第9話 13、大友義統の息子 幽哲(義則)の話

■■■原文■■■

 ゆうてつ御うちはひたとのいもうと也。

 こまつると申人のはらか、

 これにおけんさま、長二郎さまなとありし也、五もし一人江戸

 やくいんのめい、せんいんの

 御所さまの御めのとのこ、

 いま二大り二あり

 御はたもとに有、きようはしに松のうきやう殿、ゆりさま、おいとさまは船にてはて給ふ。


■■■訳文■■■


 幽哲(大友義則)の妻は立花宗茂殿の妹である。

 彼女の母親は胡麻津留と申す人が母親だろうか?

 これにおけん様、長二郎様などの妹弟がいる。娘は一人。

【施薬院の姪、せんいんの御所様の乳母の子で、いまは内裏にいる】

 江戸の御旗本に有り。京橋に松野右京殿、ゆりさま。

 おいと様は船で死亡した。


■■■解説■■■


 立花宗茂の母と言うと、疱瘡にかかり顔が醜くなったので結婚できないと断ったら高橋紹運が見た目を気にせず娶った斎藤氏の妻が有名ですが、側室もいたようです。

 その『胡麻津留』とは大分市街地東の大分川の中州があった辺りの地名と言われていますが現在では消滅しています。

 河川の下流は多数の中州が有って胡麻のように見えたからついた名前でしょう。


 なお大友義則(1577~1612)の妻は、高橋紹運(1548~1586)の娘か立花宗茂(1567~1643)の娘と言われていますが、寛政重修諸家譜P386では二男 義親の部分に『母は紹運が女』とあります。

 また立花宗茂は前半生で子供が生まれていないので、本書のいう宗茂の妹説の方が信用できます。

 

 江戸の御旗本に有り。

 と書いているので、この書が書かれた時期に幽哲はまだ生存していたのかもしれませんが、単に情報が入って来なかっただけの可能性もあります。

 最後に登場した船で死亡した人は おいと様だけなのか ゆりさま も含めるのかは分かりませんでした。

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