1 少しずつ、彼らの回り始めた歯車は静かに軋みゆく

 驚いたか——俺を見据え、振り返った宮之浦の瞳は確かにそう語っていた。

 実際、俺は驚いた。どれくらい驚いたかと言えば、ぽかんと口を開けたまま動じない程度には驚愕したと言ってもいい。

 そして、そんな俺を見た宮之浦は苦笑を浮かべ、視線を目下に広がる街並みに向けた。握りしめたフェンスが小さく鳴いた。


「まぁ、気持ちはわかるよ。驚かないはずがない。好きな子の影に、実は自分以外の男の影が見えれば誰だってそんな反応にもなるさ」


 宮之浦はそう言ったあとに「俺だって君の立場ならそうなるさ、きっと」、そんな言葉を付け足し、再度俺に視線を向け、


「君は、これから俺の言う言葉を信じられるか?」


 そう口を開いた。

 俺には宮之浦の真意がまるでわからなかった。わからなかったから、虚言も冗談もはぐらかすこともできなくて。だから俺も思うがまま口を開くだけ。


「……場合によるな」

「場合による、か……。実に君らしい答えだ」


 俺らしい答えだって……?

 宮之浦からこぼれた言葉に俺は思わず口元を歪まして笑ってしまった。


「うん? 何かおかしなことを言ったか俺?」


 本気でわかっていないのだと、首を傾げで問いてくるその姿から察した。ならば、こちらから問わない手もない。


「……一つ、聞いてもいいか?」

「ああ」

「お前今、君らしいって言ったよな?」

「うん? ああ、言ったな」

「んじゃその君らしいってのはなんだ。まるでお前が俺のことを知ってるみたいに聞こえてくるのは気のせいか?」

「ん? そりゃあ気のせいではないな。だって俺は君のクラスメイトなんだし、知ってて当然の話じゃないのか?」


 何を当たり前のことを言ってるんだ、宮之浦の瞳は確かにそう語っていた。

 ……当然の話、ね。

 確かに宮之浦の発言には一切の不思議はない。

 現にクラスが発足した際には自己紹介は必ず行うものだし、俺たちのクラスも当然行った。俺だってその記憶はあるし、まばらだが相応の拍手はもらったのを覚えているからまず間違いない。

 されど、そうじゃない。今、俺が主張したいこととはそういうことじゃないのだ。


「違ぇよ。そうじゃない。俺が気になってんのはその君らしいって言い方のほうだ。まるでその言い方だと、これまでお前が俺のことをずっと見てきたみたいに聞こえるそのキモい言い方の方だ」


 名探偵が推理で犯人を言い当てるが如くビシッと人差し指を差し向けて俺がそう言うと、宮之浦は肩を竦めて頬を引きつらせた。


「キモいって、ずいぶんと辛辣な言い方をするね、君は……」

「悪いな。俺は男に見られて喜ぶ趣味は持ち合わせていないんだ。他をあたってくれ他を」


 動物嫌いなおばさんがしっしと野良猫でも追い払うようなジェスチャーを取ると、宮之浦は先ほどより露骨に頬を引きつらせた。


「何だか俺の名誉がひどく傷つけられているみたいだから一応言っとくが、俺も男を見て興奮する変態性は持ち合わせていないからな?」

「じゃあ何で俺を見ていた? 自慢じゃではないが、俺はお前みたいに注目されるほどの何かは持ち合わせてないぞ」


 そう、俺は誰かに何かを見られるような特別な容姿も才能も協調性もない。自分で言うのもあれだが、平々凡々を絵に描いたような奴が俺という男なのだから。

 そうやって俺が思考していると、宮之浦は俺の心を言い当てるように口を開いた。


「知っているさ。君はお世辞にも特別とは言えない。言うなれば平凡を絵に描いたようなどこにでもいる、そう、どこにでもいるつまらない男だよ」

「……喜べ。俺よりも、お前のほうがよっぽど辛辣って言葉が似合うみたいだぞ」


 今度は俺の方が頬を引きつらせて悪態をつく。けれど、宮之浦はこちらの軽口など受け入れず、淡々と言葉を口にし続ける。


「事実さ。言ったろ、俺は君のことを見ていた。クラスの中での君の立場や言動、クラスメイトたちからの認知度具合から評価具合に至る何から何までね。そして、約八ヶ月間という月日を経て俺が君に抱いた感想は先ほど口に出した通り、平凡さ」


 一切の淀みなくそう言い終えた宮之浦の瞳が真っ直ぐ俺を捉えて離さない。まるで『君自身が一番痛感しているんじゃないか』と言外に伝えてくるように思えるのは俺自身自覚しているからだろう。

 現に、宮之浦への言葉はすべて正しい。今、痛いほどこの胸に突き刺さっているのがその証拠だ。


 その痛みから逃れるように俺は視線を逸らした。えてしてそれが宮之浦の言葉を認める言動だとわかっていてもなお俺は目を逸らすのだ。

 痛いところを突かれ、抗えない現実を突きつけられ、己の平凡さを痛感した、まさにそんなとき、ふと、冷風に乗って苦笑交じりのため息が俺の鼓膜を震わせてきた。


「だけど、まぁ……」


 その呟きに誘われるように視線を上げると、俺が目にしたのは自嘲気味に笑う宮之浦の顔だった。


「ま、負け犬の俺なんかよりも、君の方が幾分とマシだけどね……」


 俺は一瞬自分の耳を疑った。一番負け犬とはほど遠い場所に立つこの男が何を言っているのかと。

 俺の認識からすれば宮之浦世界という男は、負け犬どころか勝ち組に分類する側以外の何者でもないのだから。

 第一、我が校において宮之浦世界は郡元美麗に並ぶ有名人。クラスメイトにすら名前を覚えられていない俺とは、その時点でまさに天と地ほどの差があると言ってもいい。


 現に彼にはそれほどの才能がある。それをひけらかそうとしない美しい性格の持ち主でもある。成績優秀だし顔だっていい。……だから、友人関係は誰よりも豊富だし、クラス内外にも多くのコミュニティーを築いているのは誰の目から見ても明白で。さらにそこに実父の血脈や地位、政界にも顔が利く祖父の存在が加われば、もはや怖いものなんて何もない。

 そんな奴が負け犬? 冗談じゃない。宮之浦ほど恵まれた男が負け犬ならば、俺は一体どこまで矮小わいしょうな存在だと言うのだろうか。


「お前が負け犬だって? 笑えんな、それ。お前が負け犬ならいったい俺はなんなんだよ、ミジンコ以下か」


 皮肉を交えた本音を口にすると、宮之浦はまっすぐこちらを見て、笑わなかった。


「君のほうこそ笑えない冗談を言うよ。あの子と付き合えるような男が言えたセリフじゃない。それを言うなら俺のほうがミジンコ以下になってしまう」


 最後の言葉は苦々しい笑みを浮かべながら。異なるのは、今度は宮之浦のほうから視線を逸らしたこと。果たしてそれはどういう意味なのか、しかし俺には問いかけることができなかった。問う前に、曇天を見上げた宮之浦ほうが先に言葉を紡いだから。


「なぁ、湯之元くん。俺が最初に言った言葉、君は覚えているかい?」

「……お前の言葉を俺が信じれるかどうか、だったか」


 訝しげな視線で正否を問うと、こちらに視線を戻した宮之浦は小さく頷いた。


「答えは出たかな? 君はこれから言う俺の言葉を信じるかどうかの答えさ」

「それはさっきお前が言っていた言葉の答えになるのか?」


 俺の疑問に宮之浦は答えなかった。だが、それで十分だった。答えてくれずとも、その自嘲気味に浮かべた笑みがその答えを語っていたから。

 そして、宮之浦世界は穏やかな口調でその言葉を言い放つのだった。


「郡元美麗、俺は彼女の元恋人であり、許婚だったんだぜ」


 ×


 俺は宮之浦の言葉に愕然とした。


「お、お前が、あいつの元恋人で? 許婚……?」


 同じ言葉を反芻すれど、衝撃の告白にうまく事態を呑み込むことができない。


「なるほど。その驚愕っぷりを見る限り、やはりあの子は君に話していなかったか」


 それに比べて当の本人である目の前の男はいつもの爽やかな面持ちを保ったまま、何やら納得した様子でこちらの様子を見据えている。

 聞きたいことはたくさんあった。色々と問い質したい疑問が止めどなく溢れ出してくる。

 例えば、なぜ、今、お前はすべてを諦めたような顔で笑い、過去の話として受け入れてしまっているのか——とか。

 結論から言えば、俺の疑問が言葉になることはなかった。言葉になるよりも先に、屋上の扉が勢いよく開き、息を切らした人物が現れたから。


「郡元?」

「行くわよ」

「はっ? ちょっ——」


 黒髪の少女はずんずんと足音を鳴らしてこちらまで近寄ってくるや否や、いきなり俺の襟首を掴み強引に引っ張ってきたのだ。襟元を掴まれた俺はなす術なく、情けないカエルの鳴き声のような苦悶を上げ、されるがまま地面に引きずられてフェーズアウト。


 咄嗟に後方に立つ宮之浦に援助を求めて手を伸ばすが、宮之浦は仕方がなさそうに苦笑を漏らしてひらひらとこちらに手を振ってくるだけで何かしようとはしてくれなくて。

 何より、彼が浮かべる表情は諦めろとでも言う様な、ともすればそれは彼女のことをわかりきっているような、そんな笑みだった。

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