終 絶縁破壊
衛生局や警保局と言った、独善的な不平を持つ緑色をした衆愚にとっては伏魔殿と捉えられる施設が並ぶ地帯の大深度地下にマザコンの中枢機能が設けられていた。六階建ての大仰な機構は、既に二階部分まで足場が組まれていた。その様子を中枢の麓から見上げて確認していた男は、一週間後には、補修員、監督者、配給者、警備員、検勘使、測量士……、大勢の人間が押し寄せてくる情景を想像していた。
表に出てこない検勘使は、変装として作業員が身に着ける遮光ヘルメットを被る事もあった。その事もあってか、彼の顔面は不鮮明であったが、黒い作業用ジャケットの襟には「記録庫検勘使」だけが有する
「――ここまで、確認が
衛生局が所有する女性型の冷たい生体傀儡が言う通り、うまく男の旧友を騙し、背負っている機械の確認も甘くなるとは思っていなかったが、彼らには一縷の望みに賭けてみるしか手が残されていなかった。検勘使が纏う黒い制服に身を包んで、生体傀儡を率いている男は、記録庫の力添えの賜物だと感じながら、マザコンへ通じる道を進んで行った。
「――それが交換器ですか」
強烈な電流を受けて変形した銀色をした出来損ないを、青い光で投影されている記録庫の番に見せながら、私の知り得ている知識の断片を簡単に紹介した。
「具体的な原理は把握しきれていませんが、プログラム書換装置を元にした機械だと言うことは知っています。……きっと、オブスクラの原理を応用したのでしょう」
しかし、これだけでは友人を陥れるのは不可能である。あまり気は進まなかったが、何か手立てを考える必要があった。
「反撃する方法があります。書換装置の特徴である、情報の吸い上げと交換手順を逆手にとって、相手の意識を消し飛ばすのです」
敢えて欠陥を残したまま、交換器をオブスクラの配線に接続させてしまえば、データも吹き飛ぶ。そうすれば、邪な彼の意識も完全に破壊できる。……破壊してしまって良いのか。私は正常な判断が下せそうになかった。
「交換にはメモリを必要としますね。……そう言えば、この出来損ないの交換器にも微量だが含まれていた」
双方のデータの入替えを円滑に進めるための媒体として純ジスプロシウム片が用いられていた事を、私は思い出した。……奴は、より大規模な精神の交換を企んでいるのだろう。ただでさえ他人と言う代物は七面倒で虚しいのに……。
「……メモリカード未挿入の状態だとエラーを解除するには……」
そこで私は相手の会話を遮って、該当する箇所、オブスクラ内の抵抗器の破壊を言い当てた。元々は彼の知識である。それが彼の止めを刺す手段になってしまうとは想像だにしなかった。
そんな事を思い出して、私は立ち尽くしてしまった。私が思考停止になった状態を不審に思ってか、血色の悪い生体傀儡は、私の不可解な行為を指摘してきた。
「さあ、行きましょう。検査さえ乗り切ってしまえば、プログラム削除装置を使って、彼の機能を停止させるだけで充分なんですから、早く終わらせて
水冷装置や小型反応炉、そして機械に仕組まれたプログラムを吸入し、この世から完全に消し去るエラー回路を搭載した――一昔前の火焔放射器を思わせる禍々しい形状となってしまったが――複雑な装置の塊を背負っている私は、彼女の催促を受けて最後の関門であるマザコン直々の認証――進入ゲートに挑んでいった。
「――記録庫保全システムより指示を受けました通り、この度は生体傀儡、I‐9型と、補修員が作成していた機械を運んで参りました。我々のIDの照会を願います」
私の発言を聴いて、無機質な装甲に身を包んでいる相手は、またしても不自然な機械音声を放ってきた。
「……なるほど、ボクの目をかい潜ってきたキミもツメが甘いじゃないか」
マザコンを欺けるとは思っていなかったが、こうも簡単に露呈してしまうと衝撃を僅かに感じてしまう。これ以上、顔面を隠していても仕方ない。私は意味を失ったヘルメットを取り払って、金属製の地面に落とし、正体を晒した。
右手に填めていた指環を破壊した後、その中に仕組まれているデータチップを外部の通信
「手筈通りにお願いします。私は記録庫が言う通りに振舞います」
検勘使に対して小賢しい攪乱作業の依頼を終えると同時に、記録庫を司る赤松を思わせる機械は重低音を鳴らして、恭順の意を伝える文言をマザコンに送信した。肝心なのは、その後の付帯告知であった。冷淡な生体傀儡によれば次のような物だったらしい。
「生体傀儡I‐9型は、こちらで保護しております。旧47年式オブスクラのせいで、性能の一部に変容が認められますので、こちらの検勘使を派遣して精密検査しなければならないと考えています――」
つまり、冷ややかな彼女を引き合いに出して、検勘使立ち合いの元、プログラム改竄の実態の精査を持ち掛けたのである。旧友は既に結果を把握しているだろうが、それでも記録庫のデータに接触できる絶好の機会である。拒否するとは考えにくかったのだ。
ちょっとしたすり替えで、マザコンの入り口に入り込めた所までは良かったものの、当の本人に気付かれてしまっては意味がないと考え、頭を覆う物体を取ったのだが、衛生局の彼女は驚き呆れるばかりであった。対してマザコンは実に冷静沈着であった。と言うよりは言葉を失って、口数が少なくなっていたようにも感じられた。
「……一度、キミとはキチンと話がしたいと思っていたんだよ。しかし、補修員のキミが、記録庫職員の格好をするとはね。――世の中分からないものだな」
この状況への対処法があるとは言え、ここに大量の警備機を遣されては面倒だったので、相手の啖呵に応じる事にした。
「なぜボクの邪魔をするんだ? キミの勤める補修業務の過酷さを考えれば、少しはあの状況だって改善された方が良いじゃないか。そのチャンスをふいにする気かい?」
色々と凄惨な出来事、伝聞した事件が思い浮かんだが、多分彼は、あの事故の事を言っているのだろう。私は重い口を開き、率直に話した。
「前にも言った通り、私は君の誘いには乗らないよ。ジスプロシウムも交換器も運ぶつもりはないし、私の頭脳にある図面も君には渡さない。……やはり、一介の補修員として、配線によって築き上げられたデータベースの秩序の破壊に参与するなんて、あってはならない事だ。――どうして、君はそんな事を私に勧めるんだ?」
前々から疑問に思っていた事を尋ねてみると、重金属で装った相手は苦しそうな重低音と共に、機械音声を響かせて、ゆっくりと呟いてきた。
「……生体傀儡を改造し、それに飽き足らず指環を壊しておいて、今更どういうことだ。だいたい今になって、データベースの維持を重視するとは……。今まで開発部やら上層に悪態ばかり付いてきたキミらしくないぞっ。ボクはあの事件の後、電子の海に溶けて、記録と演算の深淵に潜り込んでいった。そこでは知りたくもないことを知ってしまった。開発部と総合情報センター本部は不仲で、それどころか、開発部の連中は危険分子との接触を望んでいた。すごいぞ。奴ら、本部の転覆を考えてたんだよ。しかしな、あの緑色の皮膚を持つ連中はサボりたいだけだったんだよ、何もかもから。所詮は、努力とか義務とかいう人間社会の持つ強制的な行事から
彼の発言には否定し難い言い分もあったが、その一方で交換器の影響が考えられる箇所も散見された。私の封印してきた鬱屈の心情と、彼の問題解決能力が併合してしまったのだろうと考えられた。
「――どうします? とても正気とは思えませんよ――」
生体傀儡も思わずそんな事を言った。精神の偏りさえも移動させてしまう発明は、きっと
「……まあ、何にせよ、あまり莫迦な事を他人に注文しない方が身のためだ、それ以上は確実に身を
この通牒さえ呑んでくれれば、背中にある禍々しい機械を使わずに済む。しかし、私の期待は裏切られた。
「そう。……じゃあ、仕方ないな。すまないが、ボクにだって、つまらないなりに意地というものがあるんだ。残念だが、キミとはお別れだよ」
危惧していた通り、進入口手前の床が開き、中から中枢に配備されている警備用の機械傀儡が十数機出現し、たちまち我々の周辺を取り囲んだ。警棒を持つ物が大半だったが、中には最新鋭の電気銃を携えている物も居た。
「その背中の装置で何ができるか、見物だね。……さあ、彼らを拘束しろ」
灰色に塗装されている統一性の高い傀儡たちは、我々に詰め寄って来ようとした。小声で衛生局の彼女が提案してきた。
「もう消去砲を使うしかないみたいですね」
血色の悪い機体が言う通りに、私は今背負っている、ふざけた渾名の付いた中型機材の電源を入れて、機材に付けられている棒状の端末の先端――アンテナ部分を目の前に居る目障りな機械どもに振り翳した。
交換器に残されている無事な箇所を元に、暗箱装置の基本構成を活かして、装置を換骨奪胎するのは面倒だったが、小型車輌の冷却器やトロリーポールなどを生贄にする事で、かろうじて造り上げられた。そこら辺の機械の寄せ集めは、電気銃の蓄電池を貪り、銃口にも似たアンテナを青白く発光させた。途端、光は力強く警備機の連中に向かって駆け巡り、一気に拡散した。
均一な量産機体は一瞬にして中枢制御プログラムを失ったようで、十数機は規律よろしく一斉に凄まじい勢いで力なく倒れ込んでいった。
「なんだ、急にどうしたんだ。……おい、お前。まさか、その装置は……」
あまりに突然の事にマザコンも困惑したようだが、少ない知識を集めて私たちの切り札に感付いたようだった。私は電気銃のバッテリーを拝借しながら、友人の話に耳を傾けた。
「……なんて奴だ、消去回路を繋いだな。いくつ罪を犯すつもりだ、ボクがそんなに憎いのかっ」
重ねさせた原因は、どこか見当外れな事を言ってきた。冷ややかな生体傀儡は私の方を見つめていたが、何も言わなかった。
「――君には付き合い切れないな。己の情に素直になり過ぎて、人を傷つけてしまった。そんな事にも気付けないとは……」
凶刃に倒れた所長は今頃どうなっているのだろう。事務所があの状態では最早知る由もなかった。目の前の鋼鉄を着飾った大掛かりな機械を睨み付けながら、私はそう言い放った。
「ボクのことを忘れていたくせに、良く八つ当たりができるものだね……」
「私は君の事を忘れた事などない!」
相手の誤った理解に際し、そう発言した。
「だが、君の死が、あまりに辛かったんだ。……だから、忘れたかった。その欲求からは逃れられなかったんだ……」
もちろん死者の扱いに
「……キミだって矛盾の塊じゃないか」
「そうだとも、血の通っている人間は矛盾だらけさ。欠陥だらけの存在さ。情で動いているに過ぎないし、平気で心情に執着する。気持ちを切り替える事だってままならない弱い存在さ。大部分の連中は心情に区切りをつけるなんて軽々しく言うが、そんな事、できる訳がないんだよ。一度抱いた心情は、ずっと残り続けるんだ……」
「メチャクチャな奴め」
「……所詮は、そんな簡単な事すらも碌にできない無力な肉に過ぎない。その限界を知って初めて行動可能になる。限界を知らなければ、稚拙な行動を繰り返すばかりになる。確かに私は、粗末な事ばかりしてきているが……翻って、君はどうなんだろうね……」
衛生局の機体は、しびれを切らしたようで会話を遮ってきた。
「いい加減にしてください! これ以上、あなた方の不毛な会話なんて聞きたくありません。もう止めてください」
生体傀儡が非建設的だと言う事にも一理あるが、ここで彼との関係を考え直す必要があるように思われた。
「君の言う通り、人間なんて矛盾の塊さ。同時に相対する感情を有する。もう認めた方が良いんじゃないか? もっと言えば、君の考えなんて、所詮は魔が差している状態でしかないだろう……」
対して、マザコンは力なく応答してきた。
「交換器さえあれば、人々を意のままに操れる。それをキミは、そのふざけた装置で台無しにしてくれたわけだ。……分かり合えると思ったのにな……」
床が開いて、侵入者退治用の第二陣が出現してきた。これらもまた武装している。あの性能を見て何を考えたのだろうか。
「お前、まだやる気か?」
感情の死滅したような平板な調子で機械音声は答えてきた。
「簡単なことだ。お前が背負っている機械の電池を空にするまでしのげば良い。……こんなこと、言うことになるとは思わなかったが、これでもう、お前とは絶交だっ」
何と短絡的なのか。本当に、あの日大いに語らった時に博識だと思われた人物の成れの果てなのだろうか。私は、とてもじゃないが信じられなかった。この声の持ち主が嫌になった。認めたくなかった。しかし、実際に彼の意識なのだろう。そう考えざるを得なかった。彼とは交友関係にあるべきではなかったのだろうか。足下が揺らいでいるような気がして仕方なかった。
私は言語を用いる機械の根幹を崩す狂ったアンテナを機械の群れに翳し、第一陣と同様に沈黙させてみせた。その際、運良くマザコンの進入ゲートにも消去砲の光線が照射させられたようで、最初の関門がこれで開かれた。
「おい、やめろっ。そこに入るな!」
「行こう。こいつに目にもの見せてやるっ」
予定よりも遅くなったが、私は後ろに避難させていた彼女と共に、マザコンの一階に入っていった。予期せぬ事態に相手は随分と焦っているようだったが、内部に物騒な武器を持つ警備隊を派遣する訳にもいかない事は、補修員でも知っている。彼は、そんな自殺行為をするほどに莫迦でもないだろう。
オブスクラと交換器の組み合わさった機械に入れていた蓄電池を交換しながら、我々は第一制御層のロックレバーを探したが、狭い廊下で最初に見つけたのは、両側の壁と天井から生えているナナフシのように細い金属製のアームであった。保守用のマジックハンドだろうが、どうも様子がおかしい。行く手を阻むようにウネウネと動く気色の悪いアームは、次の瞬間、後ろに控えさせていた生体傀儡に巻き付いていった。
「そんな……」
嫌な予感がした。この銀色のナナフシどもはマザコンの意を汲み取っているのだろう。直感は的中した。第一層の中に例のおどろおどろしい機械音声が反響してきたのである。
「そこから動くな。でないとこの傀儡は使い物にならなくなるぞ」
実に古典的な手法だった。そもそも私は傀儡に未練なんてない筈だった。しかし、私は何故か僅かに躊躇してしまい、旧友の意地悪い命令に従った。
「そいつは私の邪魔ばかりしてきた。そんな傀儡が粉微塵になっても、私には関係のない事だ。人質にもならないよ……」
私は、心のどこかに虚偽が潜んでいるのを感じながら、マザコンが為した事の有効性を否定した。どこまで相手は私の微妙な心理を見破っているのだろうか。笑い声が聞こえてきた。
「まあ、キミが言うことも分からなくもないが、それでも、一度でも、彼女に心を許しているんじゃないのか? だとすれば、愛着を持っていると言えるだろう」
こいつは。白い金属の束で拘束されている衛生局職員の格好をしている若い女性の方を見ると、至って冷静で落ち着いていた。こんな所で時間を無駄にする訳にいかない。
「……そんな高尚な事を知ってて、こんな事をするのなら、ますます質が悪いな。この人でなしめ……」
後ろから金属の軋む音がしたので、振り返ると、冷たい光沢を放つ硬質なアームが群れを成して私の方向に寄って来ていた。
「わたしの事は、どうでも良いでしょう。……さっさと消去砲を打ってください」
後でオブスクラを操作するのが手間に感じられてか、気が進まなかった。しかし、それが彼女の意志なのだろうと思ってしまった。私の人差し指はアンテナの引き金に触れてしまっていた。私は前方の他、後方、左右の機器類にもプログラムの破壊を行った。
無機質なナナフシが脱落し、そして彼女も力なく倒れていった。背後に近づく虫けらも倒れて、周囲の機械は、不調を来たし始め、異常な量の蒸気を噴き上げていた。
「な、なんて、や、やつだ……」
一部に損傷を受けて機能に支障が出ているのだろう。マザコンの音声は掠れたように聞こえており、どこか怯んでいるような印象を受けた。気を取り直して、昆虫を思わせる細い管が散乱している狭い通路に、倒れ込んでいる青白い機体に近寄ってみる。彼女は機能を停止していた。きっと私の組み上げた命令は消滅しているだろう。その方が、この生体傀儡の為になるだろう。もう動くとは考えにくかったが、私はショートボブをした女の死体の乱れた髪を直すように耳元――耳と揉み上げの間を撫で、その場を立ち去った。
上下に動くだけの重く古めかしいロックレバーは手動でしか入力を受け付けないため、背中の装置の神通力が使えない。第一層は色々と困難もあったが、マザコンも一部に機能不全を生じてくれたおかげで、第二層からアンテナ層までは難なくレバーを操作できた。ただ、入力の順序があるらしく、二階の次に四階、戻って三階……、と言う具合に、私は何度も階段を昇り降りしなければならなかった。
段に足を置く度に、何故私はこんな事をしているのだろうか、と考えてしまった。データベースの中枢を司るマザーコンピュータの機能に水を差して、それで得られる物は不法侵入のレッテルとユーザーからの不平不満、良くて汚い愚痴の類であろう。それに、こんな事で自分の犯した生体傀儡のプログラム改竄や、車輌の窃盗などと言った罪が帳消しになる筈もない。
仮に成功しても、私は、あの友人の意識をこの世から完全に死滅させる事になる。つまり、二度も彼を見殺しにする事になる。三番目と四番目のロックレバーに手を掛けた時までは、その意識は警備な物であったが、最後のレバーに触れた時は、先に立ちそうにもない強烈な葛藤が私に襲い掛かってきた。
しかし、私は彼を許せそうにない。所長は意識を取り戻しているとは思えないし、精神安定士であった彼女が再起動するとも思えなかった。――とにかく最上層だ。そこへ行って彼と話を付ける。私は、そう強く思って五番目の装置を解除した。
近くの壁が変形して扉が出現した。同時に、あの騒々しい音声が鳴ってきた。
「……たしかに、マザコンは全能ではないが、それでも、あの不平民をたきつけて、開発部の人間を抱き込み、反乱をおこすなんてことはじつに簡単なことなんだ。おまえの同僚も、所長も、ユーザーも、みんな、ボクの力の前に屈するだろう……。その戸のむこうに入らなければ、そんなことはしてやらない。かんがえてやってもいい……」
ぎこちない発音で、回りくどい話し方であった。やはり補修用アームへの攻撃で流れ弾を喰らっているのだろう。今が好機と捉えて、私は鋼鉄製の重い扉を開き中に入った。
「毒をくらわば皿までとは聞くが、そこまでとはな。見そこなったぞ……」
「何とでも言え。私には消去砲がある。その性能は君も見た筈だ。生体傀儡のプログラムさえも消し飛んでしまう代物だ。生体部品となったお前の記憶だって確実に消せる。君こそ敵を過小評価しているんじゃないか?」
私は最上層への階段を昇って行った。ここは本来、ロボットとも称される機械傀儡が点検する空間でもあった。生身の人間が立ち入った場合の危険性も考えなければならなかったが、新たな報復対象が提示されてしまった以上、残されている時間は少なかった。
神経細胞など生体部位が収められている階層とは言え、内部は今まで見てきた機械室とあまり変わらず、新生児室で見たアクリル製のガラス窓が加えられて、中に目を遣ると鼓動する肉の様子が覗えた。……旧友は循環器系を喪っているから、あれではないだろう。接続の観点から言って脳髄や脊髄と言った入り組んだ組織は、もっと複雑な機構に導入されていると思われた。
「そんな場所、さがしてもむだだ。きみにぼくは見つけられないよ」
そんな風に私の行為の無益さを語りながら、マザコンは再度投降を呼び掛けた。前言を翻す稚児以下の言述に辟易しながら、私は深層に向かった。
「なあ、考えなおせよ。生体部品をむりにひっこぬけば、きみだってぶじですまない。それに、オーバーヒートだっておこってしまう。たのむよ、きみを死なせたくはないんだ……」
武器を常備する傀儡を派遣できないし、機械傀儡の定例巡回の時間にも外れる他、アームも存在しない空間では流石の彼も手も足も出せない。狭くて暗い廊下の奥に「情報処理室」と表示された扉が出現した。この奥だ。その時、廊下の周囲にステンレス製と思われる隔壁が降ろされた。これで進入路も絶たれてしまった。
「ぼくの言うことがわからないのか?」
憤りを滲ませる発言だったが、たどたどしい音声であった。器類が非常用シャッターで守られてしまっている以上、例の方法でこじ開けるしかなさそうだ。そう思って、消去砲の電源を入れてみたが、バッテリーが不足しているようだった。持ってきた充電が底を突いた。……現地で調達するしかない。私は周囲を見回して、均一に造られている訳ではない隔壁にも配電盤を指す表示と、カバーに覆われた電線がある事を確認した。
――下の階に行き、碍子を壊して、絶縁破壊を誘発する。それで大量の電気を取り入れられるかも知れない。導線から飛び出たスパークの回収が面倒だが、やってみる価値はあるだろう。
「……仮に従うにしても帰る道がない。どうやって引き返すんだ」
「あれとはべつに、もう一つ階段がある。それを使えばいい」
最初は妙に親切だと感じられたが、どうせ降りた先には大勢の監視員が待ち伏せしているだろう。平板な発音による案内を元に、作業用階段に入ると、やはり下層が騒がしい。途中の踊り場で立ち止まった私は、最上階の下部にあった筈の電力層への入り口を探してみた。大小さまざまな碍子の並ぶ小階層なので目立たない。踊り場の壁面にそれらしい方形の溝があったが開錠するための装置が見当たらなかった。一か八か、残り僅かな電力を振り絞って、閉錠する指示を無効にした。これでもう消去砲の電気は微々たる物となった。
隠し扉が開くと同時に、マザコンはサイレンを鳴らしてきた。いよいよ階下の集団が大挙して押し寄せてきたようで、階段を昇る足音が増加してきた。私は戸の先に向かった。
天井の低い空間には、重低音を響かせる機械類が立ち並んでいた。私は黙って高圧電流の流れる区画に侵入し、配電盤の隣に設置されている変圧器を一瞬だけ凝視した。ここになら碍子が設置されている。さっそく私は破壊に取り掛かっていった。
碍子の一つを壊すのに手こずって、両手の皮膚が焼け爛れ、一部肉が取れてしまったが、何とも思わなかった。その他、特に問題なく、導線の負荷の増加に成功した。これで変圧器と配電盤はスパークを散らし始める。ちょうどその時、この狭い空間に第三陣が到着した。いずれも先の機械傀儡と似た装備をしている。私は消去砲のアンテナにあるヒンジを捻って、交換器を改造して造り上げた機械の後部は、雄の孔雀よろしく広域集荷式トロリー端子を展開した。小型車輌から拝借した物である。電流を収集し、背に負った貪食な機器類に与えてくれる事になる。無尽の電力を盾に、私はライフル状のアンテナの先端を邪魔する物どもに振り翳していった。
持ち込んだ機材の効果は軍勢のみならず、マザコンの機器類、そして私の身体にも波及したようだった。震える体に言う事を聴かせながら、階段を昇って最上階に戻ると、碍子の影響が上の階にも飛び火していた事が何となく分かった。隔壁を動かすシステムにも支障が出ているようで、開閉を引っ切り無しに繰り返していた。
莫迦になったシャッターと、過電流によって火花が飛び散る最上部の機械群を後目に、脚を引きずって奥に進んで行った。
「や、やめてくれ……」
スパークが入り乱れる形で周辺の機械を取り巻き、走っていく。これなら消去砲のエネルギーに問題もなかろう。私はボヤけ掛けている視界にアクリルの窓がある事に気が付いた。節々が痛む中、電気が飛び交う暗い廊下を進む。
「おい、やめろ……。きいているのか、おい……」
いつか見た新生児室の情景に似通っていたガラスの向こうには、人間の出来損ないみたいな肉塊が緑色の液体内を浮遊していた。アンテナを構える。正直、友人がどれであるかなんて煩雑な事に拘る必要はない。一部のプログラムを完全に削除してしまえば、連鎖反応で彼も駄目になる。
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
古めかしいテープの類が即座に巻き戻されたようなギュルギュルと言う不快な音と共に、今まで覇気がなかった機械音声は、空間を
私は素手で、床に落ちていた柔らかく生暖かい肉塊じみた物体を鷲掴んで、全体重を推移させて、力づくで端子群から引き千切った。莫迦莫迦しい。私は、とてもじゃないが人間の成れの果てとは思えない金属粉で穢れた有機物を持ったまま、その場に立ち尽くした。ベルトに提げていた通信器を用いて最後の報告を行った。
「――改修部より伝達。不良箇所を発見。第7919番有機プロセッサに破損を認める。直ちに処分する――」
どうせ相手はマザコンに毒されている。誰も理解できないだろう。応答を待たずに通信を切った。透明なプラスチックの筒に入っていた、脳髄と脊髄の組み合わさった
「……皆、消えてしまったな」
とうとう、あの時あるべき姿に戻る時が来た。私の頭上にシリコン製のパイプが落下する気配はなかったが、胴体を囲む空気が強烈に熱く感じられた。足下に置いていた肉と機械で出来たおどろおどろしい生体が、だんだんと熱せられていき、湯気を吹きながら、茶色く変色していった。声帯なんか存在する筈もないのに、憤怒と悲嘆に明け暮れる唸りにも似た機械音声が流れてくる。私は、ある部分に至っては黒くなり始めている有機物とも、無機物とも区別し難い物体を眺めた。
電気に抵抗する碍子が役に立たなくなり、大量の電子が私のいるマザコン内に侵入していった。強烈な高電流に曝されているから、爆発せずとも勝手に溶解していくだろう。そうなれば配管に接続されている人々も何らかの影響を受けるだろう。
男は目を瞑り、生命活動し難い程に眩い光と苛烈な熱電波が増幅していく酷い現状に身を委ねて、己の身体が段々と溶けていくのを感じた。
気持ちの切換え 一ヶ村銀三郎 @istutaka-oozore
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