三 因子検査

 暑くて仕方がない。おそらく白昼の日差しのせいだろう。全身の皮膚から汗が滲み出る不快感に目が覚め、反射的に自室を見回すと、生体傀儡である冷ややかな感じがする彼女の姿はどこにもなく、その代わりに居間のテーブルの上にメモが置かれているのが分かった。手に取って見ると、呼び出しがあったために衛生局へ戻る旨が、2B程の鉛筆によって、僅かな狂いもない平凡な明朝体で書かれていた。薄情な奴だ、記憶の開示をしてやったのに、挨拶もなく立ち去るとは。

 時計を見ると、正午を既に回っていた。時報の鐘の音も分からぬ程に深い眠りに就いていたのだろう。痛みも緩和しているようなので、ベッドから立ち上がり、明るい光の差し込む居間を突っ切って、ちょうど日差しのせいで影に溶けている黒い冷凍庫を開けた。凍り付いている焦げ茶色をした固形状の食品を一つ取り出し、皿に乗せる。それを灰色の解凍装置に突っ込んで、摂食可能な状態に戻す。蓋を開け、皿を手にして、私は居間に歩いて行って、口にしていった。

 睡眠中に回想が起こっていた筈なのに、起きてもそのが何一つないのが不思議だった。前にも回想装置を使われた事があるが、昏睡状態でも鮮明に回想している事が知覚できたし、覚醒しても、しばらくは断続的な走馬灯となって脳裏を通過するものだった。けれども今回は、脳裏をぎった光景に連続性がなく、夢とも幻覚とも判別できない経験した出来事の断片みたいな印象ばかりが点滅しているだけの睡眠だった。

 回想の名に反した結果に釈然としない私は、均一な風味を持つ有機物を摂りながら、就寝前の出来事を軽く思い返してみた。衛生局に所属していると言う精神安定士の彼女に、私の記憶を開示してやった事までは確かに覚えている。問題は夢でそんな物を見たと思えなかった点にある。夢想の中で友人の行為の一つも思い浮かばなかったのだ。そこまで私は薄情なのだろうか。

 簡単な食事を終えて、書類を置いたデスクへ向かい、知らぬ間に作成された報告文にもう一度目を通していった。頭部に衝撃を受ける前後の記憶は断片的ではあったが、完全に朧気おぼろげであるという訳でもない。微かに不法占拠者の声も覚えているし、報告書の内容にも心当たりがある。それ故に、回想器の使用中に友人と経験した出来事が現れなかった事が気懸かりに感じられた。彼の死に際したにも関わらず、亡くなった彼に関する記憶は薄れてしまったのだろうか。久しぶりに行うマザコン点検まで、まだ時間があった。

 もしシャツのポケットに金庫の鍵を事務所のロッカーに入れなければ、きっとデスクの近くに置かれた小さい金庫の鍵穴へそれを差し込んで、その中身を確認していただろう。想像上の鍵は穴を滑らかに入っていき、完全に停止する所で、ゆっくりと右方向に一回転させていたに違いない。動くようになった取っ手を握って扉を開けると、その中には事務所へ報告する程の重要性に乏しい書類や、提出期限を過ぎている屑紙、落書きのような図面が描かれたメモ書きなどの山がある筈だ。

 事務所に申告すべきか悩む些細な紙片や紙屑の山の中に手を突っ込んで、内部を探っていくと、指が硬くて冷たい金属製の小さな個体に触れる。頭の中でその物体を握り締め、意味を失った用紙の山から引き抜いていった。



 それは旧式のボールペンを連想させる細長い円筒形の物体であった。本来なら金属特有の白銀色を放つ筈だったが、コイルやコードなどの細かい部品がまとわり付いていたせいで、三原色が埋もれてしまう煩雑な彩りを呈していた。

「また、あの装置を犠牲にして失敗作を造ったのかい。全く、良くやるよ」

 黒い箱状の機械を駄目にして、結局ガラクタを一つ増やしてしまっている。全く彼も懲りないものだ。その日、私たちはこの部屋の居間で談笑をしていた。

「いや、今度は凄いんだ。人間同士の意識を交換する事ができるんだ」

 仮にそんな効果あったとして、一体どのような原理に依るのか。傀儡と人間では勝手だって違うと言うのに。いつもの発明品を擁護する常套句を言いながら、彼は自信満々にそう言った。あまりにも突拍子のない効果を言う物だから、私は呆れて充分な受け答えができなかった。

「どうせまた、『理論的には』って付くんだろう? それに人格交換って簡単に言うが、ちゃんとマウスとか、機械傀儡とかで実験して確かめたのか? まあ、元は情報を入れ換える装置だから、理屈の上では可能だろうが……」

 私がそう言うと、友人は顔をしかめた。しかし、鼠も飼えぬ中で発明する矛盾を感じ、反論を諦めたのか、渋い表情を浮かべて、ため息をついた。やはり図星のようだ。コーヒーの入ったマグカップを傾けて、呼吸を整えた彼は口を開いた。

「まず、動かすには高圧電流が要る。ざっと200万キロボルトくらいかな……」

 そんな物騒な代物、この職員舎はおろか、事務所、それどころか幹線級の大配管の中でも扱われていない。あっても主にサーバーを管理し、配線の状況を報告して、生体傀儡に指令を出すマザコンの周囲を彩る精密機器群に使われているだろうか。何にせよ、役立たせるだけで骨が折れる事だけは確実だった。

「やっぱり非現実的じゃないか。そんな物、使うための準備だけで苦労するぞ」

 私は椅子から立ち上がり、近くに金庫が置かれている共用デスクに行って、資料を取ろうとした。

「そうなんだよ、莫大な電圧が問題なんだ。それに純粋なジスプロシウムで出来たチップだって必要になるし……」

 確か、配管点検などの改修時に使われる、ある種の修理道具に用いられていた金属だった気がする。集める事自体は可能であろうが、道具一つ当たりの含有量は微々たる物だから、精錬に時間が掛かるのは目に見えていた。

「ただ今手元にある分だと、一回しか使えない。抽出に四五日も掛かるからね……」

 燃料だか、部品だか知らないが、そんな影の薄い物質を掻き集めるだけで、「交換器」とやらが動くはずもないだろう。問題はそれだけじゃない。さっき言っていた電気にもあると思われた。

「だいたい200万キロワットの電流なんて、そう簡単に手に入る物じゃないんだから、どっかに仕舞っておけよ……」

 すると不服そうな顔をして、彼は言い返してきた。

「キロワットじゃ電力だよ……」

 そう言いながら、友人は交換器と名付けた棒状の物体を渋々工具箱に入れていった。きっと気が動転していたのだろう。今思えば、それを注意する事もできただろうが、これ以上、彼を傷付けたくなかった。役に立たない代物だと思っていたから、何の問題も起こらないだろうとも考えていた。

 この休憩時間が終わった後には月例で行われる目視によるマザコン一帯の巡回点検が待っていた。三月とは言え、凍結によるデータ不通箇所が頻発していた。緊急性のある事態であったため、現場に急いでいた要因も絡んでいたと思われるが、結局、私は友人がガラクタ紛いの物体を鞄に詰めるのを黙認してしまった。それが最大の原因であろう。



 私は、友人を犠牲にして、あんなガラクタじみた物体のせいで助かってしまったのだろうか。そうして一ヶ月前の自分が経験した事が、本当に、確かに知覚した事なのか、だんだん疑わしくなってきた。そう言えば、この交換器に白い汚れのような物が付いている。

室内に鳴り響いたサイレンが、そんな私の思考を遮った。

「――利用者居住域W地区から緊急信号を確認。次に読み上げる事務所員番号に該当する職員は、至急所定の事務所に集合――」

 未明の放送よりは内容が多かったが、それでも言葉数の少ない情報には変わりなかった。しかし、品行方正なユーザーたちが寝ていると言う噂が多い区画で、人命に関わる緊急信号が発信されたとなると、最悪の場合に陥ってしまった可能性がある。

 そう思いながら耳を傾けていくと、自室に設置されているスピーカーが私の胸ポケットに付いている職員番号を読み上げているのに気が付いた。そんな所に出向いた事はない。しかし、緊急招集である以上、さっさと事務所へ向かった方が良い。

 架空の交換器を心の金庫に入れ、永久的とも思える鍵を掛けた気になった私は、直ちに工具を揃えて、箱に詰めていき、遺影が不気味に微笑む静かな室内から出ていった。急いでいたので、忘れ物を確認する暇がなかったのが惜しまれた。しかし、それ以上に嫌な予感がした。早歩きで事務所に向かう。頭部に掌くらい大きなレンズを搭載している生体傀儡が四体程、入り口の前を右往左往していた。そいつらを突っ切って私は事務所の玄関に入って行った。

 本来この時間帯なら、事務所も昼休憩に入っている筈だが、サイレンを聞いて入所した今回ばかりはユーザーの送り付けてきたコールサインが季節外れの蝉時雨みたいに慌ただしい所内を飛び交っていて、殺伐としていた。報告書の積み上がったデスク、インスタントコーヒーの袋が散乱した机、簡易的な昼食の並ぶ棚を通過していき、受話器を置いた所長がいる界隈に向かっていった。彼も私に気が付いたようで、我々は早速本題に入った。

「……死亡事故だ。どういう訳かユーザーの一人が死んだ」

 嫌な予感が的中した。一体どこで起きたのか。所長に現場を尋ねてみると、身に覚えのない地名――しかし、スピーカーで聞いた――W地区の名を出してきた。

「君が最後に点検したW地区だ。一ヶ月くらい前のシフト表から、君である事が割り出せたんだ。だから君に伝えておかなくてはならなかったんだ」

 新住居区として最近になって整備された地区でもある事を所長は付け加えてくれたが、しかし、。おそらく一ヶ月以上前の出来事だからだろう。目の前で右往左往する彼は続けて、マシントラブルであるか調査するために、最後に点検を行った者は立ち会う必要がある旨を説明してきた。

「記録簿を参照しても、やはり君が最後に点検した人物となっている。……もっとも一ヶ月前にあった例の事故が起きる前の事だ。はっきり覚えていないのも当然だろう。……君にとっては酷な事だとうは思うけれど、それでも君の話がある程度は参考になると思うがね」

 所長は、事故のあった場所に関する私の受け答えに違和感を覚えたのだろう。それも当然の事だ、そんな記憶は今の私にはない、と言うよりは身に覚えがないと言った方が良い。おそらく友人が点検をしたのだろうが、しかし、機械いじりを趣味としていた彼が、そんなヘマを犯してしまったとは思えなかった。そもそも一ヶ月間か無事だったのだから。

「それじゃあ、今日午後から行う筈のマザコンの目視点検は……」

 気を取り直して、今後の予定について聞いてみた。

「中止だよ、そこへは別の人間か機体を回しておくよ」

 事故後初めての月例点検だったから、中枢装置の見回りをするのに、若干自信がなかった。その点だけで言えば、ユーザーが死んでくれて良かったのかも知れない。

 そして所長が補足した説明によると、今回の件は死亡事件ともなり得るため、現場には点検責任者でもあるらしい私の他にも、事件性を調査する警保局や死骸の状態を視る衛生局、果ては税金について決定する内務局などから多くの職員がやって来て、死亡因子の調査を行うらしい。

「その際、君には、できる限り当時の状況の証言をして貰いたいんだ。……招集まで時間がある。」

 一通り、口頭での説明が終わったので、今度は私に資料を渡してきた。自分のデスクに戻って、分厚い紙面を二、三度めくっていくと、確かにW地区の点検者として、が記入されていた。これを見て、ようやく亡くなった友人が点検した箇所であると確信できた。

 事務所を司る彼が言う通り、出発するまでに時間もある。気は進まなかったが、手動で閲覧装置を起動して、友人の遺した報告書の保管庫に入り、「W地区」と記されたファイルを見つけた。日時も一ヶ月程度前だ。今回の死亡事件に関連しそうな物だけを手元のデバイスに転送した私は、通常の青い作業着ではなく、黒いスーツとワイシャツに着替える事にした。



 今日の未明にあった鼠害の件で使った黄色い補修用の車輌に再び乗って、朝方とは反対方向に進んでいった。久しぶりに簡略な喪服を着たせいか、助手席に座ってみると、さっきよりも若干窮屈な感じがした。

「まったくユーザーが死んじまうと、厄介な事しかないな」

 所長の指名を受け、運転手を務めている黒い制服に身を包んだ作業員と思しき年配の人物は、世間話も兼ねてそんな事を発してくれた。元々は記録庫の修理・保全を担っている事が、さっき貰った名刺から分かった。幸いにも喪服の窮屈さは我慢できる程度であったので、相槌を打ちながら彼の話に耳を傾けてみた。

「しかし、点検の担当者を召喚してくる総合情報センター本部と、開発部、そして内務局も恐ろしいもんだよ」

 ハンドルを僅かに修正したため彼の右手にある指環が光った。どうと言う事もない情景だ。電気の走る第三軌条にトロリーポールを落として車輌は進んで行った。

「彼らのバックにマザコンが居るからですよ。今回の招集だって、それが計算して指図した事なんですから」

 白髪の運転手から目を離し、フロントガラス越しに前方を見る。今走っている線路から第47番配管に大掛かりな足場を組んで、塗装を剥がしていると思われる作業員たちの姿が見えた。黒いヘルメットを着ているせいか、全体的に黒い動点と錯覚しそうになる。

「……ユーザーの情報を、聞いても?」

 少し声を震わせながら白髪の運転手は、そう言った。蟻のような作業員から目を離し、フロントガラスの先を注視して答えた。

「守秘義務もありますが、話せる所だけ言いましょう」

 男性で、二十代半ば、独身、職業不定、そして抽選で新興の住居区に転入した事だけを明かした。

「何だか怪しいな。記録庫で身元を照会した方が良いんじゃないか?」

 よりによって面倒臭い役所の名を出してきたなと思った。あそこの情報は確かに精度が高いものの、データベースから大きく外れるし、担当職員である検勘使の動きも読めない。そして何よりも、情報照会の方法が煩雑であった。そのせいで、最近は参照する人も少なくなっているのではないだろうかと思ったが、口にしなかった。

「ええ、怪しいかも知れないんですよ。……これ、口外しないで下さいよ?」

 そんな取り留めのない会話ばかりしている内に、問題のW地区が近づいてきた。白い建材を緻密に組み合わせた外壁と、蜂の巣状の窓を大量に用いた円柱型の施設が、間隙少なく立ち並んでいる地帯だ。マザコン一帯に配置された旧式のサーバー室を思わせる区画だと感じたが、やはり初めて見た場所だった。きっと友人は一ヶ月くらい前に、ここを訪ねたのだろうが、私の脳裏に懐かしさを引き起こさせる存在は何一つなかった。

 我々が入るべき建物の入り口には、黄色地と黒い斜線で作られた規制線が張り巡らされていたので良く分かった。治安も比較的良好であるためか、この界隈に出歩いている人は皆無であったため、周囲には物好きな生身の野次馬が二、三いる程度で、他には事務所前にも居た眼球や鼻腔の代わりに直径15センチ程の巨大なレンズを搭載している報道プレス所有の生体傀儡が七体存在したくらいである。それで映像や音声を逐次、とある場所へ送信しているのだろう。ご苦労な事だ。そう思いながら、私たちは規制線の番をしている黒一色の職員の前に直進し、事情を話した。

「お疲れ様です。早速ですが、現場に職員が控えておりますので、ご案内致します」

 白い巨大な円柱の付け根に設けられたガラス張りのエントランスを通過し、指環を装置に見せて、IDを照合させる。さらに直進し、エレベーターに乗り込み、指定された階に向かった。上昇の後に戸が開くと、目的の階には人間や機体、用途不明の機材などが入り乱れていた。

「想像以上に混み合ってるな」

 廊下に置かれている慌ただしく作動している各種機械の横を通過しながら、前方にいた警保局の腕章の人物に挨拶した。事務作業があるらしい老いた作業員と別れて、早速死亡者の待っている現場に向かって歩いた。

 部屋は暗い壁紙で構成されていた。開いているカーテンから日光が差し込んで、中央に置かれている人の背丈程の大きさがある受信機の蓋がキラキラと反射していた。いつ見ても白い棺を思わせるフォルムをしていたが、扉に相当する上部の窓を除くと、まだ回収されていない遺体と思しき人体の顔面が見えた。その口と鼻には酸素吸入器の管が複数本刺さっていて、両目は小型センサに覆われていた。

 皮膚に劣化が生じているのを確認し、それから体を収めている受信機の背面に付いたバイタルメーターを目視した。死亡状態である事を警保局の職員に告げようとして、顔を上げると、この部屋に例の精神安定士が居る事が分かった。

「あ、またお逢いしましたね。多分、ここへ来ると思いましたよ」

 衛生局に戻った筈の安定士が、こんな死体を見に来るのは不自然であろう。それなのに、なぜ私の前に現れたのか。気が動転してしまったが、職員の多い狭い空間で騒ぐ訳にもいかない。私は彼女に近寄ってささやいた。

「何で、ここに君が居るんだ?」

「お忘れですか? 死体の検査も衛生局の仕事ですよ。もっとも、わたしが来た理由は緊急招集を受けたからですけどね。だいたい、わたしたち生体傀儡が本部の上部に据えられているマザーコンピュータの出す緊急命令をこばめない事くらい、あなただってご存じでしょう?」

 彼女が得意げに言う通り、マザコンが決定し、本部が承認した事であるから、これ以上詮索せんさくするだけ無駄である。しかし、こんな偶然はあり得る物なのか若干だが気になった。

「そんな事よりも、彼らと対話した方が良いのではないですか?」

 そう言って、さっき私の自宅から勝手に出て行った生体傀儡は、死体の入っている受信機を指した。回想装置を使用した件について尋ねようか迷ったが、この場には職員が多過ぎた。私語を謹みながら、待ち構えていた警保局から派遣された傀儡二体と、衛生局の職員二名に話しかけた。すると、現在の状況では友人もとい私の過失の可能性は低いらしかったが、一応検査した旨を上層部へ報告しなければならないそうだ。だが、それを聞いて少し安心した。

「……それでは、これより死亡因子検査を行います。まず故人の亡骸の確認、それから受信機周辺の状況調査、これには配線の断裂など細かな作業を伴います。それから防犯アーカイブの視聴、目撃者の調査、以上が今回の内容となっています。またアーカイブの確認については……」

 そんな調子で我々は、定型化している宣言を拝受し終え、手分けして受信機を開ける作業をしていく。排水と書かれたボタンを押し、緑色の保護液を処理していく。これには5分程度掛かる。側面の計器を覗き込む。やはり脈拍も呼吸も一切ないのが分かった。ヒトが入る受信機の筐体きょうたい内が空になったのを確認し、棺の両側にある鍵を二人で開錠し、そうして三人掛かりで蓋を開けていく。

 そこには葉緑体など人畜無害な物質を含んだ保護液に沈んでいる若い男だった物があった。局部を水着で隠している以外は裸で、皮膚が緑色に変色していた。これは何も死んだから変色したのではない。もともと保護液が緑色の物質を含んでいるからだ。実際に死んでいないで、無理やり受信機の電源を切って起き上がってきた生身の人間たちも同様の色彩を呈している。例えば今日の午前5時頃に遭った不遜な四人組がそうであった。

 その際に直していた配線の最末端は、目の前にある男の死体の右中指、その付け根に繋がれていた端子に通じていた。そんな僅か20ミリもない機材を経由して、ドーパミンやビタミンなどと言った凡人でも有意義に感じられる物を与えて、同時に老廃物も回収する。

 全ては、光沢を持ち、黒く、しなやかな配線を通じて行われる。この円柱の建物ばかりではなく、ほぼ非合法と言える一軒家に至るまで、そんな調子である。顔面に纏わり付いているくだや配線と一緒に、指の付け根の端子も取り除いていき、ようやく人らしい蒼白な肉体に戻す事ができた。近くにいた内務局員の人物が、その顔を元に身元照会をしていった。

「……これくらいの劣化であれば生体傀儡として再利用可能ですね」

 腐り掛けの有機物を見ながら、血色のない生体傀儡でもある精神安定士の彼女はそう言った。……そういえば、彼女も同じ過程を歩んできた存在だった。我々が取り囲んでいる死体は、この後で衛生局によって持ち出され、再利用場に運ばれていく。臓器摘出ワタヌキを済ませ、その代わりに通信機器や、記憶装置を挿入される。そして半導体チップを埋め込む。

「――何だ、生体傀儡か。……」

 そう言いながら、先程の運転手が黒い部屋に入ってきた。仕事を終わらせたのだろう。うまくこの場を取り持とうと思って、私が思考を巡らせている間に、衛生局に所属する女性型の生体傀儡が先に発言してきた。

「色々と思う所もあるでしょうが、あなたたち補修員の手助けだってできるんです。一応、わたしたちも不可欠な存在だと思いますけどね」

「まあ、何とも言えないな……」

 あまり関心を寄せないで、検査に焦点を戻す。死者を5人で外界に引き上げて担架に寝かせる。そうして受信機の内部を空にし、懐中電灯で筐体内の配線を照らしていった。目視で確認すると、一部の電線に銅線の露出が散見されたが、経年劣化である。それだけで絶命に至るような欠陥ではない。

 次に、端子盤、酸素バルブ、水温調整器、末端配線、データ受信装置、電気メーター、アダプター、信号変換機、変圧器、ブレーカーなど、29箇所を一通り見たが、おもだった故障はなく、不審な点があったとしても、月例点検で修復可能な些細な物でしかなかった。

「受信機自体に問題はありませんね」

 そう言いながら、私は棺に似た機械の扉を閉めて、今度はその周辺に縦横無尽に取り付けられた配線・配管の破損がないか見る事にした。移動しながら所長の使いの様子を一瞥いちべつすると、彼は例の機械仕掛けの彼女と話していた。

「――この男も不憫だな、こんなに若いのに……」

「でも傀儡として、再びこの世で活躍できるんですから、見方に依れば悪くないと思いますよ?」

 床に配置された回線の接続部分を手に取って見ていく。塵埃が溜まって劣化している端子もあるが、良好な状態にある物の方が圧倒的に多い。しかし、それでマシントラブルや整備不良の可能性が低くなる訳でもなかった。一体どうして彼は死んでしまったのだろうか。

 死体を見たせいか、どうしても目の前に、耐寒服を纏った人型の黒い有機物が転がっていた情景が頭の中に甦ってくる。急速に沸騰した氷によって水蒸気と湯気が生じる中、あの高圧電流のせいで焼け焦げた物体は、さっきまで私の着ていた服を着ていたのだ。まるで合わせ鏡で背面を覗き込んでいるかのように錯覚し、その時はがした。

 そんな友人の死んだ光景を振り払うべく、未だに続いている生体傀儡と年寄りの会話に耳を傾けながら、コードの検査をしていった。

「――それに、五体満足でない時だってあるだろう。まあ、取り返しの付かない事故に巻き込まれた場合だとかさ。そう言った時は、こんな風には行かないだろう?」

「ええ、その通りです。ですが、そうした不測の場合には、解剖して生きている神経の有無を調べるんです」

「と言うと?」

「使えそうな細胞と神経をマザーコンピュータの中枢に組み込むんです。生電信号交換機にとって神経細胞は貴重なんですよ」

 彼女の言っている事が、なぜか引っ掛かった。医院に運ばれて、そこで友人が即死したのだと分かった時は。気が動転していたのも原因となって、その後の処分まで教えてくれてなかったように記憶している。だが、重量50キロは下らない冷却水循環用のパイプで友人は後頭部を強打し、高電流を浴びたとなっては細胞の欠片だって生き残ってはいないだろう。

 あの時の冷却用のパイプも、この部屋の配線くらい小さければ問題にもならなかっただろうと思いながら、因子検査を進めていった。用紙に書かれている全ての項目に結果を記入し終えると、用紙は回収されてしまった。何でも、警保局が所有する機械が、情報センターの管轄にあるマザコンと共同で暫定的な判定を出すそうだ。

 私もとい友人の過失である可能性は低いと職員たちは口を揃えて言うが、とかく役所は書類を必要とするんだ、と職員の一人が言ってきた。それ故に、死亡事件の捜査は継続される事になるかも知れないそうだ。

「防犯カメラの確認は、警保局員が行いますので、これで終了です」

関係者でもある私については、後日改めて連絡するらしい。それを聞いた私たちは、一度この現場から引き揚げる事にした。

「それじゃあ、またお会いしましょう」

 どこか冷たい印象を受ける微笑を有機的かつ人工的な保護膜で守られた顔面に浮かべて、衛生局の生体傀儡はそう言った。また来るのか、と思いながら、私たちは担架の前にいる精神安定士たちに会釈して、死亡現場から立ち去って行った。

 車輌に置いてあった小型の通信機を使って、事務所に後日結果が下る旨を報告した。その後は休養する指示を受けた私は、白髪の運転士のお陰で自宅に戻る事ができた。

 そこから、何事もない日常の断片を一時的に過ごしていった。生体部品は、意識を有さないと言われるが、実際はどうだろうか……と言った、他愛のない仮想を振り払った私は、静かな一室で充分な仮眠を取り、夕食の解凍に取り掛かろうとした。その時、事務所から事務所から、さっきの因子検査で「過失有り」とする暫定結果が知らされるまでは。

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