五 照合結果

 救命用の培養水槽の中では、原則として上半身に何も身に着る事ができない。人工漿液しょうえきと皮膚の接触面積が多い方が回復しやすいからである。正面から刃物を喰らった所長も例外ではなく、左半身の胸に近い所に中程度の傷を負っていたのがよく分かった。緑色の養液に漬かりながら眠っている彼は酸素マスクを口に付けていた。さもなければ五分と持たず溺死してしまう。

 ショボい暴動を受けてから二日掛かって、やっと医院に出向いて所長の見舞いに至った。その間、事務所は監督者の交代や業務続行に関する情報収集、職員への命令、所長の入院手続きなどで慌ただしく、警報装置の修理も後回しだった。私の場合は記録庫へ出す書類も滞ってしまった。

 もっとも記録の開示申請は、即日で結果が出るらしいから、まだ期限はある。それでも風所長よりも指揮権を持つ負傷した彼が居てくれた方が頼もしい。私は、いつになったら治療中の彼は目を醒ますのだと主治医に尋ねた。すると医者はそこまで深刻な傷ではない事を話してきたが、安静が絶対の条件であると付け加えてきた。

「創傷は心臓を逸れてはいますが、肺の一部まで浸透しています。肺胞蘇生法を試みていますが、予断を許しません。一ヶ月くらい入院していただかないと――」

 そう言いながら、今度は刺された理由について僅かながらも言及してきた。

「ですが、官庁舎街で事件に巻き込まれるとは物騒なものですね。最近じゃ、受信機使用権を有しているのに勝手に外に出てくる人も多いですし、こんなことをする暴徒もいるようだと……」

 そんな風に言いながら、医者は所長の漬かっている水槽の横にある計器類を眺めながら、手に持っている端末タブレットへ情報を反映していった。一体なぜ暴徒は彼を刺したのだろう。そんな事を少し考えてみると、すぐに赤いホログラムの幻影が脳裏をぎった。あの友人を名乗る何かは反乱分子に情報を流していると言っていた。嫌な予感がした。

 医者の発言が、私の思考に水を差してきた。

「――とにかく、どんなに蘇生が速くとも二週間は必要です。この調子で安静にしていただければ、すぐに復帰できなくもないですよ。おそらく――」

 その発言を聞いて、現状の職務を思い返した。嫌疑が晴れたため、事務所の皆は通常業務に復帰していた。しかし、私には中度の処罰――正式には、点検等現業従事の停止だったか――が与えられていた。そのかせを外すためにも、記録庫から情報を引き出す必要があった。一応は上官、上司の許可を取らなければならなかった。意識があれば尋ねてみたかったが、これも無理だった。職務の代行で忙殺している副所長では心もとなく感じてはいたが、どうやら彼に話を付けて置かねばならないようだ。

 面会の時刻も過ぎたので、所長の入っている治癒用水槽は、両側の壁から生えてきた無機質な二本のアームに捉えられ、同時に奥の壁が開いた事で形成された、タンクの入る面積がある穴の中へ収納されていった。

 医院に無理を言って見舞いをさせてくれている以上、長居はできない。私は医者と職員らに礼を言って、面会室から退出した。これから戻って、友人と思しきマザコンの幻影の化けの皮をぐために要る書類の作成に取り掛かろうかと考えながら廊下を歩いていると、誰かに話しかけられた。

「……ちょっと、よろしいですか?」

 振り返ると、白衣に身を包んでいた人物がいた。所長の主治医とは似ても似つかぬ程に対照的な巨漢だった。話を聞いてみると、相手は所長の件で相談があると言ってきた。

「折り入って、ご相談があるのです。お時間いただけますでしょうか」

 平均よりも肥えている彼は額の汗をハンカチで拭いながら言った。よく見ると。彼の話題に若干の違和感を覚えながら、私は言葉を選んで言った。

「その相談と言うのは、どういった……」

「そこまで深刻な事ではないのですが、その、できるだけ、ご内密にしていただきたい事なのです。……先ほど、ご面会されていた患者さんの事でして……」

 どうも怪しく思われたが、好奇心の方がまさった。相談に応じる旨を伝えると、巨漢は廊下で話すのは危険だと言って、私を応接室へ案内していった。

 目の前で発汗している人間が、友人を騙る者が遣した物体でない事は確かだが、そうかと言って、息の掛かった者でないと断言できる筈もない。無関係な人であって欲しいと思いながら、黒い木製の扉を開けて中に入る。

 暗い部屋だった。先に部屋に入った巨漢が電灯のスイッチを捻って、明かりをつけた。急に視界が開けたと思うと、そこには、衛生局で見た、人型をした赤い光子の塊が描出されていた。こんな所にも投影機があるとは思わなかった。

「――やあ、また遭ったね」

 そう言って赤くて粗い等身大のホログラムは、私に近づいてきた。同時に巨漢が部屋から出て行き、扉から鍵を掛ける音がした。またしても私は、自称マザコンの術中に嵌まったようだ。

「何か変わったことでもあったかい?」

 妙に落ち着いた口調で、私に話しかけてきた。どうせ彼は、所長が刺された事を知っているだろう。

「……こんな所で君と世間話なんかするほど、私は暇じゃないんだ」

 緋とも朱とも付かぬ光の塊は、私の様子をうかがいながら、またしても徘徊を始めた。

「それは、それは。それで所長はどうだった?」

 どうせ私の近辺であった出来事の一切を知っているだろう。

「……どうなったか、知ってる筈だろう?」

 色調が変化したのか、茜色を呈し始めたように思われる人型の光線の束は、移動を止めて、その場で固まった。一体、何を考えているのか。僅かの間、静寂が広がったが、すぐに相手はスピーカーから音声を吐き出してきた。

「……まあ、彼に遭った事は、ここまで聞き及んでいるよ。……まあ、悲惨な事故、事故だったと思う」

 その返答を聞くと、発言間に時間差が多く、滑らかな発声とは言い難く感じられた。どこか戸惑っているような印象を受けたが、機械にできる芸当でもない。おそらくは通信状況の問題だろう。

「所長が倒れたから見舞いに来たんだ。今、事務所は副所長が指揮を執っている。業務の停止も避けられそうだし、大事にならずに済みそうだよ。……今のところはな」

 相手は、そうだろうよとだけ呟いてきた。本来なら旧友は、所長との関係が希薄に近かった筈である。だいたい、荒々しい光子の塊は、水槽内の彼へ刺客を送り込んだ元凶だというのに、なぜか必要以上に落ち込んでいるように感じられた。

「やるべき仕事があるんだ、もう私は帰るよ」

 さっきも言ったように、私は暇じゃない。記録庫へ提出する資料を抱えている。それさえ出してしまえば、所長を刺した原因を作った奴の鼻っ柱をし折ってやれる。

「扉を開けてくれないか」

 しかし、振り返って扉を見てみると、開錠された気配がなく、引いても押しても開かなかった。

「どうせキミは記録庫へ申請する書類を作成するつもりだろう?」

 監視映像のメモリやら、事務所の集音装置にでも侵入して、私の企んでいる事を知り得たのだろう。何にせよ、隠事は意味を為さないようだった。

「……そうだ、君の行為を徹底的に洗い出すんだ。君も知ってるだろうが、記録庫の情報は即日で審議されて開示されるんだ。ここから出たら、すぐにでも送るつもりだ」

 面倒臭くなり、もう私は肯定する事にした。すると、自らをマザコンと同化した人間の意識の成れの果てと称する存在は、突然こんな事を言ってきた。

「まあ、許可さえ下りればね。……そうだ、ボクが少しだけだけど、手伝ってもいいぞ」

 彼は私たちの妨害がしたいのではないのか。一瞬だけ困惑したが、気を取り直し、どうせ条件付きだろうと彼に聞いてみた。

「――もちろん、条件付きだ。キミがボクの囲っている集団に参加してくれれば、許可例の写しを融通しても構わないよ」

 重厚なセントラルサーバーから繊細なコントローラーまで点検する補修員として、そんな要求を呑める訳がない。私は交渉へ応じられないと相手に伝えた。深紅に近い光線の塊は、仕方ないと言わんばかりに話題を変えてきた。

「それから、例の金属の件、早速だけど、明後日に移せないか」

 おそらく、これが元々の本題なのだろう。二、三日前の一方的に結ばされた約束を思い出しながら、私は期間が縮まった事に言及した。

「随分と急だな。君も何かに巻き込まれたのか?」

 私の厭味いやみったらしい質問を聞いてか、くれなゐ色をした霧のような出力の塊は一瞬だけ止まったが、徘徊を再開した。

「……ボクも色々と忙しくてね、予定を変更させてもらうよ」

 約束をした体で話しを進めているが、私が従うとは限らないぞと答えると、赤いホログラムで作られた幻影の顔面が私の方を向いた。

「だとすると、キミも所長と同じようになってしまうよ」

 やはり、相手が関与したようだ。どうして彼が刺されたのか、理由を問うてみると、今まで滑らかに発せられていたスピーカーの音声が、今度は断続的に流れていった。その調子は、まるで相手が口籠くちごもっているようであった。

「……ボクには実体がない。ボク自身が誰かを刺すということは物理的に不可能だ。……前も話したように、愚痴ばかりの連中、いや、……不平を持つ同志だけを駆使して代わりに色々な事をしてもらっている訳だ。……その結果が、これだったのさ」

 ぎこちない調子で理由のような物を言った。明言を避けているようだ。私は黙って、その続きを聞いた。

「……そもそもキミだって、所長に色々と指図されて面倒に感じていただろう? ……それにあんな単純な生体傀儡に心を許されてしまうなんて、相当ストレスを抱えていた筈だ。違うかい?」

 つぐんで傾聴したが、結局、相手は抽象的な発言ばかりしていた。こんな事に付き合ってもいられない。私は再び帰りたいと告げた。ここから出せと言うと、光学の赤い幻影は、もう一つ注文を付けてきた。

「そう言えば、まだキミは、あの家に住んでいたね。探りを入れさせていた衛生局のから聞いたよ。……交換器がまだあるみたいだな。――実は、それも必要になったんだ」

 本当にあの友人だったなら、装置内の配線構成の全てを記憶している筈だろうと尋ねると、肝腎の配線位置の構成情報が曖昧になってしまったと答えてきた。過電圧に晒されたから、悪影響も出ているのだとも補足してきた。信用できない奴だ。相手の言う事を考えると、そこに居合わせた私の脳内にも影響の一つ、二つくらいあって当然だ。しかし、私は……。考えても仕方のない夢想を払いながら、私は記録庫に出す申請書のフォーマットと審議を通過した書類のコピーをよこしてくれれば考えてやると条件を付けてやった。受け入れないと思っての事である。

「――いいだろう、その条件は呑んでやる。その代わり、後で例の娘を向かわせるから、よろしく頼んだよ」

 まさか受諾するとは思わなかった。これで口約束が成立してしまったわけだが、巨漢の閉めた扉が開き、一先ひとまず解放される事となった。赤いホログラムは、もう太った男が帰ったとだけ告げて消滅した。

 応接室から出ると、白かった廊下は西日で橙色に染まっていた。茜色に光る窓の方を見て外を覗くと、緋の光が、紫と薄紅の混合している夕暮れの情景を造っていたのが分かる。そして、今にも開きそうなつぼみを付けた枝の様子が嫌でも見える。その下に多種多様な配管が蛇の乱交みたく乱雑な調子で大地に横たわっていた。

 日も長くなったと言うのに、結局、旧友を騙る代物に足止めされ、記録庫に出す書類の作成すらまともにできなかった。夕日のような光子の塊は許諾例の書式を用意すると言っていたが、そんな自殺行為も同然な事をしてどうするのか。何か策がありそうな気がした。そう考えながら視点を廊下の奥に戻し、病院の出口から暖色の支配する逢魔が時の外界に入って行った。



 すっかり冷気を失った夕焼けが持つ橙色の雰囲気に包まれつつある事務所の周囲には、またしても青緑色や黄色を呈した植物性の汚物が散乱していた。腐敗が進んでいて、排泄物の様相を呈し始めている。傷みの激しい有機物に黒い六本脚の何某かが数匹ほどうごめいているのを後目に、私は事務所に入った。あんな事をしても、結局は衛生局の末端を苦労させるだけだ。通信弱者だか何だか知らないが、巡り巡りて別の弱者を攻撃するようでは、「弱者」と言う実に使い勝手が良くて都合の良い身分を喪うだけだろうに。

「まったく今週に入ってから、酷くなる一方だよ。罵声は聞き慣れているが、ここまでクると万物の霊長が聞いて呆れるよ」

 補修員が交代する時刻でもあるため、事務室は人が少なかった。副所長も休憩で席を外していた。そんな中でデスクに居た職員が、先に挙げたような事を言って、私の方を一瞥してきた。続けて、彼は私の不在中にあった事を報告しれくれた。

「そういえば、ここに、君を尋ねに来た生体傀儡があったよ」

 病院で遭遇した人型の光の事を思い出した。全知に近いが未だ全能ではないマザコンの掌握する範囲をすべて知っている訳ではないが、少なくとも例の衛生局の女性型には息が掛かっている。あれを職場に遣したのだろうか。私は詳しく聞いてみた。

「衛生局の機体でしょう、何か言ってました?」

「ああ、そうだった。何でも、前に受けた検査の結果を渡したいと言って、茶封筒を持って来たな。そこにあるはずですよ」

 そう言って、職員は私のデスクをした。確かに厚みのある大型の封筒が、作業台の面に置かれている。しっかりした口実だ。そう思いながら、荷物の持ち出しと受け取りがあった事を教えてくれた彼に礼を言って、私はデスクに向かおうとした。その時、相手は何かを思い出したようで、一言付け加えてきた。

「それから、忘れ物を取りに来たと言っていましたね」

 ――忘れ物――、すぐに思い当たる事物はなかった。どういう物だったか尋ねてみると、相手は鍵だと答えた。……そう言えば、金庫の鍵を作業着のポケットに入れて、その後ロッカーに預けていたな。そんな事を思い出した。

「その機体に、鍵を渡したんですか?」

 職員は、律儀にも申請書を持っていた相手を信用しない訳にもいかないだろうと返してきた。しかし、彼の話によれば、ロッカーにあった物から鍵を見つけて、それを渡したと言ってきた。あの冷たい機体は、どうせもう、始めて会った時のように、部屋に侵入して、金庫を開けたのだろう。種々の息苦しい法典と我儘わがままな肉塊に振り回される有機体よりも、理路整然とした電脳規制綱領と半導体に与えられる明快な物理法則に左右されるマザコンの方が一枚上手と言う訳だ。

「分かりました。どうもありがとうございます」

 おそらく彼女は精巧な偽物――あるいは、私を介在しない本物を出したのだろう。どちらにせよ、既に申請書として受理されてしまっている。監視装置を通じてマザコンが見ているかも知れない。ここで揉めても色々と面倒だった。おとなしく振舞っておいた方が得策であろう。しかし、あの得体の知れない暖色光塊の赴くままに事態が動いていると考えると、幻影のごとき奴の思い通りに進んでいる事を不気味に感じた。あの画素の粗い彼は本当に、あの友人なのだろうか。

「――まず、97番L変電所が再び停止しました。原因不明。おそらく不平を持つ者の仕業でしょう。現在は第329番事務所が応答中――」無線が業務連絡を告げていく。所長の件で、状況整理のために始まった習慣である。

 あまり期待せずに、茶封筒を開けていくと、中には「異常なし」と記された先日の精神検査の結果と、過去に提出されたと思しき申請書の写しが数枚あった。特に重要な箇所である、「申請動機及び申請理由・目的」と記された長ったらしい項目欄に不備はなく、そして何よりも、いずれの書類にも審査を通過した物であると認める印が押されていた。

「――続いて、暴徒が侵入したことによって生じた第43番配管の亀裂は既に修復が完了しました。これに伴い発生した焦げた人間の死体の処理も終了しています――」無線は単調な現状を語っている。

 その代償が、ジスプロシウムと交換器を提供とは……。肉筆で書類に必須事項を記入しながら、そんな事を思った。しかし、記録庫の情報で以って、相手の動向を比較すれば、相違点が幾らでも見つかる筈である。それなのに、なぜ彼は私にコピーを渡したのだろうか。さっき職員から聞いた、持ち出しの事も気になる。公式記録の開示を脅威とは思っていない事になる。

「――現在の受信機の使用率は、先週の速報値から0・23ポイント減少して、概ね96%となっております。その他、第213番配管におけるラジエーター機構の水温は摂氏32度5分、微熱処理を担当する職員は速やかに処置を講じて下さい。その他、電源設備は概ね平常通り作動しております。マザコン一帯の絶縁率も良好で――」

 マザコンの介入によってか、一ヶ月程前にあった事になっている、例の友人による定期検査について、当時の記録簿との照会を申し出る旨を書いていく。手元に見本があるので、予想より短時間で記入が終わった。まだ血のように輝く恒星は惑星のに差し掛かっていない。西日の眩しさを感じながらシュレッダーで前例となっていた書類の写しを処分していった。記入した書類に不備はない。ちょうど副所長が休憩から戻ってきたようだった。

「――以上、行政による受信機普及記念式典についてお伝えしました。ここからは整備所から各所の動向についてお送りいたします――」

 申請書を持って、無線を事務所内に流している副所長の元へ向かった。記録庫に整備記録簿の複写申請用を行って、確認を取るのが良いと伝えてみたが、相手は関心を示さなかった。それで記録簿を照会して、マザコンの出す情報と比較してみた方が、色々と得る物もあるだろうと付け加えたが、受理に対して慎重な姿勢を崩さなかった。代理である彼は口を開いた。

「つい二日前、記録庫からの照会結果は、申請から二週間を要するようになったらしいんだ。ちょうど、所長が倒れた時に改定されたみたいでね……」

 どうやら、あのホログラムは先に手を打っていたようだ。これでは明後日、荷物運びをさせられてしまう。私は少しうつむいた。間に合わなければ意味がない。これでは申請を出しても無駄である。顔を上げると、所長代理は申請書と同時に出しておいた「検査結果」の書類に注意を向けていた。

「申請は、わたしの方でやっておくよ。……それよりも、この結果が出たと言う事は、ようやく君を職務に復帰させられるようになったと言う事だ。無論、一週間の準作業が必要だが……」

 本来なら、これで日常に回帰していく筈であるが、衛生局の機体や、友人と思しき映像のせいで、まだ戻れそうにない気がした。副所長の持つ紙を見ると、記録庫の書類と同様に「即日」の表記が為されていた。

「――次に、第479事務所について。第479番所には、第43整備所への要員補充の要請を行っております」

 無線はそんな事を告げていた。二度も当所の番号を言ってきた。代理ではあるが、所長としての権限を有する目の前の男は、業務から遠ざかって、単純作業ばかりしていた私の顔を見ていた。

「整備所か。そう言えば、君は最近、実務に就いていなかったね」

 点検や検査と言った道具を使う作業ではなかったとは言え、配置表の確認などで忙しかった事に変わりはない。だが、二日ぶりに自宅のガラクタよりも精巧な機械に触れたくなってきた。どうせ副所長も、適当な人物を見繕う手間も省きたいのだろうから、私に声を掛ける筈だ。それに従えば、ある程度の気晴らしにはなるだろう。かくして、私を含む機肉混合の四人組が成立した。



 整備所を電脳墓場と揶揄する者も一定数いるが、元々は旧型の自律式機械傀儡の集まる場所である。今回赴く場所も、真っ当な運営をしているし、悪化もしていない。ただいにしへの第五次通信時代を思わせる糸状の回線と直方体の物体が集積されている程度に汚れているだけである。

 例のごとく、黄色くて小さい車輌に乗り込んだ私たちは、指示された地点に急行すると、現場には出迎えの要員が二、三名来ていた。私の他に指名された男性型の生体傀儡が代表して挨拶し、我々は整備所に足を踏み入れていく。

「――既にご存じのことと思いますが、整備所は生体傀儡ですら進入不可能な領域、俗に言う立入禁止区域での特化した完全自律式機械傀儡を中心に、整備・点検を行う部署です」

 そう言いながら、整備所の職員は補欠として赴いた我々を先導していった。一応は、我々と同じ改修部に所属する部門であるから、そこまで説明する必要もないと思ったが、傀儡に関わる部品は、配線に用いられる物よりも緻密で繊細である。案内役の職員も、その事を言いたかったようで、部品の扱いに気を付けるようにと釘を刺してきた。

 しかし、我々補修員のする事は既に決まっていて、結局は既存工具との互換性を持たせるべく人型に組まれた機械傀儡の残骸、具体的には完全なる合金で成形された頭部パーツ、血管を思わせるように複雑な電源コード、リンパ管のごときシリコン製の供給パイプ、はらわたみたく折れ曲がった油冷式の複雑なラジエーターや、虫垂と似ているセラミック製の碍子など、過酷なマザコン周辺の精密機器検査に関わらざるを得ない精鋭の傀儡たちの成れの果てである部品・機構・機器を廃棄していくだけであった。だから補修員はジャンクヤードと呼ぶのである。

 マザコンのによって疲弊してしまった機械類が散乱する空間に到着した私たちは、まず手分けして、分別するところから始めた。一般にはロボットと称される機械の行く末を分類しながら、私を除く三人は、所長を刺した暴徒について噂していた。しかし、そのほとんどが憶測であった。あまり興味を示さずに、会話に参加しているうちに、自ずと話題は所長以外の人々への関心と、本部の動向の二つに移行していった。

「――そう言えば、当所の所長以外の人間も刺されたって話、最近になって知ったんだが、知ってる人いるかい?」

 倒れた所長の入院手続きや、記録庫への提出書類などにうつつを抜かしていた私にとっては初耳だった。この生身の者による不確かな投げ掛けに対して、代表して挨拶した生体傀儡が返答してきた。

「確かに、他所よその職員、それから総合情報センターに務める幹部も不審な事故に巻き込まれていたようですね。……もっとも、職員間の噂でしか広がっていないようですが」

 要は情報が乏しいのだ。しかし、所長の件だって、マザコンにこそ知られてはいるが、公表は控えさせるように、本部にも伝えている。もちろん完全に報道されていない訳ではないが、反応しているのは平気で公共物に生ごみを投げつける自己正当に狂ずる信者程度であった。

「だけど、通信機構の大幹部となると、本部の連中だって止む無く隠蔽するだろうしさ……」

 こんな噂が整備所の一角でやり取りされている時点で、本部とマザコンの関係は悪化しているように感じられた。そして、顔も名前も知らない幹部を事件に追いやったのは、あのホログラムのような気がした。

 役に立たない憶測を払いけて、私は焼け爛れたそびやかなケーブルを屑箱に詰めていくこれで銅線の残骸が片付いた。後は、渦巻き状の集音装置二十数台の分別と、三叉型の自律式アームの処分、そして、縦20センチ、横・奥行40センチ程度と言った黒い直方体の処遇を決めれば良かった。

 我々は、黒い機械に近づいて行った。うるしぬりのような光沢を持つ黒い金属製の箱には「OBSCURE」と打刻されていて、傷一つなかった。おそらくは、何らかの函数かんすうを用いて、デバイスを変更する暗箱装置だろう。すかさず生体傀儡が解説を加えてきた。

「――簡単に言えば、デバイスとか、傀儡のプログラムを書き換える装置です。あらかじめ、有用な情報とか、プロトコル、演算子、あとは指示などが備わっていて、ボタン一つで書き換えられるという代物です」

 今となっては、中央で指揮するCPUから遠隔操作される型の傀儡が多いため、利用されなくなったようだ。それ故に、替えのパーツもなく、ガラクタも同然であると言ってきた。

「メモリに価値がありそうだ。一度、処分について伺おう」

 修理すれば直るかも知れないと思い、私はそう発言した。余計な事をと言われてしまったが、言い出しっぺの私が責任を持つことを条件に、私たちは整備所の事務室に戻っていった。

 そこでは、整備所の職員らが一堂に会していた。何でも整備所の監督官が、情報センター本部の人間との公開会議を傍聴しているようで、その内容は改修部に属する我々にも非常に興味深い物であるらしい。

「同様の事件が他にも起こりまして、このI‐9型という旧式の生体傀儡が関与しているようです」

「つまり、マザコンは、危険分子へ情報流出を行っていて、そのことを我々に報告せず、欺いている、と……」

「……はい。そのほかにも、記録庫の検勘使による報告もあります。別紙97番です。このように、マザーコンピュータは、情報の外部流出を看過していると言えます。このことから、マザコンは不調を来たしていると言わざるを得ないのです」

 この会話を聞いて、ようやく私は、病院で見たあの茜色の光に包まれていた男が焦っている理由を理解できた。彼の行為は既にバレているのだ。そして、おそらく彼の取り巻きは、言う事を聴かずに暴走してしまったのだろうと思った。だから、所長の件で沈黙が増加したのだろう。

 所内が取り込み中と言う事もあって、あの黒い直方体の機材――無理に音声転写すれば、オブスキュール。または、オブスクラだろうか――の修理についての意見は聞けなかった。

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