第14話

 神戸牛のフィレステーキ。丹波栗の栗ご飯。越前ガニを使った鍋。

 鵬翔の間のテーブルの上にずらり並んだ海の幸山の幸。

 幸姫さんが用意してくれた夕食は、見たことないような豪華な料理だった。


「はい、鍋ができあがりました。どうぞお上がりください」


「「ウマァ――――!」」


 僕と愛菜さんは幸姫さんが用意してくれたフルコースを堪能した。


「「ごちそうさまでした」」


「おそまつさまでした。喜んでいただけてなによりです」


 食べ終えれば時刻は午後四時。

 ふと窓の外に視線を向けるとすっかり日が暮れていた。


 山の夕方は早い。鮮やかな山は黒く染まり、空は既に星が微かに瞬いている。

 耳を澄ませば微かにコオロギの鳴き声がした。


 あと愛菜さんの幸せそうなげっぷの音も。


 畳の上に寝転がる僕たちの横で、幸姫さんはせっせと食事の片付けをする。

 手伝おうかと尋ねると、「私の仕事ですから」と凜々しい顔で幸姫さんは断った。

 彼女がそういうなら僕たちも無理に止めることはできない。


 あっという間に廊下に止めたワゴンに食器を載せ終えると、彼女は「どうぞごゆっくり」と僕たちに一礼する。それから静かに彼女は部屋の襖を閉めた。


 見事なまでの女将っぷりだ。

 この温泉旅館の未来は明るいな。


「ゆーいちってば、いつの間にゆきちゃんと仲良くなったの?」


「ふぇっ⁉」


 幸姫さんをぼんやり見送っていた僕は、その不意の質問で我に返った。


 畳の上に寝転んでいる愛菜さん。

 浴衣の袖から焼けた脚を無防備に出す姿は、ひなたぼっこをする猫みたいだ。


 その脚がひょいと動いたかと思うと、僕の太ももをやさしく蹴った。


「ゆきちゃんてさ、結構な人見知りなんだよ」


「へぇ、そうなんだ」


「ディスコの女子会も後から来たでしょ? 勉強会にも来なかったじゃない? いつも誘うんだけど、なんでか遠慮しちゃうのよね」


「催眠術なんて使うのに、なんか意外だな」


「……催眠術? なに言ってるの?」


「あれ? 知らないの?」


 愛菜さんが真顔で頷く。

 すぐにからっと笑った彼女は、またその脚で僕を叩いた。「なにその冗談」と言う辺り、本当に知らないのだろう。


 別に隠すようなことでも――あるか。

 催眠術だものな。


 お腹を抱えて笑い出す愛菜さん。

 くやしいけれど、幸姫さんが隠しているなら僕からは言えない。

 もどかしさをお腹に押し込もうと、僕はテーブルのお茶に手を伸ばした。


「……うん?」


 その時、僕はテーブルの下に土鍋の蓋が転がっているのに気がついた。


 かに鍋についていた蓋だ。

 外してそこに置いたのを忘れていた。


 僕の動きが固まったのに気がついて、すぐに愛菜さんもそれを見る。


「あ、いけないんだゆういち。ゆきちゃん、それ困っちゃうんじゃない?」


「だよね……」


 追いかけなよと愛菜さん。

 僕は鍋の蓋を手に旅館の廊下に出た。


 廊下を見渡せば、階段の手前にあるスペースに幸姫さんの姿がある。

 壁の小型エレベーターで食器を下ろしているようだ。


 無事に見つかってほっと一息。


 その時――幸姫さんの身体がふらりと揺れた。


 立ちくらみのようだ。

 体勢を崩した幸姫さんがその場に倒れそうになる。

 咄嗟に土鍋の蓋を捨てると、僕は幸姫さんの身体を抱きかかえた。


「大丈夫⁉」


「……あぁ、ゆーちゃんさん」


 床にぶつかる寸前だったが、なんとか間に合った。

 僕の腕の中で仰向けになる幸姫さん。どうやら怪我はないようだ。


 だが、なんだか様子がおかしい。


「……熱っ⁉」


 意識せずに触れた肌は焼けるように熱い。

 思わず声に出して驚いた僕を、幸姫さんがとろんとした目で見つめてきた。


「違うんです、風邪ではありません」


「風邪じゃないって……」


「催眠術はかなり体力を使いまして。長時間使った反動が出ただけなんです」


 なるほど。

 原理は分からないけど、催眠術も大変なんだな。


「無茶しちゃいけないよ。辛い時にはちゃんと休むべきだ」


「そうもいきません。これからホームページの制作会社と打ち合わせでして」


「それこそ後にしなよ……」


「全裸写真を破棄する催眠術をかけなくてはいけなくて」


 なるほど。

 原理は分からないけれど、僕のエッチな写真トラブルですね。


 熱が出ているのに無理なんてしないで!

 けど、できれば僕のヌードも守って!


 相反する二つの願いに苛まれて僕はたまらず白目を剥いた。

 どうしていつもこうなるんですかね。


 そして、気を緩めたのが運の尽き。


 どこからともなくスマホの着信音がする。

 いったい誰のだろうかと思えば、幸姫さんがスマホを握りしめていた。


「……あ、ちょっと!」


「もしもし。温泉旅館『中山大正館』でして。あぁ、どうもお世話になります。写真は無事に届きましたでしょうか」


 幸姫さんが制作会社の電話に出てしまった。


 さらにさらに、彼女はスマホを肩で掴むと胸の前で手を合わせる。


「パン!」


 催眠術だ。


 自分にかけたのだろう、急に幸姫さんの表情が険しくなる。

 額をおびただしい数の汗が走る。目は朦朧として、唇から血の気が引く。


 いったい、なんの催眠術をかけたんだ……。


 歯を食いしばりながら、幸姫さんは僕に声を潜めて語りかけた。


(今、感度三千倍の催眠を自分にかけました)


(感度三千倍⁉)


(打ち合わせ中に意識を失わないためです。複雑な催眠術をかけるのには、少し時間がかかりまして――ふあっ!)


 さっそく感度三千倍の身体が何かを拾ったようだった。

 びくりと彼女は肩をふるわせる。弾かれて床に落ちそうなスマホを彼女はなんとかキャッチしたが、たったそれだけでもう汗だくになっていた。


 なぜ感度三千倍なんてエッ……な催眠術を選んだんだ。

 違う意味で意識を失っちゃうんじゃないか。


 ショックに固まる僕の服の袖を、弱々しい手で幸姫さんが引っ張った。

 頼るような彼女の眼差しに、僕は少しだけ理性を取り戻す。


(お願いします、ゆうちゃんさん。私の身体に刺激を与えてください)


(……刺激ですか?)


(はい。私の意識が飛ばないようにして欲しいんです)


 感度三千倍を触って大丈夫なのか。

 なんだか妙な話になってきたなぁ。


(くっ! さっそく、意識が……!)


(わぁーっ! まだ心の準備が!)


 スマホを耳に当てながら白目を剥く幸姫さん。

 急いで僕は刺激を与える方法を考えた。


 どこを触れば女の子の身体に刺激が与えられるんだろう。


 そういえば、エッチな漫画でもこういう展開あるよね。

 NTRモノとかだと、声を殺して彼氏や旦那に電話をかけるんだけど……。


(そうだ! 性――身体の敏感な場所!)


 さっそく僕は腕の中の幸姫さんを床に下ろした。


 感度三千倍に悶える彼女は、寝返りを打つとその場にうつ伏せになった。彼女はやわらかそうなお尻を上げて、豊満な胸を床に押しつぶす。

 まるで無意識に刺激を求めるように、その身体は微かに揺れていた。


 早く助けてあげなくっちゃ――。


 僕は彼女に心で謝ると、その身体に手を伸ばした。

 触るのはエッチな漫画じゃなくても、よく女の子が悪戯される場所。


(うぉおおっ――うなじ!)


「……ンンッ!」


 幸姫さんの白いうなじを僕は荒っぽく撫でた。

 ふわふわとした産毛は触れるとこっちまでこそばゆい。しっとりとしたその肌は僕の指先によく吸い付いてきた。


 これはきっと効く。


 幸姫さんが振り返って僕を見る。

 その頬は桃色に色づき、潤んだ瞳や艶やかな唇と合さると、まるでエッ……の後のようだった。


 うなじを撫でただけなのにな――。


(ゆうちゃんさん、その調子です)


(分かった。この調子でうなじを撫でるね)


(……いえ、同じ刺激では馴れてしまいます。違う所を)


 また幸姫さんの呼吸が荒くなる。

 着物の襟は大きく乱れてうなじどころか肩甲骨まで背中が見えていた。

 露わになったその肌を玉のような汗が流れる。


 早くしなくちゃ。

 けど、いったいどこを触れば――!


 迷う僕にまた幸姫さんが、すがるような瞳を向けた。


(私の胸を触ってください)


(……えぇっ⁉)


(襦袢の上からなら問題ありません。お願いします)


 幸姫さんの瞳からまた瞳が消える。


 迷っている暇はない。

 僕は意を決すると、幸姫さんの着物の中に腕を滑り込ませた。

 ただ、おそらく揉むだけでは刺激が足りない。


 一撃で確実に幸姫さんを痺れさせるためには――。


 女の子の一番敏感な所を刺激するしかない!


(えぇいっ! どうぞよろ○首!)


 僕は親指と人差し指で、幸姫さんの胸の先端を摘まみ上げた。


「ンぁッ!」


 すぐに幸姫さんはお尻を高く突き上げ、背筋を反り返らせる。

 紅い絨毯を手でひっかきながら、彼女は歯を食いしばって悶絶した。


 荒い息づかいとうつろな目。

 肌はじっとりと汗に濡れ、襦袢が透明に透けている。

 髪は乱れに乱れて、頬はもちろん鎖骨や首筋にまで張り付いていた。


 そんな状態になりながらも、幸姫さんはなんとか悶絶の中から這い出てくる。

 咳払いをして、彼女は制作会社との打ち合わせを再開した。


 だが、これはもう限界が近いかもしれない。


 心配する僕を幸姫さんが見つめる。

 何度目になるか分からない彼女のすがるような視線は、汗と涙と光を失った瞳で大変なことになっていた。


 ――なんだかエッチなお願いをされている気分だ。


(あと少し。もう一回乗り切れば、催眠術は完了します)


(あともう一回だって⁉)


(おそらく、これまでの間隔的に……うぅっ!)


 言ったそばから幸姫さんが白目を剥いた。


 これ以上どこを触ればいいのか。

 おっぱいを超える刺激を生み出す場所なんて、もう残っていないぞ?

 いや、あるにはあるけれど――赤の他人が触っちゃいけない所だ。


 どうするんだ木津勇一!


 あそこを触るのか⁉ 触らないのか⁉


(……はっ! まてよ⁉)


 その時、僕のピンク色の脳細胞が煌めいた。

 敏感な部分に触れないで、刺激を与える方法を思いついたのだ。


 刺激を与えるのは触れる場所だけじゃない。


 触れ方もまた刺激を与える重要な要素。


 僕は幸姫さんの腰に手を回すと幸姫さんのお尻を持ち上げる。

 桃尻。幸姫さんの華奢な身体の中でそこは、胸と同じでしっかり育っている。厚い着物を身につけても、その肉感はシルエットから伝わって来た。


 そこに僕は自分の手を添える。


(……幸姫さん! 歯を食いしばって!)


(……えっ⁉)


 彼女の綺麗な部分にこれから酷いことをする。

 そう思うと、僕の心は震えた。


 ――ごめんよ!


 お尻に添えた手を僕は大きく振りかぶる!


 スナップを利かせて強烈にスイング!


 僕は掌を幸姫さんのお尻に打ち付けた!


 幸姫さんのお尻が着物の中で震える。

 衝撃に黒い髪が舞い、背筋が跳ね回り、頭がガクガクと揺れた。

 その身体から滴がはじけ飛び、星のように宙に瞬く。


「ンッ―――――フゥゥッ!!!!!」


 絶叫!


 幸姫さんは自分の腕に埋もれるようにその場に崩れ落ちた!


 その細い腕を唇で噛みしめ刺激にたえる幸姫さん。

 垂れ目で愛らしい瞳をこれでもかと見開いて、彼女はなんとか意識を保った。


「……す、すみません。先ほどから、何度も話を途切れさせてしまって。ちょっと体調が優れておりませんので、詳しい話はまた後日にさせていただきますね」


 相手の返事も聞かずに幸姫さんがそそくさと通話を切った。


 すぐに「ぱん!」と彼女は手を叩く。

 感度三千倍を解いたのだ。


「……ゆうちゃん、さん。やりましたよ、私」


 催眠から解放された幸姫さんは眠るように瞼を閉じた。


 制作会社への催眠術は無事に終わったのだ。

 僕たちはついにやり遂げたんだ。


 幸姫さんををねぎらうため、僕は放り出された彼女の手を握りしめた。

 握る手にはどうしても力が入る。視界の端は涙で微かに歪んでいた。


 ありがとう幸姫さん――。


「最後のお尻ペンペンは効きました」


「……ごめんね、痛くなかった?」


 僕は最後におもいっきりひっぱたいた幸姫さんのお尻を見た。

 着物の中の状態は分からない。手加減はしたけれど、彼女の華奢な身体を必要以上に痛めつけていたら――そう考えると、ちょっと不安になった。


 叩いた所についつい手が伸びる。

 僕は幸姫さんのお尻を着物の上から優しく撫でた。


 感度三千階を解いたはずなのに、ぴくりと幸姫さんの肩が震える。


「あっ! ゆうちゃんさん⁉」


「どう? 痛くない?」


「痛くは、ありませんけれども……」


「何か違和感でもあるの?」


「そういう訳では……ンンッ!」


 僕の手つきに合わせて幸姫さんが激しく身もだえる。

 こんなに敏感に反応するなんて――実は無理しているんじゃないか?


 ちゃんと確認した方がいいかもしれない。

 緊急事態と自分を説得して、僕は幸姫さんのお尻の着物をめくった。


「自分じゃ確認できないよね、僕が見てみるよ」


「あっ、あっ、大丈夫です! どうかおかまいなく!」


「ダメだよ! こういうのは一刻を争うんだから――」


 そして――またこのパターンかと絶句した。


 青い着物と白い襦袢の向こう。

 そこにあったのはどこまでも広がる桃色の肌だった。

 厚い着物に覆われていたためだろう、それはしっとりと滴に濡れている。


 白い肌の上には紅葉が一葉落ちている。

 今まさに紅色に染まる最中のその落ち葉。白から赤へと色が移り変わるその摩訶不思議な光景に、僕の心の中にピンク色の木枯らしが吹き荒れた。


 息をのむ僕の前で、椛の先端に溜まった朝づゆが桃色の谷へ滑り落ちる。


「……ゆうちゃんさん。着物は下着を着用いたしませんの」


 着物回のお約束。

 下着にまつわるエトセトラ。

 そんな王道トラブルを、僕はすっかり忘れていた。


 着物をめくると、そこは全裸だった。


「もうっ、強引なんですから……」


 恥じらって口元を隠し目を伏せる幸姫さん。

 その隠した表情がいつもの笑顔に重なって見えて――すごくエッチだった。


 いや、エッチなのは僕だな。ごめんなさい……。


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