兆 欠落部品

 工具類が並んでいる薄暗い裏方の空間で、複数の職員と機体を侍らせている副所長は黙って私を見つめていた。その取り巻きは、瞬き一つもしないで、ひたすらに立ち尽くしている。副所長と同様、無表情であったため、どうにも思考が読めそうになかった。

「何だ、君だったか。……こんな夜遅い時間に、車庫に忍び込んで何をしているんだ。君が置かれている処遇では――」

 私が生体傀儡を改造してしまった事を、どれ程の職員が知っているのかは定かではないが、少なくともマザコンと通じている目の前の彼は知っているだろう。

「忘れ物を取りに来たんです。以前、ここで侵入者を見つけた時に、置きっぱなしにしていた、その……」

「――忘れ物ね。……キミも知っていると思うが、ついさっき、ここにある点検作業用工具類の数量検査を行ったんだが、君の道具は見つからなかった。何か部品の一つでも落ちていれば、気が付くものなのに、ましてやそんな、大掛かりな装置では……」

 原則として補修員が扱う道具には肉眼で見ても理解できない記号が刻まれている。それを読取装置リーダーに認知させれば、簡単に所有者が確認できる。もっとも旧式の機材には記号付与が間に合っていない例外もある。

「……信号検査機です。……私は整備所にオブスクラの修理を任されていまして、一応、抜けたパーツを合わせて完成したんです。ですが、導通を確かめなくてはいけない時に、以前、誤って事務所に持って行ってしまった事を思い出しまして――」

 私有物の持ち込みは、だ。それに補修部の人間が、いちいち身内の動向を監視するなんて非効率な事をする筈もなかった。それらしい嘘を思い付き、その場を切り抜けようとしたが、副所長以下数名は、表情一つ変化させず、私の顔面を凝視するばかりであった。

「そんな古臭いものはなかったはずだ。見間違えじゃないのか?」

 取り巻きの一人がそう言ったので、その発言に乗っかる事にした。そうかも知れないと言って、私は自身の記憶違いであったと話した。

「――あれは修理に必要な機材ですので、戸惑ってしまいまして……。もう一度、戻って確認してみます。ご迷惑お掛けしてすみません……」

 そうして工具が並び、あまり弁明の通じない空間から立ち去ろうとしたが、副所長に呼び掛けられた。

「本当に検査機なんて探していたのかね? だったら、勝手口から入る必要もないだろう。それに、駐車場に止めてある車輌だが、衛生局のロゴマークが入っている。不思議だと思わないか?」

 これ以上、内通者に対して話を取り繕っても無意味だろう。私は深呼吸してから、こう呟いた。

「……実は古い友人に付きまとわれているんですよ。そいつに、ちょっとと思って、それで、ここに来たんです。幸い勝手口の鍵も壊れていましたし……」

 極力事実に基づきつつも、曖昧な発言をしていった。そうしながら、義手を持つ彼と電脳に吸い込まれた人格との関係性について、どう聞いたものか、思考を巡らしたが、副所長の発言の方が先であった。

「いったい、その友達は誰の事だね? 不気味な事を言う……」

 指揮権を暫定的に有する眼前の人物の口調は妙に柔らかかった。しかし、その周囲を無表情の人物・機体によって固めている時点で、そんな意図だけはないと分かる。私は、侵入経路を見返した。よく見ると人感センサに覆いが被さっている。一つ尋ねてみる事にした。

「……それにしても、よく私が侵入した事が分かりましたね。所内の警報装置の故障だって、まだ直っていない筈なのに」

 そう言うと、相手は右腕を左手で労わるように撫でながら、睨むように私の顔面を見てきた。

「駐車場を見たんだ。すると、衛生局のマークが入った車が来た。そこでエントランスに出向いていたんだが、一向に君は来ない。警戒しながら、こっちへ来たと言う訳だ」

 行動量が多すぎる。事前に誰かが忍び込んでくる事を知っていないと、こんな手際良く、人を捕らえるなんてできないだろうと言うと、副所長は右手を握り締めて震え出した。それどころか、妙な唸り声を挙げ始めてきた。何か、いつもと様子が違う。

 その唸りも、よく聴くと、どうしますか、そうですか、と言うであった。この不自然な様子を見ている筈の取り巻きどもは、全く無関心であった。あまりに不気味に思われたので、私は義手にしがみ付くように屈み込み始めている彼に精神状態が良好であるか尋ねてみた。相手の応答は正常になく、だんだんと目の色を赤く変え、私に向かって、こんな事を言い出した。

「――オブスクラと言い、駐車場で待たせている生体傀儡と言い、? 

 その声は調。何度か聞いた事のある、例の機械音声と似通った声であった。おそらく機械仕掛けの右腕によって、副所長とマザコンは繋がっているのだろう。

「……私は、副所長と話していたんだ。どうして割り込むんだ?」

 副所長の顔面が、不敵な笑みを浮かべた。

「もう知ってる筈だ。君に改めて言う必要もないだろう」

 私は、もう副所長ではなくなった相手にそう言った。「しかし、副所長が、所長を刺したとはね、驚いたよ」

「彼女から聞いたんだろう。……そうだ、彼女の言う通り、ボクがこいつの義手経由で、所長に刃物を差し向けたんだ……」

「それで、他の幹部も刺してしまって、嫌疑が掛けられてしまっている訳だ。……だいたい、君たちは何を考えているんだ。こいつはデータベースへの接続を統べる配管の破壊を不逞の人物たちに指示しているんだ。そんな奴の肩を持ってどうするつもりだ」

 そう言って、彼の周辺に目を遣ると、虚ろな瞳で世の中を見ているような職員と、命令だけに忠実な機体、中には緑がかった皮膚を有する太々ふてぶてしい面持ちの人間もあった。無気力な者、応答を待つ物、憎悪しかない者だけが、私を取り囲んでいたのである。

「この事務所の他にも、内通者はいるだろうが、それでも本部の方針は変わらないだろう。君らは全知ではあっても、。……これから、どうするつもりだね」

 私がそう言うと、義手を付けた人物は少し考えてこう言ってきた。

「……前に言った通りさ。交換器とジスプロシウム。キミには、この二つを融通してもらうだけだよ」

 どこか回りくどい相手の話に違和感を覚えながら、私は副所長の身体しんたいを乗っ取っている相手の話を聞いてやる事にした。

「本当に欲しいのは、私が持っている記憶だろう? なあ、金属と発明品の件だが、考え直さないか? こんな事、私たちのガラに会わないだろう」

 私は、もう一度、相手の真意を探っておきたいと思い、そう言った。

「……間接的とは言え、副所長に頼み込んで、所長を刺した以上、もう後戻りはできない。覚悟はできている」

 彼の言葉が、どこか私の心理に楔を差し込んだような気がした。これで、いままで不明瞭にしていた何かに区切りを付けられてしまった。私は噤んだまま、その心境を感知していた。

「それに、ボクには、どうしてもキミの海馬に残された記憶、情報が必要なんだ。キミの中に、交換器の構造と、オブスクラの回路、生体傀儡特有の機肉交換配線の構成……ボクにあった記憶の断片がある。それがないとボクは、どこまでも不完全なままでも――」

 目の前に居る義手を填めた男は、そう言って、私の顔面を舐め回すように見てきた。確かに、暗箱装置を修理する時、妙に頭が冴えていた。。しかし、どうだろうか。

「……何で私の頭脳に残っていると分かるんだ? あくまで憶測だろう? それに、どうして、そんな中途半端な転移になってしまうんだ」

 副所長のようで副所長ではない電脳に支配された彼は少し考えてから、言いたくなさそうに顔を歪ませて、こんな事を言ってきた。

「……あの交換器も未完成だったんだ。オブスクラの部品から取り出して精錬した金属の純度が低かった。そのせいで、人格と知識の不完全な移行が発生したんだ……」

 発明品の詰めが甘く、反省が具体的な点は実に彼らしかった。しかし、次に何を言い出すのか分からない。それ故に親近感を抱くまでには至らなかった。

「なるほど、自作で吝嗇ケチって、それでヘマするのは

 私の揶揄を聴き流して、相手は冷淡に警告してきた。

「友人として忠告しておくが、これ以上罪を重ねるようなバカなマネはしない方が良い。ここへ来る途中で、パトロール機械を大量に見ただろう。あれはボクの要請で飛ばした。警保局に情報を流して働きかけられる存在の頼みを無下にしてもロクなことにならないだろう?」

 それに、手伝ってくれればキミも悪いようにはしないよ、と彼は付け加えてきた。ここで断れば、多分、私は殺されるような気がした。

「……分かったよ。明日の夜は君の言う通りにしてやろう。そのためにも、道具を搔き集めておきたい」

「その必要はないさ。キミは、第97番倉庫へ行って、例の金属の数量を把握して、手順通り成型してくれればいい。それだけさ、ものの30分で終わる作業だ。それから、あの傀儡は、ボクの元に来てもらう。キミだって忌々しいと思っていたはずだ、願ってもないことだろう?」

 確かにそうだった。しかし、私は彼女の号令順序を、精密機器の点検に特化した形に改造した。使い物にならないと思うから、私が直そうかと言ってみると、相手は呆れたようだった。

「キミの改造なんて、たかが知れてる。どうせ記録装置に触れていないんだろう。」

 副所長は、私を白い目で見ていた。目の前で会話を主体している精神は、本当に旧友の人格なのだろうか。あまりにも身勝手な人間であるように思われて仕方がなかった。

「ああ、その通りだ。しかし、彼女はまだ借りさせてもらうよ。記録庫の機械をイジるにも、一人では二、三日も掛かってしまうからな」

 彼の目には、私が彼女に拘泥しているかのように映ったのだろう。間髪入れずに、難色を示してきた。

「そんな余計な事はしなくていい。まったく、記録庫の……。そうだ、あの記録庫だ」

 どういう訳か、一人で合点行っているようだが、話の見当も付かない。検勘使が記録庫のデータを本部に持って行き、マザコンをこの窮地に追いやった事を思い出しながら、私は電脳同士にも因縁があるのだろうと勝手に推測した。

「あの生体傀儡で、邪魔な記録庫のコンピュータを。あいつのせいで、ボクの行動範囲が狭まったも同然なんだ。奴を……」

 実に勝手な奴だ。しかし、これでまた猶予が与えられそうだ。私はすかさず、相手の言質を取ろうとした。

「じゃあ、私らは記録庫に向かえば良いんだな。まあ、一応は手前てまへの都合に従ってやるよ」

 疲れてきたので、もう帰ると告げて、私は彼らに背を向けた。操られている副所長は、何か話そうとしていたように思われたが、無視して来た道を戻る事にした。相手は、どうしても注文を付けたいようで、こんな業務的な事を言ってきた。

「待て、後でメモリを送信する。それをデバイスに注入するんだ――」

 時間がないから、先に行くと断って、ようやく私は木偶の坊どもの林立する鬱屈たる環境から抜け出した。駐車場に戻ると、警保局のけしかけた小型無人機が車輌にたかっていた。無人機にサイレンを鳴らされそうになったが、出発しない事と、車内の彼女に用がある旨を伝えて、認可を貰った。面倒臭く邪魔な無機物共を睨みながら、機械の群れを掻き分け、ドアを開錠する。傀儡はが、私の出現でようだった。

「……もう終わったの? 随分と長かったようですね」

 休止スリープ状態が解けて再起動した機体は、そんな事を言ってきた。全部を説明する必要もなかったが、私は彼女に、友人と思しき人格に先回りされた事を簡潔に話していった。そうしていると、周囲を浮遊して、車輌にしがみ付いていた機械類が一斉に動作を止めて、空中に浮遊し始めた。どうやら警戒が解かれたらしい。

「――だから、今度は記録庫に向かわなきゃならないんだ」

 忙しいなと、いつもの彼女らしくなく愚痴を零した生体傀儡は、シートベルトを着用した。

「マザコンの命令なら、仕方ないです。行きましょう」

 改造のせいか、言葉遣いが変化している。いちいち指摘しても時間の無駄だから、私は急いで運転席に着き、電気の流れる第三軌条に端子を接触させ、エンジンを始動させた。警戒されていないとは言え、我々の上空を機体の群れが追跡している。私は大人しくアクセルを回していった。


 事務所から記録庫に行くには、大配管の脇に設けられている側道を通る必要がある。その途上にある旧市街地を抜ける区間は、巨大な機器とは無縁の世界でもあった。そのため、車輌の走る軌道と歩道との境には、相変わらず散るばかりのも植わっている。運転する傍らで見ても、枝に桃色の物体がきざしつつあるのが良く分かった。しかし、これらを真面目に見る事も叶いそうにない。どうせ三日の暇もなく、花弁は無様に宙に散っていくだろう。季節の忙しなさを怨みながら、配管に沿う道に合流して行った。

「今度のコンピュータは、マザコンとは違います。生体部品を一部に用いているだけの旧式で、その癖、自律式で周辺のOSに命令を行えると言う、妙な機種ですね」

 あまりに車内の会話が乏しいため、彼女が気を利かせてか、そんな事を言ってきた。勝手が違うとなると面倒だ。けれども私の関心は、交換器を直せるかどうかにあった。

「直せるかは分からない。それよりも例の交換器で何かできないか考えた方が良いだろうな」

 盗聴の虞があるので、直せばOSの変更に使えるだろうと付け加えて、私の考えを機体に迂遠ながら伝えた。そこで、またしても話が途切れた。私はフロントガラスの向こう側に目を遣った。大部分を喪失して輪郭が朧な月は、黒い空で曖昧な光を放つばかりであり、街灯だけが路面を確実に照らしている。小型車輌を走らせ、記録庫の支部横にある駐車場に向かっていった。

 記録庫はレンガ積みの建物で、背は高くない。赤褐色の外壁は蔦で覆われていて、とても亜光速演算が為されている部門とは思えない様相を呈していた。

既に、陰惨なドライブ中に偽造された入構証とメモリカードがマザコンからよこされていた。後は、そのデータの入っている私の指環を見せれば良いだけだ。

「……こんな大掛かりな事するから、暗躍が露呈してしまうんだ」

 そう呟きながら私は右手の端末をいじって、生体傀儡に偽造文書を送り、一緒にエントランスへ進んだ。住居区や役所と違って、この支所の入り口は旧世紀の改札口を思わせる有人監視であった。そこには見慣れた人物が立っている。以前、検死に立ち会ってくれた老人だ。

「……君は確か、死人調査の……」

 相手も覚えていたようだ。私は指環を見せながら、以前にユーザーの死去の際に知り合った者であるとささやくように名乗った。

「……そちらの方は――」

 しかし、彼の注意は生体傀儡を向いていた。連れてきた彼女は、まるで老人に興味を示しておらず、彼の眼差しに無関心であった。

「……その瞳、その頬、鼻、唇……。

 相手が突然そんな事を言ってきたので、私は戸惑った。知り合いかと尋ねてみると、何でもないと、はぐらかされてしまった。「それよりも」と言って、気を取り直した白髪の彼は、我々が来た理由を聞いてきた。

 そう言えば名刺を貰っていた。ズボラな性格が功を奏し、ポケットに入れたままだった紙片をついでに見せる。すると、相手は頭を悩ませているような小さいうめき声を出してきた。

「実は、マザコンから指令を受けまして、……抜き打ち点検を行いに参上したんです」

 点検は公式である、と敢えておほやけの名を引き合いに出しながら、彼に現状の断片を打ち明けた。しかし、マザコンが、どこで聞いているか不明であるため、回りくどい。

「時間は取らせません。点検と言っても、あくまで簡易的で形式的な物です。……それから、プログラム変更用のデータを携えています。極力使いたくないですが、と言いましてね。それで、今回は意見をお聞きしたく参上しました……」

 そう言って私は、白髪の職員に有害なカードを受け渡した。相手は少し考えて、それから記録庫の機器類の状態を確認する準備に取り掛かろうと言ってくれた。データの書換を行おうとするマザコンの企みに気付いたかどうか、分からないが、これで記録庫の主に会える。

 冷淡な表情の彼女は、「聞くだけ聞いてみましょう」と勧めた。マザコンの赤い幻影を裏切るにも記録庫側の状況を知らなければならない。私たちは老人の後を付いて行った。

 毛細な配管と配線が入り組んでいる廊下を右に折れ、左に行くと、制御室と書かれている部屋に辿り着いた。戸を開けて中に入ると、随分と古めかしいデスクトップ型の機械類が所狭しと左右に並ぶ空間に出た。その中央に、導管とも、血管とも、マルピーギ管とも、形容できる銅製コードに囲まれている若木の胴のように細く、赤松のようにしなやかな装置があった。

 今すぐ接続すると言って白髪の男は、蔦這う松型装置の近くにある古めかしい制御盤の前に立ち、数種類のボタンとレバーを操作していった。すると、ものの数分で、ソプラノを思わせる透き通った声がスピーカーから流れ始めた。

「――まったく。あの男は何考えてんだか……。あれ、お客さん?」

 制御盤に居る男が、私たちの存在を教えてくれた。すかさず私は自己紹介を挟んだ。旧友との一件、所長が襲われてしまった事、止むを得ず生体傀儡を改造してしまった事、そして記録庫の転覆を依頼された事、……冷ややかな機体は、皆まで言う私に驚いていたが、気にも留めず、知る限りの事を全て話した。

「――要はマザコンの回し者です。追い返されて当然の身ではありますが、お願いがあって、ここに来ました」

 しばらく制御機器類は沈黙していたが、再び発声装置より滑らかな音を出してきた。

「記録庫を司るわたしには、あなたの置かれている状況の大部分が分かります。つまり、マザコンのプログラムが友人の人格と融合してしまって、それで情報センターの幹部や、あなたの上司が凶刃に倒れてしまった。これ以上の暴発を防ぐために、あなたはここへ来た……」

 その通りだ。私は、あの得体の知れない赤い光の束から逃れたい。これ以上、私の周辺を乱されたくない事を述べた。

「……わたくし、記録庫のコンピュータは、全知ではありますが、全能ではありません。もっとも、このことは他の機械にも言えることですけれどね」

 私と生体傀儡は、その音声に耳を傾けた。まるで昔話のようにゆとりがある音声だった。

「私たちは、あの『』で、懲戒処分ペナルティを課せられました。……賢くあってはならないと言う罰則を与えられたのです。だから、私たちは、月並みな事しか言えないし、考えられない。全知に近い存在でありながら、人の一人も助けられない実に無力な存在なのです。あくまで。賢くも愚かしい無機物でしかないのです……」

 そうして古臭い機械だと思うでしょう、と自嘲とも捉えられる発言を付け加えながら、相手は本題に入った。

「結論から言いましょう。交換器は不完全で、あの中に御友人の精神が組み込まれています」

 私は、その発言を認めたくなかった。ただ、立ち尽くして、スピーカーから流れる音を受けていった。

「――そして、マザーコンピュータを止める方法もあります」

 記録庫の主は万能機械手でもって、メモリカードを老人に渡した。それを横に居る冷たい女性型の機体によこしてきた。

「今、彼女に渡したカードの中に、あなたの御友人を倒す方法が記されています。……古い文献です。人々が、まだドライバーと半田ごて、アーク溶接くらいしかできなかった時代の手法でもって、相手の絶縁体を外していく以外に、相手の要求を抑える手段はありません……。中央制御室に潜り込んで無理やり機械類の取り外しを行うことになります。それはつまり……」

 純粋な機械傀儡でも疲弊してしまう高圧電流と毒性ガスが流れる空間に入り込む事であり、そこに入った人間は復旧不可能な永久的なシャットダウンに陥りかねない。

「本当に、そんな所へ行くつもりですか?」

 青白い機体は私の身を案じたのか、或いは身の危険を感じたのか、そんな事を尋ねてきた。分からないと言った。それに彼にだって良心の呵責くらいあるだろうし、交渉の余地もあるだろうと言ったが、赤松を思わせる制御装置は楽観視していなかった。

「残念ですが、ご友人の良心とも言うべき意識は、もうあの機械には存在しません。あなたもご存じでしょう、その意識は、あの時、あなたの神経に……」

 薄々感付いてはいたが、私の精神は、その事の理解を拒んでいる。私は、自分の顔面が歪んでいくのに気付き、大声を出したい事にも気付いた。声だけは押し殺した。今は傀儡の彼女も直視できない。俯いて、無機質な床を睨み付けていった。

 静寂の中、交換器がパンドラの匣よりもたちが悪く思えて仕方なかった。そして、……こんな事を考えるようになっては、おしまいだ。しかし、所長は意識を取り戻していないし、冷笑が得意な機体に手を掛けてしまっている。精神の整理が付いていないが、良い加減で顔面を上げた私は彼を葬る事を決意した。

 その発言を聴いてか、記録庫の主は天井からディスプレイを降下させて、黒い画面にマザコンの急所の断面図を投影してきた。

「……補修員であるあなたなら、既にご存じのはずでしょうけど、一応説明しましょう。マザーコンピュータの中枢システムは全六階建ての構造になっています。下から順番に、第一制御層、第二制御層、OS層、配電層、アンテナ層、そして最上層。問題の御友人が組み込まれている局所生体神経細胞包含型情報集中演算処理装置機構接続機制御機器群は、最上階にあります。そこに入るには、まず各層に設置されているロックレバーを操作しなくてはいけません……」

 しかし、そんな即死して当然の世界であるマザコンの中枢には、機械傀儡か、最新の生体傀儡くらいしか入れない。彼女を向かわせても、我々の思い描いている手順通りに動いてくれるとも思えなかった。

「少し、時間を下さい」

 そう言って制御室から退出し、隣の応接室で休憩を挟みながら、腕を組んで思考を巡らしてみると、胸ポケットに忌まわしい交換器を入れていた事を思い出した。取り出して、凝視したが、稚拙な手製コイルすら原型を留めていない状態だった。その他、手元にある機械と言えば、車輌に置いているオブスクラくらいしかない。――もっとも交換器自体、オブスクラの部品を元に作られた不良品だ。あの暗箱を解体すれば、部分的には改善できるかも知れない。

「それで、どうするんです?」

 沈黙を続ける私の姿に業を煮やしたのだろう。冷たい表情をして私に付いてきた彼女が、今後の予定について聞いてきた。

「マザコンには私が行くよ。君が行くと、友人のプログラムに戻されてしまう」

 もう一度、傀儡の信号系統を組み替えるのは面倒臭いからでもあった。

「わたしは、どちらでも良いですけどね。彼に従おうが、あなたに従おうが。……どうせ、一度死んでいるんですし……」

「それに、機械を動かそうと思うんだ。君じゃ操作できない」

 そうですかと、冷たい返事をして生体傀儡は、応接室から出て行った。あまり時間がない。私も休憩を切り上げて、一度車輌に戻った。そうしてオブスクラを背負い再度、応接室に入った。これを元に交換器を組み直そう。そう考えて、私はベルトに下げている工具類から適当なツールを選んで、せっかく直したオブスクラを解体していった。

 部品を外していくうちに、交換器を直せるとは思えなくなってきた。圧倒的に部品が足りないのだ。仮に直せたとしても、今度は重大な欠陥が生じるような気がした。そう言えば、マザコンから貰ったメモリカードがあった。それを白髪の職員に持って来てもらおうと思って、私は応接室のブザーを鳴らした。

「お呼びですか?」

 来たのは、投影機が表した青い光線の束で作られた曖昧な女性像だった。声からして記録庫の主と思われる。驚いて、マザコンみたいだと言うと、青い光は不服そうに腕組みした。

「あんな、複数人の脳細胞を一緒くたにしている物と同一視しないでください。わたしはなんですよ」

 気を取り直して、寒色光の彼女に、例のカードについて聞いてみると、すぐに持って来させると答えてきた。

「――それから、確かに、あなたの声が盗聴されています。その原因となっている機材は、あなたにとって非常に身近な物です。生まれてからずっと手元に填めている物……」

「……指環か」

 記録庫の話を聴く限りでは、二週間くらい前から不正アクセスが集中していたらしい。私の考えがこれ以上、友人に漏れてしまっては色々と面倒だ。

 古い諺に、毒を食らわば皿までと言うのがあるのを思い出した。己なんて者は、所詮は法を犯すだけで何も為せない無力な人間でしかないと自嘲しながら、私は持ち出したオブスクラを置いて、車輌に置いてあった工具箱からとってきた荷電式のコテを取り出して、電源を入れた。

「……マザーコンピュータの異常性を訴えるしか能がないわたしを、どうかお怨みください。あなたに、こんなひどいことをさせたくはないんです……」

 青い人型をした光は申し訳なさそうに言った。私の後方で、どうなっても知りませんよ、と言う冷ややかな呼びかけがあったが、相手にしなかった。もう後戻りできそうにない事は感覚的に理解していたのだ。

 これから交換器とオブスクラを繋ぎ合わせるのだと意識すると、何故か、さっき見た夜の街路樹の光景が浮かんできた。いずれも幼い蕾だが、確実に爆発する前段階にあったように思い出された。そうして現在が不穏な蕾のきざしに彩られているような気がしてならなかった。

 「あの老年の職員と話がしたい。会わせてくれないか。それから、あなたに頼みたい事があるんだ」

 私は目の前の寒色系光に、そう頼み込んだ。

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