気持ちの切換え

一ヶ村銀三郎

初 接触不良

 受信機から不法に脱出した者によって破壊された北西11号動力・養剤分配器の改修作業が終わったので事務所に戻り、普段通り業務報告を済ませた。すると、右手の指環を光らせながら所長は、私に忠告してきた。時計を見ると、もう午前二時になっていた。機械傀儡による精密機器群の夜間点検が実施される時間帯であるため、電子器類の電源も最小限に抑えられている。機械ですら眠る時間であったのだ。

「きみも少しは休んだ方が良いんじゃないか」

 そう言われても当然ではあった。何とか認められるような事を言う事にした。

「所長、そう言う訳にはいきません。ただでさえ人員が乏しいのに、忌引で皆さんに御苦労をお掛けしましたし、何よりも補修員としての責務を果たす事で、彼を弔いたいんです。……それに、仕事している方が、色々と思い出さずに済むんです……」

「まあ。実際、有難い事だけどね……。ここ一ヶ月で、どうにも機械類の欠陥が多くなってきた感じがする。まあ、支障そのものは大したことはないから、この調子であれば誰も倒れないだろうがな」

 そう言ってくれたのは有難かったが、所長に休養を勧められたので、私は一度、友人が造ったガラクタで占拠されている職員用集合住宅の自宅に引き揚げる事にした。点検作業用の道具が釣り下がっているベルトを身に着けたまま、私は事務所から退出し、暗い道路を歩いて行った。本来ならベルトは返還しておくべきだが、誰も守っていない。まずい状態だと思う物の、問題なく目的地に着いた。建物を見上げると、昨日の午前七時からずっと外出していたため、六畳一間くらいの広さがある自宅は暗い筈だったが、外廊下に面した窓から明かりが付いているのが分かった。

 不審に思い、玄関を開けると、かつて友人が黒い直方体状の装置を分解して造り上げた発明品とやらが乱雑に置かれている居間兼書斎に、見た事のない人物が立っていた。その人物から、どこか冷ややかな印象を受けた。しかし、彼女は見覚えのある腕章をしていたが、右手人差し指に指環を付けていなかったから、面倒な事になってしまったと感じた。相手は既に生命活動を官有の生体傀儡だったのだ。

「あっ、夜分にすみません」

 使い物にならない金属によって狭くなっている居間の中央にいた彼女は申し訳なさそうに、そう言ってきた。ただでさえ煩雑な配線補修作業と報告データの提出で疲れているというのに、衛生局が派遣してきた精神安定士へ向けて気の利いた文句を放つのは、実に面倒臭い事であった。だからと言って自宅の真ん中にいる者を放ったらかしにすべきでもなかろう。気が進まないが歩み寄る事にした。

「……一体、何ですか? いきなり入ってきて……」

 腕章に記された徽章から察するに衛生局から派遣された機体であるのは瞭然であったが、一応素性を尋ねてみた。場合によっては、近くに置いてある友人の形見の一つである、整備不良に陥った護身用の電気銃スタンガンでもって、相手を無理矢理にでも停止させれば良い。しかし、使わなくなってから一月以上経つ。今も正常に作動するのだろうか。

「本日付、……と言っても、本当は昨日から何ですが……、あなたの精神衛生の安定化を支援する事になりました、I‐9型の――」

 どうせすぐに帰る相手の自己紹介を聞き流しながら、私は疑問を投げかける事に決めた。よく見ると彼女の皮膚は硬直していて、血色がなく、緊密な人工の炭素構造の保護膜で覆われている。そのため彼女が、石で造られた信号用チップで制御されている生体傀儡である事が分かった。

「そうですか。でも、こんな夜中でなくても……」

「留守だったので待っていたんですが、その、……管理人さんに哀れに思われてしまったみたいで」

 内部に発信装置とID機体情報の入ったメモリを有する精密機器を備え付けている成人女性型の有機体は両方の瞼を閉じ、ため息を付いて言った。旧式らしからぬ行為だ。

「それに、あなたは既に事務所長から連絡を貰っていたはずです」

 しかし、彼女の硬い応答からは、どこか旧式の生体傀儡であるように思われた。今時は新旧の機体が入り混じって活動している。形式と型番だけで性能を図るのは短絡的だと言っていた友人の言葉を思い出して、傀儡の古さについては、そこで思考を停止させた。私は相手の冷たい顔を見ながら記憶を遡ってみた。しかし、そんな覚えはなかった気がする。

「……そうでしたっけ?」

 そう言うと、相手は衛生局の証明書を私に見せてきた。生きている内に、局長や担当者の書名や印を見る事になろうとは思いもよらなかった。あまりに唐突な気もしたが、思い返せば派遣するという話を聞いていたような気がする。

「それに、あなたは一ヶ月前に発生した配線断裂事件で……」

 私は咳払いをしながら靴を脱いで、友人が遺した電気ばかり消費する古いプログラム変換装置の部品やら、それを組み合わせた作品の断片が並んでいる居間に入り、官製生体傀儡の横を通り、閉じている簡易式の遺影台を過ぎて、部屋の奥に向かった。肩に掛けた鞄を、かつては友人の物だった作業用デスクに置く。

「連絡があったのは、すっかり忘れていました。すみません。どうも最近は忙しくて、昼夜共に家を空けてしまうんです。まあ、その事はご存じでしょう? 我々配線補修員の現状なんて些細な事は、今じゃ簡単に中央データベースで調べられますからね」

 手元にある都合の悪い書類を金庫に保管しておきたいので、そんな事を言って時間を稼ぐ事にした。鞄から書類と工具箱を出す。その際、デスクに置いていた写真立てに触れてしまい、倒してしまった。

「……その書類は、何です?」

 気付かれたようだ。写真立てを立て直しつつ、振り返って自称安定士の方を向いた。たいした物ではない、つまらない代物だとだけ伝えながら、金庫の鍵を外し、金属製の扉を開けた。そこには、過去の記憶を隠すべく築き上げられた資料の山がある。

「それ、事務所に提出しようとした書類でしょう」

 書類をデスクの隣にある金庫に入れてしまい、作業用デスクに置かれていた写真立ての向きを調整しながら、彼女の発言に応えた。

「そんな事を聞いてどうするつもりです?」

 すると目の前にある凍てついた機体は、所長からは職員の実態調査を依頼されているから尋ねたまでだ、と言ってきた。

「いや。そんな物は、ここにありませんよ。仮に私がそんな物を抱え込んでいたら、さっさと提出を済ませていますよ……」

 適当に話を取り繕いながら、写真立てを元に戻した私は、金庫の鍵を閉めて、一連の作業を終えた。

「本当はもっとあるでしょう。配線の修正箇所とか……」

 この電子制御の生体傀儡は何でそんな事を聞くんだと思いながら、鍵をシャツのポケットに突っ込んだ。

「君、私の仕事には報告義務があるんだ。業務上の問題は包み隠さず話さなければならないんだ。……まあ、仮に、報告しても聞いてくれない場合もあるな」

「その時はどうするの?」

 そう言われて、私は全身を彼女に向け、未開封の箱と仏壇の前を通過し、疑問を投げかけてきた生体傀儡の目の前に出た。

「……自分から仕事増やそうとする莫迦はいないですよ」

「――なるほど、そういうことですか。……別に通報するわけではありませんが、感心しませんね」

 相手は白い目でこちらを見てきた。旧式ながら良く調教されている。そんな風に思いながら、衛生局から派遣されたと言う彼女の動向を注視した。

「それにしても、古い部品が多いですね。見慣れない装置の残骸もありますし、……物騒なものもありますね」

 相手は高圧電流を扱う電気銃を見たのだろう。それも友人の形見の一つだったが、説明しても信用されないだろう。そう思っていると、都合良く室内にサイレンが鳴り響いた。しかし有難くはなかった。今度は配線のどこが破損したのだろうか。

「――第十三番回線の配電盤から断線を確認。第479番事務所員は、至急所定の事務所に集合――」

 回線の負荷を軽減するために最低限度の情報しか流れない。一昔前の合成音声が喋り終えると、自宅は静寂を取り戻していった。

「そういう訳だから、私は出発します。話は後で聞きますよ」

 さっきの区画に違和感を覚えながら、工具箱と書類、配線図を鞄へ入れていく。

「じゃあ、また会いましょう。精神安定士さん」

 金庫の鍵は胸ポケットに確かにある。私は、すぐ戻る旨を伝えて、氷のような表情をした彼女を、旧式機械類の残骸の中へ置き去りにし、事務所に向かっていった。

 玄関から外廊下に出る。再び柵越しから、乱雑に敷設された巨大な配線と、規則正しく配置された非番職員らの眠る集合住宅棟を望む事ができた。未明であるため薄暗い。白く硬い街灯の光が巨大な配線と歩道と車道の部分部分を照らしていた。

 冷却機構のパイプが凍結する心配がなくなる程に気温も高くなってきたが、今度はオーバーヒートが怖い。そんな物を心配したり、直したりしている内に、きっと藤の花も枯れてしまう頃になってしまうのだろう。そんな空想に浸りながら、赤いペンキで威勢だけは良い讒謗ざんぼうが描かれているベニヤ板と、乱雑な調子で論点と趣旨がボヤけている紙片と、白く粘っこくて臭気を放つ糊が群れを成している人気ひとけのない歩道を進んでいく。

 事務所は家から歩いて五分と掛からない所だった。午前二時半という事もあって、事務所は全体的に暗かったが、不完全に電灯が点いていた。

 入り口を通過して、タイムカードを切った。戸締りが不完全なため廊下から部屋の中が見える。仮眠を取っている者もいれば、宿直を務めている男性型の冷徹な機体もいた。職員用のデスクがある大部屋に入る前に、扉の近くにいた指環を身に着けた補修員が私に話かけてきた。

「……また例の区画で不具合が出たんだってな。これで三回目だ。前任者はどういう仕事したんだろう」

 実に不可解である印象を打ち明けて、会釈を済ませる。事務室に入ると、今度はディスプレイを凝視して入力したデータの検査をしている者や、旧式の機器を手動操作してデータを検出している者、そして総合情報センター本部からの連絡、あるいは開発部の情報に応答している者もいた。特に最後の人物が所長である。

 ちょうど私が来たと同時に連絡も一段落付いたのだろう。入所した私に気付いた彼は受話器を置いて、話しかけてきた。

「おはよう。さっきの放送聞いたかい」

 それを聞いて来たのだと答えて、問題の破損箇所が気になる旨を伝えた。

「確かに他の事務所が補修した筈の区画が、今回再び故障した。ひょっとすると怠慢があったのかもしれない」

 そんな発言に対して、やはりそう考える他にないだろうと思った。一ヶ月も経過しないのに劣化するなんて事がありえるだろうか。

「まあ、それについては我々の知る所ではない。マザコンも今回の不具合について報告しているから、間違いであるとは考えにくいからな」

 不名誉な渾名が為されているマザーコンピュータも劣化してしまっているかも知れないから、不具合など無いのかも知れないと思いたかったが、所長の後ろにある古い手動式の電送装置が明確に伝えてくる、苛立った生身のユーザーたちから発せられる愚痴を含んだ意識や、心無い本部に居座る幹部連中どもの小言を見る限りでは、確かに不具合は発生しているようだった。

「問題の箇所は我々のいる第479番事務所から約101キロ程度南方に離れた第十七番回線のR配電盤だ」

 彼は流暢にそう言った。そんな所は当所ウチの管轄外だと、はっきり分かっているはずだ。しかし近年は、出生者の減少によって人員の不足を来たしている事務所も多く、管轄外からの派遣も横行している。所長、副所長どころか、私を含め、補修員のみなは、この繁忙に慣れてしまった。

「分かりました。それで誰を派遣しますか」

 そうだなと言いながら所長は、私と、宿直中で緊張の強い機体と、仮眠中であった人間の計三名を指して、当該の地点へ出動するように命令した。従わずに済む規則はない。私たち三人は道具一式を揃え、減光耐熱ヘルメットを被り、さっさと約100キロ彼方の損傷地点に行く事にした。

「そう言えば最近、侵入者が多いから、一層気を付けてくれよ。困ったらマニュアル通りに、あれを使えば良いから」

 所長の発言を聞きつつ、急いで事務所の裏側のガレージに用意されている黄色い軽車輌へ乗り込む。配線補修の方が優先されるのは周知の事実でもあるからだ。宿直に務めていた機体がモーターを始動させた。三速進行でも、だいたい三十分で着く。ドアロックを掛け、電気の流れる第三軌条にトロリーポールを落として、車庫を出発し、共用レーンの本線に合流していく。車輌と言っても鉄道用線路をナビの言う通りに進むので間違う事はない。

「配線と平行するレーンを通るから、すぐに着くって言いますけど、それでも第十七番回線は遠いですね」

 宿直していた青白い保護膜を持つ男性型の機体は、世間話を始めてきた。そう言えば自宅に来た生体傀儡について尋ねる暇がなかったなと感じた。

「まったくだよ。何で100キロも移動せにゃならないんだか……」

 覚醒から時間があまり経っていないのだろう。彼は欠伸をしながら愚痴を溢していた。

 筒状に形成された直径20キロもの供給幹線の側面に設けられた共用レーンを走っていく。一般車の通行も可能だが、この事務所に赴任してから一度も見た事がない。

「そう言えば、その十七って回線だったかな。前に聞いた噂の出処じゃなかったかな」

 眠たそうな顔をしながら彼は、その界隈を中心に嫌な噂が起こっている事を話した。簡単に言えば、我々が向かっている東南353地区第十七番回線では、情報センター本部と本部直属の開発部の行為にによる事件が多々起こっている。彼らが、行為の根幹にある方針・理念を把握しているのか不明であるが、とにかく騒ぎたい連中が問題を起こしている地域であるのは確かだった。

 その原因とも言える組織については、特に、ここ二、三週間で動きも活発になっている印象を私は受けていた。その組織は聞いた限りでは、配電盤の辺りにゴミを置いたり、機械を叩いたり、火を付けたり、ボヤ騒ぎを起こしたり、いくつかの信号灯をスプレーで塗り潰したり、果ては末端配線を切断してユーザーをサーバー内に閉じ込めた事件が発生したらしい。最後の一件に至っては人を植物状態にさせてしまったため極刑になったと聞き及ぶ。

「僕らのいる事務所だって、今は精鋭を集めて、ある程度優遇してくれるから問題はないけど、いつ襲撃されるか分かったもんじゃないからな。この近辺じゃないが、事務所が襲撃されたって噂だってあるじゃないか。あいつら、機械いじりの腕と知恵だけは持ってる。彼らの術中にまってなきゃ良いけど……」

 早い話、事故を起こして生計を立てている連中だ。今回の不具合に、そんな連中が関与している可能性は考えたくなかった。行程の内80キロを消費した辺りから、現場と思しき方面から煙が立ち込め始めた。想像以上に酷いかもしれない。

「確か、作業用の小型機持ってきてましたよね」

 宿直だった機械仕掛けの彼は、私にそう尋ねてきた。後部座席に置いたままの小型探査機を振り返って見ながら、消火剤を持っているのは、全5体中3体だけだと伝えた。用意しようという事で、私は後部座席に移って、耐火性のある小型機械の調整をすることにした。現在地点の確認のために車窓から周囲の状況を覗う。

 車窓から見える配管の束の一部に、黄色くて安っぽい塗料によってり出された汚い文字と汚い単語が纏わりついていた。その隣に寝転んでいる黒焦げの何かが見えた。塗りたくった連中の一人だろう。その中をアミノ酸と、多様なビタミン、ドーパミン、冷却液、そして肝心の高圧電流が流れているとは夢にも思わなかったのだろう。だから歩行者は立入禁止だと身をもって知った訳だ。

 進行方向から確かに煙は立ち上っているようだったが、ごく小規模な煙だ。小型機の電源を入れて、耐火モードに切り換えた私と運転手、仮眠者の計三人は、かつて人だった黒焦げの何かが横たわり、落書きと古びた梯子はしごが残る地点を通過していった。



 消火作業自体は恐ろしく単調だった。50キロごとに設置されている配電盤からRと書かれた物を見つけ出すのも簡単だった。ただ問題の配電盤周辺には、ペンキ塗れのベニヤ板が立て掛けられ、人為的に破壊されただろうブロック塀の断片とガラス片が散乱し、木箱と旧年代の廃タイヤが山積していた。こういう作業の邪魔になる物の撤去が面倒だった。配電盤は共用レーンから離れた所にあるし、そもそも配線補修員しか入れないと言うのに、一体何の因果でこんな物が存在するのか、全く分からなかった。

 小型機で巨大な配管に取り付けられた配電盤からの出火を鎮火できるとは言え、蓋から煙がモクモクと生じて、熱い事に変わりはない。運転を務めてきた彼が人造人間だから片付けに十分と時間は掛からなかったし、5センチ方の立方体状の小型機が消火してくれたお陰で、実害は僅かに木箱が焦げる程度に済んだ。

 周囲の安全が確保できたので、手の空いた者から順に配電盤に向かう。小型機の停止を仮眠していた彼に頼み、私は泡沫状の消火剤が付着した配電盤の蓋に近づいて行った。やけに古びた機械だった。少なくとも最新式ではなかろう。

 電気やガス、諸々の栄養素などが通っている配線と配管の要とも言うべき装置に近寄っていくと、見慣れた丸い機械が破損していた。火事による被害というよりは人為的な破壊に見えたが、視界に煙と消火剤が混ざって分からない。

「まずいな、高電圧バリアが壊れてるんじゃないか」

 機械仕掛けの同僚が駆け付けて、そう分析した。できれば経年劣化と思いたかった。よく見ると、付近にあるラジエーターメーターやトルクインジケーターも妙な挙動を起こしている。

 とにかく煙を吹いていた配電盤を開けて点検しない事には方針も決まらない。軽車輌から持ってきた工具箱を漁って、三角ドライバー二本とテンキー付きの電子ロック解除装置を取り出した。それらの道具を所定の箇所に取り付ける。

「配電盤解錠、用意」

 そうして重さ50キロは下らない配電盤の蓋を三人がかりで開けていく。すると2センチもない黒焦げの動物が一匹、中から力なく転げ出て、地面に落ちた。

「……鼠害そがいだ。端子だかコードだか、あるいは冷却装置のホースを噛んだんだ。……やっぱりバリアが壊れてるんだ」

 生身の同僚は、あまりに古典的な漏電原因と感じたためか眠気も消えてしまったようで、半ば呆れながらも冷静にそう言った。さっきの丸いバリア発生装置――放電して矮小な生き物を追い出す簡単な仕組みである――が何らかの理由で破損して、それでネズミが侵入し、導線を噛んだのだろう。

「漏電か、考えたくもないな」

 運悪く電流を喰らって暴れ回ってしまい、それで元から緩んでいたボルトや、導線の接触状況が悪化した端子にぶつかって、漏電が瞬く間に広がった。そう考えて良いだろう。

「錆付いて穴が開いてる。……迷入で決まりだな……」

 嫌気が差す程に香ばしい臭気を放つ有機物を凝視すると、輝きを失った銅線と銀色に光っていただろう端子が、頭部と思しき部分に絡まっている。火災の原因となった目の前に横たわっている黒焦げの齧歯類げっしるいに近づいて、靴の爪先つまさきでもって仰向けにさせる。死骸は口と目の判別すら付かない代物だった。しかし穢土から抜け出して安堵しているのは確からしかった。高電圧の加護を受けながら安らかに逝った事だろう。

「しかし迷惑なもんだな……」

 このむくろに意味付けをするのも大概にして、こいつに絡まった端子をさっさと取らなければならない。私は手っ取り早く黒焦げの亡骸を踏み潰した。水分も何もない。スカスカになった灰燼の塊も同然で、靴を退けると見る見るうちに風と散って行ってしまった。若干罰当たりな事をしてしまったとも感じたが、原因も取り除けたのだ、これ以上面倒なことも起こらなかろう。後に残った端子と電線をまみ上げて、持ってきた不用品回収用のビニール袋に収めた。

「――ちょっと、あんたたち。何してんです」

 いきなり不満そうな声がした。聞き慣れないアルトだった。振り返ると立入禁止区域だと言うのに、なぜか複数人がいる。、全員の皮膚は緑かっていて、右手には何も付けていなかった。茜色の腕章の中央に黄色い直方体があり、その中心が逆三角形でり抜かれていた。さっき話題にしていた集団と何かしらの縁がお有りの様だ。きっとまた妨害工作だろう。

「見れば分かるでしょう。出火したから直しているんです」

 まだ午前四時前だというのに元気な方々だ。散歩がてらに妨害とは、実に羨ましい身分だ。運転を務めた機体の彼の眼の色が一瞬だけ青から赤に変わり、元の色に戻った。適切な機関へ通報したのだ。後はこの場を便

「それは良いけどね、ここら辺に置いていた箱。燃えてるじゃないの」

 幸いにも、受信装置から抜け出したせいで色素が顔面に沈着している不法侵入者たちは通報した事に気付いていないようだった。

「仮にあなたの物だとすれば不法投棄になるでしょう」

 そう言いながら融通の利かない薄緑色の人々に詰め寄って、ズボンの左ポケットに手を入れた。モバイル式催眠装置の電源を付けて距離を縮めていく。この程度の人数なら効き目も減らなかろう。

「そんな事を聞いてるんじゃないよ、燃えた物をどうするつもりなのかって……」

 右手でヘルメットの横にあるスイッチに触れて、超音波キャンセラーを始動する。信号が他の二人にも自動で送られるため、準備はすぐに終わる。私は平身低頭の振りをして、保護液の乾き切っていない彼らの目の前に来てやった。

「それでしたら、こちらの端末タブレットを通じて総合情報センターに陳情を願います」

 左ポケットから催眠装置を出して音波を照射した。凄まじい効果だった。どうでも良い事を喚いていた老女は膝を失ったごとく倒れ込み、若い盆暗な男は若葉を思わせる顔面に鳩尾みぞおちに一発喰らったみたいな表情を漂わせて、塞ぎ込んでいく。手入れのされていない髭を持ったカーキ色の高齢者も同様に地面に吸い込まれていき、一過性の流行に飲み込まれた若い萌黄の娘に至っては、満足そうな寝顔をしていた。邪魔が入ると流石に愚痴も溢したくなる。

「まったく、骨が折れるよ」

 通信網に反発するのは一向に構わない。だからと言って我々の作業に介入する理由にはならない。先週、初めてマザコンがデータ通信の利用状況を出した。もちろん、の電脳規制綱領によって大規模に造れないため、処理機能が冴えないのは承知の上だが、その数値は人口の九割に相当する。少なくとも、その九分九厘の不利益を造り上げるのは愚策であろうし、そして、汚い地面に寝そべっている彼らが、人目を避けて配線経由でデータベースへ生体接続して、情報を収集している確率も、マザコンの出した値と同様であると言えよう。今や印鑑登録だって配線の網を通せば、物の20分で手に入ると言うのに、その手を使わないなんて可笑おかしな話だ。

「配電盤を確認しよう」

 こんな保護液臭い人々を無視して我々は作業に取り掛かった。彼らからしてみれば、我々のごとき修理人なんて代物は、憎むべき単調な現実の象徴なのだろう。その考えは高尚な論理によって弾き出された結論なのかも知れないが、こちらからすれば迷惑である。そんな行為の是非を論じるのは全く不毛で、どうでも良い事だ。しかし配線を嫌いながら配線に接触するとは、どういう理論が働いているのか。

 煙を吹いていた回路を見ると、この配電盤自体が古いためか、骨董品のようなヒューズが存在していて、ご丁寧にも切れていた。その他にも5ヶ所にトランジスタの破損があり、コンデンサも脱落してしまっている。あまりの惨状に、ため息をついた。

「参ったな。今は資源を別回線経由で迂回させてあるから、まだ停電してないけど、改修するには総取り換えになるぞ」

 ネズミに驚いて眠気どころではなくなった同僚は、私に同調するかのように不満を溢した。

「こんな事になるなら、新路線を造っとけば良かったんだ」

 新しく配線を整備する計画も出ていたが、前述の通り快く思わないという我儘な理由を持つ組織によって徹底的に潰されてしまった。現状の回線だけで回りくどい方法ばかり取らされては、いずれパンクするのは明白だ。

「二人とも、落ち込むのも大概にして、応急処置していこう」

 こうして我々は破損箇所の改修作業に移っていった。状況によってはオーバーホール箇所の記録になるかもしれない。交換できる部分だけでも新品に置き換えていく作業の途中で、やっと当局が来た。手早く地べたに寝かせていた妨害工作を引き起こしかけた緑色の御一行を引き渡した。マニュアルの指示に沿ったので、これもまた淡々とした行為となった。

 この作業が終わったら、今度は報告書の作成が待っている。単調で根気のいるトランジスタの付け外しをしながら、そんな事を考えた。変わり映えのしない日々とも感じたが、同時に、家に帰ればあの青白い肌を持った女性型の生体傀儡が待っているという事が思い起こされた。それだって一過性の出来事に過ぎない。どうせ、また静寂を迎える。何らかの事件の原因に巻き込まれない方が良いに決まっているんだ。

 そんな事を考えながら、私はすすだらけの配電盤から壊れたヒューズを取り外した。

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