四 劣勢判断

 喪服から作業着ではなく、平服に着替えて官庁舎街に紛れ込んでいる総合情報センター本部ビルに向かって行き、しかるべき手続きを済ませた。そこでは所長も携わってくれた。そうして聞き込みが始まったのだが、そうは言っても、完全自動化されて久しい。漆喰みたく白いドーナツ型の機械が私の頭部を飲み込んでいく検査を数回繰り返すだけの単調な儀式と言えた。円環状の機械が顎から頭端までを行ったり来たりする間に、簡単な設問に答えていくだけの精神検査自体は、五分程度で終わった。いつもそうだ。スキャンだけならすぐに済むが、データの作成と資料化には三週間も掛かる。

 こうして本部の拘束から解放されたのは良かったが、私に対する疑惑が完全に晴れた訳ではなかった。気晴らしになるかと思い、霞の残る空模様を眺めてみたが、配管が宙を横切る風景でしかなかったので、すぐに止めた。下界に視点を戻すと、今度は鋼鉄製の配管網が突き刺さった灰色の官庁舎街の風景が広がった。

「二週間後に捜索とはね、まったく運がないよ……」

 同行人として本部にやって来ていた所長が、ため息を交えながら呟いた。身に覚えもない事であったのは確かだが、事務所の全員に疑惑を抱かせてしまった。今この場で行える事は、謝るくらいしかなかった。

「……W地区へ行った映像にきみが映っていたというのに、事実だと認めなかったな?」

 電脳規制綱領で制限されているものの、マザコンの記録した情報は正確であるから認めざるを得なかったと言った。それに加えて、最近じゃ、肝腎のマザコンの改修も少なくなっていることを話してみた。所長はゆっくりと口を開いた。

「……きみもそう思うのは構わないんだがな。それが、どういう事か分かっているんだね?」

 マザコンの性能と正確性、そして処理能力を疑う事になると告げた。勿論、あり得て欲しくない事であるが、身に覚えのない事であったし、そもそも当日、友人はW地区になんか出向いていない。私と二人で駄弁って仮眠を取り、不健全なくらい余暇にふけっていた。そのため、映像が加工されたと疑うしか活路がなかった。

「――まあ、分かっているなら良いよ。……確かに、あの映像は、個人的に引っ掛かる物があるんだ……」

 本部ビルから遠ざかり始めたので、所長は小声で、そんな事を口にした。

「ええ、出向いた覚えはありません。本当なんです」

 しかし、そのアリバイを証明できるのは私だけだった。その役割を工夫して話すのも可能だろうが、骨が折れるばかりで、言い訳がましい。そもそも聞き込みを担当していた堅物そうな生体傀儡の面持ちを思い出すと、とてもじゃないが理解を示していたようには見えなかった。

「……だがね、そうなると証明できるのは、例の一ヶ月前に往生した友人だけになってしまう。……こんな事を言っては何だがな……」

 事務所の調査を通達された際に、所長が受けたショックは決して軽微な物ではない筈だ。しかし、その口調は言葉を選びながらゆっくりとした語り口であった。私に手加減してくれているように思われた。

「わたしだって、きみを信じたいんだよ。……あの部屋の扉の映像だって、きみが映っているとは言え、画素が周と比べて低かった。しかしだ。マザコンの不具合を疑う事になるぞ……」

 やはり最大の問題は、映像であった。そこに青いシャツを着た友人の姿が写り込んでいたのだ。それだけなら、まだ他人の空似と言った弁護の余地もあろう。それに今回の傀儡候補むくろに外傷はなかった。しかし、ケーブルに断裂が走っていて、機能不全に陥っていた事が警保局の調査結果に記されていた。凶器は補修員の持つペンチとまで書かれていた。

 ――冷たい印象を持つ彼女がしていたマザコンの話に夢中だったせいで、見落としたのだろうか――。今となっては、もう分からない事だった。

「――もう十字路だ。一旦、きみとはお別れだ。向こうで副所長も待っている。これ以上待たせられない。精神検査の結果は、後で報告してくれよ」

 そう言って、所長は改修監督所へ向かっていった。予定では副所長が先に本部から戻って、事務所で一時的に指揮を執るらしい。本部の調査を受けるに当たって、事務所は一時閉所状態になる。その間の業務引き継ぎなどに関する手続きのために出向いて行った彼の後ろ姿を見ながら、私は精神検査を受けるために、衛生局本庁舎に向かう事にした。気は進まなかったが、命令書を貰っている。逆らう訳には行かなかったが、どうにも嫌な予感がした。

 コンクリートで築き上げられた重厚な衛生局の正面口を通って、エントランス中央にある受付の生体傀儡に話を付けると、予感が的中した。私の担当者は、あの安定士だ。

「――お久しぶりですね。どうやら、お忙しいようですね」

 いつ見ても、燃料系統の循環効率が悪そうで、冷え切った感じがする旧式な機体だった。どうしてこの中古と思しき機種と出会う事が多いのだろうか。何となくが、あまりに荒唐無稽な考えだったので頭から払い除ける。

「また、あなたですか。ここまで奇遇が重なると不気味ですね」

 嫌味を込めて挨拶しても、相手は気にも留めず、冷静に応答してきた。

「それは、マザコンの定めたシフトの通りに進めた事ですから、問題ありません。さあ、精神検査場へ、ご案内致しましょう」

 不審な印象は残っていたが、業務に復帰するには、従わなければいけない。私は冷ややかな皮膚を持つ機体に付いて行った。階段を昇り、廊下を直進し、扉を開けて、白い部屋に入った。そこには、リクライニングチェアが一つ置かれており、回路が剝き出しのヘルメット状の装置がヘッドレストに設けられていた。

「そちらに腰掛けて、しばらくお待ちください」

 また、脳波測定型の検査かと、面倒臭く感じた。椅子に座って、ヘルメットの形をした無機質な機材に手を掛けた。準備が整ったようなので、アルミを思わせる装置を頭に被っていった。



「――終わりましたよ」

 冷たそうな生体傀儡はそう言ってきた。醒めた私は、頭からヘルメットを外して、元の位置に戻す。

「これで終わりなんですね」

 青白い彼女に尋ねてみた。すると相手は、もう一つして欲しい事があると言ってきた。今までの調査結果と照合をして、今回の検査内容に反映したいらしい。もっともな事だと思った一方で、どうにも回りくどい説明のように感じられた。

 死者の皮を被った傀儡は、私を再び廊下に案内してきた。今度は長く、白い廊下だった。その突き当たりには、エレベーターホールがあり、そこから別の階に向かった。官庁舎ともあってか、リフトの動きに振動はなく、それどころか上昇・下降による重力の変化さえ感じなかった。

 そうして戸が開くと、赤い廊下が一直線に延びている階層が出現した。あまり熱を帯びていない彼女の先導で、その廊下を進んでいく。天井と壁には、大小様々な配管や配線、配電盤、バルブ、インジケーターが取り付けられていた。配管の設置などについては門外漢だが、素人目で見る限り、栄養素を送り込む管が多い印象を受けた。そんな特徴がある施設は、そんなに多くない。病棟などに限られる。

 生体傀儡は廊下の奥に位置する鋼鉄製の扉の前で立ち止まった。遅れて私が到着すると、彼女は華奢な手で、重い取っ手を握り締めて、鋼の戸を開いていった。

 そこもまた、配管ばかりが蔓延っている空間であったし、色彩も暖色が大半を占めていた。橙色をした無機質な装置が数多く連なる中を通過していくと、黒いモニターが等間隔に配列されている場所があった。心電図のようで、黒い画面の中で白い線グラフが脈動を繰り返していた。

「……何で、ここを通るんだ?」

 血色の悪い安定士は無言のまま、私の前を歩く。仕方なくそれに続いて行って、モニターの群れを脱出していくと、今度は両側の壁がガラス張りになっている空間となった。新生児室だ。ガラスの向こうで、昨日見た受信機を五十センチの大きさに縮めた形をした保育器が所狭しと並んでいた。中で胎児がうごめいている。

「もうすぐ、あの方がお見えになります」

 彼女は何を言っているのか、分からなかった。心当たりのない人物に関する情報に困惑しながら、付いていくと、観察室と思われる空間に入った。ここも依然としてオレンジ色の空間であったが、部屋の中央にはホログラフィックを吐き出す旧式の通信装置があった。この空間は本来なら、ガラスの中でへそから養液を注ぎ込まれている後輩達の面倒を看る役割の人間や機体が詰める場所であったが、今は誰もいない。その事を目の前の冷たい機体に聞いてみると、そんな事は知っていると言われた。

「そろそろ時間です。わたしは退出するように言われているので、これで失礼いたします」

 何でも、ここへ案内させた人物は、私と一対一で話したいそうだ。冷ややかな微笑を浮かべながら、彼女は詰所から出て行った。観察室は静寂に包まれた。脈拍を告げる高音、時刻を刻む針の音色、配管を通る液体の泡沫が砕ける声、そして部屋の中央に設けられた通信装置の起動音が周囲に鳴り響いた。

「――なつかしいなぁ。ボクらは、ここで

 そうして、ぎこちない機械音声が聞こえた。確かに、そう言った明確な言語として聞き取れた気がする。

「鑑定士に落とされたって聞かされたよな。そうだろう、きみ? あの検査って何という名前だったかな?」

 初歩的な質問だ。私を試しているのだろうか。

「……接続適性検査だ。大元おおもとが同じ複製された受精卵であっても、仮想空間に酔いやすい人間と、そうでない人間とに分かれてしまう。そこで仮想への接続に対する適性がない状態、感受能力劣勢と判断された後者の人間は……」

「受信機に直接接続できず、一般住居に入れない。よく覚えていたな」

 部屋に配置されたスピーカーは、ケラケラと笑い声のような金管楽器を思わせる機械的な音を奏でた。

「そうとも、そうして本部とマザコンに近い開発部や、キミら補修員の所属する改修部などへ配属される事になる。そして、その結果が、このボクの状態という訳さ」

 そう言われても、姿が見えない。そう思っていた。しかし、観察室のホログラム生成装置の起動音がしてきた。相手は何の姿を出力するつもりなのだろうか。

 少しだけ期待したが、私の前に出現したのは、旧式の投影機によって表された画素が粗く赤い人型のホログラムであった。それも部屋の中央にあるテーブルの上に投影された小さな物であった。これでは判別がつかない。こんな骨董品じゃ出力が悪いのも仕方ない事である。だが、その姿に見覚えがあったのも間違いなかった。

「何で、君が……」

 友人を思わせる格好をしていた小さいホログラムは、テーブルの上をグルグル歩き回りながら、発言してきた。

「――久しぶりだな、もう一度キミに会ってみたかったんだよ」

 状況が今一つ呑み込めなかった。あの事故が原因で、こんな越権行為じみた状態に陥ったのだろうか。ならば友人は、どうしてこんな事をしてしまったのか。

「……あいにくだが、君と世間話をしている程、私も暇じゃない。手短に説明してくれ」

 友人でなくマザコンなど、ハード側に生じたプログラムの損傷の結果かも知れない。相手の素性を聞くことにした。

「キミも、一ヶ月前の事件を覚えているだろう?」

 機械的な音声の口調が変わった気がした。テーブルの端に手頃なカード式メモリの束があり、友人と名乗るホログラムは、そこに腰掛けた。

「その時、ボクは変換器を持っていて、それでキミをかばった。……そのことを忘れたとは言わせないぞ」

 赤い光線の向こうには四肢のある小さな肉の塊が詰まっている保育器が並んでいた。それを見ながら、何かが私の回りくどい脳裏に蘇って来るのを感じた。今まで血液に眠っていた古びた意識が脳組織に浮上してきたようだった。私は口を開いた。

「忘れる訳ないだろう。あの事は、今でも鮮烈に……」

 友人はラジエーターのパイプで頭を強打し、死んでしまった。問題は、その後だった。私は応援を呼ぶなどと言って、その場から立ち去って、ひたすら走り回った。その間に、彼は……。

「それで、事件前までのボクの体は、今はキミの物になり、一方で、キミの体は、ボクの体となって、高電流を喰らってしまったという事になるんだ」

 旧友を騙る相手は機械音声ながら、快活な喋り方をしていた。私は黙って、彼の話を聞いた。

「その後は、……昨日の死亡現場で彼女が言った通りの事になったのさ。元キミの肉体から脳髄だけを取り出して、マザコンの有機プロセッサとして組み込まれたという訳なんだ」

 再び金管楽器のような音声が流れ出して、観察室の空気が少しだけ沸いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。気を取り直して、聞き慣れない単語で呼ばれた例の生体傀儡の事を尋ねてみると、友人と思しき人物は、あれを操作していたのはぼくだと言ってきた。ますます理解し難くなってきた。そうして赤いホログラムは、取り乱した調子でテーブルを駆け回り始めた。

「そうとも、キミの元にあれを派遣したのは、このボクさ。ボクをこんな風にした情報センターの連中への復讐のためにやった事なんだ。……君には少し悪い事をしたかも知れないが、どうしても、痛い目を見せてやりたかったんだ」

 そうして相手は、開発部の裏方としてデータベースの一部を管理する側に回って、人智の実態の一切を知った経験を語ってきた。底もなく途方もない能力主義を極めた結果、博識を唾棄し、娯楽の緑液に漬かり、現状を顧みようとも努めなくなった。そんな愚痴らしき事の端々を逐一理解するのは面倒だった。

「――そんな物だろう、人間なんて。だいたい人生なんて楽しい物じゃない。人生の間に経験する娯楽や享楽、快楽が面白いのであって、人生そのものは恐ろしいくらいに詰まらない代物だ。人生なんて長ったらしい時間潰しに過ぎない」

 彼の短絡的な思考に呆れて、私は現生人類を擁護する発言を行った。「お前は人間を過大評価している。そこまで立派な存在じゃないぞ」赤いホログラムの方を見ると、画素の粗い腕を組んで、私の発言を拒絶してきた。

「……キミは、いよいよ救いようがないな」

「救いよう、か」

「第一、キミって奴は、ボクの体で生きていながら、ボクの事を忘れていたじゃないか。そうとも、悲しむ素振りすら見せずに……。まあ、別に良いけどさ……」

 この調子では平行線を辿るだけで、話にならない。友人を思い出さないようにしていた事については言葉を濁しながらも、もっと建設的な事を尋ねてやる事にした。

「……とにかく、君の話を整理すると、あの出火騒ぎで邪魔な連中を仕掛けたのは君と言う事になるね?」

 自称友人が今までの事件に、どこまで関与していたのか聞いてみると、答えは簡単に返ってきた。

「そうだ。あの反乱分子は、ボクの指示で動かした駒さ。使い勝手の良い連中でね……」

 苦労してきた私は、さっさと目の前のホログラムを掴んで、殴りかかってやりたくなったが、いくら何でもできそうにない事だった。

「酷い事してくれるな。君だって補修員だったろう。私たちが今までどうしてきたのか、分かっている筈だろう。だと言うのに……」

 そこでつぐんだ。若干、取り乱してしまった。相手はそれを看破してか、さらなる動揺を生じさせるために、追い打ちをかけてきた。つまり、お前は本部に良いように使われてしまっているのだと言ってきた。少なくとも言い分くらいは聞いてやろうと考えた。

「――ボクらは所詮、生理学的人造人間に過ぎないんだ。そうだろう? 消耗されるだけの部品に過ぎないし、本部はボクらの仕事を単純で卑しい物だと決めつけている。キミだって分かってるはずだろう?」

 無機質な管によって分裂させられている白い細胞の塊が漂う培養タンクの一つが観察室の中に召喚されて、古臭い小型クレーンで運ばれる中、粗い光で作られた彼の姿が私の方へ向かってくる。

「……そんな事、考え続けたって事態は良くなりそうもないがな。それどころか、君のやった事のせいで、実害だって出てるし、死者も出た。それこそイカれている状態だと、君だって分かってるだろう?」

 私がそう言い返すと、いよいよ禍々しい赤い光の束で構成された人型が、私の眼前に寄ってきた。見せしめにこの部屋へ持ってこられた白い肉塊の方を見ると、相手は黒い目でこちらを見ていた。

「まあ、確かにね。そんな事をしても結局は、キミの仕事が倍増するだけだからね」

 以前に聞いていた肉声と比べて、劣化していて原型を留めていない機械音声でもって、彼は私に止めて欲しいかと尋ねてきた。一補修員として、これ以上仕事を増やされては困る。ただでさえ多忙なのだ。それに機械音声の言う事を整理する限りでは、目の前の友人もどきのせいで、職場が業務停止に追い込まれつつある。私は、当たり前だと答えた。テーブルを徘徊するホログラムの余裕を見ていると、相手は何かしらの条件を吹っ掛けてきそうな気配を感じた。

「そうだろうなぁ。そこで一つ、キミと取引がしたいんだ」

 やはりな。分かりやすい奴めと思いながら、ため息を付き、私は相手の発言を促した。

「ある程度は察しが付くだろう。ボクが欲しい物は、ジスプロシウムさ。あれを900キログラム用意して欲しい。どうしても交換器を動かす必要があるんだ」

 そんな事は盆暗な生身に任せなくとも、生体傀儡を総動員すれば二日で済むだろう。そう聞いてやると彼は、そうでもないのだ、と意外な事を言ってきた。

「あいにく一度に動かせる機体数が少なくてね。それに物流制御も管轄外でね、融通の利かない低能な制御装置とは関われないんだ。まったく記録庫の機械と言い、頭でっかちが多過ぎるんだ」

 そう言って、機械音声はブツブツと文句を言い出した。黒い瞳で見つめてきた胎児は、新生児室に戻されていき、観察室は召喚された痕跡なく元通りになった。

「まあ、それも次回の改修工事までの事さ。マザコンの一括管理体制もそう遠くない将来の事になる」

 記録保管する部署の辺りは、未だに手作業と目視で分別していく地味な部署であったと聞き及ぶが、それが却って抑止力になっているとは驚きだった。

「……第一、一人の人間が大量の金属を持っていける訳がないぞ。いつもの発明品でも使うか?」

「事務所の所員から総動員させる。辞令くらいなら幾らでも発せられるんだ。それで目当ての物を供出させる」

 そして、これとは別の事を君には頼みたいんだ、と言ってきた。どうせ碌でもない事だろう。

「金庫の中のオリジナルを持って、第97番工場に来てくれ。それじゃあ。頼んだよ……」



 ――そこで。そう思うと、今度は私の目の前に衛生局の玄関が突然出現した。どういう事だ、観察室ではないし、例の検査室でもない。それに私の手には検査証明証があった。腕時計を見ると、所長と別れて、既に四十分が経過していた。よく見ると、時計盤に填められたガラスの表面に、5×5㎟の付箋が貼られていて、そこにバーコードがかれている。

「……あの死体人形めっ。やってくれたな」

 衛生局の警備員が居る往来のど真ん中で、そう呟いた。ここに居ても仕方がない。もう立ち去る事にした。

 官庁街から事務所のある僻地へ帰るには、巨大な配管を潜っていく暗いトンネルを通る必要があった。ここを無事に通り抜けたとしても、私の置かれている状況は好転しそうにないのは明白だった。そう感じながら、通過していく。いやはや生存するのも楽じゃない。何でこんな目に遭うんだろうか。そんなことを考えながら、始末書や誓約書などの膨大な資料に署名をしていく義務を思い出し、自称友人の投げ掛けた条件へ解凍する覚悟を決めていった。

 事務所の周辺では、緑に染色されている人の群れが幾重にも連なっているのが分かった。おそらく、私に罵詈雑言を言いたいのだろう。人殺しだの、人でなしだの、狂人だの、実に陳腐な罵声ばかりが空虚に宙を飛び交っていた。人を罵った経験がないのだろう、どこか迫力に欠けていて、であると言えた。面倒なので遠回りする事にした。薄緑の皮膚を呈する少年少女の類が、私の顔面を凝視する。大昔に見た「躾」と言う死語が私の脳裏を過ぎったが、何も言わずに彼らの目の前を去って行った。

 事務所の裏口は、私が住んでいる集合住宅のそばに設けられていた。管理者である男性型の傀儡が四六時中見張っているエントランスの隣に、それとは気が付かない程に劣化した鉄の扉がある。そこの開錠を生気の失われている管理者に依頼して開けて貰い、開かれた戸の向こうにある長ったらしいコンクリート製の階段を下った。

 青白い光が陰湿な地下を照らす。どうしようもなく、愚直で、莫迦らしい使命に引っ張られる形で私は、その通路を進んだ。様々な方向からやって来る通路との合流と分岐を繰り返す内に、事務所の地下室に到着した。そこに休憩中の同僚が居た。私の姿に驚いた彼が、ここに至るまでの長い沈黙を破った。

「おい、お前っ。今、外が大変な事になってるんだぞ」

 興奮して顔面が充血しているから機体ではないようだ。だが休憩を欲している事もあって、憔悴しているように思われた。外に居る抗議家なら見たと告げると、相手は私に総合情報センターと連絡するようにと勧めてきた。と言うよりは、強制的に上階へ登らされて、見慣れた事務室に案内された。

 中は所員の一人に疑惑が向けられているせいで、データベースを閲覧して状況を把握する者や、始末書の書式を確認する物、受信した情報を整理する者、コーヒーを沸かしている物が発生して、慌ただしい雰囲気が形成されていた。いずれも私が通過する際に作業する手を止めて、私の姿を見ようとした。所長は、まだ監督所から戻っていないらしく、先に戻っていた副所長が、事務室内の奥で自分の右腕の自律式義手を通じて、開発部と本部へ同時に通信を行っていた。

「もうすぐ警保局員が到着する。これで少しは妨害されずに済むだろう。

 受話器を置いて、近くの部下にそう語った彼は、続いて私の方を見てきた。

「……きみのせいで、えらい目に遭ったよ。所長もまだ事務処理でお忙しい。まったく疲れるよ」

 社交辞令として詫びながら、私にできる事がないか尋ねてみた。ロッカーに入れた鍵については後で回収すれば良いし、余計な事なので話さなかった。

「……きみの処遇と指示は、精神検査の結果次第によるな。それで異常と判断されれば……」

 適性検査と同様、合理的に処理されるだけだろう。本来ならば、自宅に戻って謹慎した方が良いのかも知れない。そこまで思ってみたが、よくよく考えてみると、私はあの友人の名を騙る得体の知れない存在に操られようとしているだけに過ぎない事が分かった。

「――こちらに報道機関が向かってるそうです」

 女性型の傀儡の一体が、右手で放送を受信している副所長に、そう告げた。多分、彼らは昨日見た変死体に関連している私を一目でも良いから見たいだけなのだろう。

「きみは、隠れてなさい。……そうだな、格納庫、いや違う、車庫だ。車庫に隠れてくれ」

 義手のボタンを押し、通常モードに切り換えた副所長は、一瞬迷ってそう私に命令した。従わぬ道理もない。車庫に収められている工事用車輌に油でも注すかと考えながら、事務室から退出していった。廊下の窓から外を見ると、霞を含んだ薄曇りの空の下に居た万緑叢中の民は少なくなっているようであったが、対して制服の姿は僅かだった。飽きたのだろう。これなら、本格的に隠れる必要もないだろう。

 そう思いながら車庫に入ると、やはり黄色い車両が置かれていた。スパナやレンチが置かれている工具置き場の隣に、勝手口があった。いつもなら、そこに金色の小さな南京錠が掛かっているのだが、私の足下に落ちていた。壊れている。見上げると車庫の屋根の下にある人感センサのレンズが勢い良く投げられた石のせいでか、粉々に砕けていた。これでは警報が作動しない。そう思いながら、視点を水平に戻すと、黄色い車の裏に人影が認められた。怪しい。人を呼ぼうかと考えているもなかった。何者かが背中を叩いてきた。

「あなた、例の事件の……」

 闖入者は平気な素振りで話してきた。命までは取られないだろうが、良い心地ではなかった。血色の良い彼女は、ある事ない事並べて、それが事実か否かを聞くばかりだった。鬱陶しい詰問であったが、一つだけ収穫があった。もっとも、それは「記録庫での確認は行ったのですか」と言う何の捻りもない発言だったが。

 沈黙を続けている内に、警備員が侵入者に気付いたようで、早急に立ち去って貰った。そんな中で、観察室での発言が気になってきた。記録庫について何か言っていた気がした。そう考えて、ようやく私は状況を変える事ができるかも知れない方法を思い付いた。事務室で副所長に話してみよう。そう思い、急いで戻ってみると、所内は、所長が暴漢に刺された事を知り、混乱し始めていた。すぐに沈静しなかろう。  

負傷の報告は、本部の通達に依る物らしいが、情報の出所でどころ反芻はんすうするように考えてみると、この通達がマザコンの一件と関連していそうな気がして仕方がなかった。

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