応援コメント

第5話 奈多夫人と前夫の娘の話」への応援コメント


  • 編集済

    この様な試みで余り知られていない史料が広く知られる様になるのは非常に良いことで、著者様の努力に敬意を表したいと思います。

    「大友家姻戚録」は、濁点のないかな文字と当て字が多いので、文意が読み難い箇所が多く、現代訳は大変ですが、引き続き頑張って下さい。

    また三人の男子ですが、原文からは
    ①家取 志賀小左衛門(親次)
    ②長岡殿(肥後細川家)の家臣である松野左門と申す人
    ③志賀甚吉、この人は豊後国の吉岡殿の養子(吉岡統増)
    ですね。

    「たいほう」というのは私も悩んでいますが、後家のことで、つまり「きたとの、よしおかのたいほう也」は、きた殿は吉岡の後家である、という意味だと思います。
    つまり「志賀甚吉とて、一人の男子があり、この人は豊後の吉岡殿の養子なった。玖珂の毛利飛騨守家中におられた、きた殿は吉岡の後家(妙林尼)で、この養子となったのである」
    という文となります。

    「いしういんミまさかたかた[ふんこ]ノしろのふせ人しゆニゆ(だ)んしてころさるゝ 此きたとのゝしろ也」
    とある箇所も、「きた殿」が妙林尼ですから、
    伊集院美作は豊後国高田の城の伏勢に油断して殺された。これはきた殿(妙林尼)の城(鶴崎城)のことである、という意味だと思います。

    また「伊勢藤堂家に所属する佐伯権之助惟定の母親」とあるのは、「佐伯権之助惟重の母親」の間違いです。翻刻された福川さんの補注に「惟定」とあるのですが、惟定は姻戚録が編まれる15年以上も前に死去しており、諸史料によると惟定と志賀親次は年齢がほとんど同じです。

    作者からの返信

    考察をお教えいただき誠にありがとうございます
    こうした話で推論を頂く機会は全くなかったので、心強い援軍が来たようで大変嬉しく思います
    たいほう が法体というのは非常に腑に落ちました
    また伊集院が油断で殺害された話は内容が信用できる大友興廃記後期と一致してるので間違いないですね
    脱字があるとは予想できませんでした
    佐伯氏は生年チェックし忘れていたので、盲点でした
    これからも宜しければご指導ご鞭撻の程 よろしくお願い致します
    ありがとうございました