第9話

「馬鹿だなぁ。流石にニプレスも前バリも付けてるよ」


「まぁ、そうですよね。はい……」


 焼けた肌に眩しく輝く肌色のニプレス&前バリ。

 乙女の神聖領域をバッチリ隠すそれに僕もほっこり。

 ちゃんと愛菜さんは脱いだときの備えをしていた。


 これはこれでやらしいけれど。


 なんにしても、エッチな誤解してごめんなさい。

 カメラを持って苦笑いする愛菜さんに僕は深々と頭を下げた。


 ただ、その。


 ――なんでまだ全裸(ニプレス&前バリ)なんです?


「服を来てよ愛菜さん! 撮影に関係ないでしょ!」


「こっちの方が気合いが入るの! 芸術は理屈じゃないんだよ!」


 天才肌って厄介よね。

 カメラを構えて真面目な顔をする愛菜さんに僕は白い目を向けた。


 場所は相変わらずラブホテルの部屋の中。

 ベッドの手前、撮影用に組み上げた台座を囲む僕と愛菜さん。

 台座の上には脱ぎたての灰色のブラジャー&ショーツ。


 なんて強烈な光景だろうか。(白目)


 勘違いはあったが、誤解も解いたし下着も脱いだ。カメラウーマンの格好については目を瞑ろう。能率が上がるなら「全裸でもヨシ!」だ。よくないけど。


 僕たちはいよいよ撮影を開始する。


「ゆうちゃん、もうちょっとレフ板上げてくれる! そうそうそんな感じ!」


 愛菜さんの指示に従って、レフ板を動かすだけの簡単なお仕事。

 撮影用のパネルと共に床に置かれた下着に、僕は光を浴びせ続けた。


 上に下に、右に左に動かしてこれが結構ハードワーク。

 これをやりつつ撮影するのは大変だろうなと、ヘルプの意味がよく分かった。


「うーん、なんか違うのよね……」


「どうしたの愛菜さん?」


 あと、愛菜さんはこれで結構こだわりが強い人だった。


 彼女はたびたび手を止めるとあれやこれやと考え込んだ。説明はしてくれないが、僕には分からない細かなことが気になるらしい。

 まぁ、撮影時に裸になるような人だからな。そんなものかもしれない。


 今もまた、ソファの上にあぐらを組んで愛菜さんは葛藤中。

 下着を眺めて何やらぶつぶつと呟いている。


 長くなるのかなと僕が肩を落としたその時だった。

 急に愛菜さんは神妙な顔をすると僕に視線を向けてきた。


 その表情の奥に天才の狂気のようなものを感じて、僕の肌がピリピリと痛む。


「……ねぇ、ゆうちゃん。追加のお願いしてもいいかな?」


「お願い?」


「うん、ゆうちゃんにしかできないんだ」


「……まぁ、別に構わないけれど?」


「本当⁉」


 愛菜さんが嬉しそうにソファーから飛び上がる。


 すぐに愛菜さんは灰色のブラとショーツを回収した。

 そして僕の前に立つとその女性用下着を突きつける。


 どうしろと?


 面食らった僕に、彼女は一言――。


「着てみて!」


「嘘でしょ⁉」


 青空に浮かびそうな爽やかな笑顔で、愛菜さんは無茶苦茶を言い放った。


「どうかしてやがる。いじめじゃんこんなの」


「違うの! ちゃんと意味があるの!」


「男が着ることになんの意味があるっていうのさ!」


「見栄えはやっぱり人が着た方がよくわかるのよ!」


「陽佳たちに頼めばいいじゃない!」


「嫌よ! 友達のパンツなんて穿きたくないに決まってるでしょ!」


「僕だって嫌だよ!」


 女友達ならダメで、男友達ならヨシって話じゃないよね。


 とにかく下着を身につけるのだけは断固拒否。

 どんな理由があってもそれだけはできない。


 僕は「無理だから!」と愛菜さんに強く主張した。


 しかし――。


「いいのかな? よっぴーの勉強見てあげないよ?」


 腕を組んで顎をしゃくりチンピラポーズを決める愛菜さん。

 彼女はゾッとするような邪悪な顔で陽佳を人質にとった。


 この人、友達をいったいなんだと思っているの。

 そんな簡単に留年させようとしないでよ。


 けど、それを出されてしまうと僕はもう逆らえないんだな。


 とほほ。


 下を向いて悔し涙を流すのはNTRの様式美。男も女も変わらない。

 くっころのポーズを決めた僕は、突きつけられた下着を奪うように握りしめた。


「穿けばいいんだろう穿けば! もうっ!」


「さすがゆうちゃん、言えばやってくれる!」


「どうなっても知らないからね!」


 僕はしぶしぶ女性下着の着用を引き受けた。


◇ ◇ ◇ ◇


 少し移動して浴室。

 部屋の入り口からすぐ右手にあるユニットバスの中に僕は居た。

 広さは二畳ちょっと。ワンルームマンションのようだ。

 浴槽もちょっと狭い。


 場所を移動したのは、着替えを見られないためだ。

 人前で裸を晒す勇気なんて僕にはない。


 クリーム色の壁で覆われたユニットバス。

 浴槽と洗面台がカーテンで別れているタイプ。洗面台の横には便座もある。

 余計な装飾はなく実にシンプルかつ機能的な内装だ。


 こんなので色んな意味でイチャつけるのかな?


「まぁいいや。さっさとやってしまおう」


 洗面台の鏡の前に立つと、僕は素早く服を脱ぐ。

 そして心を無にして下着を手にした。

 まずはショーツから。


 とんでもなくいけないことをしているきぶんだ。


 いつものパンツには感じない優しい肌触りに股間が包まれる。

 泣きたくなるのを堪えて、僕は洗面台の鏡へと視線を向けた。


 すると当然のように――。


 鏡の中に変態がいた。


「……お父さん、お母さん、宮古。お兄ちゃんは変態になっちゃったよ」


「ゆうちゃんどう? 着替えた?」


「いやぁっ! 勝手に入って来ないでよ! 愛菜さんのエッチ!」


 汚れてしまった悲しみに浸ろうとした僕。

 しかし、そんな間など与えるものかとばかりに愛菜さんが浴室に入ってきた。


 後ろ手でバスルームのドアを閉める彼女。

 僕の女性用パンツ姿を眺めると、愛菜さんはにあくどい顔で笑う。


 やめて来ないで、お願いだから。

 彼女から逃げるように僕が浴槽に入れば、すぐに彼女も中に入る。


「ほらほら、その下着姿をよく見せてよ!」


「ダメ! ダメなのぉ! 見ちゃダメぇ!」


 セリフ逆じゃね?

 なんて思いながらも、もう逃げられない。

 僕は愛菜さんに追い詰められた。


 二人も入れば浴槽はもういっぱい。

 身じろぎするのも難しい。

 肌を離すのも一苦労だ。


 そんな場所で、ほぼ裸で恋人でもなんでもない男女が向かい合っている。

 なんとも言えない背徳感に僕の脳味噌が焼き切れそうだった。


「いやぁ、前の方はダメだね。ちゃんと男の子だわ」


「きゃぁあっ!」


 愛菜さんがじろじろと僕の股間のショーツを凝視する。

 羞恥心が働いているのは僕だけのようだ。


 逃げるように僕が背中を向ければ、逆に彼女は喜んでその場に蹲る。


 顔が尻に近い。

 やめて、そんな食い入るように見ないで。


 ふぁぁあぁぁ!


「お尻は良い感じ。ゆうちゃんって小柄だから、女の子のお尻みたいだね?」


「知りたくなかったそんな僕のお尻情報」


「……えいっ!」


「やぁん! やめて! ショーツを引っ張らないで! えっち!」


 僕のお尻を眺めてペロリと舌を舐めずる愛菜さん。

 いけない。開発されてしまう。やめてそんなハードな辱め。


 DKにはキツいよ――。 


 僕は心でエッチな漫画のヒロインみたいに嘆く。

 そんな僕のお尻を、愛菜さんが怪しくその指先で弄ぶ。


 いったい僕、これからどんなことされちゃうの。


 スケベ最高潮。

 場はとぼけたピンク色の空気に支配されてしまった。


 その時だった――。


「ただいまぁ。お弁当持って来たよ」


「お待たせしましたわ。さぁ、勉強の前の腹ごしらえですわ」


 ガチャリ。入り口の扉が開く音が響く。

 バカなことやってたら、陽佳と美琴さんがついに部屋に帰ってきた。


 ふざけすぎた。

 もうそんなに時間が経っていたんだ。


 僕も愛菜さんもぎょっとして顔を見合わせる。

 こんな姿を見られたら誤解の前に警察沙汰だよ。女物の下着で、彼女の友達と裸で抱き合う彼氏だなんて、字面だけでもう犯罪だ。


 ヤバイ――。


「どうしよう、愛菜さん?」


「しっ、ゆうちゃん静かにして。気づかれちゃう」


 一緒に浴室に入ってしまったのが運の尽き。

 絶体絶命の状況に僕たちは追い込まれた。


「……あら? これって、愛菜さんの着ていた服じゃありませんの?」


「うーん、もしかしてお風呂かな?」


 ほらさっそく大ピンチ。

 脱いだ服が見つかったのが命取り。

 浴室にいるんじゃないかと疑われてしまった。


 すごい、大正解だよ陽佳! 君は天才か! ちくしょう!


 床を踏みならす音が浴室の扉から聞こえてくる。

 徐々にその音は大きくなる。


 どうする。

 この状況を切り開くアイデアはないか?


 その時、窮地に追い込まれた僕の目にシャワーが映った。


 ――これだ!


 僕はすかさず洗面台に手を伸ばすとお湯のハンドルを回す。

 すぐに僕たちの頭に水が降り注いだ。


 激しい雨音の中、僕は胸の中の愛菜さんを見る。目と目を合せれば、言葉はなくとも僕が彼女に何を求めているのかはすぐに伝わった。


 愛菜さんが扉に向かって叫ぶ。


「ごめん、みこちん! よっぴー! 今、ちょっとシャワーを浴びようとしてたとこなんだ! シャワーが飛ぶといけないから、入るのはちょっと待って!」


「あら、そうでしたの」


 足音がピタリと止んだ。

 そして、降り注ぐ水滴の中に僕たちの息づかいや気配も隠された。


 危なかった。

 これでとりあえず、陽佳たちが浴室に入るのは防げる。

 なんとか即死だけは免れた。


 あとはどう浴室から脱出するかだ――。


「そうだ、よっぴー。帰ってきてすぐで悪いんだけれど、お使いって頼める?」


「なにかな?」


「実は下着を汚しちゃってさ、急いで替えが欲しいのよ」


「あらー、それは大変だね。分かったすぐに行くよ」


「ありがと! あと、みこちんにも頼んでいいかな? バスタオル持ってきてなくてさ、悪いけどフロントに取りに行ってくれない?」


「かしこまりましてよ」


「テンキュー!」


 脱出方法に悩む間もなく、愛菜さんが言葉巧みに陽佳たちを部屋から追い出した。

 

 困っている友人のために、すぐ陽佳たちは部屋の外に出る。「すぐ戻るね」という言葉の後、入り口の扉が閉まる音が浴室に響いてきた。


 もう気配を誤魔化す必要はない。

 僕は洗面台に手を伸ばすとハンドルを回してシャワーを止める。


 ――なんとか窮地を乗り切れた。


 頭から降り注ぐ水はすっかり温かくなっていた。


「ひやひやしたね」


「うん。けど、すごいや愛菜さん。よくあそこで機転が利いたよ」


「お互い様だよ! ありがと、ゆうちゃん! シャワーはナイスだったよ!」


 微かに濡れた髪の毛を頬にはりつけて愛菜さんが困ったように笑う。

 サディスティックな顔も素敵だがそんな顔も魅力的だった。


 困った顔のまま愛菜さんが僕に抱きついてくる。

 誤解を生む絵面だが、僕もちょっと窮地を脱した余韻に浸りたい。


 湯気が立ちのぼる浴槽の中で、僕は彼女のハグを黙って受け入れた。


「さぁ、それじゃよっぴーたちが戻ってくる前に出ようか」


「そうだね」


「やれやれ、これにて一件落着――」


 愛菜さんが言葉を途中で止める。


 すぐにその顔が蒼白に染まった。

 ほっとしたのも束の間、彼女は険しい顔をして俯いた。


 どうしたんだ?

 何があったんだ?


 僕はハグを解除して、彼女の身体を確認しようとした。


 しかし――。


「ダメっ! ゆうちゃん、動かないで!」


「えぇっ⁉」


 愛菜さんを引き離そうとした僕の手が彼女に捕まった。

 痛いくらいに腕を握りしめる力から、愛菜さんの焦りが伝わってくる。


 さらに、愛菜さんは僕にもっと密着するとぐちゃぐちゃの顔を向けてくる。

 赤らんだ頬にシャワーとは違う水がつっと流れた。


 湯気が昇る浴室。

 シャワーの水滴がまだ残ったお互いの肌。

 近い吐息。抱き合ったことで心音まで聞こえてくる。


 何かを堪えるような顔で僕を見上げる愛菜さん。その薄い胸を自分から僕に密着させると、なぜか「あっ! やぁっ!」と切ない声をあげる。


 いったい、何が起きているのか――。


「やだっ、こんなのって! 待って、待って、嘘でしょ⁉」


「愛菜さんダメだよ! そんな風に胸を押しつけないで――」


 しっかりとした弾力のあるちっぱい。

 包まれるような柔らかさはないけど、女の子の身体にしかない感触だ。それがいま乱暴に僕の胸板に押しつけられている。


 それだけではない。


 引き締まった愛菜さんの身体。

 その筋肉や骨までが僕の身体を擦り上げるのだ。


 腹筋が、鎖骨が、二の腕が、僕の身体をぎゅうぎゅうと力一杯に締め付ける。

 身体全体で僕をいたぶってくる。


 それは、女の子の身体に優しく傷つけられる甘美な痛み――。


「やめて愛菜さん! そんな乱暴にしたら!」


「ごめんゆうちゃん! けどもう限界で!」


「げ、限界って! ふぁあぁっ!」


「ごめんゆうちゃん! 変な所に当たっちゃった!」


「ダメだよ、そんな所に触れたら――あっ、あっ、やぁあああん!」


「ゆうちゃん暴れないで! こっちがおかしくなる!」


「無理だよ愛菜さぁぁん!」


 愛菜さんの全身お触りがすごすぎる!


 こんなの耐えられない。

 僕は愛菜さんの二の腕を掴むと、今度は問答無用でひっぺがした。


 生々しい声が浴室に響き渡る。


 ただならぬ愛菜さんの様子が心配で、僕はすぐに彼女を見下ろした。

 もしかして怪我でもしたんじゃないか。

 注意深く僕は彼女の身体を観察した。


 けれども、どこにもおかしな所はない。

 愛菜さんの身体に歪な所はどこもなく、綺麗に焼けた肌があるだけだった。


 そうそして――その胸もまた周りと同じ色。


「あれ? ニプレスって、こんな色だったっけ?」


 僕のお腹から何かが浴槽にこぼれた。

 重たい水音を立てたそれは、水をたっぷりと吸った肌色のシート。


 なんだこれ?

 湿布みたいだけど、僕はこんなもの――。


 その時、僕はようやく理解した。


 目の前の少女が、なぜいきなりしがみついてきたのか。

 それだけじゃ飽き足らず、まるで何かを押さえつけるように暴れたのか。

 足下の肌色のシートがなんなのか。


 しかし、もっと簡単に真相を理解する方法があった。


「あっ、すごく綺麗な桜色――」


 焼けた肌の中に鮮やかに咲く乙女の桜。

 それを見れば、もう誰でも分かる。


 ――水でふやけて、愛菜さんのニプレスが落ちたんだ!


「見ないでよぉ。ゆうちゃんの意地悪ぅ……」


 僕の脳髄に雷が落ちた。


 サディスティックでボーイッシュなウザ系女子。

 そんな彼女が唐突に見せたマゾい表情。

 許しを請うようにこちらを見上げる愛菜さんの表情と視線が、僕の心の中にある荒々しい男の部分を鋭く射貫く。


 ダメだよそんな顔したら。

 もっと見たくて、下着のお礼をしたくなる――。


「ごめん、愛菜さん。気がつかなくって」


「いいからこっち見ないでよ! エッチ! 変態!」


 何者にも覆われていない彼女の桜色のつぼみ。

 いつまでも見ていたくなるその可憐さに僕は目も心も奪われる。


 僕の頬を愛菜さんの小さな手が張り飛ばすまで、僕と愛菜さんのエッ……なお花見は続いたのだった。


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