第8話 12 長男 大友義統と妻 吉弘鑑理の娘

8~11番目は久我氏の子息ですが、大友宗麟とはほぼ接点が無いので後廻しにします。

 

■■■■原文■■■


よしむねの子大ともゆうてつ、

たち花ひたとのの内はらしりと申人の御うち、あわちとのみ御内。

右はたち花ひたとのおはのはら也、よしひろとの也。


■■■現代語訳■■■

大友義統の子は

① 長男 大友幽哲(大友義則)

② 立花飛騨殿(立花宗茂)の内(家臣?)、原尻と申す人の妻

③ (一尾?)淡路殿の妻

右は立花日田殿のおばの子供であり、吉弘(鑑理の娘)殿である。


■■■解説■■■


 祖父 吉弘鑑理       →

     ↓          ↓

  父 高橋紹運  叔母   義統の妻

     ↓          ↓

   立花宗茂   いとこ  大友幽哲たち



寛政P385によると

①大友義統の前妻は吉弘鑑理の娘、高橋紹運の妹。

なので立花宗茂にとっては叔母となります。

大友幽哲は大友家改易後、徳川家の預かりとなり、関が原の合戦の後も旗本にはなれましたが、大名には返り咲けず、早くして死亡します

②二番目の原尻氏の妻と言うのは系図には書かれていません。

③一尾『淡路守』通春の妻も細かい事績は記述なしです。



 実は、義統は秀吉から側室を娶るように言われ、甲斐氏の娘を妻としています。

彼女との間に生まれた3女は佐子局といい、東福門院(徳川家康の孫で第108代天皇・後水尾天皇の皇后 和子)の御所に仕えた人物です。

 彼女は後に血筋の絶えて滅亡した大友家を高家として復活させるよう朝廷にはたらきかけ成功させます。これは1658年頃の話なので、この婚姻録が書かれた時期には大友家は江戸に存続していたか滅亡し、佐子局の存在もあまり知られていなかったのかもしれません。


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