん大食、猛悪狂瀾の大厄たいやく。もはやひとつの獣ではなく災禍でありこれが現れると国が滅ぶという」

 言葉を切った。目を閉じる。流れるような動作で武器を体の前に構えた。天波はさらに問おうと口を開いたが、突如として吹き上がった熱風に顔を伏せた。



「――――来た」




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