次 未通区間

 やはり事務所から持ってきた数十種類の部品だけで、焼けたゞれた回線を回復させるのは不可能であった。足りない物が多過ぎる。応援を要請するか、或いは代表一名を事務所に向かわせて必要な既製品を膨大な貯蔵庫から搔き集めて戻ってくるかの、いずれかを行わない限り、R配電盤の即事復旧は絶望的である。

「部品が調達できるか、事務所へ聞いてくれないか?」

 高熱で溶けたコンデンサを取り外し、手の空いた私は残っている作業を二人に任せて、黄色い小型車輌に置いていた連絡器を取りに行き、事務所に連絡する。すると受信先には所長が居た。最初は好都合だと思ったが、話していくうちに、どうやら向こうにも事情があるように感じられた。

「ちょうど良かった。実は、さっきマザコンから通信が来てな。開発部へ人員を派遣して欲しいと言うんだ」

 また銅製の回路が弾き出した臨時移動の案件に振り回されるのかと思いながら、一応、彼の話を聞いた。

「最近、配線を新設している話は聞いた事があるだろう。ほら、例のダブルバイパス計画だよ。それでどうしても、必要になる土地があるらしいんだがな、どうも、そこにいる居住者と揉めているそうなんだ」

 それだけなら、まだ私のような下らない人間の介入する余地はない。しかし新設工事は当所の管轄内であったし、何よりも配線・配管の構造や実情に詳しい人物を派遣した方が、より説得し易くなる可能性もあると言う事を所長は、いつも以上に丁寧に説明してきた。もっとも本音は人手不足なのだが。

「今、午前五時という事もあるから、我が所の作業員は半分もいない。早発のA班には47番通路の漏電修理を頼んでいるし、副所長率いるB班は定期検査に回している。無論C、Ⅾ班は時間外だ。そこで君たち、混成組に話を持ち込んだ訳だが……」

 私は応急処置が難航している事を所長に伝えた。足りない部品が多いため一度、所に戻りたい旨も伝えると、電話口の向こうにいる彼は、迷ったような唸り声を放った。

「分かった。必要な部品を言ってくれるか? こちらから数人を送る。きみは一度、事務所に戻ってきてくれ」

 不足しているトランジスタの数量、それから配電盤の被害の程度を簡潔に語りながら、私は黒焦げの機械と格闘している同僚たちを見た。彼らには能力があるから、私が抜けたとしても何とか収拾できるだろう。後は救援さえ間に合えば良い。

 所長に増援を取り付けた私は、申し訳なく思いながらも、二人にラジエーターのパイプと対峙するような業務の継続を頼んで、大配管の横に設置されている補修員専用のパイプラインの出入口を開けた。一人用の硬い椅子に鋼鉄製車輪が三つ付いたような乗り物に着席し、レバーを倒す。事務所まで緩やかな下り坂が続くため勝手に進んで行った。



 もう午前六時くらいだろうか。またしても変わり映えのしない、くすんだ橙色の光を放つ太陽が昇り始めていた。事務所に戻った後、挨拶も簡素に済ませて、早速立ち退きに関する情報について所長に聞いた。具体的な業務については後で担当者に聞けば良いと言う指示もあったが、結局は次の発言が重要であるように思われた。

「この通り、交渉先は旧式の集合住宅に不法滞在している住民だ。……今は受信装置から離れた事を不問にするとして話を進めるが、今回彼に話を付けさえすれば、……まあ、単純計算になるが……、200キロもの新配線の用地が確保できるという訳だ。単純に言えばな」

建設から一世紀以上が経過し、黒ずんで朽ち始めているコンクリートの塊ばかりが全線開通を阻んでいるという訳でもないからだ。相手を説得した所で、新素材とやらの不足などでもって、新路線は暫定開業の措置を迎えるばかりであるのは明白だった。

「分かりました。開発部の人が来たら詳しく聞いてみます」

 とにかく開発機構側の言い分を聞かない事にはようもない。到着までに時間が掛かるから仮眠でもするか、あるいは自宅を物色していると思われる、例の常に低温状態である生体傀儡について聞いてみようかと考えていたが、強烈な睡魔も出現したせいで判断が鈍ってしまった。

 ミーティングを終えた後は、休憩室で尻ポケットに収めていた小型のカンフル剤を左腕の静脈から投与したり、そのついでに胸にあった金庫の鍵や、財布などの貴重品をロッカーに入れたり、右手にめた指環の調節をしたり、移動勧告を行う場所に関する情報を手動操作方式の受信機で収集していたりしたせいで、休憩時間は束の間に過ぎて行ってしまった。

 経路の確認では、副所長も手伝ってくれた。彼の右肘から先は機械式の義手となっていたが、常に長袖を着用しているので分かりにくい。義手で無線を傍受する時に、ある程度露出されるだけである。そんな右義手に埋め込まれた端末を通じて、地点検索を行うと、意外な事に気が付いた。

「この場所、さっきの配電盤を通るじゃないか……」

 一旦、事務所に帰らせるなんて、コンピュータも実に無駄な事をしてくれたなと感じた。

「仕方ないだろう。一度、事務所に戻った方が態勢を整えられる。これが一番効率の良い方法だと思うけどね」

 副所長が諫めた。今となっては待機する他に何もできなかった。そんな調子で全く身動きが取れないままに数十分が経過すると、黒い車輌が車庫に来たという知らせがスピーカーや口を通じて所内を駆け巡った。手動によるデータベースへの接続を切り上げた私は急いで事務所の裏にある例の車庫に行った。

 車庫には黒一色の均一な恰好ををして、指環をしている無表情の人間らと、服飾された冷ややかな機体が待ち構えていて、真っ先に所長が出迎えた。

「どうも。わざわざ、こんな遠い所へようこそお出で下さいました……」

 普段と変わらない世辞を所長が淡々と言いながら、まばたきすらしない開発部の方々に歩み寄って行くと、黒ずくめの彼らは書類を一枚、こちらに見せつけてきた。主に異動と辞令を管理している情報センター本部とマザコンが共同で発行してきた臨時職員異動証だ。これさえあれば補修員も開発部へ下らざるを得なくなる。

「それにしても、補修員は、こういう場面でも工具ベルトを付けるとはね……」

 予定通りに挨拶と文書を交わした後、私は暗色に沈んでいる服飾の職員に愚痴を零された。

「すみません。規則にもあります通り、周辺の精密機器には決して触れませんので、どうか、ご容赦下さい」

 黒い衣装をした不遜な相手は鼻で笑い、車輌に戻っていく。私は予定通り、その後に付いていった。そうして車庫に止めてあった星すら拝めぬ新月のような胴長どうながの車輌に乗り込んだ我々は、河原の石と同じ色の巨大な物体に向かって行く事となった。

「確認なんですが、私は所有者に話しかけるだけで良いんですね?」

 黒い車輌が第三軌条にポールを落として移動している途中、黒い服の職員に勧告の段取りについて尋ねてみると、相手は小さい声で答えてきた。

「そうです、先ほど差し上げた資料の内容に沿う形で構いません。書かれてある通りに振舞ってさえくれれば、後は我々で最大限保証を行いますので、ご心配には及びません」

 どうも型に忠実で余所余所しい印象を受けた。気晴らしに車窓から景色を見る。現在乗っている車は、早朝に乗った黄色い軽車輌よりも車長が長いので風景は速く流れていた。さっきまで作業していたR配電盤の横を一瞬にして通過していった。応援を呼んで数時間が経過しているから、いくら何でも修理は完了していたようで、増援を含めて作業員の数は五名くらい居た。

 今度は撤収作業がある。その後は幾分か休憩できるかも知れないが、最終的には我々補修員の宿命――別の現場の修繕など煩雑な業務群など――が待ち構えている。

 必要以上の会話もなく、私たちは今回問題となっている廃止された筈の集合住宅棟に滞りなく到着した。午前七時半の事である。眼を凝らして辺りを散策すれば、花粉を出したくて仕方がないつぼみの姿や、椿の落ちていくる様に際する事もできたのだろうが、この界隈の庭園にそんな気の利いた植物は存在しなかったし、仮にあったとしても愛でる暇なんてなかった。

 仮に暇だったとしても、保護液の処理の甘い緑色に満ちた人々に出くわすだけだろう。受信機から出てくるにしても、他に為すべきことがあるだろうに。私たちはコンクリート製の入り口を通過していった。かつて住宅のエントランスであった広場に出た。そこに警保局が設置したバリケードがある。その出入口にある改札機に身分情報を搭載している指環を接触させてから、住民と思しき人物の所在地に向かった。

 清々しい朝の光を倦怠感と共に感じながら燻ぶった色の階段を昇っていく。周囲には赤い看板が所狭しと並べてあり、配管のよる生活を否定するような文言と直方体を分割するマークが連ねてあっただけで、何の邪魔もなかった。人のいない居住者の自宅前に到着したので、もう一度資料を確認する。住民はここの一人だけだった。

 在住であるかはデータベースで核に確認済みだが、最終確認として廊下に面している窓を見ると、朝方だというのにカーテンが閉まり切っていて、内部の様子が分からなかった。玄関付近も汚れが少なく、生活感に乏しい。黒い服を身に纏った職員が、白い塗装が剥げてしまって赤い錆が剝き出しになっている玄関の戸を叩いた。

「――こちらは、通信媒体正常化機構、開発部、新規路線プロジェクト加盟者です。既にIDは、エントランスにて提示いたしております。どうか、ご協力の程よろしくお願い致します。早速ですが、本題に入りたいと思います。今回は、先日お話しした幹線配管、未通区間の完成を目指すための転居に関するご案内なのですが……」

 しかし何の反応もなかった。二度目の呼びかけ、三度目の呼びかけも同様に無視されてしまった。想定内の結果だった。ここは一つ、景品で釣り上げる作戦をしてみてはどうかと、私は提案してみた。どうせ立ち退きに際して優遇措置を行える権限くらい有しているのだから、ある程度の特典を設定するのは可能だろう。

「ですが、特典なんてありませんし、用意できませんよ」

 無論、予告なく取り止める権限も存在するだろう。

「……でっち上げれば良いんですよ。どうせ約款を繰り返し読んでいる奴なんて存在しないでしょうから、後でどうとでもなるでしょう」

 職員は困った表情を浮かべたが、私は構わずに玄関を叩いて挨拶した。

「――現在、通信料の無料クーポンとポイント還元キャンペーンのチラシを配っております。お手元の身分証で登録が可能ですので、お声掛けください」

 我ながら、あまりにもひねりのない嘘だと感じた。もう少し現実的な物の方が良いに決まっている。今時こんな粗末な物に引っ掛かる者もいなかろう。

 私の粗末な誘惑計画も不発に終わったと思われたので、作戦を練り直すべく、我々は一旦撤収しようとした。その時、鉄の扉が軋んで開く音がした。玄関が開いたのだろう。この中で一番玄関に近い私は反射的に振り向いた。

 そこからの出来事は一瞬であった。いきなり私の目の前に赤い光を放つ金属製の黒い機械が出現し、次には閃光が炸裂した。私の胴体に電撃のような代物が蔓延っていった。視界が一瞬にして暗くなったと感じると同時に、手指の感覚が弱まり始め、二の腕辺りまで脱力が広がる。それは両脚にも生じて、とうとう強烈な疲労が全身に襲い掛かってきた。

 ……ふざけやがって。だいたい使用料を値上げしておいて、まだ工事してるって、おたくら、どんな仕事してるんだ……。

 意識が薄れていく中で、現場の事情に無関心である呑気な声も、次第に遠退とほのいていった。



 ――ジリジリという古い警戒音が段々と周辺に鳴り響いていく。久しぶりの目視点検で発見した凍結箇所を、無理に解凍したせいで、部分的にオーバーヒートが生じたのだろうか。そのせいで、一部の配管が未通状態に陥っていると思われた。赤茶色の保護板に取り囲まれた装置の群れは、凍るように寒い空気のせいで鮮明に映った。機械たちが悲鳴を上げて危険性を訴えていた。私は、その最大の要因である眼前のラジエーター凍結を直してやりたかったが、どうにも四肢の可動域が制限されてしまっていた。その当時に着ていた防護機能を有する作業着が、冬季用の防寒服であった事が原因であったが、止むを得なかった。

「これ以上進むのは危険だ。一旦、引き返そう」

 友人は私の後方で退避する事を提案してきた。古い電熱式の解凍器で無理やりにパイプを温めているだけなので、凍結が僅かに緩和される程度でしかなかった。それに、今手元にある部品と工具だけでは、とてもじゃないが凍結箇所の補修はできない。友人は、暖房を切って応援を待とうとも言ってくれたが、その時の私は特別報酬金に目が眩んでしまっていた。

「いや。できる限り、この部分だけでも直しておきたい。後で手間取る方が面倒だろうし……」

「ダメだ。一度、安全地帯に退避しよう。改修部へ通報して、事務所から応援を頼もう。無人機を二つ三つくらいはよこしてもらってからじゃないと……」

 彼がそう言い切ったと同時に、周辺の機械から起こる異音が最大になった感じがしてきた。何らかの留め具が外れる音がしたような気がする。今までに受けてきた講習の内容が思い起こされて、現状に嫌な予感を覚えた。頭上を見ると、太くて厚く強靭だったシリコン製パイプの一部が崩れて、自由落下を開始している。中には電線がある。その銅線を取り囲んで冷却水が満たされている。しかし、凍結してしまったのを無理やりに暖めたせいで、水の体積が膨張してしまったんだ……。、そうした理屈で落下してきたのだろう。密度の高いゴム状の物質が私たちの頭上に接近している。私は思わず目をつむった――



 頭痛が起こって、そこで目をけた。書類の山の中腹が見え、左に寝返ると友人の写真が置かれたデスクがあった。横になっている体を仰向けにすると、今度は見慣れた埃塗れの電灯が薄灰色の天井にぶら下がっていた。そこに今度は女性の頭部が出現した。

「……やっと目が醒めたようですね。あなたがスタンガンの衝撃で数メートルも吹き飛ばされたと知らされたので、心配しましたよ」

 意識は回復したが状況が今一つ呑み込めない。できれば安静にさせて欲しいものだと感じながら、周囲を見回す。一ヶ月くらい前まで信号検査機だとか言う旧式の装置のたぐい分解バラしていた友人が、それを元に組み上げた発明品という名のガラクタばかりだった。それで、ここが自宅だと分かった。おそらく気絶した後、ここに戻されたんだろう。その原因は不意に殴られるでもしたせいだろうか。とにかく意識を失ってしまい、それで一体何時間経過したんだろう。

「今は午前十時十三分です。運ばれてから、だいたい二時間くらいが経ちましたね。……わたしが言うのも何ですが、補修員も大変ですね。業務は二交代制なのに、他の業務も兼任させられて、それで気絶させられてしまうなんて……」

 それもまた実に平凡な日々の断片に過ぎない事だった。どこにでも在る能がない盆暗の一人が引っ繰り返ったくらいで喚くのは、実にかたはら痛い事であるし、コストばかりが掛かる。

「そういうリスクがある仕事だからね」

 ベッドから起き上がり、簡易的な遺影台が置かれていて、区別用の記号も付されていない程に古い書換かきかえ装置の残骸が散らかっている狭い居間を通り抜けて、私は洗面所に向かった。怪我けがの程度を知りたかったのだ。

「それに十時を過ぎたから、私も非番になったろうし。ゆっくり休む事にするよ」

 多分、私は気絶したのだろう。それで軽傷と判断されて、それで自宅に戻されたのだろう。一昔前なら病院で新皮質から脳幹に至るまで徹底的に検査されていただろうが、今は10センチ方の脳波測定器で判断が付く。

「……私が戻って来た時、付き添っていた人たちは、何か言っていなかったかい」

 傷痕は軽微な物だったから、大方の察しは付くが、一応報告を聞いておきたい。血液が通わなくなって久しい顔面を持っている目の前の生体傀儡は、そんな私の発言を聞いて、気が付いた素振りをしてきた。

「あっ、この資料を渡せと」

 今となっては役に立たない、電気ばかり浪費するプログラム変換用の黒い装置の成れの果てである金属パーツと、その共同体が並ぶ居間戻って、開発部の人間と違って指環がない彼女の手を介して資料を受け取ると、そこには思った通り、旧式の電気銃によって気絶させられたと言う結果が書かれていた。紙面を凝視すると、自宅に置いてある物と同じ型番だった。

「あれ、そうだったんだ」

 一瞬の事で、あまり記憶していないが、あの時の相手が手にしていた機械は、赤い豆電球が点滅していたと思う。充電切れのサインが出ていたのに、実際は私に威力を発揮した。その事について資料は、放電後でも使用可能な場合もあるそうで、赤い電球の点滅はであると位置付けていた。

「こう言っては失礼なのは承知していますが、あまり綺麗ではないお部屋ですね。……機体のわたしが言うのも何ですが、ちょっと薄気味が悪いですね。妙な機器も多いですし」

 おそらく、この部屋に転がっている多種多様な機械部品――特に、使えるかどうか怪しい電気銃や、分解用の器具のたぐい――が、彼女を警戒させる理由になっているのだろう。

「あっ、断っておきますけど、何にも触ってませんよ。……でもあるんですから」

 おそらく、衛生局の依頼を受けたのだろう。そして彼女は、分解の脅威を僅かながら感じ取っているのかも知れない。何にせよ、これは取り留めのない会話だった。少なくとも、衛生局の彼女は過酷な環境に配備され、酷使されるような傀儡ではない事が分かった。

「ここにあるのは、友人の造った発明品だ。もっとも、まともに起動する物は僅かしかないがね」

 私は、ここにあるガラクタは友人の形見として残している事を少しだけ話していった。

「まあ、ほとんどが友人の遺した物なんだ。……どうにも片付けられなくてね。この 部屋の機械部品は、ある旧式のプログラム変換装置から取り出した物らしいんだ。元となった装置は傀儡の設定も瞬時に組めて重宝したそうだが、――確か名前は、オブスキュールだったかな――どうしても、相当量の電気を喰ってしまうから本部や現場に嫌われてしまったらしいんだ。だから安く手に入るんだ……」

 そこまで説明しても、どうにも名前の記憶が曖昧に感じられた。具体的な仕組みと言った不確かに記憶している事を言うのも良くない。そこで会話を切り上げて、報告文を軽く流し読みしていく。それによると、あの部屋の住人は、開発部あるいは補修員を憎んだ結果、私の視界に何らかのインパクトが出現する事となったようだ。住人は取り押さえられ、しかるべき措置が執られたそうだ。その後で私の肉体に緊急処置を講じて、軽い脳震盪のうしんとう程度の症状に戻してから、複数人で自宅に帰したらしい。

「色々と話も尽きませんが、今回は本当に、大事に至らなくて良かったですね」

 実にありきたりな文句を、彼女が私に投げかけてきた。機械にも心配されてしまうとは。そう思いながら、私はデスクに報告書などの書類を置いて、ベッドに腰を乗せた。

「さっきも言ったが、私の仕事は何かしらのリスクを持つ物だ。配管の整備に責任を有するし、ユーザーの生命に関わる事だってある。だから、こうした危険は承知しているんだよ」

 思考を放棄した有機質のメモリが互いに接続される事で生成される無機質な網目状の世界を保全する必要不可欠な役割だ。それ故に得られる物も僅かながら存在する、僅かながらに。

「だから、あんな事故にも巻き込まれるんですか?」

 有機の膜に身を包んだ機械は、またしても例の件について尋ねてきた。あまりの執着心に私は閉口した。いきなり黙った事を聴覚の支障に依る現象だと察知したのか、安定士でもある旧型の生体傀儡は再び同じような事を質問してきた。

「配線断裂事件についてお聞きしても?」

 なぜ、この機械は例の事件に拘泥するのだろうか。

「……そんなに知りたいなら、警保局のデータベースに入れば良い。ありふれた事故として処理されているよ」

 そう言い放つと、相手は複雑な炭素結合で造られた顔面の保護膜を赤くしながら反論してきた。おそらくラジエーターに難がある旧式なのだろう。

「わたしみたいに官有物になっている生体傀儡は、アクセスの制限が多いんです。そんな事くらい、あなただって知ってるでしょう?」

 人間の文化的かつ作為的な仕草をトレースして再現する仕組み自体は随分前に確立した技術だ。しかし、雪解けのような表情を表している眼前の旧式機体に限って言えば、こいつのプログラムを組んだ奴の顔が見たくなってきた。古い型なのに、非常によくできた所作を行う。

「知ってるよ。不快にさせて悪かったな」

 私の謝罪が、どれ程の意味合いの物として処理されたのかは分からないが、凍て付いた皮膚を持つ彼女に見られた有機物特有の紅潮が段々と沈静化していき、再び血色のない様子になった。しかし、それもまた、半導体チップの妙なる電流によって表された行為でもあった。そうして落ち着いた口調で、こう話してきた。

「それにあなた、あの事故に巻き込まれたんでしょう? それでご友人が……」

「――なぜ君は事件について聞くんだ? もう一ヶ月前の事件だ。誰も聞かなくなった事なんだよ。すっかり過去の事になってしまっているのに、何でそんな事を掘り返すんだ」

 少しだけ鬱陶しく感じて、そんな事を言ったが、彼女に会った時から抱いていた素朴な疑問でもあった。

「……単刀直入に言えば、本部と開発部、並びに当局の合同で下った決定です。元々、あなたがカウンセリングを拒んでいたのは、当局こちらでも知っている事です。本当なら本人の意志を汲んで、そのままにしておくのですが、開発部と本部の意向で一ヶ月以内に精神の安定を図った方が良いだろうって決めたようです」

「また本部と開発部が衛生局に吹き込んだのか」

 気絶する前に遭った黒ずくめで識別の付かない、つまらなそうな奴らの顔が脳裡に浮かんできた。そんな奴らが、とは、一体何を考えているんだろう。心情配慮のデリカシーに欠ける連中め、全く不要なお節介だ。人が闇に追いやった出来事を蒸し返させるとは……。

「どうして、本部はそんな事を?」

 氷のような機械仕掛けの相手は一瞬だけ挙動を止めて、ゆっくりと答えた。

「分かりません。補修員の精神衛生を気に掛けてくれているんでしょう。それにマザーコンピュータが通知してきた事ですから、原則として拒否できませんよ」

 一瞬だけ、異動と破損個所を把握し通達するだけで、多忙を理由に彼へ弔問しなかった方々の顔が思い浮かんだ。しかし考えてみると、電脳規制要綱で制限が加えられているマザコンの指示を仰いでいるのだから、本部や開発部にばかり立腹するもの検討違いだと思った。

「……一ヶ月前と同じ事を繰り返すなんて、芸の無い事はしたくないんだよ。警保局から取調べを受けたし、その時の発言に偽りはない。だからこんな所で関係者に話を聞くなんて非効率じゃないか? さっさと役所に戻って当局に申請を出して、データを引用した方がずっと効率的なんじゃないか?」

 こうした問い掛けを聞いて、生体傀儡は徹底して冷静に応対してきた。

「データベースの閲覧は人間じゃなきゃ無理ですよ。それに天下の衛生局だって、人が少ないんですから……」

 どうにも話が進まない。そんな事は冷たそうな彼女にも分かっていたようで、話題を変えましょうと、私に言ってきた。新たな話のタネは、よりにもよって、この職に順ずる理由だった。偽りなく答えてみる事にしよう。

「人々の要請を受けて、この現世のかどたたいたからだ。だから最後まで出生のせめを負い貫く必要がある。それだけさ。つまらないだろう?」

「ええ、面白くはないです」

 それは君が五臓六腑を精密機器と蓄電池に置換して、電極とアンテナを刺し込んだだけの古い屍體したいだからだ、と返したかったが、あまりにも莫迦莫迦しいので止めた。

「……とにかく君と私とでは考え方が違うんだよ。情に囚われた肉塊と、理に制された機械とでは仕組みだって違う。有機物連中の咄嗟の判断一つを取って見たって、高性能な君たちには理解できない物が大半だろう。それを細かく見ていったって、理不尽で不条理な事の連続でしかない。調べるだけ無駄だよ」

 しばらく沈黙が続いた。カーテン越しに日の光が漏れ出して、金属製のガラクタが散乱している部屋の温度が上がってきた。その事もあって、私は眠気を感じ始めた。

「……話を聞きましたが、あなた、精神に不調を来たしているように見えます。一度、回想装置で、記憶を整理するのも良いんじゃありませんか?」

 要約すれば、私は気に病んでいると言いたいのであろう。あくまで精神安定士としての提案だろう。私も少し言い過ぎた気がした。いくら相手が玄冬のように毅然とした生体傀儡とは言え、封印した思い出を他人に見せるのは避けたかった。しかし久しぶりに後頭部に痛みを覚えた以上は、一度記憶の整理も必要なのかもしれない。それに友人の姿を夢で見た事も、心のどこかで引っ掛かっていた事があった故なのかも知れない。

 いずれにせよ、私は仮眠するのだから、そっちの方で回想装置を適当に使ってくれても構わないと言って、ベッドに寝転んで、眠りに就いていった。

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