第13話

 ――気がつくと僕は露天風呂に入っていた。


 岩風呂。

 お湯は早馬温泉名物、赤茶色をした金泉。正面には紅く色づいた山並み。

 湯船につかっての贅沢な紅葉狩りだ。


 なんていいお風呂なんだろうか――。


 僕は景色を楽しもうと湯船の中から立ち上がった。

 お湯をかき分け岩風呂の縁に腰掛ける。意味もなく脚も上げちゃう。


「いいよいいよ、ゆーいち! セクシーだよ!」


 ヌードデッサンのポーズみたいな姿勢で、僕は早馬の大自然を満喫した。


◇ ◇ ◇ ◇


 ――ふと、気がつくと僕はサウナに入っていた。


 檜で出来た壁・床・ベンチ。

 香り立つ濃厚な木の香り。

 部屋の中央には熱された石。

 その隣にはレモンの入った水桶が置かれていた。


 桶の水をひしゃくですくい石にかけてみる。

 たちまち水は蒸発しさわやかなレモンの香りが部屋に漂った。


 なんてすがすがしい――。


「……ふぅうう!」


「男らしいよ、ゆーいち! その調子だよー!」


 大きく息を吸い込んだ僕は意味もなくお尻を叩いた。


◇ ◇ ◇ ◇


 ――そして、気がつくと僕は洗い場に座っていた。


 鏡の前に置かれたシャンプー&ボディソープ。

 ボトルには『中山大正館』のシールが貼られている。

 アロエ成分配合。


 僕はボディーソープに手を伸ばすと、シャコシャコと薬液を手にかける。

 露天風呂とサウナでゆだった身体に僕はそれを塗り込んだ。


 アロエの柔らかい匂いに心まで癒やされる。


 ――あぁ、これぞ風呂の醍醐味。


 ――魂の洗濯。


「よっ、水もしたたる良い男! こっち目線ちょうだーい!」


◇ ◇ ◇ ◇


「ハァッ! なにやってんだいったい!」


 と、我に返れば、再び場所が切り替わる。


 旅館『中山大正館』。鵬翔の間。

 座布団の上にあぐらをかいて、僕は静かにお茶を啜っていた。


 さっきまでの光景はいったい。


「あれ? 浴衣を着ている?」


 白い生地に青い模様の入った浴衣。

 温泉旅館で部屋に一着必ず置いてある館内着を僕は着ていた。


 さらに、肌が妙につるつると火照っている。

 身体からは独特の匂い。


 くんくん――これはアロエ!


「え、もしかして、さっきのって現実⁉」


「現実ですよ」


「ふぇっ⁉」


 そして、僕の隣にはいつの間にやら女の子が座っている。


 青色の着物に黒い姫カットの髪。

 穏やかな表情に、着物の袖から見える細い腕。

 部屋の窓側、紅葉に染まった早馬の山々を背景に静かに笑う美少女。


 大聖寺幸姫さん。


 彼女は茶色い湯飲みを両手で持つとゆっくりと口に運んだ。


 状況がさっぱり分からない。

 たしか僕は、愛菜さんから説明を受けていたはずじゃ。


「……幸姫さん。これはいったい」


「おつかれさまでした。ゆうちゃんさんのおかげで撮影は無事終わりました」


「撮影が終わった?」


「えぇ。モデルおつかれさまでございました」


 湯飲みを置いた幸姫さんが、こちらに向き直って深々と頭を下げる。

 丁寧に三つ指をついてのお辞儀。黒髪がゆっくりと畳の上に折り重なる。

 申し訳なさと、謎のエッチさでちょっと焦ってしまった。


 そんな御礼を言われても、僕は何もした覚えがないんだけれどな。


 いや、待て。

 さっき彼女は僕に『現実だ』っていったよな――。


「現実って、さっき僕が見た光景のこと?」


「はい。ゆうちゃんさんは先ほどまで温泉に入っていらっしいました」


「あれは夢じゃなかった? けど、どうして場面が飛び飛びに?」


「それは私が操っていたからです」


 顔を上げると邪気のない笑顔を浮かべて「うふ」と首をかしげる幸姫さん。


 なんだかそれが逆に怖い。

 思わず僕は座ったまま後ずさりしてしまった。


 幸姫さんが正座を崩す。

 窓から差し込む陽射しを背に立ち上がると、彼女は胸の前で拝むように手を合せた。どうしてだろう、なんでもないその姿勢に胸騒ぎがする。


「そんな怯えなくても大丈夫ですよ」


「幸姫さん、君はいったい何者なんだい?」


「ちょっと身体の弱い、普通の女の子でございまして。趣味として催眠術を少々」


 パンと幸姫さんが手を叩けば、その姿がパッと変わる。

 着物姿から一転してスーツ姿。バリキャリオフィスレディという感じ。スカートにはスリットが入っており、そこから黒いタイツに包まれたふくらはぎがチラリ。


 手足は相変わらず心配になる細さ。

 けれども、細い中に女性の柔らかさをたしかに感じる。


 大人の女の身体。


 はや着替えではその現象を説明できない。

 どうすれば瞬時に大人になれるというのか。


 幸姫さんの華麗なる変身に、僕は顎を落として驚愕した。


「……いったいこれは⁉」

  

 うふと笑って彼女はブラウスのボタンを指先で弾く。


 するとまた、彼女の姿がたちまち変わる――。


「この通り、催眠術で姿を変えるなどお手の物でして」


 今度は子供の姿。

 幼稚園児。空色のスモッグに黄色い帽子を幸姫さんは被っていた。


 やはり体型も変わっている。

 四頭身。女性的なくびれのないずんぐりむっくりとした身体。


 入れ替わったとしか思えない怪現象。

 何度も何度も目を擦ったが、幼女がJKに戻ることはない。

 そして幼女の浮かべる笑顔は、幸姫さんの笑顔とまったく同じだった。


 催眠術と幸姫さんは言った。

 これは彼女の術によるものなのだろうか。


 するとさっきの幻も――。


「幻術だけではなく、こういうこともできるんですよ」


 幸姫さんがお遊戯のような仕草で手を叩く。


 彼女の姿は変わらない。

 その代わりに――僕の右手が無意識に持ち上がった。


 ふらふらと胸の前を舞った僕の手。

 それは僕の顔の前で止まると、恥ずかしいピースサインをつくる。


 そんなキメポーズしたくない。

 今すぐお尻の下にでも敷いてしまいたい。

 そう思うのに、なぜか手が言うことをきかない。


 まるで何者かに操られているように、僕は右手を自分で動かせなくなっていた。


「……ど、どうなってるの⁉」


「身体操作です」


 顔の前を離れると、盆踊りでも踊るように右手がひらひらと動く。


 確かに催眠術って、いろいろな種類があるものな。

 記憶操作や幻覚なんかがメジャーだけど、身体を操るのも立派な催●だ!


 納得した僕の前で、幸姫さんがまた穏やかな顔で笑う。

 

「他にも、記憶を消したり性格を変えたり、いろんなことができまして」


「そんな! まるで……エッチな漫画みたいじゃないか!」


「魔法みたいとか言ってくださいませ」


 幸姫さんがプンプンとかわいらしく怒った。

 なんだろう、催眠術で強制的に操られているはずなのに、このまったりした感じ。

 幸姫さんのぽややんとした表情のせいで妙に緊張感がない。


 ――もしかして、これって大丈夫な奴なのでは?


 その時、幸姫さんがまた手を叩いた。

 またしても身体操作の催眠術。今度は僕の左手が浮き上がる。


 しまった。

 両手の自由を奪われてしまった。

 ちっとも大丈夫なんかじゃなかった。


 かろうじて自由に動かせる脚を使って僕は逃げようと試みる。

 しかし、部屋の隅に逃げるのが精一杯。立ち上がることも僕にできなかった。


 催眠術で身体の自由を奪われ屈服させられてしまう。


 これが、催●系のエッチな漫画のヒロインの気持ち……ってコト⁉


「僕の身体を操って、いったいどうするつもりなんだ!」


「心配しなくても大丈夫ですよ。もう全て終わりましたから」


「そんな! もう既に、催●完了だというのか!」


「そう言っておりましてー」


 気がつけばダブルピース。

 催●モノで人気ナンバーワンのポーズを僕はしていた。


 そして幸姫さんの手には、どこから出たのかスマートフォン。


「はい、笑ってくださいまし。チーズ」


 ちっちゃな手でそれを持ちカメラレンズを僕に向けると、幸姫さんは僕の恥ずかしダブルピース姿を撮影した。


 まるで、エッチな漫画の導入のように――。


「そんな写真を撮って、いったいどうする気なの⁉」


「アドレス帳に登録させていただきまして」


「アドレス交換! 呼び出したらすぐに来いって奴!」


「顔を見ないと誰が誰だか分からなくて。いつもお写真をいただいているんです」


 なんか会話が噛み合ってない気がするけれど大ピンチだ!


 けど負けない!

 催●なんかに僕は絶対に負けないんだから!


 絶対に僕は催●に屈服なんてしない――!


◇ ◇ ◇ ◇


 引き続き、温泉旅館『中山大正館』鵬翔の間。

 僕と幸姫さんはテーブルを挟んで向かい合っていた。


「なるほど! つまり僕を催眠術で操って、全裸撮影を済ませたんだね!」


「最初から、そう言っておりますけど?」


 謎は全て解けた。

 仕事は全て終わった。


 自分の勘違いっぷりが嫌になるけど整理する。

 真相はこうだ――。


 ホームページ制作のため、僕の全裸写真を撮影する気だった幸姫さん。

 鵬翔の間で愛菜さんを相手に僕が渋っているのを見た彼女は、それならばと催眠術を使った。僕を操り強制的に撮影することにしたのだ。


 中途半端に僕に記憶があったのは操作を一時的に解いたから。

 自然な入浴感を出すために意識を戻したのだ。


 始まったと思った時には既に終わっていた。

 催眠術で僕はいいように操られ、好き放題その身体を使われた後だった。


 はい、いつもの早とちり。

 そしていつもの展開。


「ほら見てください、よく撮れておりますでしょう」


「……またはずかしいしゃしんがふえた」


 A4紙にカラー印刷された僕の写真を幸姫さんが差し出す。


 露天風呂で、サウナで、洗い場で、無意味にポーズを決める僕。

 ただでさえ全裸で恥ずかしいのに輪をかけて恥ずかしい。

 しかも、いい笑顔なんだ。


 ――これ、意識があるときにしているんだぜ。


 写真が印刷された紙を僕はバラバラに破く。

 データを破棄しないと意味なんてないのに破かずにはいられなかった。このどうしようもない恥ずかしさを、発散せずにはいられなかった。


「お願い、消して。写真でもいい、僕でもいい。どっちでもいいから消して……」


「羞恥心なら催眠術で消すことができますよ?」


「消した結果がこれでしょ!」


 両手で顔を覆うとテーブルの天板に僕は突っ伏した。


 どうして僕はこうも簡単にエッチな写真を撮られてしまうんだ。

 お人好しになんでも引き受け過ぎなんだよ。


 知識がないのを利用されてNTRされちゃう女の子かよ!


 いっそ知識がないなら、こんなに悲しい気持ちにならなくて済むか。

 中途半端に気づいちゃう自分が嫌い。一番えっちな展開じゃんそれ。


 顔を覆う手に僕は悲しい咆哮を浴びせた。


「幸姫さん、酷いよ。催眠術で無理矢理するなんて」


「まぁ、やる前にゆうちゃんさんの本音は聞きましたわよ?」


「本音って?」


「はい。『力になりたいけれど、女の子の前で裸になるのは恥ずかしい』と仰ったので、それなら恥ずかしくないようにと」


「……嘘だぁ」


 顔を上げると申し訳なさそうな顔の幸姫さんがこっちを見ている。「善意でやったつもりだったのに、迷惑だったろうか?」みたいな表情だ。

 自分の中にうずまいた毒気が、その申し訳なさそうな表情で一気に浄化されたよ。


 善意100%でやったなら、怒ったら可哀想だよね。


 やられたことを許す気はない。

 けれど、いつまでも怒っているのも疲れる。

 とりあえず嘆くのはやめにして、僕は身体を起こした。


 ――はぁ。


「もう写真って送っちゃったの?」


「愛菜さんにお任せしていますが、おそらく」


「……まぁ、流出させるようなことはしないよね」


「大丈夫ですよ。仕事が終わったら写真を削除する催眠術をかけますから。ゆうちゃんさんの写真は、私が責任を持って処分します」


 そんな便利なこともできるんだね催眠術って。

 エッチな漫画で学んだつもりになっていたけれど、実に奥が深い世界だ。


 幸姫さんが淹れてくれたお茶に僕は手を伸ばす。

 玉露。とても美味しい。詳しくないけれど、きっといいお茶だ。


 ほっと息をついた僕。

 すると、幸姫さんはまた僕に向かって頭を下げた。


 幸姫さんの黒髪が今度はテーブルの天板の上で折り重なる。

 さっきの御礼よりも、ほんのちょっぴり沈黙が長かった。


「ありがとうございます、ゆーちゃんさん。これで旅館のホームページが作れます。実は、誰もモデルになってくれなくて困っておりまして」


「まぁ、それはそうでしょうね」


「陽佳さんから伺った通り、とんでもなくお人好しなんですね」


「陽佳ってばいったい何を君たちに吹き込んでるの?」


 くすりと笑みをこぼした幸姫さん。

 身体を起こした彼女は「いろいろですよ」と手で口を隠して上品に笑った。


 見た目通りに可憐な人だな。

 催眠術の件はあったけれども、彼女ってば普通にいい人みただ。


 操られたのはショックだ。

 けれども、僕の写真が適切に処理されるならまあそれもいいか。「ちゃんと処分してね?」と約束すると、僕は催●全裸撮影会を水に流した。 


 はぁ、なんだかどっと疲れた。


「けど、『この写真を消して欲しければ……』みたいな展開じゃなくてよかった」


「必ず消しますので、安心してくださいましてー」


 肩を回す僕に向かって穏やかな顔でふんすと意気込む幸姫さん。

 幸姫さんのその言葉と顔を僕は信じてみることにした。

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