第19話 11 5女 こひめ 桑姫?マグダレナ?

■■■原文■■■


 こひめは【十九にて】なかさきひく人にして三十ねんまへはて給ふ

 これを身もちの時、ふくろめいしょにてほととぎすをきき給ひ、ゆ候との外候ハすなる人ニて候、心にかけしうけんしてやかてはて給ふ、おやとりこと人申せし也。


■■■訳文■■■


 小姫は十九歳の時に長崎で出家した人で、30年前に死亡した。(1605頃?)

 母親は彼女を身ごもっている時、名所でホトトギスの声を聞き、遊ぶ事以外はしない人であった。これを心に掛け祝言してやがて死亡した。

『親取り子(親鳥子?)』と人は言った。


■■■解説■■■


 長崎に移住した事を考えるとひく人(=出家)とはキリシタンになった事かもしれません。

 他の兄弟と違って彼女を身ごもっていた時に母親に奇行が目立ったのはそのせいだと言いたいのではないかと推測されます。

 おやとりこ、と言うのは『亡霊が生者を取り殺す』などの狐憑きのような状態を指すものかと思います。

 そうならないよう注意して結婚したがやがて死亡した。というのはストレスで早死にしたのかもしれません。

 


 なお彼女の長崎移住はイエズス会報告集1-5巻P11によると

 久我の娘が長崎の市で暮らしており、領地没収のときに7.8歳。祖母と長崎に来た。祖母とは血縁でないとあります。

 つまり1585年頃に生まれて3年もしないうちに両親が亡くなり、血がつながっていない宗麟の後妻が養育していたようです。

 彼女は10歳(1595年頃?)でデウスに仕えたとありますが、それを表明しては不都合だと周りから止められていた(秀吉の伴天連追放令が原因でしょう)ので、それを隠さなくなったのが19歳の事だったともとれます。

 洗礼名はマセンシア。1604~5年頃に苦行でで80日病床におり、死の八日前に断髪したとあります。生年を1585年とすれば1604年頃に数え年で19歳くらいなので、条件に合致します。

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