六 置換装置

 整備所は機械傀儡の情報を書き換える骨董品に興味がなかった。それ故、まだ謹慎状態が明けたばかりで、復帰していない私が処分する事になった。仮に修理しても彼らは引き取らないだろう。多分、私はゴミを押し付けられてしまったようだ。他三名に迷惑を掛ける訳にもいかない。私だけ単独で帰所する事にした。重さ40キロは下らない黒い装置を背負って、整備所から退出する事にした。

 それにしても懐かしい装置だった。私は、この黒塗りの箱の全盛期であった10年前を経験していた訳ではない。しかし、オブスクラは友人が集めていた装置の一つであった。その事もあって、ここ一ヶ月は見ていない感じがした。ただ、友人は黒い装置を分解バラして別の装置を発明してばかりいた。そのせいで、部屋が汚くなり、交換器が完成してしまった。けれども、そんな機械の残骸であっても、一応は彼の形見でもある。その事もあって、片付けるのが少し億劫でもあった。

 古い機械を集めていた友人の事を思い出すと、例のマザコンの事も蘇ってきて、先ほど聞いていた会話の断片が脳内で木霊した。

 ――秘密裡にマザコンを修理する必要がある――。

 ――そうは言うが、すぐにはできない。最低でも、人員の用意について検討したい――。

 ――人員も重要だが、時間、それに費用だって掛かる。いつから始めるつもりだ――。

 幹部以下、所長クラスの責任者側の協議であったから、我々のような泡沫の末端構成員が口を挟めるような話題でないのは承知している。しかし、渦中の物体は個人的に因縁がある機械であった。旧友の精神の欠片が入っているのかは抜きにして考えてみても、珍妙な金属と交換器の回収の真意を確かめる必要があると感じられた。

 もちろん、友人であるか本当に確かめたいと言う欲もあった。百歩譲って旧知の仲の彼であったとしても、あのようでは……。考えても無駄な事を思いながら人影のない夜道を歩いて行った。

 誰との接触もなく暗い道を行き、事務所に着くと、もう夜間業務時間に突入しているにも関わらず、デスクで忙しなく動き回る大量の人間と機体があった。

 従事要員の指定を受けている彼らも、先にあった報告を聞いたのだろう。整備所での件を、代理を務めている副所長に伝えなくてはならなかったが、どうも相手は落ち着きがなく、すぐに確認が終わった。オブスクラの事も話してみたが、機械仕掛け右手の電源を入れながら、渋々応答するだけだった。

「それは君に任せる。……それよりも、どうもマザコンの事が気になってね。――いや、本部がすぐにでも処置したいらしくてな、日程によっては、君は出られないような気がするんだ」

 確かに、完全に復帰可能になるまで一週間があった筈だ。それに、マザコンの出力した光塊が勝手に約束してきた件もある。そう言えば、友人と思しきホログラムは期限を明後日だと言っていた。だが、その日程も改められそうな気もした。どうにも私は何も為せぬまま、ただ機械や人々の言う通りに動いて、電脳を解剖する機会を逸するような気がした。副所長は明日までに予定を確認すると言って、右手にある摘みで電波調律チューニングを行っていった。時計はもう夜の時刻を指していた。配電盤調査などの作業にも携われない私は、事務室に居ても邪魔なだけなので早急に退出した。



 ほとんど闇にむしばまれてしまっている月は、どうも朧気おぼろげな調子で、弱く鈍い光を放つ力さえ失いかけているように見えた。このまま時が進めば、再び望月となる事は重々承知しているが、少なくともこの空からは、その兆しが見出せそうになかった。陰気な月明かりの中、暗箱を背負った私は道路に影を造りながら帰路を歩んだ。角を曲がると、ちょうど影が道を案内するような形で私の目の前に落ちていった。その光景が僅かながら不気味に思えた。影の先導の中、直進していった。

 いつ見ても旧時代の煉瓦のように積み重なっている集合住宅に纏わり付いている階段を昇り、見慣れた階層に入った。ここまで周囲に気を配ってきたが、人影や怪しい機体、車輌は見なかった。あのマザコンと同期している存在が、何を企んでいるか分からないが、相手方も反撃しかねないから、用心しておきたい。

 しかし、この階に来るまで何も起こらなかった。ただ、最初に彼女に遭った時のように、中に居るかも知れなかった。私は恐る恐る玄関の鍵を開けた。一寸先も見渡せぬ暗い部屋の電灯を付けると、所長が倒れて一度戻ってきた時から何の変化もなかった事が分かった。中に入り、鍵を掛ける。どうした事か、金庫には手を付けたような痕跡が認められなかった。

 不思議だが、彼女が居ないだけ良かった。最近は、死んだ友人を名乗る得体の知れない光線の塊にばかり遭わされている。今日だけでも休ませて欲しいと思った。どうせ、明日も補欠要員として赴くだけだ、配管の補修よりは負担も少ないが、どこか味気ない。記録庫に書類を出してもいるが、時間が掛かって当てにできない。そんなき世の暇潰しに、目視で欠陥を有していないと分かる黒塗りの直方体を分解バラして、点検してみる事にした。

 箱の中には、旧時代の金管楽器の管を思わせる機構や、小さな赤いハンドル、演算子が記録されたカードを読むリーダーと、メモリカードのホルダー、無数の配線、吸盤の付いた二本のホースがあった。さらに奥には、セラミックで練り上げられた黄土色をしたコンデンサや、血管を着飾った癌細胞を彷彿とさせる赤い配線の付いた黒い基板、かつての真空管程度の大きさを持つフェムトチップの衆合体など、最近見かけなくなった物ばかりが存在していた。

 ……部品や機構は、私には古く感じられた。最近慣れ親しんでいる装置が、もっと洗練されていたからだろう。このままでは直しようもないと思いながら、私は基板に手を掛けた。その瞬間、。その光景に、見覚えはなかったが、何とも言えない既視感が漂っていた。私は戸惑ったが、このまま何もせずに居るよりは、思い浮かんだ通りに基板と配線と抵抗器を繋ぎ合わせた方が建設的な気がした。



 ――思った通り、黒い装置の損傷は少なかった。床に転がっていた部品類を寄せ集めて、接着型の荷電式コテで繊細な配線と微小な端子を固定した。ついでに電流を流してみよう。私は玄関付近に置いてあった、使えるか分からない護身用の電気銃に手を伸ばし、試しにオブスクラへ向けてみた。護身用の機械は動いてくれた。想定以上のまばゆい放電によって、装置の電源が付いた。基板の取り出しで接点の支障が解消されたためでもあろう。黒い機械は大音量で人工音声を発してきた。

「お、おぶすくく……、おんせあんあ……ないをかいしし、します。ゆ、ゆーざざー……のおなま、はま――」

 ――一部にノイズの入る合成音声がやかましい。私は装置の電源を切った。どうやら無理くり直した結果、電源は付いた。しかし、旧式の機械と言う事もあって、動作の確認までは不可能そうだった。

 完全に直ったか分からない装置を見ながら、今後の事に不安を覚えていると、外から小型車輌の走行音がして、直後、車輪とエンジンが停止する音がしてきた。誰かが、この集合住宅にやって来たのだろう。真っ先に思い浮かんだのは、例の衛生局所属の機体であった。しかし、なぜ今頃になって、私が居る時間を狙ってやって来るのか、理解できなかった。

 外の階段を昇っていく足音がしてきた。だんだんと音が上昇してくる。私は暗箱装置から手を放し、電源を入れるために使った電気銃を持った。充電を促す粟粒くらいの赤色ランプが灯っていた。さっきの使用で、電池は切れたのだろう。それでも威嚇するには充分な筈だ。

 私の住居がある階層に足音が響き始めた。赤色灯が付いていて使えそうにない武器を片手に、私は玄関の戸が施錠されているのを確認して、戸に設けられたレンズから外の様子を覗いてみた。蒼白の彼女が暗い廊下に居た。

 その光景を不気味に感じていると、薄闇の中で佇む彼女は口を開いてきた。

「――いらっしゃるのでしょう? ここを開けて欲しいんですけど……」

 私は、できる限り彼女を追い返したいと考えて、玄関越しに相手と会話する事にした。

「それは君の置かれている状況次第で応じるよ。まず君は、あのマザコンの命を受けて、こんな所に来たんだろう?」

「……確かに、あなたのおっしゃる通りです。わたしは、マザーコンピュータから直接の号令を受けています。ですが、ここに来たのは鍵をお返しするためなんです」

 私の所有物を盗った事への謝罪として出向いて来たとは一体どういう事だ。何とも相手の真意が捉えにくかった。私は玄関の戸に設けられたレンズを覗いて外界の様子を探る。彼女は手に鍵のような物を持っていた。

「それは、金庫の鍵だね。何で持ち出したんだ? やっぱり、マザコンの命令か……」

 生体傀儡はうなずいて、鍵を見せてきた。そうして紙片を取り出して、こちらに見せてきた。正式な申請書だ。

「本当なら、あなたに教えておく必要もあったのですが、号令の猶予がなかったんです。……どうしても、お詫びしたかったんです……」

 彼女が持っている物を受け取るにしても、結局、私は警戒を解いて、玄関を開ける事になってしまう。その隙に乗じて、私を気絶させ、金庫の中身を盗り上げて、気絶した私を誘拐していくのだろう。あのマザコンの事だから、そんな姑息な事が推測された。玄関の開錠は止むを得ない。だが、室内での会話から、説得の余地がないか確認する方が無難に思われた。

「分かった、少し待っていてくれ」

 そう言って、私は護身用の武器を工具の並ぶベルトに吊り下げて、居間の床に置いていた修理済みのオブスクラへ毛布を被せて隠した。すると、後ろから玄関が開錠される音がしてきた。――既に彼女によって鍵の複製がされていたのだ。

「随分と急だな。待てと言ったのに」

 振り返ると、彼女が室内に入ってきていた。鍵と申請書を持っていた機体は、ゆっくりと私に近づいてきた。よく見ると相手は、物騒な物を手にしている。

「――生体傀儡がそんな物を持つとはね」

「……コンピュータの命令は絶対なんです。さあ、金庫を開けて下さい。あなたの指紋だけが残るようにしたいのです」

 彼女は、新品のように銀色に輝いている電気銃を持って、私に命令してきた。気絶させられては色々と困る。私は素直に従った。鍵を貰って、住居奥へ行き、デスクの近くに置かれた小さい金庫の鍵穴へ、真鍮製の金属を差し込んでいった。

 白く光る鍵は滑らかに入っていき、完全に停止する所で、ゆっくりと右方向に一回転させて金属製の棒を取り除く。動くようになった取っ手を握って扉を開けると、その中には事務所へ報告する程の重要性に乏しい書類や、提出期限を過ぎている屑紙、落書きのような図面が描かれたメモ書きなどの山がある。

 事務所に申告すべきか悩んでいた些細な紙片や、紙屑の山の中に手を突っ込んで、内部を探っていくと、指が硬くて冷たい金属製の小さな個体に触れた。それを握り締めて、意味を失った紙面の山から引き抜いていった。



 ――目の前には、消し炭と化した人型をした有機物が転がっていた。ラジエーターを構成するパイプが断裂して、私の頭上を襲った所までは覚えている。しかし、その直後の事が分からない。

 おそらく、パイプの崩壊と共に、高電圧を一挙に引き受ける銅製の導線も千切れてしまったのだろう。それで多量に漏電が起こってしまったのだと思われる。高圧電流のせいで焼け焦げた肉塊は、さっきまで私の着ていた服を着ていた。皮膚は焼け焦げていて、その面積は全身に達していたように感じられた。……神経系は生きているだろうか。友人の生存を諦めるべきではないが、最早……。

 焦げ爛れて亡骸とも認識できなくなっている凄惨な物体を凝視できなくなり、目を背けると、その近くに我々部外を担当する人間にだけ与えられる指環が落ちていた。銀色を呈していたのにいぶされてしまっている。友人の、いや私だった身体に取り付けられていた通信端末だ。受信機の外で活動する人間の行為を制限するリードの先端でもある。これは右人差し指の骨髄にまで浸透しているから、取り外す事は、まず不可能であったし、補修員にとっては日常の一部として溶け込んでいる代物だった。

 耐寒服を纏った人型の黒い固形物は、もう生きていない。友人は、もう死んでしまったのか。あの一瞬で――。始末書を書くのは良い。上司や役員から叱責されるのも構わない。しかし、臨時手当の欲に駆られた私は、結果として彼を犠牲にしてしまった。

 贖罪しようもない事と向き合うための方法ばかりが私の頭脳を駆け巡っていた。とにかく、一先ず通報する必要がある。警保局に連絡をやって、それから検分だったか、調査があって……。衝撃から立ち直れないまま、私は、その場から立ち去って、何とか事務所に連絡した。――会話の内容すら思い出せない――それから私は、疲労を覚えて、一旦考えるのを止めてしまった――。



 一瞬にして高電流が流れ込んだせいで一部が溶けて破損している棒状の金属製品を手に持ちながら、私はデスク近くの椅子に腰をかけた。傀儡が私の行為に僅かに驚いた様子を示していたが、すぐに冷静な面持ちになった。金庫から取り出した物体を握り締める。今や、ただの微細で複雑な銅の回路を多く含んでいたガラクタでしかなく、蓄電池として機能する事もできない。

「それにしても、ご苦労な事だ。……君は、こんな鉄屑のために、やって来たのかね」

 そんな風に相手の行為を解釈しながら、私は衛生局の彼女に尋ねてみた。

「こんな物を使って、どうする気です? こんな鉄の塊じゃ、メモリの足しにもなりませんよ」

 彼女は青白い表情を崩さず、不愛想な調子で発言してきた。

「それはマザーコンピュータの決めることです。それに、あなたは、その装置で――」

「どこまで、マザコンから聞いたのか知らないが、君の言う通り、この肉体は所詮、借り物だ。本来の肉は、もう埋葬されてしまった……。しかし、私には補修員として職務を遂行する責任がある。だいたい、反乱分子に情報を流して、配管網を破壊するとは何だ。私たち補修員を何だと思っているんだ。仮に、その発言が嘘だったなら、実に悪質だね。どちらにせよ、配管を破壊するような存在と結託したくないし、虚偽を言うような物とも仕事はしたくない。所長を刺したとか言う装置の言う事に従っては、職務への奉仕どころか、大多数の人間の不利益に繋がりかねない。そんな物に頼まれて金属の運搬なんてすべきではないし、交換器も渡せない。……それだけだ」

 そんな事を言ってみたが、相手は融通の利かない、冷ややかな機体だった。

「……どうやら、交渉の余地はないみたいですね。――致し方ありません」

 彼女はテーブルに申請書を置き、ホルスターに収めていた電気銃に手を掛けて、私の方に照準を向けてきた。私も同時に、交換器だった物を胸ポケットに収め、ベルトに掛けていた武器を手にして、相手の行為を難じた。

「……今時、こんな前時代的な決闘なんてしない方が良いに決まってる。そんな事くらい知ってるだろう? それなのに、君って奴は……」

「――だまって下さい。我々、生体傀儡は命令が絶対なんです。それに、もう――」

 彼女の動きが機敏でなくなったように感じられた。人間で言う、動揺の状態だろうか。生体傀儡の機構は分からない点も多い。――何にせよ、好機だ。死体を改造した傀儡は、耳と揉み上げの間、本来ならば動脈の流れている箇所に緊急停止スイッチを有する。彼女も例外ではない。そこに何か衝撃を与えてしまえば、勝手に停止する。しかし、私が握っている機械は赤いランプを灯している。作動してくれない気がした。しかし、それ以外に抵抗する方法がなく、ハッタリに賭けてみるしかなかった。

「だいたい、君は既に死んでいる。電極の刺さった死体でしかない。だから、もう死ぬのは怖くないとでも言う気なんだろう。どうせ、もうマザコンの言う事に従う以外に、現世との接点を無くしているんじゃないのか」

 相手の言語化不可能な箇所を補って挑発してやると、生体傀儡は目に見える形で揺れ動いてきた。事務型であるから、実戦に不向きなのだろう。

「あなたって人は、わたしのことを、そんなふうに――」

 私は彼女の隙を突き、しなやかな電気銃の引き金に触れた。威力は想像以上だった。闇夜を貫くような鋭い閃光と、雷鳴を思わせる強烈な轟音が、室内に出現し、ギャっと言う声と共に、瞬く間に消滅した。そのせいで、あるガラクタは宙を飛び、ある部品は粉々に砕けて、ただでさえ汚い室内はさらに荒れ果ててしまった。生体傀儡は灰色の床に引っ繰り返っていた。

 具合の悪い電気銃の安全装置を作動させた私は、彼女に近づいて行った。相手の目の色が赤く変化しているのが分かる。どうやらスリープ状態に入っているようだ。このまま放置しても、二、三十分程度で復帰してしまう。もう危険信号を送ってしまっているだろう。そう言えば、オブスクラがあった。確認してみると、幸い毛布にくるんでいたから無傷で済んでいた。

 外は騒がしくない。警報送信機にも電流が流れてしまったのだろう。私は、今のうちに――違法ではあるが、この生体傀儡に与えられたプログラムを組み替えて、無害にしようと考えた。

 上質な漆器を思わせる黒いデータ書換装置へ手を掛ける。箱を開いて電源を入れると、機械は勝手に説明し始めてきた。

「――この装置はプ、プログラムを収集し、新しい命令な容を送信すること、ことができます。くわ、くは……」

 そんな事くらい知っている。私は取消ボタンを連打して、音声案内を終了させようとしたが、音声が勝手に流れてしまう。

 書換装置は完全には直っていないようだったが、少なくともプログラム・演算子変更機構は生きているようだったから、諦めて使う事にした。まず、吸盤の付いているケーブルを生体傀儡の額に吸着させる。「型番:I‐9」と表示された。適合可能な機種だと分かった。

 休止している人型をした装置の頭部に手を伸ばし、両耳の裏にあるボタンを操作して、ロックを解除する。頭蓋骨に相当する部品が有機ウィッグごと外れて、青白く発光する装置を露出させた。そこにオブスクラのケーブルを接続させる。その間もアンテナと電極、演算装置や超小型モーターを有する冷淡な有機物は、死んだように眠っていた。

 彼女の電子頭脳と暗箱装置とを同期させて、まず内部に仕組まれた通報機能プログラムを削除する。さっさと、あの赤い光塊によって都合が良い命令を変更する事にした。黒い箱の中に設けられたケースを見ると、「事務アシスタント機能セット」と書かれたメモリカードがあった。補修員向けの物ではないが、仕方ない。これをリーダーに差し込んだ後、旧時代の金管楽器を連想させるピストンバルブ状のコントローラーを操作しながら、頭部に組まれた冷色に輝く緻密な機械へ転送する。

 彼女の中にあったプログラムを暗箱の方へ回収しながら、同時進行で我々補修員にとって都合の良い命令文を書き込んでいく。だんだん疲れてきた。普通二日は掛かる配線の組み替え作業を、三十分で終えようとしているのだから、疲労を感じない筈もない。しかし、これで何とか個人用として使える最低限度の状態になった。後は再起動して、不具合がなければ終了であった。

 ――僅かながらサイレンの音がしてきた。多分、警保局だろう。この機体と同様、私の家に押し入って捕まえるつもりなのだろう。その音は近づきつつある。おそらく電撃を加えた時に、マザコンと通信されていたのだろう。彼女の中枢装置と接続しているオブスクラのケーブルを取り外した私は、ウィッグの付いた頭部を填め込んだ後、耳と揉み上げの中間を人差し指で軽く押した。傀儡の胴体から再起動すると言う音声が聞けたので、これで一安心だ。しかし、黒塗りの箱の中には彼女へ仕組まれていた指令順序があったし、それに警保局の機体と職員が迫りつつあった。

 この部屋のベランダから、非常口に入って、裏にある階段を伝って、地面に降りる。そうして生体傀儡の使っていた車輌に乗り込めば、逃走可能であろうか。そうするには荷物はどうだろうか。まず、証拠品になりかねない彼女を抱いて逃げるのは当然であるし、同様にオブスクラだって必要だ。暗箱は背負えば良い。そして交換器……。しかし、あの細長い金属塊だけでは意味がない事は、相手だって知っている。だから、私を――私の頭にある知識を――欲しているのだろう。今までの行為も、そのための物だったのだろう。

 考えていても捕まるだけだ。胸ポケットに交換器を入れたままの私は、プログラム変換装置を背負い、生体傀儡を抱きかかえて、デスクの向こうにある窓を開け、ベランダに出て行った。

「案外軽くて良かった。だが、オブスクラの方が重いとはな……」

 そう呟きながら、曇っている夜空に目を遣ると、赤いランプを搭載した飛行機械が数台浮遊しているのが分かった。巡回中なのだろうか、私に気が付いていないようだった。一度ベランダに彼女を寝かせて、さっさと非常口の戸を開く。ここの鍵は前に故障しているので簡単に開錠できた。

「あれ、気付いたか」

 浮遊している一機が、こちらを向いた気がした。私は再び機体を抱えて、非常口の先に急いで行った。鉄骨製の非常用階段は、設計当時は人の利用も考えられていたが、いざ施設の供用を開始すると、建物の堅牢さからか、非常口の利用は数える程しかなかったと言う。そのせいで、この老朽した階段は錆び付いて、ステップには小さな穴さえもが開いていた。

 崩壊しそうなくらいに不安定な足場を下って、黒いアスファルトが舗装されている地上に降り立った。最後の鉄製の扉に至っては根元が腐っていて、つい先日に撤去されていた。その手前を無人機が低空飛行している。隙を見計らって出て行き、駐車場に向かっていくと、衛生局のロゴが塗装されている赤い小型車輌を見つけた。急いで車輌に近づいたのは良いが、扉はダイヤル式であった。彼女に聞くしかない。

「おい、聞こえるか」

 機体を地面に寝かせて、停止スイッチの当たりを指で押しながら声を掛けた。すると相手は再起動した。

「……どなたです? いや、ちがう。あなたは、わたしに――何したんです? なんだか調子が……」

 彼女は虚ろな瞳をしていた。大したことはしていないと言いながら番号を尋ねると、目に見えて疲弊している彼女は渋々ながら、ぽつりぽつりと数字を呟いた。手早くダイヤル錠に入力していくと、鍵が外れた。私は、気怠そうにしている傀儡を助手席に乗せた私は、暗箱装置を後部座席に入れ、トロリーポールを第三軌条に噛ませて、車輌を発進させた。

「ど、どうして、逃げるんです?」

 後でマザコンの行為を聴くために、敢えて彼女の記憶装置には手を出さなかった。私は機体に答えた。

「交換器を渡したくないんだよ。何のために使うのか分からないし。それに、所長に手を掛けた連中と通じている。……あいつと絡むと碌な事にならないと思ったから逃げるんだ」

 大通りに出て行くと、警邏中の車輌とすれ違った。このまま当てもなく彷徨う訳にもいかない。一旦、事務所に行こうかと思い、操縦桿を右に倒した。

「どこに行っても、追いかけてきますよ……。だいたい、あなたがしたことだって、もう相手方にバレてしまっています……」

「そんな事くらい分かってる……。こうなったら、もうマザコンの所へ直々に出向いた方が良いだろうな」

 本部よりも先に奴を改修してやろう。そのためには事務所に行って、道具を必要がある。

「……コンピュータの点検でもするつもり? だったら、ムリだと思いますね。だって、あそこの副所長は内通者の一人ですから……」

 詳しく聞いてみると、どうやら私が衛生局庁舎に向かった後で、彼が所長を刺したのだと言う。確かに、あの別れ際の際、所長は副所長に会うと言っていた。……本当にそうならば、代理を務めている彼に何と言うべきか、そんな事を考えている内に事務所へ到着した。

「しばらく、ここで待っていてくれ。すぐ戻る」

 彼女とオブスクラを置き去りにした私は、単独で所内に入り込んで行った。

 元々、ここは私の勤め先であるのだから、本来なら人目を避けて忍び込んで行く必要はない。しかし、生体傀儡を無許可で改造してしまっている以上、見つかっては色々と面倒であった。どうやって入ろうかと思案していたが、私は以前に闖入してきた記者の事を思い出し、彼女と同じ手段でもって入り込もうと考えた。あの時以降、事務所も混乱状態にあったため、その後の処理が思うように進んでいなかった。その上、所長が倒れたと言う情報が舞い込んで来たせいもあって、まだ勝手口の扉はテープで不完全に塞がれているだけであった。

 手袋を填めてからテープを丁寧に剥がし、そうして常にベルト上で携帯しているドライバーを取り出す。それを、まだ直っていない扉の弱点に突き付けて、何とか戸を開いた。中に入ると、スパナやレンチが置かれている工具置き場の隣に出た。黄色い軽車輌が置かれている車庫だ。人気もなく、ただ機械と道具が並ぶ空間は夜中となると実に不気味な空間であった。

 最後に点検を行った時の事――友人との今生の別れになってしまった――あまり快くない記憶――を思い返しながら、古典的なスパナやレンチの他にも、特殊光化学の産物とも言うべき工具が置かれている一帯を物色していくと、後ろから扉を開く音がしてきた。電灯が照らされている気がして、振り返ると、機械義手を装着した副所長が、顔馴染みである数名の部下と傀儡を連れて、こちらに近づいてきた。

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