第13話 18、宗麟3男 松野半斎(奈多夫人は田原紹忍の姉だった)
■■■原文■■■
はん斎御子わかに五もし有
まへかとのかもし、御子はミなはてたまふ、いまのかもしハはしめのかもしのいもうとたわらしようにんノむすめ也。
このたわらはそうりんミたいのおとおと。なたとの子なれ共、入むこにてたわらなのる、
たわらも大ともよしなをの宮こにてもち給ふ御子のすへ也。
■■■訳文■■■
(松野)半斎(=大友親盛・宗麟3男)の御子は、男子と娘がいる。
① 前門の母親(前妻)の御子は皆死亡した。
② 今の母は初めの嫁の妹。田原紹忍の娘である。
この田原は宗麟の妻の弟。奈多殿の子だったが(田原氏の)入り婿となって田原と名乗る。
田原(氏)も大友能直の都で(生まれ)持った子の末裔である。
■■■解説■■■
熊本の武士となったと言われる大友親盛は松野氏と改姓します。
彼は1582年頃に田原紹忍の娘と結婚し田原家を継いだとフロイス日本史にも書かれています。
が、宗麟の影響もあってキリシタンとなった親盛はパンタリアンと名乗り、国東で寺社を破壊し、妻もキリシタンにします。
この前妻がいつ死亡したのか分かりませんがフロイスが記録してないので大友改易後の事かもしれません。
なお、まへかと の意味は分かりませんがおそらく前妻の事でしょう。
後妻との間にも子が生まれたので、それと区別するため断りをいれたのだと思われます。
なお、だいたいの系図や遠藤周作の【王の挽歌】では宗麟の妻 奈多夫人の兄とされた田原紹忍ですが、実は奈多夫人の弟だったとあります。
彼が婿養子に入ったのは大友能直の10男、田原氏の子孫の家です。
田原氏は正妻ではない白拍子との間に生まれたので財産分与で土地を貰えず、金貸しなどで財を蓄え元寇で困窮した国東の領主に金を貸し、借金のかたに土地を買い上げたと言われています。
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