キツネと森の図書室

山原 もずく

【児童文学】キツネと森の図書室

-そこで私は 彼らのみた夢の中を歩き 彼らのみた現の中を歩く-

 

 本を読む時、時々私は森の中に立っている。


 静寂の中、そこでは頁をめくる音だけが、木々の優しい葉音のように、佇む私の鼓膜を撫でる。そこでの私はどこかへ旅する夢をみている、誰かがみたであろう景色を探して。


「いつか実際に行ってみたいな」


 乱暴に閉められた扉の音で強引に図書室へと引き戻された美咲は、存在するはずもない森に想いを馳せていた。


どこか懐かしい不思議な森。


 興を削がれた。


 美咲が「その森」の中に入っていく感覚は実に久しぶりの事だった。最近なにかと忙しく、本は小分けにして読むことが多いし、スマホの通知が鳴る度に読書が中断される。本を読むのに集中できていない自覚はあった。


だから、わざわざ図書室に来て読んでたのに。


「ドアは静かに閉めましょう」


小声で不満を漏らしながらも、改めて頁をめくり森への侵入を試みる。


すると、背後から誰かの声が聞こえた。


「だったら、来てみるかい?」


「うん」


物思いに耽ってる時の悪い癖だ、何にでも適当に返事を返してしまう。


「誰?」


 直ぐに我に返り振り向くと、そこは森の中だった。


 そんな不可解な出来事が起こったにも関わらず、美咲の心は落ち着いていた。此処の様相が「思いを馳せていたあの森」とピタリと一致していたからである。


そして、そこには切り株に座る狐の姿があった。


狐は落ち葉を頭の上に載せながら目を閉じ胡坐をかいている。


「あの、ここは何処ですか?」


邪魔しては悪いなと思いつつも美咲は尋ねた。


 普通、動物に話しかけることはあれど、場所を尋ねたりはしないだろう。しかし、その風体は「ふわふわ」とも「もこもこ」とも違う、只々水彩の絵具で乱暴に描かれたような不思議な毛並みをしていた。


不思議の森の不思議の狐だ、きっと人の言葉が通じても不思議ではない。


「図書室だよ」


狐は一瞥もせず答えた。


「図書室......でも本がどこにもないような」


 確かに自分は先程まで図書室で本を読んでいた。しかし、ここは図書など一冊も置いていない森の中ではないか。狐は軽く溜息を吐いて立ち上がると、2本の足でテクテクと歩いて来た。そして目の前まで来ると足元を指さしこう言った


「ほら、そこにあるじゃないか」


美咲は自分が本を踏んづけてしまったものだと思い慌てて後ろに下がる。


しかしそこには何もない。

紅葉へと向かう落葉樹から落ちた葉が、只々地面に積もっているだけだ。


「何もありませんが」


「何を言っているんだい、ほら」


狐はその落ち葉の中から一枚を拾って「よく見てみろ」とばかりに美咲に差出す。


手に取ってみるが、やはりただの落ち葉だ。


「そうか、元の形を忘れているんだね。じゃあ、思い出させてあげよう」


狐はそう言うと、それを頭の上に置いたら目を閉じろと指示を出す。


「深く息を吸って、せえのっ」


狐が「ポンっ」手を叩いた瞬間


美咲は身に覚えのある感覚に思わず「あっ」と目を開いてしまった。


 木枯らしが通り抜ける、黄色や赤やまだ緑を残した様々な葉が舞い乱れ、森がその姿を変えていく


 いつの間にか辺りは暗くなり、何処かのバス停に佇んでいた。

ここが何処だか思い出せない、頭がぼうっとしている。

 

雨が降っている。


傘は無かったが、既にびしょ濡れで気にはしなかった。


「今日は狸が来てないな」


横には狐が立っていた、彼は大きなクワズイモの葉を傘にしている。


「たぬき?」


「ああ、こぉんな、大きな、けむくじゃらの奴さっ!」


狐は説明に夢中になるあまり傘を落としてしまったので、すぐに美咲と同様にびしょ濡れになった。


「お前さんが大きくなりすぎたのかもしれない。子供の前にしか出たがらないらしいからな」


そう言うと「ポン」とまた手を叩いた。


美咲は森に立っていた。


「あれ?私......」

先程まで何かの夢をみていた事は知っているが、その内容をうまく思い出せない。


「ふむ、お前さん目を開けてただろう」


戸惑う美咲の様子を見て狐は言った。


「あ、うん......」


「見よう見ようと目だけで追ってしまうと、物語の中には辿り着けない。そしてそんなもんは直ぐに忘れちゃうんだぜ」


狐は今度は落ち葉を2枚差出した。

美咲はそれを再び頭に乗せて今度は固く瞼を閉じる。


「いつになったら開けていいの?」


「開けなくてもみえてくるもんさ、只、静かに感じるんだ」 


どうにも納得いかない説明であったが、また忘れてしまっては困ると、今度は両手で目を覆って「その時」を待つことにした。


「ポンっ」


狐が再び手を叩くと


「ずしんっ!ずしんっ!」


地鳴りとともに大きな「足音」が此方へと近づいてくる。


「どうなるの!?」


目を閉じている恐怖も相まって、美咲は大声で叫んだ。


「ふふふ」


狐が笑う。


その笑い方には聞き覚えがあった......


 幼い頃、寝る前に母がよく絵本を読み聞かせてくれた。


 物語の山場で次の頁をめくる時、母は必ず「さて、どうなるでしょう?」という質問をしてきた。それに決まって「どうなるの!?」と大声で答える私を見て「ふふふ」と笑いながら次の頁をめくっていたのだ。


「ずしんっ!」


 轟音に大地が震え、それが美咲を踏み潰したかと思うと、森に再び静寂が戻った。


 すると、地面が段々とぬかるみ、やがて「コンコン」と水が湧き、水面が膝下まで上がった頃には、さらさらと流れる川の音が聞こえてきた。


狐に言われたように、その冷たさを肌で感じ、せせらぎに耳澄ましてみる。


 いつのまにか、両手で目を覆っていたはずの美咲は、目を開けた状態でその川の中で佇んでいた。


「どうやら、うまく入り込めたようだね」


「うん、今度は意識がはっきりしている」


「これで彼らも姿を見せてくれるだろうさ」


 狐はそう言ってクワズイモの葉に「なみなみ」に注がれた液体をどうにかこぼさぬようにとすすり始めた。


「あ、ダメ!その葉っぱには毒があるよ」


美咲は叫けぶ。


「これかい?」


狐は返事はすれど、今度はグビグビと美味しそうにそれを飲む。


飲み干すと


「それはまた別の世界の話さ」


と言って口を拭った。


「それにこんなに美味い梨のお酒を愉しむには、やっぱり葉っぱの盃に限る」


「梨のお酒?」


確かに先ほどから甘い香りが漂っていたが、どうやら梨の香りだったようだ。


「そう、ヤマナシのお酒だよ、酸っぱいからと一口カジって捨てる者が多いが、ゆっくり熟すのを待てば、そのうち香りの良い美味いお酒になるんだ」


「そこの親子に貰ったんだよ」


狐の指さす川底には3匹のカニがいた。


カニたちは美咲が視線を向けると、サッと岩陰に隠れてしまった。


 狐がまた「ポンっ」と手を叩くと、美咲の体は瞬く間に縮み、そのまま川の中へと沈んでいく。


「小人」になったからか、もうカニたちは美咲を見ても驚きはしなかった。


 カニたちはぷくぷく泡を吐いていた。

その泡が綺麗なキラキラとなって水面に上っていく。

見上げると、いつの間にか暗くなった空には、まあるい月が浮かんでいた。


煌々と照る月の灯りは揺らめく水面に散らされながら、川底に4つの影法師を映し出す。


その途中で塵か何かが反射して、これまたキラキラと光る。

まるで水中を多くの蛍が飛び交っているような幻想的な景色だった。


見惚れている間に、カニたちは何処かに行ってしまっていた。

気付くと水中にも先ほどの梨の香りが漂っていた。


「ポン」という音が聞こえると再び森へと戻っていた。


「あ、今度は忘れてない」


美咲は先ほどと同じく夢を見ていたことに気付いたが、今度はその内容をはっきりと覚えていた。


「今度は物語の中をしっかり歩いたからさ」


「物語ってのは、こうやって歩いてやらないと、すぐ形を忘れてしまう。いつも彼らは再びお前さんと歩くのを心待ちにしているのさ」


美咲は自身の足元をみた。


「こんなに沢山ある物語を、私は殆ど忘れてしまったの?」


「いや、これ全部がお前さんがみた物語って訳じゃない、他の誰かのも混じってるんだ」


「他の人?」


「そう、ここは皆の物語が集まる皆の場所さ。今だって見えないだけで沢山の人間がここに来ているよ」


「それに、忘れても気にすることは無い。いずれボロボロに朽ちても、それは土に還り新たな物語の栄養となる」


狐が見上げた枝の先には、紅葉中だというのに青々とした新芽が生えてきていた。



すると、遠くから微かに最終下校のチャイムが響いてきた。



「おや、そろそろだね」

狐はニッコリ笑う。


「またここに来れるかな?」


「どうだろう、ここの景色は常に変わる。原っぱだったこともあるからね。そこに人々が物語の種をまき育てたんだ。もしかしたら、いつかはお前さんの住処の様に石だらけになるかもしれない」


次第にチャイムの音が大きくなり景色が段々と霞んでいく。


「また遊べたね......」


狐が最後にそう言った気がした。




美咲は図書室に座っていた。


今しがた白日夢をみた気がするが内容は覚えていない。

ふと、絵本のコーナーに足が向く。そこには大人向け絵本や名作絵本が並んでいた。


-ごんぎつね-

幼い頃、母がよく読み聞かせてくれた絵本に目が行った。


 幼い頃の私はその結末に納得がいかず、泣きながら母から本を奪い投げ捨ててしまった。それでも、毎日の様に読んでもらっては泣いてを繰り返していたらしい。


その事は今でも笑いの種にされている。


 とある日のこと、一人泣きながら家に戻った私の手には棘が刺さっており、もう片方の手には三粒の栗を握っていたそうだ。

母がピンセットで棘を抜いた後、栗を調理しようとすると「一つはゴンのだから」と、その絵本を壁に立掛け、供物の様に栗を供えたそうな。


二人で栗を食べながら、私は母にこう言ったらしい。


「ゴンは死んでなかったんだよ、今日も一緒に栗拾いしたんだから!」


 新しい絵本を買って貰いそちらに興味が移ると、いつの間にかその絵本は栗とともに何処かへいってしまった。




「何年ぶりかな」


美咲はそう呟きながら絵本を手に取った。


開くと、ほのかに甘い梨の香りがした。



おしまい

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キツネと森の図書室 山原 もずく @mozukune-san

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